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日々の記録


 ■ 2005/03/30 (水) 自分がまだまだ未成長である事を嫌に思う3月末


 前回日記を書いた時よりもう一月以上が経過してしまいました。そして3月も残すところ後僅かとなり、2日後にはもう新年度が始まります。しかもダラダラと籍を置き続けて半ば追いやられるかのように大学院を修了してから1年が経過しようとしています。とはいえこの間に自分にとってプラスになるような事があったのかといってもそれはなく、相変わらず変化の無い日常を送っています。

 大きな出来事と言えるものとしては、東京大空襲からちょうど60年目の日に私の母方の祖母が老衰で亡くなった事です。これにより父方の祖母を除き、私の祖父母は3人が鬼籍に入った事になります。しかし私は個人的な事情(=つまり無職であり、3月30日現在も職にあぶれているため)により葬儀には参列する事が出来ませんでした。自分は本当に親不孝者、というか親族不幸者に思えてなりません。自分自身を隠すために親族に対してすら距離を取らなければならない姿は情けなく感じられます。

 もう一つ大きな出来事を挙げるとすれば、3月半ばで私はまた一つ年を取り27歳になりました。四捨五入すれば30となる20代後半に差し掛かってもう2年になりますが、もうそんな所なのかといった実感はあまりありません。自分が精神的にはお子様な状態だから自分がもう20代後半である事すら実感が湧かなくなっているのでしょうか。家でも親に対してはなかなかお子様的発言もする事がありますし、3月上旬に六本木の学生職業総合支援センターのセミナーにて面接対策をした際などは顔がキツくてにこやかさが感じられないとまで指摘されました。

 時々私は昔の事を思い出したりするのですが、小中高と私は教科の成績はそこそこ良かったのですが、学校生活では先生の前では真面目な生徒のフリをしていても、クラスメート相手には幼稚な言動をして馬鹿にされたり障害者呼ばわりされた事もあります(特に中学)。高校はなんとか進学校に入り、そして都内の有名大学とそこの大学院へと進みましたが、大学および大学院のゼミで同期や先輩方は精神年齢的にも成熟されている方々だったので私も気兼ね無く話をする事が出来ました。とりわけ大学院では私の趣味的な会話にも付き合ってくれた方々がいて私も自分のレベルが高くなったのだと思っていたくらいです。

 しかしながら実態は、私が気兼ね無く話せたというのは相手が私のレベルに合わせてくれた上で成立していたのであって、自分のレベルが高いという事ではありませんでした。精神的にもレベルの高い方だけあって、人を見下したり馬鹿にするような発言を人前ではしないというだけであり、公立中学のように色々なレベルの人間が集まっている場所では私は他者にとってストレス解消の格好の標的ないしは都合のいい使い走りにされていました。

 私は人の話が全く理解できず、幼稚な言動を繰り返していても、プライドは無駄に高く、しかも誇大妄想癖に近い所もあって、自分の理想的なイメージはもうそれこそフィクションでいえば「銀英伝」のメインキャラクター、現実世界でいえば最盛期のTM NETWORKや吉川晃司氏などを勝手にあてはめていました。実際の私は身長が182センチあるにもかかわらず運動能力はまるっきり低く、ルックスも全く冴えていません。自分の好きな事以外には頭が回らない上に全く格好良くないというダメダメ尽くしで苛立ちが募る事があります。

 その苛立ちが募りまくっている状態が今なのです。親の話一つうまく理解する事が出来ず、お子様的言動を繰り返し、自分の努力が1パーセントも評価されていない。面接で落ちてしまうというのもこういった事が影響しているのかもしれません。しかし最近では履歴書ですら通らなくなっています。プロの採用担当からすれば、職歴が無いだけでなく、大学院も無駄に4年在籍していると経歴を見ただけで、「コイツは何やったってダメだろう」と切り捨てられているように思えてなりません。

 履歴書に私の事を書く際には、当然嘘などは書きませんが、これといった長所が無く短所しか思いつかないので自分の事を多分に美化している所はあります。誰だって自分の短所を羅列したいなど思わないのは当たり前だと思います。しかしこれといって優れた点の無い人間にとって社会人デビューはそれこそ茨の道のように感じられます。大学(大学院も含めて)までは常識知らずであってもペーパーテストさえ合格点を1点でも越えればパス出来るのに、社会人になるという事は机に向かってのお勉強以上に様々なもの(例を挙げればコミュニケーション能力や物事の理解力)が求められ、高い学歴欲しさにそうしたいとは思わない勉強をやってきたのは何だったんだと思う事さえあります。
 
 私は勉強するよりも、他人の作った物を堪能するというか溺愛している方を好む事があります。他人から見ればくだらないようなものでも、まるで人類世界の進歩の象徴とか現代日本の芸術の最高傑作といった風に受け止めているように思います。そういえば以前に、「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」の日本館が多大なる絶賛を受け、それがわが国でも「帰国展」として東京都写真美術館で展示が行われ(私は行けませんでしたが)、その模様がNHKの「新日曜美術館」(2月27日放送だったと思われます)で「芸術」として取り上げられた事を見て、オタク文化もいわば世界に冠たる日本の現代文化として誇りに思えたほどです。こういったのを見ると自分も社会的ないしは文化的に貢献しているんだと考えてみたくもなります。確かに私にクリエイティブな才能が欠けている事は承知していますが、人の作ったものを追いかけている事を単なる追従であるとは思っていません。いわば一種の社会参加ないしは建設的事業のようにとらえていたりします。自分も現代文化の発展のために微力ながら力を貸しているんだ、と。
 
 しかしこういう私の嗜好を理解してくれた人はいまだに一人もいません。大学院時代の方々も、心が広かっただけに自分の嗜好に対して拒絶反応を示すような事はしませんでしたが、かといって全てを受け入れてくれたかといえばそうもそうではないとしか言いようがありませんでした。人の嗜好といったものは100人いれば100通りのものがあるというのは分かっています。私は自分の嗜好を押し付けたりする事はしませんが、自分の嗜好に嫌悪感を示した相手に対しては盛りのついた軍鶏よろしく激しく反発して、一歩も譲ろうとはしない傾向があります。批判はともかく悪口を耳にするとどうも黙っていられないという感じだったりします。そこに当日記でも述べてきた私のお得意の屁理屈攻撃を展開してしまって、結局相手の理解を得られずに話が平行線をたどってしまうというパターンを(特に母親相手に)繰り返してきました。
 
 私は今をもって心を許せたり、あるいは趣味嗜好が一致するような親友というものが一人もいません。大学院時代の同僚やドクターの方々はくどいようですが心が広いから私の事もある程度までは受け入れてくれました。しかし修了してもう1年になるのに、何かの機会に東京で出会う事などほとんどなくあまりメールなどでも連絡を取る事すら無くなって久しいです。いくら3、4年も一緒のゼミで勉強していても、プライベートでの付き合いが薄すぎたがために親密にはならなかったのかもしれません。大学の中とその周辺でしか付き合いの無かった人達などに卒業してからもよろしく、とはいかないのでしょうか。なかなか親しい友人を作るのが恐ろしいほど下手なのですが、人付き合いが上手くいかない事にも現在の就職活動を困難にしている一因なのかもしれません。


 今年も4分の1が終わろうとしていますが、人間としてまだまだ未成長としか言いようの無い状態だらけの3ヶ月だったと言わざるを得ませんでした。自分の趣味嗜好の完全否定などはしませんが、自分の幼稚さにはつくづく嫌気がさしてきます。精神年齢の低さというものは隠そうにも隠せないという事なのでしょうか。泥沼的な状況から抜け出すのに四苦八苦しているのが3月末の現状です。



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ぺけぽむ 韮山さんの言うことももっともで、確かにチャンスなしとはいえない(狭い門だろうけど)。それはそれとしてつけ加えると、冷静な論理分析力や知識と言ったものが、自分の内面の冷静な反省に役立ってないように思えてしまう。過去に後悔が大いにあるのは別におかしくも何ともないけれど、それに拘泥してしまっている今の自分の心理とはどうなのかを落ち着いて分析すれば(これが一番むずかしいことだけど)まだ結構強みがあるんじゃないかと思えるんですね。「絶対講師になれ、それしかない」って意味ではなくて言うんですけど、例えば「世界史に関する知識は人並以上にある」というのも強みなはずで、過去に対する悔いがそういうものあるはずのものに対する目を曇らせてしまっているんじゃないかと思う。ご両親の小言というのも、たぶんご子息の将来とかに対する不安以上に、これまでの自分たちがしてきた育て方に対する不安や後悔のようなものから、つまり過去に対する不安や後悔から来ているように思えます。だとしたら、そのご両親の小言にまともに憤っていたら、結局自分の中の後悔を強めてしまうことになる。心配してくれる両親の心は心として、韮山さんの言うとおり、そういう心を曇らせたりささくれ立たせたりするような話のときは一拍おく心構えが必要と思う。 (05/04/02 12:30)
韮山 提案です。次に親に対してなにか言いたくなったらそれをぐっと飲み込む。言い返す代わりに3秒かけて深呼吸し、そのまま散歩に出掛ける。 日記を読む限りあなたは既に周囲を圧倒できる知識と論理能力を持っています。 カッとして相手に食ってかかるのではなく、「押してだめなら引いてみる」その冷静さを心がける。 どうでしょう、とりあずこのあたりから始めてみたら。 ぺけぽむさんの仰ることももっともですが、あなたが冷静さを手に入れれば、まだ正社員の可能性は残っているかと思います。 懸念されるのは、その冷静な分析をいつまでも出来ず、本当にチャンスを逃してしまうこと。 日常生活にテーマが必要です。 (05/04/01 00:26)
ぺけぽむ 高い学歴が欲しいだけでそうしたいわけでもない勉強を…とおっしゃるけど、正社員と言う比較的高い身分が欲しいだけで正社員一本の就職活動をしてると思えて。正直言って、現実に言ったら職歴経験なし院卒27歳の新人を正社員で採用する会社はあまりない(ということは良くご存知のはず)。正直言って、正社員採用されるコースからは「もう外れてしまった」のが現実だろうかと。じゃあそれはそれとして、その現実に対応してどういう道を切り開くか、だよね。職歴がなくても学歴が生きる仕事って言ったら「塾講師」。かなり立場の弱い仕事でしかないけど、バイトでやってみたらどうかと。現代の世界史にはつぶしが利くんじゃないですか? 知らないことは覚えりゃ良いし、一応その辺のことは大学でかじってるだろうからとっつきやすいのでは。講師採用でも成績次第ではなりあがれないこともなくはない仕事なので、とりあえず「つなぎ」のつもりとしてでも探してみては? (05/03/31 14:00)
桃太郎 体格がいいのだから、トヨタの期間工をしてみるのもいいのではないでしょうか。 (05/03/30 19:04)
通りすがり 御祖父の御葬式に無職だという理由で参列しないとは信じられません。肉親への弔いが自身の無職と何の関係があるんでしょうか。 (05/03/30 18:31)
大人の少年 お久しぶりです、もう27歳になられたんですね・・、(といっても私よりず〜と若いですが・・笑)で、27歳で職歴もアルバイト歴もないとなるとちょっと”やばい”かも?です。貴方のその豊富な知識が、この先のご自身の将来進むべき道に邪魔をいているようにも感じます。日記文章中に「顔がキツくて・・」とありますが、顔の表情は社会経験を積んでこそ作られていくものです。やっぱり、すぐに職が見つからなければアルバイトでも派遣でもいいから労働(社会参加)しましょう。社会に出ればたとえアルバイトとはいえ人間形成がでいたり顔の表情も多少なりとも朗らかになります。諺ではありませんが、古い表現で申し訳ないですが、「女の顔は請求書」「男の顔は履歴書」ともいいます。(いいいました。)前者はともかく後者の「男の顔は履歴書」というのは先ほどにも書きましたが社会経験をつんでこそ自分自身という人間が形成されおのずとか顔の表情も変わってくると思います。どんな仕事であれ時給はともかく自分が継続的にできる事をバイトまたは派遣で見つけてください。一定期間働けば自身に変化心身共々見られると思います。働く事によって自己認識もできるかと思います。長文になって申し訳ないですが最後に、どんな雇用形態にしろ働くって大変ですし、それぞれの仕事は誰かがやらなければなりません。「好きな事をするのではなく、しなければならない事を好きになる」(ある方の言葉です。)がんばってください。あと、あまり親に八つ当たり?は辞めましょう、いずれ親を心配しなければならない時がきます、すぐですよ、すぐ。 (05/03/30 11:36)


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