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江東区新木場、寒さと栄養失調で衰弱死

カテゴリ:失業
東京都江東区新木場4丁目の埋め立て地で18日夕、止まっていた乗用車の中で初老の夫婦が死んでいるのが見つかった。警視庁城東署の調べでは、夫(68)は死後約2週間、妻(64)は死後約1週間たっており、共に寒さと栄養失調で衰弱死したらしい。夫婦は1992年4月から、車内で暮らしていたとみられ、車には生活用具が積まれていた。妻は運転席に座り、助手席の夫に寄り添うように倒れていたという。

 夫婦が乗っていた車は、埋め立て地の工業団地のすみに止めてあった。ガス会社の施設と、営団地下鉄の車両改造工場にはさまれた人通りの少ない場所だ。近くには東京へリポートがあり、頭上をひっきりなしにヘリコプターが通過する。

 同署などによると、車の年式は古いが国産の高級車だった。窓には新聞紙が張られ、中が見えないようになっていた。車検は93年7月で切れていた。ガソリンもなく、タイヤ2本がパンクしていた。後部座席には毛布、ビニール袋に入った着替え、かさなどがあった。携帯用のガスコンロや、小さななべもあったが、車内にあった現金は十円玉が数枚だけだったという。

 夫婦は江東区内の公団住宅に住んでいた。夫が病気になって仕事にあぶれ、91年ごろから家賃が滞納しはじめた。92年4月に強制執行を受けて退去した。

 この公団住宅の人たちは「ご主人は鉄道関連会社で部長をしていた、といっていた。奥さんは出版社で編集長をしていた、と聞いていた」と話す。しかし、夫婦が勤めていたといういずれの会社にも、在籍していた痕跡はなかった。

 妻は自宅でピアノを教えていたことがある。強制執行で荷物が運び出された日も、その数時間前までピアノの音がしていたのを近所の人が聞いている。

 強制執行を受けた後、夫婦は公団住宅のすぐそばに車を止め、暮らし始めた。ほんの短い間だった。その後、夫婦の車は夢の島公園などを転々としている。

 92年9月には、城東署員が夫婦から事情を聴いている。同署や福祉事務所は夫婦に「車両生活」をやめるように何度も指導したが、夫婦は聞き入れなかったという。

 現在の場所に、夫婦が車をいつから止めたか、正確に覚えている人はいない。車両改造工場に勤める営団の職員によると、妻はいつもこざっぱりとした服装で、サングラスをつけ、帽子をかぶっていた。何度かあいさつをしようと思ったが、いつもうつむいていたという。

 夫は昨年1月から二ヶ月ほど、千葉県八千代市内の廃品回収業の会社で働いたことがある。日給4000円だった。「高齢者優遇」という新聞の求人広告を見て応募したというが、同僚(66)は「体が小柄で、仕事がつらそうだった」と話す。千葉県浦安市内のこの同僚の家で二度、酒を飲んだことがあるが、「こんどはお前の家で飲もう」と誘うと、とたんにしゃべらなくなってしまったという。

 遺体が見つかる1週間ほど前、車の近くを通った男性が「歩けないので、水をくんできて下さい」と妻に頼まれ、約150メートル離れた売店に水をくみにきた。妻は月に一度ぐらいこの売店に来た。いつもアイスクリームや氷を買っていたという。この売店の従業員が、夫婦の第一発見者になった。

 19日午後、営団職員が夫婦の「家」があった横の植え込みに、白い菊を植え、水も置いた。「親類が来るかもしれないが、もう車もなくて、死んだ場所もわからないだろうから」。職員はそう話した。


投稿者 : 記入なし 日時 : 05/04/05 20:44
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ページ1.江東区新木場、寒さと栄養失調で衰弱死 (no.1から99まで) 日時:2005/04/05 - 2006/06/19