日記HOME TOP タイトル一覧 月別 

無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2016/06/20 (月) なんだかな〜


Stap細胞(おぼちゃん細胞)騒動が、新たなステージに上がったようだ。

真実とわかって、これまで口汚く罵って来た老醜、老害学者たちはどのように対処するのでしょうかね。いつものように、重度のアルツハイマーに罹り

      「えっ!?そんなことあった?知らんな〜」

と、とぼけるのでしょうね。
いつものことだから、あまり興味はない。

今回は、小保方女史についての個人的な感想をメモしたいと思う。

私はテレビはなし、新聞もとっていない。
小保方女子の姿を見たのは、風呂に入りに行って、休憩室で休んでいると、休憩室にあったテレビで、記者会見をやっている場面を見たときです。

正直・・・「かわいらしいお嬢さんだ。才色兼備でうらやましい」と、思った。が、何か引っかかる思いもあった。その時は深く考えずに、STAP細胞は真実だという直感だけがあった。
そして、今、小保方女史が「あの日」という本を書いている。この本のことは知らなかった。下宿の自称情報通のおっさんがこの本のことを話していた。おっさんは、この本を買って読むといっている。私は、「読み終わったら、私にも読ませてもらえないか」とお願いしていた。私は図書館で読むつもりだった。そのおっさんが本を買ってきた。自身が読む前に、私に読めといって貸してくれた。一度は断り、読んだ後でいいと言ったが、読めと言っておいて行った。ありがたく読ませてもらっている。

読むうちに、テレビで見た時の違和感を思い出した。その違和感がどのようなものなのかがわかった。
小保方女史の姿を見た印象が、宮沢賢治先生(以下敬称略)の写真を見た時の印象と同じとわかった。おっとりとした中にも芯があるようだ。

小保方晴子 著 「あの日」より

はじめに p2より引用
「私は誰の期待にも応えられない自分に失望してばかりの人生を歩んできました。そのような人生の中で、初めて顕微鏡下で観察した生きた細胞は本当に美しく、顕微鏡を覗く度にいつも何か新しいことを教えてくれ、ドキドキしたりワクワクしたりする素直な気持ちを何度でも呼び覚ましてくれました。それは、等身大の自分にも何かできることがあるかもしれないと努力する力と、未来への希望を与えてくれるものでした。」
引用終わり

宮沢賢治も、盛岡の高等農林時代に、鉱物の研究をしている。鉱物(意思)を薄く切り、顕微鏡で観察することで、隠されている世界、美しい世界が見えてくる。この世界に魅入られたように研究している。

小保方女史と宮沢賢治の共通点は、一般人とは視点が異なり、感受性も異なるという事。

また、小保方女史は

p24より引用
「・・・略。
こうして、当初は先生から、「不可能」といわれていた、ラットの口腔粘膜上皮細胞シートの自家移植の実験系を完成させた。」

普通の学生は、先生から「不可能」といわれれば、それが常識と受け取り、常識は疑うことなく受け入れ、新たな世界に挑むことはなかなかしないでしょう。小保方女史の姿勢は「魁」といえる。人が挑戦しない分野に挑む姿勢。そのような感覚の持ち主だからこそ、アメリカ留学の道が開け、費用も学校の先生方が援助してくれる動きを創り出す。しかし、牽引する者は時に非常な非難に逢う事がある。

宮沢賢治も、岩手県において農業の指導に当たっている。時代背景は異なるが、小保方女史の感覚は、宮沢賢治の感覚に通じているのではなかろうか。

「あの日」p7〜8より引用
「・・・略。
将来の進路を考えている間、いつも頭をよぎったのは、小児リウマチを患った親友との思い出だった。医師の道も考えたが、間接的でも多くの人の役に立てる可能性のある研究の道を選ぼうと思った。そこで、将来は広く人類に貢献できるような研究をすることを夢に描き、応用科学科への進路を希望していた。・・・略」

「広く人類に貢献できるような・・・」は、いち日本国、倭(大和)民族だけではなく、 地球人類全体に対する想いがある。

私は、人がこの物質世界に生まれてくるのは
「罪障消滅(カルマの昇華)、霊性の向上、人類への貢献」とメモしてきた。
人類の進化への貢献は非常に大きな課題です。その課題を担って小保方女史は来ている。どのような分野でも、どのような形でも、秀でた業績を残すことができるのは、人類の進化への貢献になる。
宮沢賢治も、多くの童話を残すことにより、人の感性の向上に貢献しているのではなかろうか。

今後、この問題がどのように推移するかはわからないが、このような問題が提起される度に、この世界の歪みに気づく人が増えてくる。この事は、ウクライナ問題、IS問題もそうです。
依存から自立へ意識の変化が起きている。
何が正しくて、何がそうでないのかを、一人ひとりが考え、感じ、判断できるようになることにより、マスコミや意図的な発言をする政治家の誘導に乗らなくなってくる。この事は大切なことです。


王 瑞雲 著 「子供の声、草木の声が聞こえますか」p133〜134より引用

“強い”ということ
9月11日のニューヨークの同時多発テロ事件があって、約一ヶ月過ぎた頃、アメリカ人の知人が来日しました。仕事で東南アジアへ行っての帰り、日本に寄ってくれたのです。
いろんな雑談をしているうちに、私は第二次大戦直後、神戸で焼き出されて山中へ逃げ延びたときに事を思い出し、こういいました。

「結局、人にとって一番強いのは、自給自足、自力更生やね」

すると、すかさず彼は、
「それは一番弱い人が考えることです。強い人には自給自足とか自力更生なんていう考え方そのものがないのです」

私はビックリしてしまいました。
「どうして、他人様の世話にならずに生きられるって強いんちがうの?」

と聞きましたら、彼はまた頑として言います。
「とにかく”強い”ということは、何でもほしいものを手に入れられるのです。だから、”もしも困った時には”という前提もありません。そして、アメリカは自分は”強い”と信じているのです」

との事で私はなんだかチンプンカンプンで討論する気もなくなり、黙ってしまいました。
私は幼い頃より”自立”を教育され、できる限り他人様の世話にならないようにとしつけられました。実際は本当に多くの方々にお世話になって生きてきたのですが、「少なくても自分で食べ物を作り出し、いざという時も食べて行けたらいいなあ」といつも考えているのです。子供の頃、山中へ逃れ野草を食べて生き延びた経験で、いつもお母さん方には「子供たちに野草のことを教えてね」と頼んでいるのです。・・・略。

”強い”って事はどういうことなのでしょうか?彼の言ったように”ほしいものは何でも手に入れられる”って、本当に強いことなんだろうか?と思いました。もしも欲しいものが他人様の手にあり、「欲しい」と頼んでも譲ってくれなかったら?考えてみたら恐ろしい限り。争う以外ないのです。

引用終わり。

王先生は小児科医であり漢方医です。
王先生の知人も相当の知識階級でしょう。その知識階級の人が平然と言葉にする。この事は、アメリカの実態を表しているのではなかろうか。

今回のSTAP細胞騒動は、日本人同士の争いに見えるが、その糸をひいているのがアメリカであり、ハーバード大学という構図が見えてくる。再生医療の画期的な世界の扉の鍵を奪う。そう、欲しいものは奪えばいい。この構図です。これまでの歴史を見ればわかるように、幾度も繰り返されてきたことです。国際連合というものを使い、恫喝しながら共謀させられている小さな国々。
一般市民には「共謀罪」というものを作っているが、実際は、一部の凶国連合が平気で行っていること。


「時代認識」のタイトルで

「かの組織は、倭(大和)民族の何を恐れているのか?」

とメモしたことがある。

伊藤忠彦 著 「宇宙が味方する生き方」p254〜256より引用

[巻物]を開くのはどこの国の人か

黙示録の中には、巻物を開く場面を象徴的に描いているシーンがあります。そこでは、「巻物を開く人がいない」と天使が泣き叫んでいたところ、「湯だ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得て開く」とあり、また、「御使いが生ける神の印を持って、日の出る方から上がって来た」という予言が記されています。

そして、巻物を一つずつ開くと、さまざまな災害が起きます。これは新しい光が暗いところを照らすことによって悪がおびき出されている様子を描いているのでしょう。そうして、少しずつ悪の巨大なエネルギーが発散させているのです。そうして、少しずつ悪の巨大なエネルギーを発散させているのです。

それにしても、「ダビデの根」「日の出る方から」と書かれているのは興味深いことです。
最近、テレビでも紹介されましたが、「日ユ同祖論」の研究で有名なユダヤ人マーヴィン・トケィヤーの「ユダヤと日本 謎の古代史」の中に、ユダヤの十二種族のうち十種族が失われ、その一部がシルクロードを通って日本に渡来したという説があります。平安京を設計した秦氏はユダヤ人で、「平安京」とはヘブル語で「エルサレム(エルは都、サレムは平和」を意味しているというのです。これを根拠にユダヤ人の遺伝子を持つ人、神の印、神の奥義を開く人が日本から現れるという説がありますが確かではありません。

スウェーデンボルグの「最後の審判とバビロンの滅亡」という書物の「小麦と毒麦」という項では、スウェーデンボルグが天使に会い、その後の世界について質問している場面があります。それに対して天使は、「世界は悪くなる」と答えた上で、最後に次のようなことを言ったというのです。
「基督教世界から遠く離れ、そのため、「霊界の」悩ます者から遠ざかっているある国民には多くの希望を持っている。その国民は霊的な光を受けて、天的な、霊的な人間になされることのできる国民である。また彼らは言った。現在内的な神的真理がその国民の中に啓示され、また霊的な信仰をもって、すなわち、生命と心の中に受け入れられ、彼らは主を崇拝している、と」

これが預言しているのは一般的には無垢の人が多いアフリカの国ではないかといわれています。
いずれにしても、どこの国かわかりませんが、もし日出るところが仮に日本であるとして、そこから天使が現れる。すなわち巻物を開く人が日本から出るという仮説を立てると、日本はユーラシア大陸の東端に位置して、周囲を海で囲まれているために外界との交流も少なく、ここに古代の遺伝子が保存されている可能性もあるわけです。
しかも、従来のキリスト教国で新しい巻物を開くと迫害を受ける恐れがありますが、日本のような、いわば「雑宗教」の国では、どんな教えも受け入れられる土壌があります。そう考えますと日本人は新しい巻物を開くために歴史的に守られてきた民族かもしれません。果たして、この私のロマンが事実となるかどうか、おそらく後十年後、遅くとも二十年後には明らかになることでしょう。

引用終わり。

宗教的には、色々な解釈があります。だから、多くの宗派に分かれている。伊藤さんの解釈を鵜呑みにはできませんが、第二次世界大戦後からの日本に対するかの組織の姿勢は、潰したいけれども潰せないジレンマがあるのは確かなことではなかろうか。なぜならば、「世界は宗教で動いている」と、言われている。
そして、おそらく世界中の預言めいたものを集め分析しているのだから、日本という国が目の上のたんこぶ状態に置かれているのは確かなことでしょうね。”ヒトラーの予言”もありますしね。

ただ、「ダビデの根」なる存在がひとりの天使を指すのか!?ひとつの民族を指すのかが疑問です。
私は、倭(大和)民族は創造的民族と考えている。
小保方女史のように、創造的思考で新たな世界を開くことができる人も、一人の天使ではなかろうか。そして、この世界の歪みに気づき始めた”サムライ”や”ナデシコ”たちが動き始める。私は、「ダビデの根」はひとつの民族を指すものではないかとも思う。

ただ、キリスト教徒にとっては、大事な予言かもしれないが、他の宗教信者にとっては「あっ そう」で終わる類のものですね。


名前

内容

やまと 夜曲さん 今回は正常な表現ですね。こめんとありがとうございます。 (16/06/21 08:17)
中年競馬 夜曲 大変興味深く読ませていただきました、いつもどうもありがとうございます。 (16/06/21 05:10)


前の月 次の月


無色の妄想日記TOP

タイトル一覧 月別