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無色の妄想日記タイトルを変更しました。 現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。 ありがたいことです。 旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。 今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。 残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。 ただ・・・それだけ。 |
■ 2014/09/26 (金) 言葉と感性と民族性と言葉 |
縄文時代。
一万年以上続いた縄文時代。大きな争いもなく、平和で安定した豊かな時代といわれている。 そこへ、大陸・半島からの避難民が押し寄せてきた。 避難民は侵略者となり、日本を侵略していった。日本の先住民たちは北へ、北へと(一部は船に乗り沖縄方面へと避難して行った。アイヌ民族と沖縄先住民の共通した特徴はいくつも認められている)追い詰められて行った。 大陸では王朝が変わるたびに大虐殺、大量逃散が繰り返されてきた。 では、現在の朝鮮半島といわれる所からの避難者はどのようなものなのだろうか!? 囁かれている所では、シベリアのエベンキ族が南下し、現在、朝鮮半島といわれる半島を侵略し定住したという。エベンキ族と現在の朝鮮族といわれる民族の共通する風習の写真を見たことがある。本当かどうかはわからないがね。そうなると、現在の朝鮮半島にいる民族と天皇家は関係がないことになる。北朝鮮には皇族の娘さんが降嫁したと言うことが言われているようだがね。真相は・・・!? この問題は別にして、大陸・半島からの侵略者は侵略と同時に、文化・文明・技術の流入を意味する。弥生時代といわれる時代には稲作、鉄器の製作が行われている。また、「国」という概念も入り、支配体制も入ってきた。 ここで、「言葉」について妄想してみたい。 通常、侵略を受け、「国」という支配体制下における「言葉」は重要な位置を占める。 支配と搾取の世界では、現代を見るまでもなく、「言葉」というものが支配体制を造り上げる上で重要です。 通常、侵略者民族の「言葉」がその社会の標準語となる。被支配民族は、支配者の「言葉」を強要される。支配するための行政組織機構も、「言葉」の統一がなければできない。 大陸と半島の言葉。また、南方系の言葉も現代の日本語には残っている。そして、京都の祇園祭に表されるがごとく、中東の言葉も残っている。日本語とはいったいどのような言葉なのか!? 太古の言葉と現代の言葉を単純に比較は出来ないが、侵略者同士の中でも争いが起こり、勝った方の言葉が使われるはずである。それでも、現代の日本語は世界でも特殊な言葉として扱われている。 ここで、大陸の民、半島の民、南方の民、中東の民の言葉は入り混じった「日本語」というものが創られたと考えると、非常に不自然である。日本に入ってきた侵略者同士の間でも争いはあったであろうが、それにしても不自然である。 そこで妄想すると・・・。 1 当時は世界的な共通語があったのではなかろうか!? 日本以外の地域では、その後、何らかの理由により、各民族の言葉が創られていった。 旧約聖書の「バベルの塔」も参考になる。 2 日本列島の固有の波動により、自然に日本独特の言葉を持つようになった。(どんぶ り理論・・・後述) 3 異世界の存在の介入 太古の時代は現代とは引きあくにならないくらい、宗教、呪術への依存心が大きかっ たと考えられる。異世界の存在による呪術者への干渉。(簡単に言えば、みんな仲良 く、言葉も揃えろ!と、指導される。) 4 アトランテイスから続く文明、文化、技術の秘匿のために、日本列島に存在する人間 の意識操作が行われた。 さて・・・妄想も過ぎるきらいがあるが。 どんぶり理論とは。 日本には”どんぶり”という料理法がある。 どんぶりという器に、ある程度料理した具材を入れ、蓋をし蒸らすことによりよりおいしい料理となる調理法。 それを日本列島という島国を”どんぶり”にたとえ、その中に色々な民族、文明、文化、技術・・・そして、言葉を入れて蒸らす。蒸らすとは、四界を海に囲まれた日本。外界と隔絶されることにより、独特の文化、文明、技術、言葉が出来上がる。 このことは、近代の「黄色いサルの猿真似」と蔑視されるような差別的表現にも現れている。 河合隼雄 著 「私が語り伝えたかったこと」p86より ・・・略 いわゆるジャパン・バッシングとして主張されたのは、日本人は他人の真似をしたり、改良したりして得をしている。その元になった大発見、大発明をするような個性を育てず、全体として他人の知恵を食い物にして経済的成長をしてきた。というのである。私は実際にヨーロッパ人から、「日本は人まねをして、とうとう一番になったが、一番になってからどこの真似をするのか」といわれたことがある。・・・・略 河合先生クラスの知識人でさえ、「差別的な思考」をしているものと感じる。西洋的といえばよいかもしれないがね。 「真似ではなく、技術革新」ということがわからない。というか、認めたくはないというのが真実ではなかろうか。”人まね”だけで、これだけ経済成長をするものであろうか!? まあ〜「言葉と感性と民族性と土地」のタイトルには、これ以上は関係が薄いと思うからこれまでにしよう。(STAP細胞にも大いに関係をする) 「黄色い猿真似」でも「技術革新」でもよいが、真実の進化というものは存在すると妄想している。どんなに妨害しようと、時間の問題とね・・・。 ちょっと話はそれたが・・・。 私的には、1〜4まで総てそれなりに当てはまるものだと感じている。 言葉と土地。そして、形創られる民族性。 四界を海に囲まれ、ひとつの地域の中で互いに影響を与え合えながら一つの文化を創り上げる。 島国は何も日本だけではない。 イギリス、ニュージーランド、フイリピン、インドネシア・・・等々と、数多くあるが、日本という国はどの島国とも異なる性質をその土地に持っているのではなかろうか。あたかも、日本列島という”どんぶり”の中に、地球人類の未来という・・・ものが・・・と、妄想すれば、また、何かと物議を醸すか。 この事は、大いなる意思の下に置かれたものではなかろうか・・・と、妄想している。 一概に「言葉」といっても、現代語と太古の「言葉」は異なっている。が、「言葉」の持つ”音”に含まれるものは、太古の意味を含むものではなかろうか。そして、この”音”はどの民族の「言葉」にも残っているのもではなかろうか。それぞれの民族の歴史を含む”音”の「言葉」。 |
名前 内容
やまと 遺伝子の継承。勉学も技術も真似から始まる。真似ですが、両親の遺伝子を受け継ぐのです。多くの遺伝子が眠っている。科学の発達との関係に疑問を持っています。コメントありがとうございます。 (14/11/21 21:57)
めとろん 遺伝子の継承それ自体が真似なんだと思います。無から有となるものはない、つまり真似でないものなんて皆無であります。私たち個体自体が真似の産物。真似の得意な日本民族はこれからも地味ながら進化できる民族なんじゃないでしょうか。 (14/10/05 22:51) やまと 夜曲さん ありがとうございます。 (14/09/27 04:15) 夜曲 放浪者さん元気そうですね。よかった。^^ (14/09/26 22:55) |
■ 2014/09/26 (金) 日々雑感 |
今日は9月26日。
今月は2回泊まりに来た。前回は、レンタルパソコンの具合が悪く、アニソンが聞けなくイライラし、長い文章を作っても「インターネットに接続していません」と(ええ加減にせえ〜怒)・・・。トホホ・・・であった。今日は、階が違うが、非常に気持ちがいい部屋である。パソコンを立ち上げて、早速ユーチューブで「宇宙戦艦ヤマト」を聞いた。フリーズもせず、最後まで聞けた。気持ちがよいものである。前回の分まで記事を書こうと思う。(しかし、ホテルのスタッフは、厳つい、いい年をしたおっさんが部屋に入るなりにユーチューブでアニメソングを聴いているとは思わないであろう・・・笑) 相変わらず穏やかな日々を送らせて貰っている。ありがたいことです。ほんとうにありがたいです。下宿しているおっさんたちはおとなしい(私以外に、ちょっと変わったおっさんもいる)。大家さんは相変わらず良くして下さる。お彼岸には手作りのおはぎをいただいた。何かと「これ食べ」と、もってきてくださる。ありがたいことです。 私は、相変わらず下宿の掃除をしている。 はじめは大家さんのご好意に対しての気持ちであったが、今は掃除をすることで、私自身の魂を掃除しているような気持ちになる。不思議な気分である。ゴミ拾いおじさんも続けている。ゴミ拾いもそうです。義務的にやっているのではない。ゴミ拾いは単なる気まぐれだが続いている。なんか、心の中のゴミを拾っているように思えてきている。なんか変な気分である(生臭坊主のようであるが・・・)。このような環境を提供してくださった魂の同胞、目には見えない世界の同胞に感謝です。 現在、全国的に子供をターゲットとした事件が続発している。 自身の魂を汚す行為。 自身の”良心(良神)”を奥に押し込め、自我が重石となっている人間。その自我の波動に共振・共鳴した”邪な存在”を近づけ犯罪に走る。本当に、自身の魂を汚している。 自身の魂に恥じない生き方とは・・・!? 「除染しました」の看板から転載。地上50cm 8月11日 開成山公園 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.14μSv/h 広場中央 2.45 → 0.26 広場中央 2.49 → 0.24 幼児広場中央 2.70 → 0.24 開拓者の群像前 2.42 → 0.15 八角堂中央 2.67 → 0.13 児童公園中央 2.73 → 0.13 後方公園中央 2.92 → 0.41 バラ園入り口 9月8日 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.15μSv/h 広場中央 2.45 → 0.22 広場中央 2.49 → 0.20 幼児広場中央 2.70 → 0.24 開拓者の群像前 2.42 → 0.14 八角堂中央 2.67 → 0.14 児童公園中央 2.73 → 0.14 後方広場中央 2.92 → 0.42 バラ園入り口 8月13日 五百淵公園 地上50cm 除染前 2.33μSv/h → 現在 0.27μSv/h 9月9日 2.33 → 0.28 8月13日 麓山公園 地上50cm 除染前 1.64μSv/h → 現在 0.29μSv/h 9月5日 1.64 → 0.30 8月11日 酒蓋公園 地上50cm 除染前 2.44μSv/h → 現在 0.19μSv/h 9月9日 2.44μSv/h → 0.18 8月20日 21世紀記念公園 地上50cm 除染前 2.07μSv/h → 0.42μSv/h 相変わらず放射能浴状態である。 へたれのあかんたれで虚弱体質の私は定期的に体調を崩すようになっている。”ぶらぶら病”の前駆症状か!?とも思えるが、一日で回復する。 ぶらぶら病 ウッキーペデアより引用。 体力・抵抗力が弱く、疲れやすい、身体がだるい、などの訴えが続き、人並みに働けないためにまともな職業につけない、病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高いなどの傾向をもつとされる[1]。 広島市への原子爆弾投下後、市民のあいだで名付けられ、医師の肥田舜太郎が被爆患者の臨床経験をもとに研究してきた。肥田によると、当時よく呼ばれていた"ぶらぶら病"の状態­が続き、医師に相談していろいろ検査を受けてもどこも異常がないと診断され、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶をもつ者が少なくないという[2]。 ぶらぶら病についての証言は、広島原爆投下時に宇品港の近くにいた岸本久三の言葉として、「広島でも“ブラブラ病”と言うとったんですか。そういえば語感がぴったりですねえ。私もこの原因不明の病気にやられてから仕事もすっかりやめ、毎日家にごろごろしているんですが、近所の人たちから“なまけ者”と言われているような気がして…」十数年前からの倦怠感、四、五年前からの痛み、吐き気を呈し、「医者も原因不明だというんです。名護の保健所で手に負えず、那覇では胃が悪いといわれて、とうとう開腹手術までやりましたが、結局、胃は異常なし。次は神経科へ回されまして……ノイローゼだろうということなんでしょうが。この痛みはだれにもわかってもらえません。」(一部略)「表面はじょうぶそうに見えるから、かえっていけない。手か足に傷でもあるほうが、世間の人にはよくわかってもらえるのに…」―狭い村のなかで岸本さんの“ブラブラ病”には、かなり気をつかっている様子だ、との記載がある[3]。 また全身倦怠感、易疲労感を中心とした症候群である「慢性放射能症」、「慢性原子爆弾症」(都築正男、「慢性原子爆弾症について」昭和29年2月『日本医事新報』第1556号所収)と一致、または重複する病態に対する、民間における呼称とも考えられる。 原爆投下時に、いち早く広島に入り原爆症の科学的解明と被爆者の医療および看護の基本方針を明らかにした都築正男教授(東京帝国大学医学部外科学)による報告では「広島および長崎で被爆したが、幸にして死亡を免れて生存し得た人々のうちに、晩発症として、白内障、白血病、再生不能性貧血(原文ママ;再生不良性貧血)等が発生していることは、すでに知られている。しかし、現在最も注目せられることは、私が「慢性原子爆弾症」と名づけることを提唱した病態であって、疲れやすく、根気なく、感冒、下痢などにかかりやすく、生気の乏しい状態を示すものが可なり多いことである。主として、放射能威力による内臓−骨髄、肝、腎、内分泌臓器、生殖腺等―の障害に基く機能不全、乃至機能変歪によるもので、その結果として生活予備力が不足することに基づくものであろうと考えられている。ビキニの灰を被ることによっても、類似の慢性放射能症が惹起せられ、抵抗力の弱いものとなる可能性があると思う。ただし、これ等の慢性症のことは、医学的になお未知の領域に属するものであって、今後、研究の進むと共に、その予防ならびに治療対策も考え得られることと思う。」と記載がある[4]。 1976年10月、日本全国の被爆者らによる「核兵器全面禁止国際条約締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団」第二次代表団が国連本部を訪れ提出した全日本民主医療機関連合会「広島・長崎の原爆被害とその後遺―国連事務総長への報告」は、原爆症の後障害のうちでとくに重要と思われるものに「原爆ぶらぶら病」があるとして、実態を詳説している[5][6]。 日本国外では、"bura bura disease"(ブラブラ ディズィーズ、英語)として知られる[7][8]。 内部被曝や低線量被曝が原因との見方があるが、因果関係は立証されていない。原発労働者の倦怠感、湾岸戦争から帰還したアメリカ兵の"湾岸戦争症候群"、米国の大気圏核実験で被曝したアメリカ兵や、チェルノブイリ原発事故被災者に、症状が共通しているとの指摘もある[7][8]。さらに、アメリカ合衆国・ロシアなど旧ソ連諸国・中国のように、核実験場・原爆製造工場・原子力発電所がある国にはこの症状を有する者がいるが、どの国も医療者も、一貫してその存在を否定している、ともいわれる[9]。 引用終わり。 私はこのような引用をしているが、決して面白半分で福島の人を不安がらせたり、恐怖心を与えようとは思ってはいない。現実をしっかりと見、そして考えなければならないと考えている。何流かわからない学者のたわごとやマスゴミの異名をとる諜報機関、自分の懐さえ潤えばよいと考えている政治家(いみじくも「最後は金目でしょ!?」とほざいた政治家。政治家の本音ですね。政治家のスキャンダルは、結局金目ですからね)の言葉を信じていないだけです。お金に関しては私も旅の途中で地元の人から色々とお聞きした。 バランス 8月中旬から体調を崩した。 暑い日が続き、うんざりしていたところ、右足の付け根内側に出来物ができた。はじめは見るところ何もないが、痛い。ないかに噛まれたか!?と思い、注意していると腫れて来た。痛みを伴う腫れ。有痛性だから悪いものではないと思い経過観察。 次第に腫れて、表面の一部に膿が溜まってきた。う〜ん・・・様子見。 あまり大きくなると、切開して排膿しなければならないけどね。 8月23日。 トイレに行く途中、痛みと違和感を覚えた。トイレで見ると、血液が混じった大量の膿が出て、下着をべっとりとぬらしている。あたかも失禁したようだ。やれやれ・・・切開する必要がないから、ペーパーでぬぐい、部屋に帰って下着を替えた。 8月24日 破れた皮膚のところがひりひりするのでおとなしくしていたが、今日は全身の骨がぎしぎしと痛む。体がだるい。なんなんだ〜これは!?咳をすると腰骨に響く。まいった。 おとなしくしている。 ベッドに横たわり、「おぼちゃん細胞」の妄想を整理したり、枕元においてある源氏物語を読む。 体の調子は悪いが、意識的には悪くない。 8月25日 復調。 昨日の変調は何だったのだろうか!? また、張り切って掃除である。 8月27日 唐突に秋。 早朝、寒くて目が覚める。毛布を出しかぶる。 夢を見た。 軍隊(自衛隊)の夢。 喫茶店?でトーストを頼み、待っていると時間がかかり、帰隊時間に遅れる夢。 私はドキッとしてあわてて飛び出すが、間に合わない。集団行動ができない私。夢の中ではリーダーをやっていた。なんとも気まずい夢である。 9月4日 だるい。寝て過ごす。 9月11日 夕方から豪雨。 地球規模の自然循環の破壊だからね。気球規模の自然災害が起きている。 が、台風の動きは奇妙である。HAARPによる操作か!?困った連中である。TPP交渉を進めるための恫喝か!?と、妄想している。 9月24日 午後9時45分ごろ地震。 スパイ容疑で逮捕される夢を見る。 変に生々しい夢である。あまり覚えていないが、夢に出てくる人物たちの”眼”が特徴的であったことを覚えている。地震で目が覚める。 ・・・・。 天気のよい日は図書館にいったりと、できる範囲で歩き回っている。 下宿から歩いて30分位の所に「大安場史跡公園」がある。 天気のよい日には散策がてら行って、太古の世界に思いをはせながら妄想をしている。 |
名前 内容 |
■ 2014/09/16 (火) 妄想 おぼちゃん細胞 |
8月中旬から体調を崩した。 夏バテか!?体がだるい。暑くてうんざりしていると、右足の付け根内側に違和感を感じた。見ると、なんともない。しかし、違和感というか痛みが増してきた。徐々に腫れて来て、痛みも持続的である。少し様子見。 腫れも痛みも持続的。 場所が場所だけに、何かに咬まれたとも思えないし・・・!?腫れも痛みも一向に引かない。咬まれたと思しき所に膿が溜まって来た。腫れも痛みも一向に引かない。切開して排膿しなければならないか!? 23日、出来物の所に痛みと、濡れた感じのべったり感を感じた。ちょうどトイレに行く途中であったので、トイレで下着の中を見ると、血液が混じった膿でぐっしょり濡れている。あれま〜こんなに大量の膿が溜まっていたのか!?漏らしたようにぐっしょりでなっている。患部を拭き、下着を取り替えて、破れた皮膚の所にテッシュペーパーを押し当て様子見。 皮膚が破れてヒリヒリする。皮膚の下の細胞が見える。歩くと擦れてヒリヒリするので、暫くおとなしくしている。 患部を見ていると、数日で皮膚が再生してきた。腫れも引いて、2週間ほどで元に戻った。痕はあるが、腫れも痛みもない。 さて・・・。 この傷における細胞修復過程を考えさせられた。 人は傷が出来ると体内の免疫が活性化され、侵入してきた黴菌やウイルスなどを攻撃し、排除するシステムがある。その後、損傷を受けた場所が再生される。この細胞修復過程を司る命令系統はどこにあるのか!? ・中枢か!?(脳) ・末梢か!?(各部位の細胞群) 私は、ある程度の損傷は、末梢の細胞群が独自の治癒システムを発動するのではないかと妄想している。損傷箇所の範囲、深度、細胞の総称程度を、損傷箇所の周辺の細胞群が連絡しあい、協同的な働きにより損傷箇所の修復を行っていると思う。 損傷箇所に遠い細胞郡は、黴菌、ウイルスの侵入を防ぐために腫れて防壁となり、近い細胞群は、化学物質を分泌し、白血球やマクロファージなどに救援を求め、黴菌やウイルスと戦っている。そして、戦いの残骸は膿となり、体外に排出される。 破壊された細胞はネクローシス(壊死)に誘導され、膿になり輩出され、体外に排出されなかった細胞はアポトーシス(自死)に誘導され、体内で処理・吸収される。 さてここで、内外に排除された細胞が占有していた空間はどのようになるのか!? 傷口はふさがり、復元されるのであるが、この復元・・・細胞の分裂・増殖はどこでコントロールされているのか!? 先にもメモしたが、末梢の細胞群が独自のネットワークで動き、独自の働きにより、細胞の分化・増殖を担っていると妄想する。なぜならば、細胞それぞれに核を持っている(赤血球は核を持っていない)。核の中には人を複製することが出来る遺伝子を持つ。細胞の損傷による各種の化学物質により、覚醒した遺伝子は、損傷箇所の修復に必要な遺伝子が活性化され、その修復に働く。だからこそ、きれいに修復されるのだと妄想出来いる。 ここで、中枢と末梢のシステム的な働きの違いは、中枢システムは体全体の調和を維持し、末梢のシステムは、それぞれの守備範囲のシステムの調和を維持しているのではなかろうか。 ここに、今騒がれているSTAP細胞(以下、おぼちゃん細胞とする)である。 私は、おぼちゃん細胞肯定派だから、真実とする立場で妄想する。 (高名な学者さんたちが、どのような根拠の元、STAP細胞を否定するのかわからん。多くの遺伝子はジャンクDNAとしてかたずけられている。一方、新たな機能がわかった遺伝支は紙面トップで報道される。小保方女史の上司の自殺・・・非常に不自然。多くのバッシング。なぜなのかがわからない。私などの素人は、非常に大きな大発見であると思うのだがね) 先にメモしたように、体細胞は全体の調和を保ちながら、各所で独立した働きをしている(一は全、全は一)。 細胞間レベル、臓器間レベル、体全体と。 ならば、おぼちゃん細胞を創り、移植したところで、そのおぼちゃん細胞はどのような働きをするのか!?どの系列のコントロール下に収まるのか!? 山中さんチームのiPs細胞は、遺伝子操作を行い、網膜を創って移植しているようだ。遺伝子操作をしたのだから、目的とする働きが期待できる。西洋医学の流れを汲んでいますね。悪い部品は取り替えたらよい!まあ〜ここに薬(製薬会社)というものが介入してくるのだけれどもね。 体の中枢と末梢のシステム。 その系統に入ることにより、周囲の細胞・臓器と調和が取れた働きが出来る。 (私の傷の修復過程は、何もしなくても独自の修復過程をたどり、復元している。癌細胞のように過剰に増殖するようなことはなく、周囲と調和が取れている。これは、各細胞間の共同的な働きであり、各細胞の核の設計図に沿ったものである) ここで、妄想が暴走する。 ここに肝硬変の患者がいる。 非常にくたびれて、肝不全もまじかの患者である。この患者の肝臓におばちゃん細胞を移植した場合、おぼちゃん細胞が肝細胞のシステムに組み込まれれば、おぼちゃん細胞は分化・増殖し、くたびれた細胞と置き換わることが出来るのではなかろうか。くたびれた細胞はアポトーシスされて、おぼちゃん細胞の置換される。この場合、肝臓のシステム下における動きであるから、肝臓の設計図の元、胆嚢や胆管、すい臓などの臓器と調和を保ちながら肝臓の機能を復元してゆく。当然、患者自体の生活の質を落とすことなく、いや、生活の質を高めることも出来るのではなかろうか!? おぼちゃん細胞を肝臓のシステム下の置く事が出来ればね。 このことは多くの疾患、特に移植しか手段がないといわれている拡張型・肥大型心筋症や機能低下しているすい臓。人工透析をしている腎臓、特殊な皮膚病・・・・等々に有効なのではなかろうか。 では、おぼちゃん細胞をどのようにして移植先の細胞システムに組み込むか!?ですね。 意識はエネルギーであり、エネルギーは波動であり、ある種の周波数を有している。これは、人の意識レベルでも、細胞レベルでも同じである。おぼちゃん細胞を移植先の細胞の波動にシンクロさせることが出来れば、体内のシステムに組み込まれて、くたびれた細胞(損傷した細胞)と置き換わることが出来ると妄想している。 周波数といえば、脳波、心電図、筋電図・・・等々、活動時の周波数を記録できている。ちょっと流行になっている!?ようなソルフェジオ周波数がある。おそらく、細胞自体、臓器自体の周波数の研究をされている研究者はいると思うがね。 私は、おぼちゃん細胞の治療は、西洋医学的な思考ではなく、調和と循環を基調としている東洋医学的な思考で進んでもらいたいと思う。山中さんのiPs細胞の治療法は莫大な治療費がかかるという。小保方女史のおぼちゃん細胞は、循環と調和の思考で、体にメスを入れることを極力避け(現在では内視鏡的な胆嚢摘出術が行われている)、おぼちゃん細胞と体の波動のシンクロを研究して、一般庶民に適した医療の世界を構築してもらいたい。 このような意味では、小保方女史の提唱しているSTAP細胞理論は、再生医学の新たな、画期的な世界を展望しているのではなかろうか。 現在、小保方女史は非常に厳しい環境におかれている。 福センター長の自殺(非常に不自然である)、そして、その後の理研の既得権益守護勢力の台頭。 現在、多くの人がスポーツの熱中している。多くの声援(意識エネルギー)を送っている。私は、その意識エネルギーの百分の一、いや、千分の一でも小保方女史に送ってもらいたいと思っている。小保方女史の前には多くのハードルがあるが、人類の未来において、STAP細胞が貢献する巨大な影響を考えると孫悟空ではないが、送った意識エネルギーは元気玉となり、小保方女史の繊細な波動に変換されスーパーおぼちゃん細胞に変容するエネルギーになると妄想している。 |
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