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人生???


 ■ 2004/10/14 (木) 自殺論


お久しぶり、やっと更新です。

近況は前回と同じで代わり映えありません。相変わらず論文かくためにキーをたたき、本からネタをあさる日々です。

それはそれとして、このサイトの掲示板の一つの名所になってた(?)自殺スレッドが最近復活しましたね。一度は沈んだかと思いましたが、やはり先日の事件があってみると、当面なくならないのだろう、と。

真剣な相談者と言う人は、実はなかなかいらっしゃいません。
遊び半分で殺しそうな人が、遊び半分で自殺したいと思ったり、自殺したりする世の中になったようです。

自分の人生はつまらないが、自殺するのは楽しいと思って(ほんとに思ったかどうかは知りませんが)練炭炊かれた主婦の方もいらっしゃったようです。
私は人生が楽しくなければいけないとは思いませんが。そうですか。変ですか。

なんだか腹が立っています。
正直に言いますよ。
私には、正直に言って、見ず知らずの他人と一緒に練炭で死ねる神経がわかりません。
というかなんというか、まあ、進路が定まらないでいる間、正直言って、午後二時の太陽と日没と世界の地平線の遠い向こうから死の願望がやってきて、床に落ちている電気コードをみた次の瞬間に視線がベランダの手すりに飛んで、「このコードとあの手すり、俺の体重支えられるかな」と思ったことが、何回かあります。
で、たぶん、なんかのきっかけで閾値を越えたらやってただろうなと思いますが、まあ今生きているので実際のところどうだったかというのはわかりません。

今はもうちょっと死にたい願望のほうがひねてきて、「どうせ死ぬ。今死ななくても願望は自動的に達成される。なら面倒なことはせぬが良い」というようになっています。
少し頭の内容が複雑になったということのようです。卑怯になったという人もいるかもしれませんが。

中高年の覚悟の自殺は背負えるだけのもの全てをその身に背負った末に、黙って決行。
これは、私のような未熟な人間がどうこう言っていいことじゃない。
全部をしょえるだけ背負って、それでも行く人の脚を止めるようなことは出来ない。

そしてそういう人は誰にも他人には相談などしないものだ。背の重みこそがその人の相談相手なのだから。

で、
ハンパな若者と主婦は体置いてきぼりで脳みそが脳内物質垂れ流しのネット内世界で盛り上がるうちに、ずるずる足抜け出来なくなって心中。
正直言って、彼らが早世したことは彼ら自身にも世の中にとっても幸いなことだったのではないだろうか。
彼らはは意志が弱いくせに(意志が強かったら他人に甘えたあんな死に方はしないはずだ)、
分不相応に強烈な破壊願望がある人たちで(自分を破壊することは自分の生きている世界を破壊することと等価で、めちゃくちゃに他人を傷つけることと自傷行為が時々重なることもある、つまり自分を殺すことで自分に関わった全てのものを無に返せると思っているのだ)、
それをもてあまして内向して自滅した人で、ある意味で先日刑執行されたTと同じ視線で自分と世界を眺めていた人たちに思える。

彼らは、自分たちが抱え込んだ死への願望が何であるのかを捉えようとしなかった。
自分たちが抱え込んだ願望がどれほど破壊的であるのか、自分たちの苦しみがどこから来るのかを考えようとしなかった。
死を非常に簡単なことであり、夜に眠るのと同じくらいに当たり前のことだと思ったのだ。

しかし事柄はそんなに簡単ではない。眠くなると言うのは自分がいったん世界から遠ざかって行くことに例えられるが、寝ているときの自分とおきているときの自分をつなげているのは何なのか。
自分が世界から脱落していても世界は存在しているのだよ、暗闇で安寧に耽ろうと志した諸君。今はこの声も届かないのだが。

恐ろしいことかもしれないが、存在しているとか生きていると言うのは…人間においてはこの二つのことは最終的に同じことでなければおかしいが…「私」や「貴方」や「諸君」が自分の力でどうこうできることではないのだ。

どうもこうもできないのに、我々は生かされ、存在させられている。それがどれほど悲劇めいていて滑稽であろうとも。
私が存在する、という動詞の本当の主語は「私」ではないのだ。
「私」などを消し去ったからと言って、存在は仮借なく世界を存在させ続けるだろう。
そこには例外などない。

世界には、大地と陸続きである「外」などない。
我々が生きていることに、ぴったりと世界は張り付いている。
「私」が生きる世界の中で私が消え去ると言う例外的な瞬間まで、「私」は否応なく存在させられている。
暗闇の諸君、あなた方が自分の生を似非ヒューマニズムで手前勝手に「無意味」と断じ、練炭で馨しくした安直なチキンレースに尻を突っ込んだとき、まさに貴方がたの生も死も、そういう小さなものになったのだ。あなた方にはそれしか見えなかったのだから。
どれだけの視野が、どれだけの広がりが提供されているのかも知らずに。

愛されることを待つのではなくて、自ら愛することを知れば、生きてもいけたのだろう。
ただ、そこに楽しいことは特にない。愛されることだけが楽しいのであって、愛することはむしろ苦痛を強制する。だが、与え奪われることによっても人は生きて行けるものなのだ。
それを知ることのなかった不幸にだけ同情する。
それ以外のことは救いのない暗愚に過ぎない。


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内容

大人の少年 人生には悲しみや苦しみの方が楽しみより多いと思いますが、楽しみを少しでも感じ取れるようにしなければいけないと思う。他人と一緒に命を捨てる事などあってはならないとおもう。 (04/10/15 09:47)
幸運を祈る 最近は自殺のニュースが多いですよね。悲しい世の中です・・・ (04/10/15 03:06)


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