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■ 2004/12/17 (金) 虚無 |
変則しまくっている生活パターンが精神的に辛くなっている。
先の事も当然見通しが利かないわけで・・。 俗世間一般の「ニート」という用語がぴったりハマってしまっている自分に 嫌気が差す今日この頃。 腰痛の方が日記を拝見すると多いようだが、元ヘルニア経験者としての経過を書こうと思う。 四年前になるが、当時製紙会社の専属の運送会社に就いて間もない頃で昼夜を問わず、 九州一円もしくは中国地方まで配送に行き、その日のうちに帰社し手積みにおいての 積み込みをこなしていた。 就いた時は「仕事に慣れなくては!」と鼻息荒く仕事をこなしていたし、半年後には 優秀社員表彰を受けるほどになれた・・が・・。 その頃から右臀部から爪先にかけて筋肉痛にも似た痛みが走るようになったが気にせず 湿布を貼って市販の鎮痛剤を飲んで仕事をしていたが、初期の頃はそれで痛みは薄らいでいた。 しかしそれも一ヶ月位のもので、日に日に痛みが消えなくて歩行時にも足を引きづらな ければならなくなり、地元で定評の有る整形外科に診察に行くと「第三腰椎突出による椎間板ヘルニア」と告げられその日の内に入院する事になった。 でも保存治療と証する延命治療で3ヶ月治療しても痛みが無くなるのは一時的なものであって 根本的な回復には至らなかったし、その後に他の大学病院や整体院に診察&入院しても 症状が変わる事が無くて悪化する一方だった。 結局、親戚筋の知人に総合病院の整形外科部長がいる事を知り診察に行くと「これは手術しかないですね」との事で成功率は70%、失敗すれば下半身不随もしくは、歩行傷害が残ると告げられた。 「痛みが無くなるなら・・」との思いで数日後に入院しそれから一週間後に手術する事になった。 「今から3数える間に意識が無くなりますよ」と手術台の上で看護婦から言われ「宜しくお願いします」と言うと同時に意識が無くなった・・3時間後、朦朧とする意識の中、担当医から「気分はどうですか?」「傷口が鬱血しないようにチューブを取り付けていますから」など告げられ、その夜は猛烈な激痛で眠れず、夜中に看護婦に痛み止めの座薬を持ってきてもらっていたのを憶えている。それから一週間はベッドから起き上がる事も出来ず(術後3日目にベッドの周りの仕切りのカーテンが開いていたのが気になって無理やり起き上がり閉めたらとても看護婦から怒られた)食事も鏡を使って仰向けの状態で採るしかなかった。 リハビリに関しては担当の若い療法士が指定した時間に来なかったりして変えて もらいながら何とかこなしたが術後3週間で退院、自宅に戻っても歩行訓練や腹筋 背筋を鍛える為に運動に励んだ・・。 今は後遺症の坐骨神経痛(前屈伸が出来ない)位で腰痛は全く無いので日常生活と 多少の肉体労働でも問題なく出来るようになっている。 腰痛持ちの方は早急に対処された方が良いですよ!酷くなる前にね。 |
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