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日々の記録 |
■ 2004/08/27 (金) 8月も残すところあと4日、しかし自分は負担を感じる事だらけ |
一週間もブランクが空いてしまいましたが、これは前回日記を書いた時に半ば燃え尽きてしまった事もありますが、書くような気分にもなれなかったりもしたり、あるいは自分の進路の事で親との間に色々と悶着があったりしたからです。
最近関東地方は8月の半ば過ぎくらいまでの蒸し暑い日々が嘘のような涼しい日々が続いていますが、大いに盛り上がっているオリンピックももう残りあとわずか(来週の日曜が閉会式でしょうか)となり、8月も残すところ4日となりました。それにしてもオリンピックは昼間ないしは深夜に放送されていたものをよく見ていますが、これだけオリンピックをテレビで見たのはおそらく夏冬問わず久しいように思われます。それだけ暇な時間が多すぎたといえるのかもしれません。7月までは就職活動で駆けずり回っていたので、自分としても活動的な時期だったと感じていますが、8月になってからは初めの頃に面接を受けたのみで、それを除けば大学の就職課に週一で行く事しかしていません。しかも8月に入ってから大学の就職課はおろか、新聞でも目ぼしい求人は少なくなっているように感じられます。結局8月初めの面接と大学の就職課に行く事と親の買い物に付き合った事を除けば、8月はほとんど鉄道を使って出かけた事など相当少なかったという事になります。6月や7月は月の3分の1は鉄道を使って外出していましたが、8月になってからはそうする機会がめっきり少なくなりました。ちなみに家にいる時は本を読んだり、ネットサーフィンをしたり、そしてオリンピックを見たりしています。 しかも30幾つも受けて、一つも内定が取れないという状況は私に相当な負担となってのしかかっています。オリンピック観戦のために夜更かしをしているわけではありませんが、朝起きてから前日は6時間程度寝たにもかかわらず疲労が溜まりに溜まって物事がなかなか手につかなかったりする事もあります。前回書いた親と話をすればいつしか屁理屈をまくし立てて、後になったら嫌な思いをするという事も自分にとって負担となっています。 やはり自分の不甲斐ない人生に全ての原因があるのでしょうか。学校にパラサイトしたいだけパラサイトして、居場所を無くしてしまったが故に仕方が無く就職活動を始めて、就職課や新聞ないしはネットの求人で良さそうなものに片っ端から履歴書等応募書類を送りまくっても何処も決まらないというのには、自分が将来何をして生計を立てていくのか考えていなかった事の現われだと言えるのかもしれません。いかにも自分のやっている事は就職対策ガイドに載っている悪いパターンの就職活動と酷似しているようにも思われます。 昨日大学の就職課に行ったついでに大学図書館にも行ったのですが、そこで私と同じように今年院を修了した同期の人(女性)と5ヶ月ぶりくらいに会いました。彼女は在学中に教職課程をとっており、教員免許も持ってはいますが、ただでさえ公立校の社会科系の教員の採用枠は少ないらしくて今地元の中学で補助教員のような仕事をしているとの事。採用試験のために勉強中という事も言っていました。 久しぶりにゼミの同期の人と会えたのは自分にとっては良かったのではないかと思っています。大学院修了以降私は両親を除けばまともに話をした人が面接における採用担当者ぐらいしかおらず、比較的年齢の近い人と話す機会など皆無に近いという有様でした。同期の人の半分近くがドクターに進んでしまい(しかも正規の年数で修了して)会うにも会えないような状態でもありました。私の場合はひとつの事(院時代は論文執筆のみ、今は就職活動の履歴書記入や筆記・面接対策のみ)しか出来ないという社会人としても失格レベルな人間だけにアルバイトなどと同時並行で物事が出来ないためにその分損をしているのではと思える所があります。大学・大学院通して趣味に没頭したといっても、人に話せないような事ばかり(つまり奨学金をコミックやアニメ関連本や同人誌やCDなどに投じていた事)で相当後ろ向きな趣味生活をしていたにすぎないのです。普通は趣味に邁進できたら気分も晴れ晴れとしているのでしょうが、ネガティヴな趣味三昧をした結果が30幾つ受けても内定ゼロで陰鬱な毎日を送っているという悲惨極まりないものしか残っていません。 私は大学院終了後というか奨学金の無駄遣いが発覚した2年前の7月以降は様々なものを失った生活を送っているように思っています。国内や海外に旅行したり、コンサートや展覧会ないしは博物館や美術館に多く出かける機会、さらには色々な人との出会いすら自分から捨てているように思えてなりません。今年は私の好きなアーティストの幾組(敢えて言うならばTM NETEWORKやTHE ALFEE、CHAGE&ASKA)が節目の年だけにそれに関連したグッズが多く販売されたり記念のコンサートが行われたりとかでファンに対してあたかも散財を呼びかけているかのようですが、そういった散財の機会などよりも貴重なものを多く失っているのが今の自分なのではと思う事もあります。学ぶべき時に学ぶ事を忘れた人間にはチャンスなどやってこないという事なのでしょう。 現在私の台所事情は苦しいものになっています。もう3年近く読んでいない本などを古本屋に売りにいく事で僅かばかりですが活動資金の足しにしていますが、博物館や美術館の展覧会などに出かける事などそう出来るものでは無くなっています。今の自分にとってCDのアルバムの値段である3000円はおろか2000円ですら大金のように感じられてしまいます。一日でも早く内定を取って苦しい就職活動からは脱却したいのですが、採用担当者に自分の本心が伝わらない限りは年末まで無味乾燥の就職活動の繰り返しで終わってしまうのかもしれません。 |
名前 内容
韮山 今は雇用情勢が厳しいだけなので、30や40落ちたくらいでくよくよしてはいけません。私は7〜90社受けました。約1年の累計ですが・・ (04/08/31 00:40)
幸運を祈る 本当に大金のように思ってしまいますよね。金があった時が、なつかしいです・・・ (04/08/28 01:47) 大人の少年 久しぶりの日記ですね。食べるのはこまららいようでしたら、一週間でも十日でもいいからアルバイトして社会の空気でも吸ってみたらいかがでしょうか。今まで見えなかったものが見えたりと・・新鮮さを感じる事が出来るかもしれません。気分転換には、ちょうどいいかもしれませんよ。あまり就職、就職って思っているとますます下向きになってしまいます。リラックス!リラックス! (04/08/27 22:50) |
■ 2004/08/20 (金) 屁理屈まみれの生活? |
オリンピックが開幕しておよそ1週間、そして8月も残すところ後10日ちょっととなりました。とはいえまだ暑い日々は続きますが。それでも明日は24時間テレビ「愛は地球を救う」が放送されますが、この24時間テレビの時期になるともう夏も終わりなんだなぁとどこか寂しい気分になります。愛で本当に地球が救えるのかは別として。
8月15日、17日の日記に対する皆様の書き込みを読んで改めて私も社会に対する自分の認識を少しでも広める事が出来たと感じています。まだ大学院に籍を置いていた一昨年と比べれば自分の世間に対する見識その他は広くなっているとは思いますが、まだまだ私は自分の年齢(26歳)よりも遥かに劣った人間であると痛感させられる事がかなりの数あります。日常生活でも今時の中学生いや小学生でもやらんだろうというような事を平気でやらかしたりしており、何とかその辺を直したいと思ってはいてもなかなか直らないのが現実です。考えてみると中学生の時に私がクラスメートからからかわれたり冷やかされたりしたのは、自分が14,5歳の年齢に見合った事を日常生活の中でしていなかったからそのような目に遭ったという事を割と最近認識しました。私は自分にとって最悪極まりない中学時代の事を高校進学以降闇に葬りたかったのですが、今大学院卒いや一社会人としても失格な人生を送るようになってから潜水艦さながらに自分の周りに突然現われてしまい、私を悩ましつづけています。 私は親から大学院卒業後は屁理屈をこね回す事だけが上手くなったといわれる事があります。ここ最近も少し母親との間でやはり就職活動の事でギクシャクしている所がありまして、私が夕食事に母親から就活の話になって自分の不甲斐なさを指摘されると途端に大声で屁理屈をこね回してしまいました。自分としてはその時は割と理にかなった事を言っており、理解できない相手が悪いんだと思いたくもなったりします。大学院時代はゼミでこれっぽっちも自分の意見を言えなかったにもかかわらず、修了した後は自己正当化の屁理屈だけは上手になったというのは的を得ているのかもしれません。以前も自分の趣味をめぐって親とぶつかっては意見が平行線をたどる事があるという事を書きましたが、私は自分の趣味を一種の聖域とみなしている所があって、そこを触れられるのはたとえ家族であっても許さないという持論というかやはり屁理屈というべきものでしょうか、を持っているからなのでしょう。 それにしても私の大学院時代は、マックス・ウェーバー(ドイツを代表する社会学者)やカール・ヤスパースやマルティン・ハイデガー(両者とも同じくドイツを代表する哲学者)、さらにはこれもまたドイツを代表する近現代の文学者であるトーマス・マンの本を読むよりも藤島康介氏やCLAMPないしは文月晃氏のコミック作品を優先して読むような生活をしており、そういった事が生活の大部分の中の一要素になってしまった事が今の自分の苦しい状況にも影響を与えていると考える時もあります。別にアニメやコミック、ゲームが諸悪の根源という事では断じてありませんが、生活全てを娯楽のために費やす事をしていれば自分を社会から隔絶させざるを得ない事になるのでしょう。こういった事は考える事が出来ても、実際自分がどうやって今の苦しい状況を克服するのかについてのいいアイディアが見つからないのが現状です。やはり私は理屈を並べるだけに過ぎないのでしょうか、この日記を読み返してみても時々そう思う事があります(余談ですが『銀河英雄伝説』にも「理屈倒れのシュターテン」というのがありましたね。なんだか自分もそういった系統なんじゃないかという気すらしています)。 とにかく理詰めで物事に臨む事が出来るのならそれを現在の就職活動でも活用すればいいのではないかと言われそうですが、自分がこれだけの事を文章にまとめられるようになったのも最悪極まりない院生生活および大学院を放逐同然で卒業せざるを得なかった結果、自分の周りに大したものが存在しておらず、あるとしても苦しみ以外には何も無いという現状しかないからだと思っています。苦境が自分に後世に残る記録を残したいという義務感に駆り立てているのかもしれません。 |
名前 内容
大人の少年 MOTOAKIさん、大丈夫か?しばらく日記ご無沙汰だね。 (04/08/25 16:42)
ぺけぽむ MOTOAKIさん、「自分の欠けたところ」は見えてきてらっしゃるんですよね。あとは、「長所」を見ぬくだけです。自分の頭で考えられると言うメリットがあるんですから、「屁理屈を介さないで自己表現するにはどうすればいいか」という作戦を考えて見れはいかがでしょう。企業の面接では「長いが厳密な論理を語る」よりも「一応筋が通っていればよく、多少意地の悪い突っ込みにもそれなりに対応できる程度には考えてきている」と言う感じのヒトのほうが有利みたいです。要は、自分のメリット「思考能力」と、「相手の雰囲気をつかむ能力」の兼ね合いです。今のMOTOAKIさんならそれができる状態にあると思いますよ。 (04/08/24 11:21) 大人の少年 ASINAN JAPANESE(著者 小林紀晴)の1と2を読んでみてください。人生の途中での葛藤と戦う若者の実話がかかれてますご参考に。 (04/08/21 22:57) 大人の少年 旅に出ましょう。人生を見つめ直す旅に! (04/08/21 15:53) ともとも 大学院卒っていうプライドにこだわりすぎてないですか?こだわらなければたくさん正社員で働けるいい会社あるとおもうんだけどなあ。。。 (04/08/21 15:31) えりさ 面接でその饒舌をご披露すればかなりいい線いくと思うのは私だけでしょうか。 (04/08/20 22:36) 幸運を祈る 自分とは違いすごいです〜。 (04/08/20 22:23) 中年 はじめまして日記を拝見させていただきました私は某系列企業で少し教育訓練課に席を置いていました私の当時の経験からいうと確かに大卒者は少々理屈っぽい方が多くいましたし物事を文章表現するのは高卒にはかないませんしかし行動力では高卒の方がはるかにそれを上回ります・・貴方が大学院を卒業した事は立派な事だと思います学業の面から見れば成功者でしょうでも学生時代に社会を冷静に見つめた事はありましたか? (04/08/20 21:51) |
■ 2004/08/17 (火) お盆明けに思う事〜光明が差すのはいつになるのだろうか |
今週に入ってから関東では涼しい日々が続いていますので、割と過ごし易く感じられます。世間一般も今日あたりがお盆明けで様々な事が徐々に普段通りに動いていく事だと思います。
新聞の求人広告ないしはネットの求人情報がここしばらくは数が減っていましたがこれからは増えていく事だろうとも思っていますので、現在ほぼ休止中である就職活動も少しずつ力を入れていくつもりです。 それにしても親と就職に関する話をすれば出てくるのは、もう自分は就職相場の価値から見れば賞味期限が切れているといったあまりいい話ではないものばかりです。大学院まで行きながらこれといった資格を持たず、正規の年数を2年もオーバーして修了した以上就職活動が難しいものになるとは承知した上で活動を行ってきましたが、その結果は前にも書いたように30幾つ受けて全滅。確かに文系院生の価値は四大卒から見れば低く見られている事も承知していますが、ここまでひどいとは思いもつきませんでした。いや第三者から見れば、文系大学院進学というリスクの大きな進路を進んだ以上は就職しにくい事は当然だと言われるかもしれません。親にも少なくとも大学院に進んだ以上は、資格職に就く就かないは別として教職や司書、学芸員の資格ぐらいは取っておくべきであったとも言われています。思い返してみれば、私の周りにも教職課程を取っていた人が何人かいましたが、大学院生としてはこれが普通なのでしょうか。馬鹿馬鹿しい事この上ありませんが、私はこの辺の事情といったものが全く理解できないまま卒業してしまいました。教職をはじめ資格過程を取っていなかった人もいましたが、そういった人達はさっさとドクターに進んでしまって小学生並の事しかやっていない私だけが放逐同然で卒業せざるを得ませんでした。 私が面接まで進んだ企業ないしは団体では、いかにも私が「大学院ではまともな事を何一つやらないで追い出されてしまいました。だから御社(または御団体、御機構)で何でもいいから仕事させてください、エヘへ・・・」と言っているような感じであって本気で仕事などする気など無い輩にしか見られていないのではと思う事があります。面接で私の人となりが見抜かれている事については前にも書きましたが。 将来就きたい職業に向けてスキルアップするために院に進んだのではなく進路の先送りで進んだ人間の限界といったものが感じられます。研究生活不適格者はそのまま社会生活も不適格だという事になるのでしょうか。 世間では「何でもやります」=「何も出来ない」と見られる事があると聞いた事はありますが、就職活動オンリーの生活を続けている私は結局何も出来ないから就職活動をやっているというイメージでしか取られないのでしょうか。就職活動の時期になると慌てて何らかの資格取得に走る人達がいる事は知っていますが、そんな事をしたところで実際に選考において有利に働くのかどうか首を傾げたくなります。それとも情熱さえあれば、資格等でこれといったものがなくても採用されるのかと考えてもだらしない人生を送ってきた人間がたかだか数ヶ月張り切った所で底の浅さを見抜かれてしまうだけだと思えてなりません。 自分の事を総合的に評価してもやる事なす事ろくな事をしてこなかった人間であるとしか言いようがありません。私は好きな事以外には何の関心も示さないという生き方を続けてきたので、学校の勉強自体も自分のスキル向上というより仕方なくやっているという感じでした。20年間の学校生活の中で親の目を盗んで勉強しているふりをして遊んでいた事など数えたらきりが無いほどです。大学院に進んで研究者の道を進むにしても、優れた研究成果を発表する事はもちろんですが、勉強が三度の飯よりも好きでなければ難しいという事も大学院を出てから気付きました。この事は他の分野(例えば芸術関係)でも同じだと思いますが。真剣に学ぶ気の無い人間は、人間の形をした何か別のものといえるのかもしれません。 「この仕事をやりこなせるのは私以外にいない」、「私の能力こそが御社にとって必要だ」といった意志が相手に伝わらない限りは仕事に就く事は難しいのでしょうね。ただでさえ人が足りている昨今の状況では、他者よりも何か秀でたものがなければ仕事に就きにくい事は承知しています。考えてみてもこれは人に負けられないというものが自分の中からは見つからないのが現状です。だから学歴をひけらかせばひけらかすだけ恥の上塗りを繰り返しているだけに過ぎないのかもしれません。私の両親も卒業後の私の惨状を親戚に対してごまかし続けてきましたが、無職生活も半年になればそうもいかなくなると思っています。この日記をつけるようになってからそろそろ半年が経ちますが、まだ一筋の希望の光も差していないとしか思えません。 |
名前 内容
MOTOAKI 書き込みして下さった方々ご意見はいつも参考になっています。私も院時代は資格に対する意識が低すぎたという事を強く実感しています。教職にしても私の周りで取っていた人でも実際その方面に進めた人はいなかったのではないかと思います。首都圏の公立校は人手が足りていてなかなか新規に採用される事が相当少ないという事も耳にしますし……。 (04/08/19 19:56)
MOTOAKI 私も判断しづらいです。ぺけぽむさんの日記を読みましたが、私が学生時代ないしは今現在も含めてあれだけの事を考える事など一度もした事が無いので、結構理詰めな話になるとついていけなくなりそうです…。 (04/08/19 19:49) ぺけぽむ 合うかもしれない。でもオフ会したら話題がすれ違ってしまうかも… (04/08/19 19:36) ブス子 MOTOAKIさんとぺけぽむさんは相性が合いそうですね・・。 (04/08/19 10:51) ぺけぽむ 教職と言えば、通信教育でとる手もありますよ。実際に教えた経験のなさは塾講師のバイトで補うことができるかもしれません。私も仕事が最終的に決まったら狙ってます。教職をとらなかったことで、私は父母を落胆させ、自分自身も少なからず後悔しましたけど、専攻(専門教科)によってはほとんど求人がないから「とったところでどうしようもなかっただろう」と思っています。しかし、文学部の私も学部の頃はかなりいい会社に内定をとってたんですが…。大学で勉強したことをあまり重視しないという文化がついこの間まではあったせいで、却って学生時代に余計な何かを学んでしまった(と、企業には思える)院卒は不人気で、今でも恐らく多くの会社ではそうなのでしょう。私は院に在学しながら就職活動しましたが、院卒は専攻の内容まで見て採否を判断することが多いようで、お金にならない研究をしていた私は苦戦しました。学歴信仰を自らの存在根拠としている教育産業には「院卒」が光って見えたようなので、大方の就職活動市場では売れ残り必至の私でもその業界では複数内定を取れました。教職がほしいと改めて強く思います(塾業界よりは学校のほうが、文学部的な素質の人間には働きやすいように思えるので)。 (04/08/18 20:48) えりさ 田舎くると、大学院出というだけですぐに就職できそうですけど・・・でも田舎の給料は安いのでおすすめもできない。う〜ん、せっかくの大学院卒業がネックになるんなんて、学歴社会とかいいつつ、そうではないんですね。私は教職だけはとっておくべきだったと今後悔してます。 (04/08/18 19:34) 韮山 教職・司書・学芸員は、その道に進む覚悟がないなら、とっていてもとっていなくても関係ありません。 ちなみにいうと、学芸員・司書は日本では軽視される傾向が強く、無資格者のパート・ボランティアなどに置き換える政策(欧米では考えられない・・)が進行中です。私は、4大で学芸員資格を取りましたが、この資格を生かす機会は、まず一生ないでしょう。 資格は「ブランド」ではないので将来設計との兼ね合いで選ぶべきです。教職・司書・学芸員は持っていないことを悔やむような資格では絶対にありません。 (04/08/18 15:46) 511 この日記読んだら自信なくしちゃった。大学院生って大学行けなかった僕からみれば、伝説の人くらいの凄さなんですけど。 (04/08/18 02:30) 幸運を祈る 自分は日記をつけて3ヶ月ぐらいになりました。 (04/08/18 00:10) |
■ 2004/08/15 (日) 今日は59回目の終戦の日、しかし自分にとっては不愉快な夏の一日 |
昨日からアテネオリンピックが開幕し、今日は59回目の終戦の日、そして現在日本はお盆休みでもあります。今日の関東地方の天気は雨ですが、昨年の8月15日の関東地方の天気も雨だったと記憶しています。オリンピックの開幕と終戦の日は別にしても、お盆休みに関しては前にも書きましたがあまり居心地のいいものではなく不愉快極まりない日々を送っており、早く終わって欲しいという気持ちが強かったりします。私にしてみればテレビのニュースで帰省ラッシュや成田の出国ラッシュなどを見ても人がメチャクチャ一杯移動しているような時期に何を好き好んで出かけなければならないのかという印象しか持てません。8月のお盆休みはテレビでの戦争特集も恒例行事ですが、帰省ラッシュもいわば恒例行事だと言っても過言ではないでしょう。
今年の夏はおそらくオリンピックでの日本選手や世界の名選手の活躍を楽しみにテレビで観戦する事になると思いますが、8月ももう半分が終わってしまいました。そういえば今の時期はちょうどコミックマーケットで有明の東京ビッグサイトにはものすごい人、人、人、がひしめいている事でしょう。私は一昨年と昨年行きましたが、生きている内に一度は見てみたい&銀英伝やSF系(特に星界、ローダン)の同人誌を入手したいという目的でした。今年の夏はもう参加できません。それでも毎年毎年いわばルーティーンみたいにコミケ通いまではちょっと、という気もしていますが・・・・。 結局この夏も関東地方を離れる事無く終わってしまいそうです。夏に関東地方を離れたのは4年前に両親の故郷に帰り、さらに9月の話ですがドイツにパック旅行に出かけた時です。それを除くとここ10年でも四季を問わず関東の外へ出た事など数えるくらいしかありません。それには私が小中学生の頃から信じられないくらいのグズ人間だった事もあります。 私が親からよくあまり真剣に勉強をしていないと言われてもう10数年、いや学校教育にわが身を置くようになってからずっとだと思います。普段はSFやコミックにライトノベルにCD、さらにはラジオの深夜放送やアニメといった勉強以外の事には真剣になるけれども、学生の本分である勉強には真剣になろうとはしませんでした(SFやライトノベルを読む事を無理矢理現代文の勉強だとこじつけた事はありましたが。あるいはTM NETWORK/TMNの曲を聴く事を現代音楽に対する学習と考えたりした事もありましたが)。そんな腐った人間が自分のレベルよりいくらか上の私立高校に進学し、都内の有名大学にもギリギリながら進学、さらにはそこの大学院に、指導教授の恩情にすがった部分もありましたが、進学出来た事は単にその時は運が良かったと言われても仕方ないと考えています。それは現在の惨状を見れば明らかだからです。大学院を離れてからまだ半年は過ぎていませんが、8月になった時点で大学院卒というブランドはインフレ時の紙幣よろしく紙屑同然にしか感じられなくなっています。大学院の試験に合格した1999年の秋から冬にかけては、大学院を終了すれば社会に出てから多くの人々から尊敬および畏敬の念をもって見られるものと思っていましたが、それから約5年が経過した今、しかも大学院在籍の4年間の腐りきったオタク的生活を送った後となっては、廃棄物としか見られていないようにも感じます。就職試験の集団面接でも私が一緒に受けた数人のグループの中でも年上でありながら、大した学生生活を送ってこなかった事を露呈しては不採用通知が家に届いている事を見ればその通りだといえるでしょう。家以外の拠り所を無くした今となって図書館や都内の大型書店を訪れた時に、「自分は学生時代にもっと多くの事を知っておくべきだった」と後悔の念に駆られる事があります。大学院に意味無くしがみついていた報いは私には相当大きすぎるようです。 大学院を修了して約4ヶ月、私はバイトもせずに就職活動だけに邁進してきました。就職活動の合間には、自分が過去に購入ないしはなけなしのお金をはたいて新たに購入した本や図書館から借りてきた本を読んだりして教養を深め、また積読状態の洋書も読む事で英語の勉強としたりはしてきましたが。就職活動に邁進した理由には、大学院卒というプライドを傷付けたく事と自分の理想である趣味をライフワークとした生活を行いたいという事があります。しかし今の自分は就職活動どころか醜態活動としか思えなくなっています(以前は醜飾活動、あるいは醜蝕活動といっていましたが)。行く先行く先では不採用になるために交通費をはじめとする活動費を使い、何の見返りも帰ってこない日々の連続・・・、このままではトータルで企業、団体を100受けたとしてもいい結果が返ってこないようにも感じられます。日々くだらないミスを性懲りも無く繰り返しては注意を受けても、その注意をウザいものとしか見なしてこなかった性格を変えなければ未来は開けないのかもしれません。 来年はちょうど戦後60年という日本国にとって節目の年でもあります。自分が来年の今どのようになっているのかは全く予測がつきません。ただ少しでも大学院卒と言える人間らしい生活を送る事だけはしたいと思っています。 |
名前 内容
韮山 この日記も長く読ませていただいていますが、相当に知識のある方だと思います。あなたにしか出来ない仕事が、どこかにありそうに思いますが・・ (04/08/16 17:00)
えりさ 「大学院のプライド」というお言葉、わかります。大学院をでていると聞けば、短大卒の私から見ればとても羨ましい学歴で書類審査は無敵!と思ってしまいますので。大学卒以上の求人をみるたびに応募できない自分がはがゆかったですから。MOTOAKIさんが希望する職業に就けるといいですね。 (04/08/15 23:24) 幸運を祈る 自分も混んでる所に、なぜ行くかわからんですけど、休みがこの時期しかないからでしょうね。当たり前か・・・ (04/08/15 13:40) ぺけぽむ なんか、あまり「大学院卒」にこだわって自分を痛めつけてるように見えてしまって… ご自身でも大学院に行ったことに「中身がなかった」と積極的に認めているんだから、思い切ってそんなプライド捨てて、とりあえず出版社のバイトとか探してみたらどうですか? 働いてお金をもらった経験をしてみないとなかなか性格が変わらないかもしれないと思うのですが。ってのと、あと、文学部系の大学院卒は四大卒より就職相場の価値が低く出やすいのは当たり前なので、そこでうまく行かなかったとしても責の全てが貴方に帰するわけではないと思います。その辺を既卒と言うことであまり重視しない公務員試験を来年受けるという手もありますよ。 (04/08/15 13:21) |
■ 2004/08/09 (月) 8月最初の記録 |
8月になってもう一週間以上過ぎましたが、広島の原爆記念日やら夏の甲子園の開幕やら、サッカーアジアカップでの日本の二連覇(これは昨日でしたが改めて思うとあまり良くない空気が漂っている中で見事なプレーをしてくれたと思っています)、今日の長崎の原爆記念日など様々な事がありました。この後には、59回目の終戦の日(敗戦の日とも言ったりしますが)、そしてアテネオリンピックの開幕などの出来事があります。それにしても戦後59年が経過したという事は来年でちょうど戦後60年になる訳ですね。戦後50年といっていたのが9年前。その頃の私は高校三年生で大学受験のために夏は半分近くいや3分の2近くかもしれませんが予備校通いをしていました。決して優秀な高校生ではありませんでしたが。
学生の方にとっては夏休みになってからもう3週間近く経過したと思いますが、私は小中高とこの時期になると相当ダラけた生活を送っていました。大学・大学院もほとんど似たようなものでしたが、こちらは9月末ぐらいまで約2ヶ月近く休みがあるだけでなく、週5日も学校に通うということがありませんでしたので、休みといっても特に変った事は無いとしか思っていませんでした。 今年の夏は私が家庭以外に拠る所の無い身となって初めての夏でもあります。こんな事は今年だけにしたとは思ってはいるのですが現実は結構厳しいです。先日は日曜でしたので新聞の求人欄をチェックしても大抵の企業はお盆休みに入っているからでしょうが求人数も少なくなっていました。これはお盆休み明けから徐々に増えるのだろうと思いますが。ちなみに母校の就職課の方にも出向いて、既卒の求人をもチェックしましたがこちらも8月以降は求人が減っていました。しかも今週からは1週間ばかり大学の全施設が休みになるという事です。 ちなみに私にとってここ最近のお盆休みはあまりに居心地のいいものではありませんでした。というのは父親も会社が休みになるので一日中両親と一緒に過ごす事がウザく感じられたり、大学の施設が休みになってしまうので外出する際の格好の理由が無かったりするからです。しかもこういう時に大掃除をしようと母親が言ったりするものだから、自分のプライバシーが剥ぎ取られてしまいそうで苦痛になる事もあります。 3月から活動を始めてもう30幾つ程受けてきましたが全滅としか言い様の無い状況です。年度が変った頃は6月から7月くらいには一つぐらい内定は下りるだろうと希望的観測をしていましたが、結果はいまだに内定ゼロ(全滅に近い状況なのだからこう言うしかありませんが)。26になって5ヶ月が過ぎますが、相変わらず生活上で同じミスを性懲りも無く繰り返してはその度に受ける親からの注意をウザイものと感じている輩なんぞどんなに高学歴であっても就職のクチなどありゃしないという事を痛感させられています。今までで10回近く面接を受けてきましたが、採用する側はどんなに着飾るか武装して面接に臨んだところでその人間がどんな人となりでどのような人生を送ってきたのか、そして仕事に就いてからの意欲などあらゆるものを見抜かれているのではないかと思えてなりません。 私の仕事に就きたい理由(こんな事は履歴書やエントリーシートには書きませんが)は大学院卒というプライドに傷つかずに自分の趣味をライフワークとしていけるというものではないかと感じています。今も私は親と自分の趣味の事で衝突する事があって、その度に議論が平行線をたどる事の繰り返しです。親の言っている事にも私が世間一般の中で鼻つまみ者にならないように言っている事だとは承知しています。しかしながら面接でもさすがにマンガやライトノベルを読むのが好きだとは言えませんが、私がマンガに縛られているとは考えたくはありません。それでも大学院に進んでまでドイツの歴史を研究しているにもかかわらず、歴史的事件や研究対象の時代の社会構造の詳細よりもマンガやアニメ、ゲームないしはSF作品やライトノベルの内容の方をもっと詳しく知っているというのは問題だと思っていますが・・・・・。ほぼ半々か6:4ないしは7:3というのが妥当なのでしょうね。 研究者の卵どころか、就職逃れのお荷物であった私が大学院を去ってからもう4ヶ月、その間にも修了証明書や成績証明書をもらうためや就職課で既卒の求人をチェックするために大学には月5、6回のペースで行ってはいますがドクターに行った同期の人達やもともとドクターだった人達、さらには同期の卒業生の人達、そして私の指導教授とは一度も会っていません。何かの機会には会いたいとは思ったりもしますが、無職のままでは暇でブラブラしているという印象をもたれてしまいそうでなかなか足がそちらに向く事がありません。自分が趣味に埋没してにっちもさっちもいかなくなった事に気づいた時には、助けを求めようともしましたが逆に自分が孤立してしまうのが怖くて出来ませんでした。もう二度と会わないという事は無いとは思いたくありませんが、もし再会する機会が会ったときはとてつもなくみすぼらしい姿では再会したくないと思っています。 私は日記の中で以前にも自分の溜め込んだものの処置に対しても結構悩んでいる事を書きましたが、文庫本やハードカバー本、コミック、雑誌といった書籍類やCDなどど並んでテレビ番組(音楽関係やドキュメンタリーに映画にアニメ)を録画したビデオテープやラジオ番組を録音したカセットテープがものすごい数存在します。ビデオテープに関しては4,5年前はともかくもう8年ないしは10年以上昔に録画してその時以来全然見ていない物も多くありますが、こういった物はもはや永久に見る事は無いといってもいいのでしょうね。最近新規にラジオ番組の録音をする時には5、6年前に録音してその時以来一度も聞いていないカセットテープを使っていますが、モノは2、3年見向きしなかったものは一生見向きすることはないと考えるべきなのでしょう。 我が家ではビデオデッキを去年とある番組を録画しようとして壊れてしまってから新しく購入していません。ここ最近はBSやCATVのチューナーがついたDVDレコーダーの購入を考えてはいますが、まだどれを購入するのかの目処はたっていないのが現状です。しかし1年間に100本以上もテレビ番組の録画を繰り返していたら居住スペースを圧迫してしまう事は火を見るより明らかです。結局ラジオもそうかもしれませんがテレビで放送されている番組の8割から9割方はたいした内容ではないものばかりだと思いますので、テレビ番組を撮りだめする事など無意味に等しいと言えるのかもしれません。 自分の部屋を人に見せられるようにするのはまだまだ時間がかかりそうに思えます。日常生活上での使用頻度その他を考えて物を持つ事を考えなければならないのでしょうね。それでも多くのモノに囲まれないと落ち着かないという人間にとっては辛いものがありますが。 |
名前 内容
だめこ 世間一般が、ドイツ史というとナチス、って思っちゃうなら、逆に「いや違う、こういうのもあるんだよ」って切り返すことができれば、とっても新鮮に映るのではないでしょうか?歴史、文学、漫画と言ったものには、そういう新鮮な視点が要求される気がします。逆にチャンスかも。 (04/08/15 12:39)
MOTOAKI >韮山さん ドイツの歴史を取材した漫画家の先生と言われても、私はあまり名前が浮かびません・・・・・・、私もあまり詳しくありませんし。世間一般では、ドイツの歴史というとナチスの時代がクローズアップされる傾向があるようにも思えてならないのですが。>えりささん 良いアドバイスどうもありがとうございます。しかしながら自分が撮り集めた番組にしてもアニメやドキュメンタリーなどは大抵がDVD化されているものばかりで、DVD化されると保存価値は無きに等しいものと感じる事があります。私は秘蔵というところまではいかないまでも保存版としての価値あるものは一部の音楽関連の番組(ライブやドキュメンタリー的なもの)ぐらいしかないと思っています。 (04/08/10 23:07) えりさ 大学院だと就職先がいっぱいありそうに思ってしまうのは甘いでしょうか。釘をさすようで申し訳ないのですが、いっきにビデオやカセットテープを捨てた後、数年後にかなり後悔した事あります、あの秘蔵映像を私はなんて事したんだ〜〜!って。経験談としては納得いくまで、そばに置いておけたらと思います。 (04/08/10 22:37) 韮山 どうだろう。例えばドイツの歴史に取材した漫画家の担当編集者とか・・ 狭き門なのかな。あまり詳しくないので分からないのですが。 (04/08/10 00:00) |
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