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 ■ 2009/04/22 (水) 虚構と搾取のアイランド・・・そのA


1972年沖縄はアメリカから日本となり、それを心より喜んだ県民そして誰よりもその事に尽力を尽くした教職員達はその日、涙を流しながら日の丸を片手に万歳三唱を繰り返すのでした。

そして、それまでアメリカだった沖縄県が日本になるためのインフラが整備されて行き、しばらくしての事です。

県民にとってその中で一番違いを体感する事になったのは、ドルから円になったことでした。

それまでの沖縄県民にとって1ドルと言うものはそれなりの価値がありました、大抵の生活用品は1ドルあれば手に入っていたものが円に変わった途端ほとんどの生活用品が1ドルの価値以上の値段となり、県民にとって物の価値がそれまでの価値観と大きく異なり、経済的観念がついていけない人々が多く出てきました。

沖縄県民にとって日本復帰は長年の願望だった事ですが1952年から返還の年までの20年間は沖縄県民にとっては十分すぎるほどのアメリカ感覚を植えつけていて、こと経済観念は日々の生活の事ですから尚更です。

また、その他にも沖縄県民にとって本土復帰に際して喜ばしくない事がありました。

それは米軍基地がそのまま残ったという事です。

そもそもアメリカ人の横暴を無くしたいが為の運動だったのがこれではあまり意味が無く、確かに日本人となったのですがこれでは日本人となっただけで生活は以前よりも悪くなり、しかもアメリカ人の横暴の恐怖は続いていくという事で、だんだんと沖縄県民の不満は募っていくのでした。

この米軍基地残留の結果となった経緯は高度な政治的背景があるのですが県民にとってはそんな事があったことなど知る必要も無く、ただ日本政府は沖縄を取引の材料に使っただけだと言う考えを持つ人も出てきたのです。

そうした沖縄県に、ある政治団体が押し寄せてくるのでした。

それは「日本共産党」です。

この沖縄県民の政府批判を上手く利用する為、次々とプロ集団を送り込み県民を共産党支持の県民に塗り替えるべくやってくるのでした。

そのやり口は巧妙で、そもそも米軍基地が目の上のたんこぶである県民にとっては共産党員の言い分には強く共感でき、着実に勢力を拡大していくのでした。

その中でも強烈な出来事は、沖縄県民にとってヒーロー的存在であった瀬長亀次郎が共産党に入党した事です。

共産党はそもそも沖縄を共産党に塗り替える作戦の中に、この瀬長亀次郎を抱き込む事が最優先の事項で、また、瀬長自身も反権力、反体制の左翼的思考は共産党倫理と合致し、彼が共産党員となったのは当たり前と言っても良いでしょう。

こうして沖縄県は共産党の口車に乗ってどんどん不満の矛先はアメリカから日本政府へと移行していくのです。

そしてそんな沖縄にもう一つの集団が入ってくるのでした。

その集団は当時、社会党や共産党ととても仲の良い集団「日教組」です。

すでにある程度の地盤を築きあげていた沖縄ではこの集団は直ぐに溶け込み、教育の現場からも日教組イズムが繰り広げられていきます。

そんな中、以前から教職を取っていた職員達、日本復帰に尽力を注いできた教職員達はその集団の何か意図的な思考を持つ教職員達に疑問を持ち、その集団とは一画を引き自分達の信念を通していきますが所詮は小さい集団です、当時80%以上の加盟率を誇る日教組の圧力によって、従わない職員達はどんどん隅に追いやられ、いずれは職場を放棄せざるを得ない状況にまで追いやられていくのでした。

そして沖縄の唯一の情報源である沖縄の機関紙「沖縄タイムス」が火に油を注ぐような行動を取るようになっていくのでした。

そもそもこの「沖縄タイムス」の創設者は朝日新聞の記者だった人で、当時も朝日新聞とは親交が深く、沖縄タイムス社屋に朝日新聞の分室があるぐらいで、政府批判はお手の物です。

こうして沖縄県民にとっては、行政、教育、報道と三つ巴の左翼的思考を植えつけられていくのでした。








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はいむるぶし 告発者っち ちん○んが小さいから・・・・ププ^^ (09/04/23 18:13)
告発者 裸でなにが悪いお-=・=-   -=・=-  (09/04/23 18:03)


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