日記HOME | TOP タイトル一覧 月別 |
不信のときAuthor:伊藤 博文 ( Profile ) 心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。 〜聖パウロの言葉より〜 |
■ 2014/12/13 (土) 十牛図と中村天風さん |
十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)ともいう。中国宋代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)禅師によるものが有名。
十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。 1.尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。 2.見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。 3.見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。 4.得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。 5.牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。 6.騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。 7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。 8.人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。 9.返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。 10.入店垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。 巻子、画帖など、また掛幅1幅に10描いたものもある。頌を加えたものは少なく、ほとんどが絵のみで、文字をまじえない。中国伝来のものもあるが、日本の室町時代以後の禅僧、また絵画の各派の画人によって制作されたものが多い。 ・さあて、この言葉だ、「あるがままに生きる」 ・とにかく意志力を一日も早く完全に出しうる人間になることを努力なさい ・自分の腹の痛いのを、隣のおばさんの腹が痛いように感じなさい ・人間が心を使うとき、気が散っていることぐらいいけないことはないんであります ・「まあ、いいことだけ絶え間なく絵にかけよ、心に」 (中村天風師の著述より) 自分が中村天風さんを知ったのは、西武ライオンズの監督をしていた広岡達朗さんの 「意識革命のすすめ」を読んでからだ。 この人の経歴は 大名の子に生まれる→旧制中学時代、人を殺して頭山満の玄洋社に預けられる→ 軍のスパイになって中国で活躍。→日本に戻ったがひどい肺病を病む→ 治療法を探して世界中を旅する→エジプトでヨガの聖人にめぐり合う→ ヒマラヤについて行って3年間修業→病を治して日本に戻り会社を経営していた→ 突如感ずるところがあり救世済民の協会を立ち上げる といったところ 若いころはこの人の本をずいぶん読んで努力したが、いつの間にかそれも埃をかぶり・・・時々思い出したように読み返してみたりもするのだが。 天風さんの本にもあった十牛図にあてはめても、今の自分の段階はせいぜい2の見跡か 3の見牛くらいだろう ただ長い人生を生きていくうえで、この人の言葉が支えになっているのは事実 書かれてあることすべてが正しいとは思わないが、大きなヒントが隠れているとは思う 一度しかない人生で優れた「師」に出会えたのは感謝しなければならない。 |
名前 内容 |
タイトル一覧 月別 |