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日々の記録 |
■ 2008/04/06 (日) 新年ならびに新年度最初の日記、先行き暗澹な日々ふたたび |
かなり前から日記の体を保たなくなって久しいですが、新年ならびに新年度最初の書き込みです。
昨年5月から私はとある大学(名前はそれなりに知られている所です)の事務補佐員(アルバイト)の仕事に就いて働きましたが、それも今年の3月31日までの契約という事もあって今は無職の状態に戻ってしまいました。契約の関係上3月31日までに次の仕事(別の仕事)に就かなければならなかったので就職活動を展開しましたが、受ける所受ける所不採用続きで4月1日から別の職に就く事もままらなず、無職状態からの求職活動を行わなければならなくなってしまいました。今となっては期間限定のアルバイトとはいえ働いていた時期が懐かしく思えるほどです。 ちなみに私は3月半ばで満30歳になりました。結局20代は前半は大学院に籍を置きながらも、研究そっちのけ自分の属する大学を含め学会発表や研究紀要を含む論文発表を一度もする事無く4年も大学院修士課程に所属して漫画やSF、アニメに音楽鑑賞にゲームにインターネットと自分の好きな事に全てを捧げまくった挙句に院を半ば放り出される形で修了、修了後にあたる後半においては慌てて就職活動を行うも正規・非正規採用を含めて3年かけて200以上の所を受けるも全て不採用、昨年からは就職活動のやり方を改めてアルバイトをしながらの就職活動に切り替えるも結局芳しい結果を出せず、というダメな人生で終わってしまいました。結局彼女も出来なければ新しい友人も作れず、昨年5月半ばから先月末までのアルバイト勤務の間を除けば孤独を背負った人生だったと思えてなりません。 アルバイトとはいえ仕事に就いていた時期は自分としても真面目に職務に取り組み、お世辞か私を気遣ってかはわかりませんが、職場における私の評価も悪くはなくむしろ良い方に評価されていたと思います。にもかかわらず就職活動で受けた先はこの10ヶ月半の中で展開してきた事が全く反映される事はありませんでした。この10ヵ月半はそれ以前の就職が決まらなくて苛立ちや鬱屈が積もりに積もっていた3年間と比べても生き生きとしていたと感じています。一応職務経験があるだけに就職もそれなりの所からは内定がくるものと思っていましたが、結局10ヵ月半の勤務期間に受けた所は全滅、契約満了の後に別の仕事に就いて4月1日から気持ちも新たに勤務という流れを作る事は失敗に終わってしまいました。 私の今までの人生は失敗に彩られた人生で成功経験など無きに等しいのですがこうしてまた失敗の歴史を作ってしまいました。これほどまでに成功とは無縁の人生を送っているばかりに無職になってからというもの鬱屈とした感情を覚えてばかりいます。そこまで自分は評価されないのかと思うと益々苛立ちが募る事もあります。 話は変わりますが、昨年末に大学・大学院と6年にわたってお世話になった指導教授が病で亡くなってしまいました。昨年夏から闘病生活を続けていたようです。その闘病生活に入る前である昨年の今頃に近況報告を兼ねて書いた手紙は指導教授に送った最後の手紙(便箋4枚にわたって綴りました)となりましたが、もう院を追い出される形で修了して3年も過ぎてから私は在学中は本業を疎かにして漫画やSF、音楽鑑賞にふけりまくって奨学金や親からも学資援助も有効利用できず、現在も趣味の事に触れると感情が爆発して物にあたったりするという事を述べました。その手紙の中では申し分程度にアルバイトでもいいから仕事に就くと述べてはいましたが、本心としてはこれほどまで苦しい生き方をしている自分に愛の手(=自分のプライドを満たせそうな就職先を斡旋)を差し伸べて欲しいという気持ちがありました。その後返ってきた恩師からの手紙では、ほとんどの事はスルーされ(わざわざ一文一文に返事を書くだけ時間の無駄と判断されたのかもしれません)、無償のボランティアでもいいから働いてみる事をお薦めする事と冷静に自分の力を見て自分の出来そうな事からやってみるべきという感じで書かれていました。また私が自分の趣味の扱いに悩んでいると書いた事については、職探しに疲れた際に楽しむ事は大いに結構だが何もせずに趣味に没頭してはそれこそ趣味が泣くとおっしゃられた訳です。 その手紙を頂いてしばらくした後、某大学での事務補佐員としてのアルバイト勤務が始まり忙しさのあまり私は恩師に手紙を送る暇すらない日々が続きました。忙しさだけではなく複数の事を同時進行で出来ないという不器用な所もお見舞いの手紙すら遅れないという醜態になってしまいました。私は最後の最後まで指導教授に大変失礼な事をしてしまったと今でも後悔するばかりです。どんなに我が身が零落して身なりが今以上に貧相になったとしても恩師の最終講義は出席すると以前から自負していましたが、それすら叶いませんでした。私が恩師に自分が一人前の社会人として自立していく事を伝えられなかった事は痛恨の極みですが、逆に考えてみると恩師が私が現在以上に零落してそれこそ底辺の底辺を這いつくばる姿を見る事にならなかったという事は幸せだったのではないか、と不謹慎な事も考えてしまったりもします。 その昨年末の恩師の告別式に出席した際には、大学院時代のゼミの同期の方やドクターの方とも久しぶりに会ったのですが、みんなきちんと自分の道に進まれており、かろうじて自分は期間限定の仕事に就いているだけマシという状態で情けない気持ちでした(その仕事ですら今年の3月31日で契約切れで終わってしまったのだから今思うと余計に情けなくなります)。 しかしながら私にとって親以外の大きな心の支えを失ってしまった事には変わりありません。ゼミに所属していた同期の方やドクターの方はそれぞれの道で忙しい日々が続いている事は察しがつくだけに、なかなか再び会うなんて事は出来なかったりします。だったら大学院在学中に人脈作りに励んでいればよかったのにと思うこともありますが、今更後悔しても何の訳には立ちません。他の人達はそれなりの道に進んでいるのに、私は相変わらず職も決まらずにくすぶり続ける、こんな状況が続いているとうんざりするばかりです。 これまでの人生においてこれといっていい事も無いまま20代も終わり30になってしまいました。大学院に進んだ西暦2000年頃の私は将来は薔薇色且黄金色に輝いているものと思っていましたが、それから8年も過ぎた今となっては宇宙の暗黒以上に漆黒の闇に包まれているという暗すぎて他ならないという状態に陥ってしまいました。これから将来の事を思うと暗澹たる気持ちにすらさせられる今日この頃です。 |
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(´・ω・`)しょぼんぬ こんばんは(´・ω・`)ノシそしてお久しぶりです。少しずつでも、今後の見通しが立っていきますように。新年度だし、今がいいチャンスではないか、と思います。 (08/04/07 00:21)
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