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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2017/05/01 (月) やさしい魔法の使い方


それは、とてもかんたんな魔法。
だれでも使える、やさしい魔法。

「やさしくしてください」
と、サリは森を歩きます。
やさしくされないと、彼女は、死んでしまうのです。

やさしくされたとき、サリのビンには、
やさしい水がたまっていきます。
彼女は、その水を飲んでくらしています。

「やさしくしてください」

歌手は、うたってくれました。
すると、その歌は、やさしい水になりました。

99曲うたったところで、
歌手ののどはつぶれてしまいました。

サリは、歌手に言いました。
「もっとうたってください。
 もっとやさしくしてください」

「やさしくしてください」

湖は、フナをくれました。
すると、そのフナは、やさしい水になりました。

湖から、フナのこどもたちが、
「母さんをかえして」と言います。

サリは、湖に言いました。
「こどものフナもください。
 もっとやさしくしてください」
サリは、やさしい水を飲んで眠ります。

「やさしくしてください」

ヒバリは、話をきかせてくれました。
すると、その声は、やさしい水になりました。

サリがかえろうとすると、ヒバリは、
「きいたぶんだけ、料金をはらいなさい」

サリは、
銀貨を2枚はらわなければなりませんでした。

「やさしくしてください」

砂丘は、話をきいてくれました。
砂丘のしずけさは、やさしい水になりました。

サリは、うちあけました。
「わたしはブドウが大好きなのです」

やがて、森には、
農場のブドウをぬすんだのはサリにちがいないと、
根も葉もないうわさがながれていました。


「やさしくしてください」

ふたごは、道をおしえてくれました。
彼女たちのほほえみは、やさしい水になりました。

おしえられた道は、
イバラのなかへとつづいていました。

サリの晴れ着がやぶれたとき、
ふたごのつめたい笑い声がきこえてきました。



「やさしくしてください」

塔は、とびらをあけてくれました。
とびらのきしむ音は、やさしい水になりました。

「ようこそ」と笑顔であらわれた番人の背中には、
しかし、コウモリの羽根がついていました。

とびらはバタンとしまり、
サリはとじこめられてしまいました。

「やさしくしてください」

サリは番人に言おうとしましたが、
なぜか、声がでません。

番人は、ニヤニヤ笑いながら言いました。
「おまえは、この塔からでられない。
 ビンの水も、もうふえることはない」

サリは、それから10日間も、塔の中をさまよいました。
サリは、さむさでたおれそうです。
ビンの水も、
もう、ひとくちぶんしかのこっていません。

闇のなかで、サリは若者にであいました。
やさしくしてください、と言おうとしますが、
声がでません。

サリは、胸のなかでさけびます。
(やさしくしてください!
  やさしくしてください!)

でも、若者にはつたわりません。

(やさしくしてください!
  やさしくしてください!)
サリは、そのままたおれてしまいました。


気がつくと、サリは若者の腕のなかにいました。

「ぼくが塔にまよいこんでから、100日になります。
 食べものも、水ももっていないのです。
 あなたに、なにもしてあげられないのです」
若者は涙をながしました。

100日もつづいた彼のさむさを思ったとき、
なぜか、サリの目からは、
ポロポロと涙がこぼれてきました。

サリは若者に、
ビンの底の、さいごの水をあげました。


そのときです。
サリのビンが光りはじめたのです。

光はふたりをあたため、塔をあたためました。
かたくとじられていたとびらは、ゆっくりとひらき、
番人は小鳥になりました。

小鳥が言いました。
「サリ、やっと魔法が使えたね。
 もう、ビンの水を飲まなくても生きていけます。
 なくした声も、もどっているよ」

サリは、ふかく息をすいこみました。
そして、ずっと若者につたえたかった、
あの思いをことばにしました。

「やさしくしても、いいですか?」



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内容

うーさん 心に響くものがありました。 (17/05/01 19:06)
夜曲 優れた作品だと思います、これは真理だなぁ、やさしくするベクトルの方向、人生に光が当たる。 (17/05/01 16:16)


 ■ 2017/02/19 (日) 追憶にある映画と小説


分かれ道だったか
別れ道だったか
リチャード・ギア主演の映画に
確かこんなタイトルがあったと探し回ったが見つからない。

結局これ、「わかれ道」
ひらがなだった

主人公リチャード・ギアは大学時代の恋人で 資産家の娘と結婚。
その後 建築家である彼の仕事は、美人で聡明な妻の力で発展。
しかし 彼には新しい出会いが・・・
新しい女性を真剣に愛し妻とわかれようかと思い迷う。
それでもけなげに、クールを装う妻。

Intersection,わかれ道

そして
男は交通事故に遭う。

もうひとつ

「口笛を吹く男(遠藤周作)」

まず「私」が熊本で中年の女性マッサージ師から
(その友達の話として)聞いた話、みたいな外枠があって。
内側は、マッサージ師である「女」のアパートの隣の部屋には、
熊本大学志望の2浪の青年がいて、「女」が夜遅く仕事から帰ってくると、
その部屋の灯りがついていたり、自分の部屋にいると
隣から口笛が聞こえてきたりする、みたいな話。
「女」には青年と同じ歳くらいの、家を出て行ったきり音沙汰のない弟がいて、
その青年を弟のように心配し始める。
移動焼きイモ屋から焼きイモを買ってあげて、渡したり。

新聞にそのハイジャック事件の青年たちの写真が載った。
それを見た時、女はアッと声をたてた。
印刷のよごれたその四人の写真のなかに、あの隣室の口笛を
吹いていた青年の顔があったからだ

夕暮れになると、青年が小さな窓から、木のない朝鮮の禿げ山を見ながら
口笛を吹いているような気がする。彼女が昔、壁越しによく聞いた
あの途切れ途切れの、弱々しいクワイ河マーチを・・・・








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 ■ 2017/02/11 (土) 「べっぴんさん」と「娘をやめていいですか」


どちらも面白くて観ている

娘さんというのは父親だけでなく母親にとっても特別に可愛いものらしい

自分は50代だからどうしても親の側に立ってみてしまうが

子供はいつか親から離れていくんだなとせつなくなった


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 ■ 2016/12/24 (土) 埋もれていた古いビデオテープ


ロッカーの奥に古いビデオテープが20数本残してあった

退屈しのぎにその中身を見てみると・・・・

15年から5年前くらいの
ドラマ、アニメ、野球、サッカー、映画、ドキュメンタリー等々

上戸彩の「流れ星」、長谷川博己と鈴木京香の「セカンドバージン」
アリソンローマンの「ホワイト・オランダー」
「大きく振りかぶって」「君に届け」
そして膨大なCBSドキュメントの山

こんなもの録画していたんだと驚いた
細かいところは見事に記憶から抜け落ちているのは人生も同じだ

たとえば今 録画している「逃げ恥」とか「ドキュメント72時間」
ドラマ10の「コントレール」「運命に似た恋」とかを封印して
また15年後くらいに見たら、どんな思いにとらわれるか

僕は「放浪する」タイプの人間が好きだ
いろんな所を放浪し、さまざまな人間と出会い、けれど二度と会う事のないような





















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サイコロ あけまして、おめでとうございます。今年も楽しみにしています^ (17/01/02 20:15)


 ■ 2016/11/30 (水) 象徴


エジプトの遺跡などに最もよく残っている紋章に「アンチ」と呼ばれるものがある。エジプト人はアンチのような象徴によって、相応の理(霊的真理)を表現した。十字の上の円形は永遠の生命たる太陽を示し、横の線は人間界における苦しみや死を意味し、同時に人間界および霊界における試練や誘惑を表現している。そしてこの線を乗り越えて、つまり死、苦しみ、試練などを乗り越えて、上のレベルに達した時に霊的にも幸福で永遠の霊的生命に到達できるということをこのアンチは示している.

スウェデンボルグ著『霊界からの手記(下)』より


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 ■ 2016/10/31 (月) まどろみ


若いころは深夜映画を観ながら眠るのが好きだった。

深夜2時過ぎくらいからやっている映画を明かりを消して
布団にもぐりながら観ていると、いつのまにか眠ってしまう
そのまどろみの時間が至福だった

今は明かりを消して 暗い天井を見ながら眠る
「心霊体験談」の朗読を聴きながら・・・

1週間のうちの楽しみはやはり金曜日
金曜日の夜は1週間分の疲れがどっとでる
だが2日間出勤しないでいい、それだけでほんとうに嬉しい

金曜日の夜は早めに家に帰って
「ドラマ10」→「ドキュメント72時間」→「プレミアムシネマ」とハシゴ

そして就寝





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サイコロ ドキュメント72時間は溜め取りしています^ (16/11/01 00:27)


 ■ 2016/10/16 (日) 映画「SCOOP」を観てきました


「フライデー」とか「週刊文春」っていうのは編集部がこんな感じなのだろうか

普通は始業時間や終業時間が決められ、残業時間も管理されて
みたいなところで働いているので、こういう職場は新鮮に映る
ジャーナリストは自由な雰囲気があってうらやましい。
もっとも同業他社との競争やノルマはあるんだろうけれども・・・

ネットの何かのレビューにあったが、今年は邦画の当たり年だそうだ


まったく関係ない話だが、僕は亡くなられた方の死亡記事を読むのが好きです
厳密には下記の記事は「死亡記事」には当たらないのかもしれないが、こういう「人の
一生を数行にまとめた文章」を読むのが好きです。

【参考例】
ロバートショウ  生年月日 1927年8月9日 没年月日 1978年8月28日(満51歳没)

英国ランカシャー州(現グレーター・マンチェスター)ウェストホートンで生まれる。父親は医師。幼い頃から文学や詩に親しむ一方、ラグビーやハンドボール、陸上競技に没頭するスポーツ少年でもあった。

医師を志してケンブリッジ大学に進学するための奨学生試験を受けているうちに、先にロンドンの王立演劇学校の奨学生に合格した。ジョン・ギールグッドに師事して演技を学ぶうちにその面白さに取り憑かれ、卒業後は由緒あるオールド・ヴィク座の団員となり、1949年に初舞台を踏む。その後、ロンドンやブロードウェイの劇場に出演する。舞台俳優としての道を歩み始める一方で、学校教師・スポーツライター・新聞書評欄の担当記者などさまざまな職を経験、少年時代から文学に親しんだこともあって、文筆業としての才能も発揮し始める。

俳優としてより先に作家として有名になり、小説や戯曲は世界各国で出版され、『戦場はどこだ!』のように映画化された作品もある。

マーク・ロブソン監督によるアクション大作『アバランチエクスプレス』撮影終了直後の1978年8月28日、自宅のあるアイルランドのメイヨー州ツアーメイカディで車を運転中に心臓発作を起こし死去。51歳という若さでの急逝だった。

※死亡記事(しぼうきじ)とは、新聞などの記事のうち著名人の死を伝える内容のもののことである。訃報(ふほう)とも言い、日本では死亡記事のコーナーは「おくやみ欄」とも呼ばれる。発行者が独自に掲載を決めたものを指し、遺族などが依頼して広告として掲載されたものは死亡広告と呼んで区別する。





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 ■ 2016/10/05 (水) 先生


今度でも、中日ドラゴンズの社長が、
「広岡(達朗=元西武監督)を自分のほうにコーチとして連れていきたいんだが、
 何とか先生、なりませんか」
「だめ」
「そんなこと言わないで、なんとか。」
「だめ。まだそういう運命がきていない」
「尽力してください」
「尽力したって駄目だよ。つまり天運がまだこないんだから駄目だ。天運がそういうふうに決定してある」(「盛大な人生」中村天風述)

上のやりとりは、広岡さんが巨人を辞めて、ただ天風先生も御存命の頃、となると
おそらくは昭和41,2年の頃だろうか。その後、昭和50年代以降に名監督として名を成す広岡さんの将来を予見されたかのような言葉である。
徳の高い方というのは人の運命についてもある程度わかるのかもしれない。

僕が中村天風先生の名を知ったのは、やはりこの広岡さんの「意識革命のすすめ」を
読んでである。その時はただ漫然と読み流しただけだったが、何年かたって、
何かの雑誌である会社の社長が「私の1冊」ということで天風先生の本を挙げていた
それからこの人の本を少しずつ読むようになったのである。

私がインドへ行って三日目、山に行く道すがら先生からこういう質問が出た。
 「野原を歩いているときに、後ろをヒョイッと見たら虎が追いかけてきた。そこで、たまらぬと逃げ出して、どこか安全なところはないかなと、はるか向こうを見ると、大きな松の木が天にそびえている。これだっていうんで松の木に登って、チョイと下を見ると、その松の木の枝の出ている下は底知れない谷だ。
 ここなら虎も上がってこないわ、ここにしばらくいようと思っているとき、ヒョイと気がついて頭の上を見てみたら、頭の上から大きな蛇がお前を飲もうとして紅蓮の舌をペロッペロッと出して近寄ってきた。上に大きな蛇、下に虎。
 そこで、これは困ったというんで、どこかに逃げるところはないかと、ヒョイッと足元を見ると、谷底へ蔦葛が下がっていた。これだこれだ、この蔦葛にひとつぶら下がっていれば、蛇も虎もどうすることもできないっていうんで、蔦葛にぶらさがった。
 いいか。そうしたらば、やれ安心と思ったのもつかの間、手元に何か怪しき響きを感じてきたので、ヒョイと上を向いたら、なんと貴様、そのつかまっている蔦葛の根を、リスめが来て、ボリボリ食いおった、どうする?」こういう質問なの。
 そのままあなた方にも言う。どうする?
 そのとき私はね、あなた方と違って、何べんか、もう駄目だという生死の中をくぐり抜けた後の、いわゆる生死経験の者でありますから、あなた方ほどあわてませんでした。私、にっこり笑ったよ。その時に。どうせ、むこうの満足するほどの返事はできないかもしれないけど、私としてはこう考えた。何もあわてることはないじゃないか。切れるまでは生きているんだから、切れて落っこちてから後のことは、落っこちてから後に考えればいいと思ってね。
 「落っこちるまでは生きておりますから、そのまま安住しております」と言ったら、
 「偉いっ、それなら先々の見込みがあるぞ。それが人間の世のほんとうのありさまじゃ」
 これが人間の世のありさまなんです。気づかないために安心しているんではなく、気づいたときでも安心ができるようでないと、本物じゃないわけだね。ところが、あなた方、気づかざる場合には知らぬことで、我が心を煩わさないから何も考えないけれども、わかったら大変だ、ねえ。
 わかったら大変じゃいけないんですよ。わかっても、我れ関せずの心になり得れば、人間の世界に何の恐れも感じない、実に安心した状態が続いてくる。

まあ、こんなことを言われても凡夫にはなかなか簡単には理解できないのだが、
次のことはいかがだろう

「まあ、いいことだけを絶え間なく絵に描けよ、心に。」
 ただそれだけしか教わらないんだが、心の中で思ったり考えたりすることを、心のスクリーンに想像力を応用して描くと、それが期せずして強固な信念となる。信念となると、それがいつかは具体化するのが必然の神秘なんだ、ということが悟れたわけだ





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 ■ 2016/09/29 (木) ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」


秀才少年ハンスは町の人たちの期待を担って神学校に入学したが、そこで待っていたものは果てしない勉強のくり返しであった。神経衰弱で帰郷したハンスに向けられる失望と怒りと冷笑。淡い初恋も実ることなく、苦悩と恥辱の生活を送るハンスに訪れた安らぎの世界、それは死であった。

あらすじ
優秀な生徒として親や周囲から期待されるハンス・ギーベンラートは、地元の街からただ一人進学校に合格した。しかしそこでヘルマン・ハイルナーという芸術家気質の人物と親交を持つようになり、ハンスは進学校で学問に精進し、成績で一番になろうとする意志を次第に失くすようになる。ハイルナーとハンスは、生徒や教師の間から蔑まれるコンビとして認識される。ハイルナーは進学校を飛び出す小旅行事件を起こし、結果として放校される。次いで意気消沈し学問を放擲したハンスも進学校を離れ、地元に帰る。そして鍛冶職人の見習いとして働くが、ある日曜日の酒飲みで酒を多く飲んでしまい、次の日の朝、川に落ちて死んでしまったのを発見される…。

僕がこの本を読んだのはもう40年近く前の中学生の頃である。
夏休みの読書感想文に、この本を選んで作文したのを覚えている。

この間、BS朝日の「あらすじ名作劇場」をみていたら、
この「車輪の下」をやっていた。懐かしいなと思って見ていたのだが・・・・・






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 ■ 2016/09/23 (金) 聲の形


この前、新宿の映画館で観て来た

内容が少し重い、二番煎じ・・・と評価は芳しくないが、
評判の高い「君の名は」よりこっちのほうが・・・、と感じた。

登場人物は男の子も女の子もみな可愛らしい子ばかりだ。
特に難聴のヒロインの弟には不覚にも見とれてしまった

「君の名は」はもちろんいい映画なのだろうが、
52歳の自分にとってはもう完全に年齢制限をオーバーしてしまっている

その点、こっちはまだ、まだ・・・理解できる、というか

他人に酷いことをされ、その自分も別の他人に酷いことをした
今となってはただ神様にお許しを乞うだけ・・・・・

ここからは中年男の戯言

一次元は線、二次元は平面、三次元は立体
三次元とはいま私たちが暮らしている世界だ

一次元の世界は二次元の世界の一部、二次元の世界は三次元の世界の一部だ
だが一次元の世界では広がりがわからない、二次元の世界では厚さがわからない

一次元から二次元、二次元から三次元にいこうとすると
元の世界では消えたように見える

三次元ではわからない四次元の世界とは、それが時間の世界なのだそうだ
なるほど・・・そういえば、未来へも過去へも
それがあるとはわかっていてもここから行くことはできないものね

50年生きてきて、
薄い現在が厚く積み重なった「全体像」があらわになってきた
時間が見えるというのはこういうことか

今日は「妖女伝説」という漫画をよんでいた


















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記入なし 面白い話です! 今後実生活で使わせてもらいますw (16/10/01 17:42)


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