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日々の記録


 ■ 2004/09/21 (火) 自らの挫折史に対して


 前回書いた時からちょうど10日が経過しましたが、どうも最近は書くために気合いというか自分の全精神を集中させてしまい、書き終わった後は抜け殻になったような気分になる事が多く、なかなか書く事が思い浮かびませんでした。9月に入ってからは東京のとある団体職員の試験や地元の市役所の筆記試験(受験資格の年齢ギリギリでした。合否はまだ先ですが)の二つを受験し、月末にも都内の私立大学の職員採用の筆記試験があります。また10月も二つばかり就職情報サイトで官公庁・その他団体に分類される所が二つばかり筆記試験を控えています。

 今現在は筆記試験対策などでなかなか家から出る事も少なくなりました。9月に入ってからも採用試験を含めて東京に出たのは2回、近所に散歩に行ったり地元および隣接する市の図書館に出かけたりしたのが5回、後市役所の試験を含めれば8回という事になりますので、もう半分以上は家にいて東京にはほとんど出かけていないという事になります。家にいる時にする事は筆記試験の対策勉強をするか読書をするか、ネットをするかの3つに絞られてしまっています。大学の就職課も今月は今のところ1回しか行ってません。明日から大学も新学期となりますので就職課に行く事も増えるとは思いますが、院を修了してからもう半年が過ぎてしまいましたのでそろそろ決着をつけたいという気持ちもあります。考えてみたら10月からは2006年3月卒業生向けの就職情報が世に出てきますので。

 今まで私は自分の希望する業種で受けられる所は受けてきましたが(まだこれからという所を含めればやっと40くらいになります)、そのほとんどの募集人数が若干名という所に筆記だけでも少ないところで5、60人、多い所となれば1400〜1500人はいたと記憶しています(後者は春頃に受験した某大手出版社の数を就職情報サイトなどから知りました。書類審査も入れると数はさらに増えると思います)。若干名という言葉自体相当曖昧に聞こえますが、5、6名程度と考えるのが妥当なのでしょう(とは言っても過去に10名近く採用している所もありましたが)。上の事から見ると筆記の段階で倍率は少ない所で10倍程度、大手マスコミとなればもう数百倍としか言いようがありません。過去に受けてきた中で筆記もパスして高い倍率を越えて面接(中にはほとんど最終といっていいものもありました)までこぎつけたにもかかわらず、後一歩の所で不合格を喰らい、いまだに内定という内定をもらっていません。

 こういった事も一種の挫折なのでしょうか。私は今、挫折だらけの生活を送っていますが(これでめげているという訳ではありません)、それゆえに大学院時代の話やら自分の中学生時代の嫌な思い出といったものを全部さらけだしてしまおうとしているのではないかと感じてなりません。赤の他人の挫折人生やら転落人生やらダメ人生といったものを長々と語られても、他人の気持ちになって考えたら苦痛以外の何物でもないと思えます。ましてやそんなものを「自費出版承ります」という広告を新聞に出している出版社に持ち込んで単行本にしても資源の無駄以外の何物にもならないでしょう。しかも小熊英二氏の『〈民主〉と〈愛国〉』並のボリュームと値段で出したらそれこそ金返せモノに過ぎないと思います(ちなみに『〈民主〉と〈愛国〉』はページが950ページ以上で価格も6600円近くしますので、去年ぐらいから近所の図書館等で借りて読もうとしましたが、中身をパラパラとつまみ食い程度に読んだだけで挫折してしまい現在に至っています)。もちろん『銀河英雄伝説』や『宇宙英雄ローダンシリーズ』のようなものにするのも論外でしょう(どう考えても後者は物理的に不可能としか思えませんが)。

 確かに大した事の無い過去話などしたところで何の解決にもなりません。現在の記憶を持ったままタイムスリップしてその時の自分となって人生をやり直す事が出来ればこれに越した事はありませんが、失敗してから初めて気付くものも多くあるといえます。過去にしがみついていたというのも自分が一つの事しか出来ず、しかもそれを完璧にこなしてこなかった所にあると思っています。親の言を借りれば私の人生はその時その時を大事にせずに自分の判断ミスで失敗して挫折を味わってきたにもかかわらず、それを他人のせいにしてきたという事です。中学時代に私は集団生活のルールすら理解せずに自分勝手な事をして他人から厳しく非難されていた事を覚えています(しかもそれを注意する人のせいにしていました)。親からも真人間になるように注意を受ける事も多くありましたが(今も注意を受ける事があります)、前にも書いた人は誰でもミスするたらの屁理屈をこねまくって聞く耳を持とうとはしませんでした。

 私以外の人からすれば、私が書き連ねてきたダメな過去などいわゆる「黒歴史」にしてなかった事にしたいあるいは存在自体認めたくないというようなものに過ぎないでしょう。ダメな過去、恥ずかしい過去など葬り去る事などは出来ませんが、未来を見る事でそのような過去は克服出来ると考えるべきなのかもしれません。THE ALFEEの「19(nineteen)」というナンバーにも「時間を戻せないなら 未来を変えるしかないのさ」という歌詞があるように。


 ちなみに「黒歴史」については「はてなダイアリー」にて挙げられていますので参考にどうぞ。 
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b9%f5%ce%f2%bb%cb
    



名前

内容

ぺんぺん 過去ログから、ずっと読ませてもらいました。文章がきちんとしていて、インテリな感じがでています。私も人のことは言えないですが...。このログを書くパワーを行動に添加すれば凄い仕事ができますよ。これくらい文章がかけるなら、新聞記者に応募してたかもなぁ。まだ、秋の応募があるので受けてみては!? (04/09/25 17:54)
韮山 ぺけぽむさんの仰るとおりです。よく考えてみてくださいね。   それと、就活の具体的なアドバイスですが、筆記試験から始めるような団体職員のような職種は、ひとりひとりの人間をみて選考してはくれません。選択肢の一つとして受けるのは悪くないのですが、どちらかというとあなたを「高く買ってくれる」先ではないと思います。 自分自身の適職を探るなら、試験感覚で「応募」するのではなく「人と会う」に重点を移してください。 私が以前に人材紹介会社を紹介したのもその考え方によるものです。 いまは、自分の就職活動にノルマを課して(週に何回以上面接を受ける、など)、動いた中から経験を積み上げるのが良いと思います。 報酬をもらえる職にはついていないけれど、あなたは今「求職者」という職業人なのだから。 いろいろな人・企業に出会う中から、あなたの一切合切を受け入れてくれる相手もいつか見つかるはずだと思いますよ。 (04/09/25 12:51)
(´・ω・`)しょぼんぬ おお、日記更新待ってました。また印刷して読ませてもらいます。これからもかけるときに更新でよろしくです。 (04/09/22 15:40)
ぺけぽむ お久しぶりです。非常に長く書きます。申し訳ない。最初にお勧めの本を一冊。内田樹『街場の現代思想』(NTT出版)。とりあえず何か参考になると思います。続いて、失礼な言い方をあえて多々いたしますが、私の思うところを。人に対して苦痛かもしれない書き込みをするエネルギーで、逆のことをしたほうがいいのではないかと。自分の恥をさらして自己懲罰しても、過去の何かが清算されはしません。『地下室の手記』という小説をお読みなったことがおありですか? それはともかく、ネット日記の読み手はせいぜい想像力を目一杯使っていろいろ考えて返答するのが限界で、それ以上は要するに世人の限界を超えません。。それを恐らく貴方はわかっていることでしょう。なのに、受け手にとって無駄なメッセージを、自分でもそう思ってるくせに送信し続け、満天下に自分の恥をさらすことに情熱をそこまで傾ける理由がわからない。貴方は「他の人から見れば自分のやることは無意味で苦痛ですらある」とおっしゃるが、それはこの日記に限って見る限りまさにそのとおりです。ただし、これもまた正しいことと思われますが、貴方の人生はあなた自身で思うほどマイナスの方向にすら劇的でないということです。人生は平凡で充分です。比較対象にいちいち銀英伝持ってこなくて充分。彼女がいないことを『女神さま』思い浮かべながら嘆く必要もなし。保坂和志の『季節の記憶』や『カンバセーション・ピース』を読まれたら私の言いたいところはある程度ご理解いただけるかと思います。最後に、最大の問題と私が思うのは、「自分の恥さらし」以外のセリフが聞こえてこないことです。この日記でそこまで実存的に一体何を表現したいのかってのがどうしても伝わらないのです。私は劇的でない、平凡な、力の抜けた貴方の声を聞きたいと思うのです。あくまで個人的な願いですが、是非ご検討いただきたく。 (04/09/21 23:46)
大人の少年 書き忘れましたが、面接がんばってください、そして良い結果が得られるように! (04/09/21 23:32)
大人の少年 どうして、物事を結果論でしか判断できないのですか、先にも書き込みしましたが、結果結論を言うのは簡単です、しかし何も行動を起こさずそういったことを言うのは卑怯ですよ、何もしないのに結果ばかりを言っていたところでそこからは何も生まれませんよ、貴方は過去の自分という殻から出ようとしていないだけのように見受けられます。世の中には若くして天涯孤独の方も沢山います、その方たちから見れば貴方は、恵まれた環境にいますしかしそれは貴方にとっては甘えの世界につかっているに過ぎないのです、どうでしょう、契約社員でも派遣でもいいから一度親元から離れて生活してみたら・・・ものの見方考え方が替わる事によっていい経験になるかもしれませんよ、そしてその経験が貴方の今後の人生に役立つと思います。少々きつい書き込みをしてしまいましたが、がんばってください。 (04/09/21 23:30)
幸運を祈る 試験の勉強頑張ってください〜。 (04/09/21 23:15)


 ■ 2004/09/11 (土) 人間は誰だって失敗ぐらいするのだけれども・・・


 10日近く文章という文章がなかなか書けない日々が続いていました。何とか書こうという気を奮い立たせてパソコンのワードに向かってみると今日9月11日はあのテロから丸3年。もうそんなに経つのかという気さえします。ただでさえ昨今の国際情勢は目まぐるしさがあるだけに、物事が日々変化している事が感じられます。21世紀に入ってから3年と9ヶ月が過ぎましたが、子供の頃は21世紀といったらSFの世界に登場するような科学が発達して日々の生活の隅々まで苦労する事無く楽に過ごせる時代を想像していましたが、現実を見たら世界ではテロに戦争、我が国ではいつ終わるのかわからない不況に就職難、少年犯罪の凶悪化や外国人犯罪の増加にみられる社会不安、さらには官庁や企業の腐敗といったこの国の基盤そのものがもうおかしくなっているのかと思わざるをえない事ばかりがあふれています。

 自分自身を振り返ってみてもテロが起こった3年前はちょうど修士2年生でありましたが、修論は構想すらしっかりしたものが固まっておらずしかも文献もまともに読んでいない状態でした。普通なら2年の夏までに大筋を定めて、夏以降はそこに肉付けをする形で論文を充実させていくのがお約束だったと記憶しています。実際自分はそういった事もしないでただ漠然とドクターに行きたいとぬかしていた事が今となっては馬鹿馬鹿しく感じられます。ちなみにその頃の私は論文のろの字もわからないという体たらくでした。まともにやった事といえばライトノベルやコミックの発売日をチェックする事やTVアニメの放送時間に合わせてビデオのタイマー録画をする事ぐらいでした。今我が家のビデオは故障してしまって1年以上ビデオに代わるDVDレコーダーなどを購入していないためテレビ番組のタイマー録画も出来ない現状なのですが、故障した時まだ購入してから4年程度しか経過していないビデオを故障させたのは毎日のようにビデオのタイマー録画やら夜中や昼間に観賞する際、再生や巻き戻しや早送りなどをしつこくやって酷使しまくっていた事が原因だと思っています。

 あのテロ事件以降はアルカイダやらイスラムに関する本や21世紀のアメリカの世界戦略やアフガンやイラクの戦争に関する本、さらには帝国論のような国際政治の新たな側面(?)を提示する本などが数出ていますが、自分がそういったものに興味を持つようになったのは奨学金の無駄遣い発覚から数ヵ月後、つまり自分の2度目の留年が決定した頃からです。このような事から考えてみても、自分が様々な方面にアンテナを広げるようになるのが世間一般と照らし合わせても後手後手になっている事が伺えます。大学院に行っている以上は、常に物事の一歩先を見る事を意識しなければならなかった事は出てから気付きましたが、私は人がやった事に盲目的に追従する事しかしておらずしかもそれが自分にプラスになるどころかかえってマイナスしているようにも感じられます。ひとつの事しか出来ないという所でもうマイナスになっているといった事は以前にも書きましたが。
 

 数日前に私はミスをやらかして事で親から注意された事に対して、また感情を爆発させて近所迷惑な大声で怒鳴ってしまいました。おまけに大暴れしてテーブルや椅子を殴りつけるなど滅茶苦茶極まりない事までしてしまったのです。おかげで両手は今もわずかばかりですが痛みが残っています。私はこれから社会人になろうというのに注意を受ける事がどこか難癖を付けられたかのように感じる癖が全然直っていません。というよりもミスを大目に見て欲しいというか(人間誰だって失敗ぐらいするといってお茶を濁そうとした事もあります)、そもそも見て見ぬふりをして欲しいというような気持ちを持っているからその事を指摘されたら感情がえらく昂ぶってしまう事につながっているのかもしれません。悪い事をしてもバレなければ悪い事にはならないとか、見つからなければ何をやったって許されるという間違った考えを持っている事が自分を世間一般から距離を遠ざけているようにも感じられます。家にいる間に社会的常識を身につけるために、一日一日を大切にし失敗は明日の糧とする事を日々心がけているのですが、元々勉強には不熱心、好きな事だけをやっていたいという性格ゆえになかなか上手くいっていません。最近では父親からいっぺん社会に出てそこで様々な事を学んでみろと言われましたが、この事にも一理あるのではと考えています。

 社会を見てみる事は確かに大事な事だと思っています。私は十代というよりも小学生の頃から人付き合いが苦手な方でした。例えば小学生時代はファミコンが無ければクラスの友達と遊べないというそれはもう視野の狭い子供だったと今では実感しています。小学生時代を長々と書くつもりはありませんが、今を持っても視野が狭い事は自分の成長を鈍らせている事だとも感じられます。それゆえアルバイトに関しても、レンタルショップやCDショップの店員のようないかにも自分の趣味に近いようなものしか思い浮かんでいない事や、アルバイトで稼いだお金を自分の趣味の物の購入にしか眼中に置いていない事などが親に見抜かれていました。それこそ真面目なアルバイトなど探せばいくらでもあるのですが。そういった所で一種の社会勉強をして将来社会人になるための訓練をするという機会を自分から喪失していたという事が痛感されます。

 前述した「人間は誰だって失敗ぐらいする」は、私がくだらないミスをしでかした時に使ったりしますが、そう言って誤魔化しまくった結果が今の惨状につながっているとも言えるのかもしれません。確かに人間は完璧な存在ではないのだから失敗は誰にもあるという事は否定しません。しかしそれにおんぶに抱っこして物事の視野を狭めれば批判を受けるというのも当然であると認めざるをえないでしょう。私は大学院時代も自分の論文の経過報告を、ちっとも論文を書いていなかったためドタキャンしたりすっぽかしたりして指導教授に迷惑ばかりかけていました。さらには本来指導を受ける身でありながら、それを避けまくるという矛盾した行動をとっていた位です。それを「人間は誰だって失敗ぐらいする」と誤魔化していたように考えられます。終わってしまった今となってはまるっきり不適格人間をやっていたとしか思えません。これでは全く失敗云々以前の話です。
 

 20年にわたる学校生活は私にとって知識的な面はともかくとして、集団生活をはじめとする一般常識的な面ではほとんど失敗としか言いようの無いものでした。それゆえに社会人になるための常識を今年中に身に付けなければならないという状況に自分を追い詰めてしまい、それでもなお甘やかして欲しいという気持ちをまだ持っているという自分の不甲斐なさを暴れて時間が経過した後には痛感しています。親が厳しく注意する事も聞かなければならない事は認めています。日常生活を本能の赴くままに生きるというのはそれこそ自分を間違った方向に陥れる事になると実感しなければならないのでしょう。





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sen あと10回ぐらい大学院のことを書いたら、必ず次に進みなよ。 (04/09/19 15:22)
名無し 君は口ばっかりで実行力が皆無っていうのかな。現状で就職できても上司には嫌われるだろうね。とりあえずバイトして社会性を身に着ければ? (04/09/14 21:37)
幸運を祈る 3年前、自分はアルバイトしてましたね。そのテロが起こった時は、映像をみてびっくりでしたよ・・・ (04/09/12 13:56)
511 お気持ちは良くわかると同時に、自分にもグサグサと刺さりますね。人付き合いが苦手だと、なにをやるにしても、後ろ向きになってしまいがちです。どこに行っても人はいますから、人間関係をちゃんと構築できるか不安になるからです。僕もそうですよ。お互い頑張りましょうよ! (04/09/12 04:05)
韮山 私はテロの頃は銀行員でした。遅くに帰宅したら、ニュースがそれ一色だったのでよく覚えています。ただ、その頃を振り返り「自分は使えない銀行員だった」などとは思わないようにしています。新しい環境に身を置く自分にとって、当時使える銀行員だったかどうかは関係ないからです。3年前の自分を悔やむよりは、3年後の自分に悔やまれない自分であることの方が重要だと思います。修士論文のことは、もういいじゃないですか。今から手直しするわけにはいかないのだから・・ (04/09/11 23:23)
大人の少年 頭の中で考えてばかりだと、なかなか行動に移せないですよ、少しの時間でもいいからアルバイトでもして、違った環境で自分の身を置いてみては、どうでしょう?両親と同居であるなら生活そのものは、出来るが、せめて食費ぐらいは自身で稼いで両親に渡すようにして・・・少しずつ社会の「空気」にふれてみては・・? (04/09/11 21:51)
一般人 早く大学院のトラウマから抜け出さないと何も変わらないのでは・・。 (04/09/11 21:08)


 ■ 2004/09/02 (木) 9月初日に思う事


 オリンピックが終わってしまった事を見ると、今年の夏も終わったんだなぁという気分になります。台風一過の関東は再び蒸し暑い日々になっていますが。とはいえ明日あたりからまたしばらく涼しい日々が続きそうですが。

 日付はもう変ってしまいましたが9月1日の今日は、防災の日でもありますが小学生から高校生の人達にとっては2学期最初の日でもあります。9月1日というのは夏休み気分も払拭しなければならない日だと考えられますが、私の小中高を見てもなかなかそういう雰囲気ではありませんでした。夏休み一杯かけても宿題を終わらせる事が出来ずに、2学期最初の授業の日(大体1週間程度のブランクがありました)までに親の協力の下で何とかつじつまを合わせて提出するという事を繰り返していました。

 大学に進むようになってからは、後期の授業開始が大体9月末から10月始めだけにまだ休みはあるという気分で過ごしていましたが、さすがに大学院で留年するようになると休みであれ授業期間であれ鬱屈とした気分で過ごしていました。

 そして無職となった今年も2002年と2003年の夏と変っていないかと言えば、変り過ぎたとしか言えないでしょう。先に挙げた年はまだ大学院という自分の受け皿、つまり拠る所があっただけにだらしない日常を過ごしていてもなんとか心の平安を保つ事はできましたが、今は家以外に拠る所がなく心の平安を保つ事にも苦労する事ばかりです。

 私にとって自分の心のバランスを保つためにしている事は、現在では読書(SF小説や宇宙関連の書籍、歴史書、またはコミックなど)とネットサーフィン、音楽やラジオ鑑賞です。もうまるっきりインドアな生活になっています。前にも書いたように就職活動費をある程度はキープしておかなかればならないため、おいそれとどこかに出かけたり、値段の張る物を購入したりする事などはもっての外。今は本を買うにしても熟考した上で購入しています。それ以外は以前にも書いてきましたが、図書館で借りた物で済ませています。外出も週に2、3回程していますが(そのうち1回は大学の就職課参り:もうこう言うしかないでしょう)、近所の図書館や本屋そして古本屋に出かけては時間をつぶす事をしています。


 しかしながら私は親と自分の進路について話すとなると、何故かしら自分の不甲斐なさを屁理屈並べて自己弁護したり(しかも近所迷惑な程の大声をあげて)、自分の趣味を否定されているように勘ぐっては大声でこれまた自己を正当化したりとここ最近の日常を振り返るとろくな事をしていません。親に言わせれば大学院をスキルアップどころかただ就職したくないから逃げ込んだだけの私の趣味は、全く生きる上で無用だという事のようです。こういう事を言われると、私としても人格形成において全てではないにしろ幾分かは役には立ったといいたくなる訳です。

 しかし改めて思えば、自分は銀英伝に登場する英雄達のように万人から尊敬ないしは畏敬の念で見られる人間とは程遠い(嫌われ者や無能キャラには近いかもしれませんが)存在にしか過ぎず、ましてやベルダンディや桜庭葵ちゃんやまほろさんのように献身的な女性などにめぐりあう事など全くありませんでした(こんな事をいっているようではただのもてない男の妄想と切り捨てられるかもしれませんが)。第三者からみれば、結局のところ私がSF小説やライトノベル、アニメやコミックから仕入れた知識など現実社会を生きていく上ではほとんど役に立たないものばかりなのかもしれません。

 大学院に行きながらも研究を真面目にしてこなかったという事を嫌というほど書いてきましたが、私は親と会話して議論が平行線をたどってしまう事を繰り返すようになると、自分は有名大学大学院に行こうが就職率百何十パーセントとかいっているアニメ系の専門学校に行こうが大して変らないのではないかとすら考える事があります。その100パーセントを超える就職率を謳っている(といってもその業界とは無縁のアルバイトのような仕事までカウントしているという話をネット上などでよく聞きますが)アニメ系の専門学校に行けば、ある意味で趣味に近いものに囲まれた生活をエンジョイ出来たのかもしれませんが、お先真っ暗である事は確実だったでしょう。しかし私はいわゆる「趣味系」専門学校よりもちゃんとした大学および大学院を選びました。そこでやっている事はそういった専門学校に行っても十分にやれるような事かもしれませんが。私は自分の経歴に関しては、自分にとって汚点にもなるような道ではなくプラスになるような道を選んだと考えています。今現在は大学院卒に関しては、時々行くだけ無駄であったと貶めたり、大学院卒という経歴を誉れ高きものと称えたり、ほとんど持ち上げたり落としたりを繰り返しているようにも感じています。自分の経歴をその時その時の都合によっていいものにも悪いものにも扱ってしまう現状を考えると、社会に出て給料分の仕事をするという事などもっての外という事にしかならないのでしょうか。
 

 もう今年も3分の2が終わってしまいました。9月を含めて残すところ後4ヶ月ですが、がむしゃらにやる事には限界がきているのかもしれません。いや大学に進んでからの8年間を趣味・娯楽三昧で過ごしてきた大きな負債を背負い込んでいるだけに拠り所を無くしたからという理由で慌てて就職活動をしても良い結果など自分に帰って来ないという事なのでしょう。私はいくら雇用形態や情勢が変化しているとはいっても、まだ安定しているといえる正社員として仕事に就く事を第一に就職活動をしています。自分としては不安定な形での就職よりもある程度は安定した地位で社会に出て働きたいという気持ちがあります。最近また少し親戚が私の進路についてうるさくなってきました。大学院を修了してもう5ヶ月になりますが、何とか結果を残して親戚にも恥ずかしくないようにはしたいと思っています。

 このサイトにて日記を書かれている方の中にもちゃんと仕事に就いて無職から脱却されている方もいる事は十分認識しています。私もそういった方々と同じようにちゃんとした仕事に就いて社会人としての人生を歩むために、一日一日を大事にして過ごす事を心がけています。少なくとも受ければ落ちるという事を繰り返して、他の方々は仕事に就いているのに自分だけは仕事に就けず新たに加わってきた人達に混じってしまい、ある意味で「主」のようになっているという状況にはなりたくないと思います。



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韮山 怖がらずに一回、世間で言うところの「会社」がどんなものか体験する機会があるといいと思います。 まだ正社員の可能性もあるので、未来をしぼるには早い気もしますが・・ ともかく、社会で働いている人の声を聞く機会を多く持つ(つまりは1対1での面接でこちらから逆質問する機会を多く持つ)ことがあなたの場合重要かと・・ 今は、新卒対応の人材紹介会社もあります。 案件がもらえるかどうかはともかくとして、専門家にアドバイスをもらえる機会として活用してみたらいかがでしょうか。 http://www.career-m.com/jigyou/shinsotsu.html (04/09/03 02:20)
幸運を祈る そうですね、気がつけばもう9月、あっという間に年末ですね・・・ (04/09/02 23:57)
訂正 ↓ 結果結論を先に言ってしまうと (04/09/02 08:25)
大人の少年 人は結果結論を先に出してしまうと、以前先には進みません。確かに正社員で雇用されることは誰もが望むことです、確かに安泰かも知れません、しかし、雇用情勢は、年々きびしくなりつつあり正社員枠もいっそう狭まってくるでしょう、しかし替わりつつある雇用形態に新たな価値観を求めている人も沢山います。派遣社員のほうが人生設計を立てやすいと思ってる人も沢山います・・・お互いがんばりましょう。 (04/09/02 01:23)


 ■ 2004/08/27 (金) 8月も残すところあと4日、しかし自分は負担を感じる事だらけ


 一週間もブランクが空いてしまいましたが、これは前回日記を書いた時に半ば燃え尽きてしまった事もありますが、書くような気分にもなれなかったりもしたり、あるいは自分の進路の事で親との間に色々と悶着があったりしたからです。

 最近関東地方は8月の半ば過ぎくらいまでの蒸し暑い日々が嘘のような涼しい日々が続いていますが、大いに盛り上がっているオリンピックももう残りあとわずか(来週の日曜が閉会式でしょうか)となり、8月も残すところ4日となりました。それにしてもオリンピックは昼間ないしは深夜に放送されていたものをよく見ていますが、これだけオリンピックをテレビで見たのはおそらく夏冬問わず久しいように思われます。それだけ暇な時間が多すぎたといえるのかもしれません。7月までは就職活動で駆けずり回っていたので、自分としても活動的な時期だったと感じていますが、8月になってからは初めの頃に面接を受けたのみで、それを除けば大学の就職課に週一で行く事しかしていません。しかも8月に入ってから大学の就職課はおろか、新聞でも目ぼしい求人は少なくなっているように感じられます。結局8月初めの面接と大学の就職課に行く事と親の買い物に付き合った事を除けば、8月はほとんど鉄道を使って出かけた事など相当少なかったという事になります。6月や7月は月の3分の1は鉄道を使って外出していましたが、8月になってからはそうする機会がめっきり少なくなりました。ちなみに家にいる時は本を読んだり、ネットサーフィンをしたり、そしてオリンピックを見たりしています。

 しかも30幾つも受けて、一つも内定が取れないという状況は私に相当な負担となってのしかかっています。オリンピック観戦のために夜更かしをしているわけではありませんが、朝起きてから前日は6時間程度寝たにもかかわらず疲労が溜まりに溜まって物事がなかなか手につかなかったりする事もあります。前回書いた親と話をすればいつしか屁理屈をまくし立てて、後になったら嫌な思いをするという事も自分にとって負担となっています。

 やはり自分の不甲斐ない人生に全ての原因があるのでしょうか。学校にパラサイトしたいだけパラサイトして、居場所を無くしてしまったが故に仕方が無く就職活動を始めて、就職課や新聞ないしはネットの求人で良さそうなものに片っ端から履歴書等応募書類を送りまくっても何処も決まらないというのには、自分が将来何をして生計を立てていくのか考えていなかった事の現われだと言えるのかもしれません。いかにも自分のやっている事は就職対策ガイドに載っている悪いパターンの就職活動と酷似しているようにも思われます。


 昨日大学の就職課に行ったついでに大学図書館にも行ったのですが、そこで私と同じように今年院を修了した同期の人(女性)と5ヶ月ぶりくらいに会いました。彼女は在学中に教職課程をとっており、教員免許も持ってはいますが、ただでさえ公立校の社会科系の教員の採用枠は少ないらしくて今地元の中学で補助教員のような仕事をしているとの事。採用試験のために勉強中という事も言っていました。

 久しぶりにゼミの同期の人と会えたのは自分にとっては良かったのではないかと思っています。大学院修了以降私は両親を除けばまともに話をした人が面接における採用担当者ぐらいしかおらず、比較的年齢の近い人と話す機会など皆無に近いという有様でした。同期の人の半分近くがドクターに進んでしまい(しかも正規の年数で修了して)会うにも会えないような状態でもありました。私の場合はひとつの事(院時代は論文執筆のみ、今は就職活動の履歴書記入や筆記・面接対策のみ)しか出来ないという社会人としても失格レベルな人間だけにアルバイトなどと同時並行で物事が出来ないためにその分損をしているのではと思える所があります。大学・大学院通して趣味に没頭したといっても、人に話せないような事ばかり(つまり奨学金をコミックやアニメ関連本や同人誌やCDなどに投じていた事)で相当後ろ向きな趣味生活をしていたにすぎないのです。普通は趣味に邁進できたら気分も晴れ晴れとしているのでしょうが、ネガティヴな趣味三昧をした結果が30幾つ受けても内定ゼロで陰鬱な毎日を送っているという悲惨極まりないものしか残っていません。

 私は大学院終了後というか奨学金の無駄遣いが発覚した2年前の7月以降は様々なものを失った生活を送っているように思っています。国内や海外に旅行したり、コンサートや展覧会ないしは博物館や美術館に多く出かける機会、さらには色々な人との出会いすら自分から捨てているように思えてなりません。今年は私の好きなアーティストの幾組(敢えて言うならばTM NETEWORKやTHE ALFEE、CHAGE&ASKA)が節目の年だけにそれに関連したグッズが多く販売されたり記念のコンサートが行われたりとかでファンに対してあたかも散財を呼びかけているかのようですが、そういった散財の機会などよりも貴重なものを多く失っているのが今の自分なのではと思う事もあります。学ぶべき時に学ぶ事を忘れた人間にはチャンスなどやってこないという事なのでしょう。



 現在私の台所事情は苦しいものになっています。もう3年近く読んでいない本などを古本屋に売りにいく事で僅かばかりですが活動資金の足しにしていますが、博物館や美術館の展覧会などに出かける事などそう出来るものでは無くなっています。今の自分にとってCDのアルバムの値段である3000円はおろか2000円ですら大金のように感じられてしまいます。一日でも早く内定を取って苦しい就職活動からは脱却したいのですが、採用担当者に自分の本心が伝わらない限りは年末まで無味乾燥の就職活動の繰り返しで終わってしまうのかもしれません。



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韮山 今は雇用情勢が厳しいだけなので、30や40落ちたくらいでくよくよしてはいけません。私は7〜90社受けました。約1年の累計ですが・・ (04/08/31 00:40)
幸運を祈る 本当に大金のように思ってしまいますよね。金があった時が、なつかしいです・・・ (04/08/28 01:47)
大人の少年 久しぶりの日記ですね。食べるのはこまららいようでしたら、一週間でも十日でもいいからアルバイトして社会の空気でも吸ってみたらいかがでしょうか。今まで見えなかったものが見えたりと・・新鮮さを感じる事が出来るかもしれません。気分転換には、ちょうどいいかもしれませんよ。あまり就職、就職って思っているとますます下向きになってしまいます。リラックス!リラックス! (04/08/27 22:50)


 ■ 2004/08/20 (金) 屁理屈まみれの生活?


 オリンピックが開幕しておよそ1週間、そして8月も残すところ後10日ちょっととなりました。とはいえまだ暑い日々は続きますが。それでも明日は24時間テレビ「愛は地球を救う」が放送されますが、この24時間テレビの時期になるともう夏も終わりなんだなぁとどこか寂しい気分になります。愛で本当に地球が救えるのかは別として。


 8月15日、17日の日記に対する皆様の書き込みを読んで改めて私も社会に対する自分の認識を少しでも広める事が出来たと感じています。まだ大学院に籍を置いていた一昨年と比べれば自分の世間に対する見識その他は広くなっているとは思いますが、まだまだ私は自分の年齢(26歳)よりも遥かに劣った人間であると痛感させられる事がかなりの数あります。日常生活でも今時の中学生いや小学生でもやらんだろうというような事を平気でやらかしたりしており、何とかその辺を直したいと思ってはいてもなかなか直らないのが現実です。考えてみると中学生の時に私がクラスメートからからかわれたり冷やかされたりしたのは、自分が14,5歳の年齢に見合った事を日常生活の中でしていなかったからそのような目に遭ったという事を割と最近認識しました。私は自分にとって最悪極まりない中学時代の事を高校進学以降闇に葬りたかったのですが、今大学院卒いや一社会人としても失格な人生を送るようになってから潜水艦さながらに自分の周りに突然現われてしまい、私を悩ましつづけています。

 私は親から大学院卒業後は屁理屈をこね回す事だけが上手くなったといわれる事があります。ここ最近も少し母親との間でやはり就職活動の事でギクシャクしている所がありまして、私が夕食事に母親から就活の話になって自分の不甲斐なさを指摘されると途端に大声で屁理屈をこね回してしまいました。自分としてはその時は割と理にかなった事を言っており、理解できない相手が悪いんだと思いたくもなったりします。大学院時代はゼミでこれっぽっちも自分の意見を言えなかったにもかかわらず、修了した後は自己正当化の屁理屈だけは上手になったというのは的を得ているのかもしれません。以前も自分の趣味をめぐって親とぶつかっては意見が平行線をたどる事があるという事を書きましたが、私は自分の趣味を一種の聖域とみなしている所があって、そこを触れられるのはたとえ家族であっても許さないという持論というかやはり屁理屈というべきものでしょうか、を持っているからなのでしょう。

 それにしても私の大学院時代は、マックス・ウェーバー(ドイツを代表する社会学者)やカール・ヤスパースやマルティン・ハイデガー(両者とも同じくドイツを代表する哲学者)、さらにはこれもまたドイツを代表する近現代の文学者であるトーマス・マンの本を読むよりも藤島康介氏やCLAMPないしは文月晃氏のコミック作品を優先して読むような生活をしており、そういった事が生活の大部分の中の一要素になってしまった事が今の自分の苦しい状況にも影響を与えていると考える時もあります。別にアニメやコミック、ゲームが諸悪の根源という事では断じてありませんが、生活全てを娯楽のために費やす事をしていれば自分を社会から隔絶させざるを得ない事になるのでしょう。こういった事は考える事が出来ても、実際自分がどうやって今の苦しい状況を克服するのかについてのいいアイディアが見つからないのが現状です。やはり私は理屈を並べるだけに過ぎないのでしょうか、この日記を読み返してみても時々そう思う事があります(余談ですが『銀河英雄伝説』にも「理屈倒れのシュターテン」というのがありましたね。なんだか自分もそういった系統なんじゃないかという気すらしています)。

 とにかく理詰めで物事に臨む事が出来るのならそれを現在の就職活動でも活用すればいいのではないかと言われそうですが、自分がこれだけの事を文章にまとめられるようになったのも最悪極まりない院生生活および大学院を放逐同然で卒業せざるを得なかった結果、自分の周りに大したものが存在しておらず、あるとしても苦しみ以外には何も無いという現状しかないからだと思っています。苦境が自分に後世に残る記録を残したいという義務感に駆り立てているのかもしれません。





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大人の少年 MOTOAKIさん、大丈夫か?しばらく日記ご無沙汰だね。 (04/08/25 16:42)
ぺけぽむ MOTOAKIさん、「自分の欠けたところ」は見えてきてらっしゃるんですよね。あとは、「長所」を見ぬくだけです。自分の頭で考えられると言うメリットがあるんですから、「屁理屈を介さないで自己表現するにはどうすればいいか」という作戦を考えて見れはいかがでしょう。企業の面接では「長いが厳密な論理を語る」よりも「一応筋が通っていればよく、多少意地の悪い突っ込みにもそれなりに対応できる程度には考えてきている」と言う感じのヒトのほうが有利みたいです。要は、自分のメリット「思考能力」と、「相手の雰囲気をつかむ能力」の兼ね合いです。今のMOTOAKIさんならそれができる状態にあると思いますよ。 (04/08/24 11:21)
大人の少年 ASINAN JAPANESE(著者 小林紀晴)の1と2を読んでみてください。人生の途中での葛藤と戦う若者の実話がかかれてますご参考に。 (04/08/21 22:57)
大人の少年 旅に出ましょう。人生を見つめ直す旅に! (04/08/21 15:53)
ともとも 大学院卒っていうプライドにこだわりすぎてないですか?こだわらなければたくさん正社員で働けるいい会社あるとおもうんだけどなあ。。。 (04/08/21 15:31)
えりさ 面接でその饒舌をご披露すればかなりいい線いくと思うのは私だけでしょうか。 (04/08/20 22:36)
幸運を祈る 自分とは違いすごいです〜。 (04/08/20 22:23)
中年 はじめまして日記を拝見させていただきました私は某系列企業で少し教育訓練課に席を置いていました私の当時の経験からいうと確かに大卒者は少々理屈っぽい方が多くいましたし物事を文章表現するのは高卒にはかないませんしかし行動力では高卒の方がはるかにそれを上回ります・・貴方が大学院を卒業した事は立派な事だと思います学業の面から見れば成功者でしょうでも学生時代に社会を冷静に見つめた事はありましたか? (04/08/20 21:51)


 ■ 2004/08/17 (火) お盆明けに思う事〜光明が差すのはいつになるのだろうか


 今週に入ってから関東では涼しい日々が続いていますので、割と過ごし易く感じられます。世間一般も今日あたりがお盆明けで様々な事が徐々に普段通りに動いていく事だと思います。
新聞の求人広告ないしはネットの求人情報がここしばらくは数が減っていましたがこれからは増えていく事だろうとも思っていますので、現在ほぼ休止中である就職活動も少しずつ力を入れていくつもりです。
 
 それにしても親と就職に関する話をすれば出てくるのは、もう自分は就職相場の価値から見れば賞味期限が切れているといったあまりいい話ではないものばかりです。大学院まで行きながらこれといった資格を持たず、正規の年数を2年もオーバーして修了した以上就職活動が難しいものになるとは承知した上で活動を行ってきましたが、その結果は前にも書いたように30幾つ受けて全滅。確かに文系院生の価値は四大卒から見れば低く見られている事も承知していますが、ここまでひどいとは思いもつきませんでした。いや第三者から見れば、文系大学院進学というリスクの大きな進路を進んだ以上は就職しにくい事は当然だと言われるかもしれません。親にも少なくとも大学院に進んだ以上は、資格職に就く就かないは別として教職や司書、学芸員の資格ぐらいは取っておくべきであったとも言われています。思い返してみれば、私の周りにも教職課程を取っていた人が何人かいましたが、大学院生としてはこれが普通なのでしょうか。馬鹿馬鹿しい事この上ありませんが、私はこの辺の事情といったものが全く理解できないまま卒業してしまいました。教職をはじめ資格過程を取っていなかった人もいましたが、そういった人達はさっさとドクターに進んでしまって小学生並の事しかやっていない私だけが放逐同然で卒業せざるを得ませんでした。

 私が面接まで進んだ企業ないしは団体では、いかにも私が「大学院ではまともな事を何一つやらないで追い出されてしまいました。だから御社(または御団体、御機構)で何でもいいから仕事させてください、エヘへ・・・」と言っているような感じであって本気で仕事などする気など無い輩にしか見られていないのではと思う事があります。面接で私の人となりが見抜かれている事については前にも書きましたが。

 将来就きたい職業に向けてスキルアップするために院に進んだのではなく進路の先送りで進んだ人間の限界といったものが感じられます。研究生活不適格者はそのまま社会生活も不適格だという事になるのでしょうか。

 世間では「何でもやります」=「何も出来ない」と見られる事があると聞いた事はありますが、就職活動オンリーの生活を続けている私は結局何も出来ないから就職活動をやっているというイメージでしか取られないのでしょうか。就職活動の時期になると慌てて何らかの資格取得に走る人達がいる事は知っていますが、そんな事をしたところで実際に選考において有利に働くのかどうか首を傾げたくなります。それとも情熱さえあれば、資格等でこれといったものがなくても採用されるのかと考えてもだらしない人生を送ってきた人間がたかだか数ヶ月張り切った所で底の浅さを見抜かれてしまうだけだと思えてなりません。

 自分の事を総合的に評価してもやる事なす事ろくな事をしてこなかった人間であるとしか言いようがありません。私は好きな事以外には何の関心も示さないという生き方を続けてきたので、学校の勉強自体も自分のスキル向上というより仕方なくやっているという感じでした。20年間の学校生活の中で親の目を盗んで勉強しているふりをして遊んでいた事など数えたらきりが無いほどです。大学院に進んで研究者の道を進むにしても、優れた研究成果を発表する事はもちろんですが、勉強が三度の飯よりも好きでなければ難しいという事も大学院を出てから気付きました。この事は他の分野(例えば芸術関係)でも同じだと思いますが。真剣に学ぶ気の無い人間は、人間の形をした何か別のものといえるのかもしれません。

 「この仕事をやりこなせるのは私以外にいない」、「私の能力こそが御社にとって必要だ」といった意志が相手に伝わらない限りは仕事に就く事は難しいのでしょうね。ただでさえ人が足りている昨今の状況では、他者よりも何か秀でたものがなければ仕事に就きにくい事は承知しています。考えてみてもこれは人に負けられないというものが自分の中からは見つからないのが現状です。だから学歴をひけらかせばひけらかすだけ恥の上塗りを繰り返しているだけに過ぎないのかもしれません。私の両親も卒業後の私の惨状を親戚に対してごまかし続けてきましたが、無職生活も半年になればそうもいかなくなると思っています。この日記をつけるようになってからそろそろ半年が経ちますが、まだ一筋の希望の光も差していないとしか思えません。









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MOTOAKI 書き込みして下さった方々ご意見はいつも参考になっています。私も院時代は資格に対する意識が低すぎたという事を強く実感しています。教職にしても私の周りで取っていた人でも実際その方面に進めた人はいなかったのではないかと思います。首都圏の公立校は人手が足りていてなかなか新規に採用される事が相当少ないという事も耳にしますし……。 (04/08/19 19:56)
MOTOAKI 私も判断しづらいです。ぺけぽむさんの日記を読みましたが、私が学生時代ないしは今現在も含めてあれだけの事を考える事など一度もした事が無いので、結構理詰めな話になるとついていけなくなりそうです…。 (04/08/19 19:49)
ぺけぽむ 合うかもしれない。でもオフ会したら話題がすれ違ってしまうかも… (04/08/19 19:36)
ブス子 MOTOAKIさんとぺけぽむさんは相性が合いそうですね・・。 (04/08/19 10:51)
ぺけぽむ 教職と言えば、通信教育でとる手もありますよ。実際に教えた経験のなさは塾講師のバイトで補うことができるかもしれません。私も仕事が最終的に決まったら狙ってます。教職をとらなかったことで、私は父母を落胆させ、自分自身も少なからず後悔しましたけど、専攻(専門教科)によってはほとんど求人がないから「とったところでどうしようもなかっただろう」と思っています。しかし、文学部の私も学部の頃はかなりいい会社に内定をとってたんですが…。大学で勉強したことをあまり重視しないという文化がついこの間まではあったせいで、却って学生時代に余計な何かを学んでしまった(と、企業には思える)院卒は不人気で、今でも恐らく多くの会社ではそうなのでしょう。私は院に在学しながら就職活動しましたが、院卒は専攻の内容まで見て採否を判断することが多いようで、お金にならない研究をしていた私は苦戦しました。学歴信仰を自らの存在根拠としている教育産業には「院卒」が光って見えたようなので、大方の就職活動市場では売れ残り必至の私でもその業界では複数内定を取れました。教職がほしいと改めて強く思います(塾業界よりは学校のほうが、文学部的な素質の人間には働きやすいように思えるので)。 (04/08/18 20:48)
えりさ 田舎くると、大学院出というだけですぐに就職できそうですけど・・・でも田舎の給料は安いのでおすすめもできない。う〜ん、せっかくの大学院卒業がネックになるんなんて、学歴社会とかいいつつ、そうではないんですね。私は教職だけはとっておくべきだったと今後悔してます。 (04/08/18 19:34)
韮山 教職・司書・学芸員は、その道に進む覚悟がないなら、とっていてもとっていなくても関係ありません。 ちなみにいうと、学芸員・司書は日本では軽視される傾向が強く、無資格者のパート・ボランティアなどに置き換える政策(欧米では考えられない・・)が進行中です。私は、4大で学芸員資格を取りましたが、この資格を生かす機会は、まず一生ないでしょう。 資格は「ブランド」ではないので将来設計との兼ね合いで選ぶべきです。教職・司書・学芸員は持っていないことを悔やむような資格では絶対にありません。 (04/08/18 15:46)
511 この日記読んだら自信なくしちゃった。大学院生って大学行けなかった僕からみれば、伝説の人くらいの凄さなんですけど。 (04/08/18 02:30)
幸運を祈る 自分は日記をつけて3ヶ月ぐらいになりました。 (04/08/18 00:10)


 ■ 2004/08/15 (日) 今日は59回目の終戦の日、しかし自分にとっては不愉快な夏の一日


 昨日からアテネオリンピックが開幕し、今日は59回目の終戦の日、そして現在日本はお盆休みでもあります。今日の関東地方の天気は雨ですが、昨年の8月15日の関東地方の天気も雨だったと記憶しています。オリンピックの開幕と終戦の日は別にしても、お盆休みに関しては前にも書きましたがあまり居心地のいいものではなく不愉快極まりない日々を送っており、早く終わって欲しいという気持ちが強かったりします。私にしてみればテレビのニュースで帰省ラッシュや成田の出国ラッシュなどを見ても人がメチャクチャ一杯移動しているような時期に何を好き好んで出かけなければならないのかという印象しか持てません。8月のお盆休みはテレビでの戦争特集も恒例行事ですが、帰省ラッシュもいわば恒例行事だと言っても過言ではないでしょう。

 今年の夏はおそらくオリンピックでの日本選手や世界の名選手の活躍を楽しみにテレビで観戦する事になると思いますが、8月ももう半分が終わってしまいました。そういえば今の時期はちょうどコミックマーケットで有明の東京ビッグサイトにはものすごい人、人、人、がひしめいている事でしょう。私は一昨年と昨年行きましたが、生きている内に一度は見てみたい&銀英伝やSF系(特に星界、ローダン)の同人誌を入手したいという目的でした。今年の夏はもう参加できません。それでも毎年毎年いわばルーティーンみたいにコミケ通いまではちょっと、という気もしていますが・・・・。

 結局この夏も関東地方を離れる事無く終わってしまいそうです。夏に関東地方を離れたのは4年前に両親の故郷に帰り、さらに9月の話ですがドイツにパック旅行に出かけた時です。それを除くとここ10年でも四季を問わず関東の外へ出た事など数えるくらいしかありません。それには私が小中学生の頃から信じられないくらいのグズ人間だった事もあります。

 私が親からよくあまり真剣に勉強をしていないと言われてもう10数年、いや学校教育にわが身を置くようになってからずっとだと思います。普段はSFやコミックにライトノベルにCD、さらにはラジオの深夜放送やアニメといった勉強以外の事には真剣になるけれども、学生の本分である勉強には真剣になろうとはしませんでした(SFやライトノベルを読む事を無理矢理現代文の勉強だとこじつけた事はありましたが。あるいはTM NETWORK/TMNの曲を聴く事を現代音楽に対する学習と考えたりした事もありましたが)。そんな腐った人間が自分のレベルよりいくらか上の私立高校に進学し、都内の有名大学にもギリギリながら進学、さらにはそこの大学院に、指導教授の恩情にすがった部分もありましたが、進学出来た事は単にその時は運が良かったと言われても仕方ないと考えています。それは現在の惨状を見れば明らかだからです。大学院を離れてからまだ半年は過ぎていませんが、8月になった時点で大学院卒というブランドはインフレ時の紙幣よろしく紙屑同然にしか感じられなくなっています。大学院の試験に合格した1999年の秋から冬にかけては、大学院を終了すれば社会に出てから多くの人々から尊敬および畏敬の念をもって見られるものと思っていましたが、それから約5年が経過した今、しかも大学院在籍の4年間の腐りきったオタク的生活を送った後となっては、廃棄物としか見られていないようにも感じます。就職試験の集団面接でも私が一緒に受けた数人のグループの中でも年上でありながら、大した学生生活を送ってこなかった事を露呈しては不採用通知が家に届いている事を見ればその通りだといえるでしょう。家以外の拠り所を無くした今となって図書館や都内の大型書店を訪れた時に、「自分は学生時代にもっと多くの事を知っておくべきだった」と後悔の念に駆られる事があります。大学院に意味無くしがみついていた報いは私には相当大きすぎるようです。

 大学院を修了して約4ヶ月、私はバイトもせずに就職活動だけに邁進してきました。就職活動の合間には、自分が過去に購入ないしはなけなしのお金をはたいて新たに購入した本や図書館から借りてきた本を読んだりして教養を深め、また積読状態の洋書も読む事で英語の勉強としたりはしてきましたが。就職活動に邁進した理由には、大学院卒というプライドを傷付けたく事と自分の理想である趣味をライフワークとした生活を行いたいという事があります。しかし今の自分は就職活動どころか醜態活動としか思えなくなっています(以前は醜飾活動、あるいは醜蝕活動といっていましたが)。行く先行く先では不採用になるために交通費をはじめとする活動費を使い、何の見返りも帰ってこない日々の連続・・・、このままではトータルで企業、団体を100受けたとしてもいい結果が返ってこないようにも感じられます。日々くだらないミスを性懲りも無く繰り返しては注意を受けても、その注意をウザいものとしか見なしてこなかった性格を変えなければ未来は開けないのかもしれません。


 来年はちょうど戦後60年という日本国にとって節目の年でもあります。自分が来年の今どのようになっているのかは全く予測がつきません。ただ少しでも大学院卒と言える人間らしい生活を送る事だけはしたいと思っています。




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韮山 この日記も長く読ませていただいていますが、相当に知識のある方だと思います。あなたにしか出来ない仕事が、どこかにありそうに思いますが・・ (04/08/16 17:00)
えりさ 「大学院のプライド」というお言葉、わかります。大学院をでていると聞けば、短大卒の私から見ればとても羨ましい学歴で書類審査は無敵!と思ってしまいますので。大学卒以上の求人をみるたびに応募できない自分がはがゆかったですから。MOTOAKIさんが希望する職業に就けるといいですね。 (04/08/15 23:24)
幸運を祈る 自分も混んでる所に、なぜ行くかわからんですけど、休みがこの時期しかないからでしょうね。当たり前か・・・ (04/08/15 13:40)
ぺけぽむ なんか、あまり「大学院卒」にこだわって自分を痛めつけてるように見えてしまって… ご自身でも大学院に行ったことに「中身がなかった」と積極的に認めているんだから、思い切ってそんなプライド捨てて、とりあえず出版社のバイトとか探してみたらどうですか? 働いてお金をもらった経験をしてみないとなかなか性格が変わらないかもしれないと思うのですが。ってのと、あと、文学部系の大学院卒は四大卒より就職相場の価値が低く出やすいのは当たり前なので、そこでうまく行かなかったとしても責の全てが貴方に帰するわけではないと思います。その辺を既卒と言うことであまり重視しない公務員試験を来年受けるという手もありますよ。 (04/08/15 13:21)


 ■ 2004/08/09 (月) 8月最初の記録


 8月になってもう一週間以上過ぎましたが、広島の原爆記念日やら夏の甲子園の開幕やら、サッカーアジアカップでの日本の二連覇(これは昨日でしたが改めて思うとあまり良くない空気が漂っている中で見事なプレーをしてくれたと思っています)、今日の長崎の原爆記念日など様々な事がありました。この後には、59回目の終戦の日(敗戦の日とも言ったりしますが)、そしてアテネオリンピックの開幕などの出来事があります。それにしても戦後59年が経過したという事は来年でちょうど戦後60年になる訳ですね。戦後50年といっていたのが9年前。その頃の私は高校三年生で大学受験のために夏は半分近くいや3分の2近くかもしれませんが予備校通いをしていました。決して優秀な高校生ではありませんでしたが。


 学生の方にとっては夏休みになってからもう3週間近く経過したと思いますが、私は小中高とこの時期になると相当ダラけた生活を送っていました。大学・大学院もほとんど似たようなものでしたが、こちらは9月末ぐらいまで約2ヶ月近く休みがあるだけでなく、週5日も学校に通うということがありませんでしたので、休みといっても特に変った事は無いとしか思っていませんでした。

 今年の夏は私が家庭以外に拠る所の無い身となって初めての夏でもあります。こんな事は今年だけにしたとは思ってはいるのですが現実は結構厳しいです。先日は日曜でしたので新聞の求人欄をチェックしても大抵の企業はお盆休みに入っているからでしょうが求人数も少なくなっていました。これはお盆休み明けから徐々に増えるのだろうと思いますが。ちなみに母校の就職課の方にも出向いて、既卒の求人をもチェックしましたがこちらも8月以降は求人が減っていました。しかも今週からは1週間ばかり大学の全施設が休みになるという事です。

 ちなみに私にとってここ最近のお盆休みはあまりに居心地のいいものではありませんでした。というのは父親も会社が休みになるので一日中両親と一緒に過ごす事がウザく感じられたり、大学の施設が休みになってしまうので外出する際の格好の理由が無かったりするからです。しかもこういう時に大掃除をしようと母親が言ったりするものだから、自分のプライバシーが剥ぎ取られてしまいそうで苦痛になる事もあります。


 3月から活動を始めてもう30幾つ程受けてきましたが全滅としか言い様の無い状況です。年度が変った頃は6月から7月くらいには一つぐらい内定は下りるだろうと希望的観測をしていましたが、結果はいまだに内定ゼロ(全滅に近い状況なのだからこう言うしかありませんが)。26になって5ヶ月が過ぎますが、相変わらず生活上で同じミスを性懲りも無く繰り返してはその度に受ける親からの注意をウザイものと感じている輩なんぞどんなに高学歴であっても就職のクチなどありゃしないという事を痛感させられています。今までで10回近く面接を受けてきましたが、採用する側はどんなに着飾るか武装して面接に臨んだところでその人間がどんな人となりでどのような人生を送ってきたのか、そして仕事に就いてからの意欲などあらゆるものを見抜かれているのではないかと思えてなりません。

 私の仕事に就きたい理由(こんな事は履歴書やエントリーシートには書きませんが)は大学院卒というプライドに傷つかずに自分の趣味をライフワークとしていけるというものではないかと感じています。今も私は親と自分の趣味の事で衝突する事があって、その度に議論が平行線をたどる事の繰り返しです。親の言っている事にも私が世間一般の中で鼻つまみ者にならないように言っている事だとは承知しています。しかしながら面接でもさすがにマンガやライトノベルを読むのが好きだとは言えませんが、私がマンガに縛られているとは考えたくはありません。それでも大学院に進んでまでドイツの歴史を研究しているにもかかわらず、歴史的事件や研究対象の時代の社会構造の詳細よりもマンガやアニメ、ゲームないしはSF作品やライトノベルの内容の方をもっと詳しく知っているというのは問題だと思っていますが・・・・・。ほぼ半々か6:4ないしは7:3というのが妥当なのでしょうね。

 研究者の卵どころか、就職逃れのお荷物であった私が大学院を去ってからもう4ヶ月、その間にも修了証明書や成績証明書をもらうためや就職課で既卒の求人をチェックするために大学には月5、6回のペースで行ってはいますがドクターに行った同期の人達やもともとドクターだった人達、さらには同期の卒業生の人達、そして私の指導教授とは一度も会っていません。何かの機会には会いたいとは思ったりもしますが、無職のままでは暇でブラブラしているという印象をもたれてしまいそうでなかなか足がそちらに向く事がありません。自分が趣味に埋没してにっちもさっちもいかなくなった事に気づいた時には、助けを求めようともしましたが逆に自分が孤立してしまうのが怖くて出来ませんでした。もう二度と会わないという事は無いとは思いたくありませんが、もし再会する機会が会ったときはとてつもなくみすぼらしい姿では再会したくないと思っています。


 私は日記の中で以前にも自分の溜め込んだものの処置に対しても結構悩んでいる事を書きましたが、文庫本やハードカバー本、コミック、雑誌といった書籍類やCDなどど並んでテレビ番組(音楽関係やドキュメンタリーに映画にアニメ)を録画したビデオテープやラジオ番組を録音したカセットテープがものすごい数存在します。ビデオテープに関しては4,5年前はともかくもう8年ないしは10年以上昔に録画してその時以来全然見ていない物も多くありますが、こういった物はもはや永久に見る事は無いといってもいいのでしょうね。最近新規にラジオ番組の録音をする時には5、6年前に録音してその時以来一度も聞いていないカセットテープを使っていますが、モノは2、3年見向きしなかったものは一生見向きすることはないと考えるべきなのでしょう。

 我が家ではビデオデッキを去年とある番組を録画しようとして壊れてしまってから新しく購入していません。ここ最近はBSやCATVのチューナーがついたDVDレコーダーの購入を考えてはいますが、まだどれを購入するのかの目処はたっていないのが現状です。しかし1年間に100本以上もテレビ番組の録画を繰り返していたら居住スペースを圧迫してしまう事は火を見るより明らかです。結局ラジオもそうかもしれませんがテレビで放送されている番組の8割から9割方はたいした内容ではないものばかりだと思いますので、テレビ番組を撮りだめする事など無意味に等しいと言えるのかもしれません。

 自分の部屋を人に見せられるようにするのはまだまだ時間がかかりそうに思えます。日常生活上での使用頻度その他を考えて物を持つ事を考えなければならないのでしょうね。それでも多くのモノに囲まれないと落ち着かないという人間にとっては辛いものがありますが。






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だめこ 世間一般が、ドイツ史というとナチス、って思っちゃうなら、逆に「いや違う、こういうのもあるんだよ」って切り返すことができれば、とっても新鮮に映るのではないでしょうか?歴史、文学、漫画と言ったものには、そういう新鮮な視点が要求される気がします。逆にチャンスかも。 (04/08/15 12:39)
MOTOAKI >韮山さん ドイツの歴史を取材した漫画家の先生と言われても、私はあまり名前が浮かびません・・・・・・、私もあまり詳しくありませんし。世間一般では、ドイツの歴史というとナチスの時代がクローズアップされる傾向があるようにも思えてならないのですが。>えりささん 良いアドバイスどうもありがとうございます。しかしながら自分が撮り集めた番組にしてもアニメやドキュメンタリーなどは大抵がDVD化されているものばかりで、DVD化されると保存価値は無きに等しいものと感じる事があります。私は秘蔵というところまではいかないまでも保存版としての価値あるものは一部の音楽関連の番組(ライブやドキュメンタリー的なもの)ぐらいしかないと思っています。 (04/08/10 23:07)
えりさ 大学院だと就職先がいっぱいありそうに思ってしまうのは甘いでしょうか。釘をさすようで申し訳ないのですが、いっきにビデオやカセットテープを捨てた後、数年後にかなり後悔した事あります、あの秘蔵映像を私はなんて事したんだ〜〜!って。経験談としては納得いくまで、そばに置いておけたらと思います。 (04/08/10 22:37)
韮山 どうだろう。例えばドイツの歴史に取材した漫画家の担当編集者とか・・  狭き門なのかな。あまり詳しくないので分からないのですが。 (04/08/10 00:00)


 ■ 2004/07/30 (金) 再度にわたる図書館の本の延滞について


 世間(といっても学生の皆さん)は今週の初めくらいから夏休みになりましたが、学校教育を終えた自分としてはなかなか実感が湧きません。私の通っていた大学はちょうど前期末の試験をやっているみたいでしたが。思えば大学院時代は大体この時期に所属するゼミにおいて自分の研究の中間報告をしていましたが、私の場合は7月以前ろくな研究活動を行わず中間報告の約1週間前くらいになって大慌てで報告のレジュメ、といっても単なる間に合わせの雑文というか先行研究のパクリに過ぎませんでしたが、を作成して、報告前日は睡眠3時間でやっつけ仕事をして、報告の際には他の人と比べても無内容な物を発表して、指導教授やゼミの人達に鋭くツッコまれるだけというような事しかしていませんでした。ゼミのメーリングリストから来たメールによれば、今年はどうやら優秀な人がそろっているだけに、中間報告も実り有るものになったという事らしいです。ゼミのメーリングリストから来るメールを読むと、自分の不甲斐なさやいかにお荷物であったのかを痛感させられています。

 
 今週は27日から29日まで説明会と筆記試験で続けさまに外出する事ばかりで、土曜日も面接試験のために朝早くから出る事になっています。7月末になって1週間のうち4日も就職活動で炎天下かつ台風の影響で不安定な天候の中を出歩く事になるとは7月の初め頃には思いも付きませんでした。8月はもっとキツくなりそうな感じもします。


 さて私はしつこくやらかしてしまったというか、相変わらず学習能力がないというか、またまた二ヶ所の公立図書館から本の延滞をしている事で(延滞期間は共に1週間)返却の催促の電話がかかってきてしましました。現在私は3つの図書館から7月だけでもトータルで36冊の本を借りていますが(一度も読まずに返却した本も有り)、物理的に見ても2週間程度で30冊近い本を読む事は速読の達人で無い限りは難しい事は承知しています。にしても私は6月初め頃の日記にも延滞した事で返却の催促の電話がかかってきて不愉快な気持ちになったという事を書きましたが、相変わらず私は延滞癖が直っていません。大体今利用しているこれら三つの図書館も2年位前から使っていますが、その頃から期限内に本を返した事など数えるくらいしかありません。ほとんどが催促の電話がかかって来なくても返却期限から1週間から時には1ヶ月位オーバーして返却してきました。これだけやっていると延滞常習者として表彰じゃなかったブラックリストに記載されているのは間違いないでしょう。ちなみにGoogleで 図書館 延滞 常習 で調べてみたらこのようなサイトがありました。

http://www.city.muroto.kochi.jp/reiki_int/reiki_honbun/o3030255001.html
 
「室戸台風」で有名な高知県室戸市の市立市民図書館の運営規則なのですが、昭和47年に施行されたものなので今はどうなっているのかわかりませんが、ここの第19条に「次のいずれかに該当する者に対しては、資料の利用を停止し、又は禁止することができる」とあって3つばかり出ていますが、その中にも貸出期間内に返却しない延滞常習者と認められる者が記されています。私がもし室戸市の図書館の利用者だったら貸出は禁止させられている事はほとんど確実でしょう。

 私は図書館をほとんど無料で本を一定期間借りる事の出来る便利な施設として利用してきましたし、これからも利用し続ける事でしょう。それでも図書館の本は税金を使って購入されているものなので、それを貸出期限を破って平気で2,3週間も延滞しまくっている事は公共財産の独占をしているという事になってしまうのでしょうか。

 大学図書館関していうと延滞に対して厳しい処置をとっている所は多くありますが、公共図書館に関しては室戸市の例を除けばそれほどまで厳しい処置をとっている所はあまり見かけた事はありません。私の住んでいる市の人口は30万人程度で自分が利用している自治体の人口もほぼ同じか約2倍という所だけに利用者も多くいる事でしょう(余計な話かもしれませんが、私の利用している図書館がある自治体の人口を合わせると約120万人になります)。数が多くいれば多少延滞を繰り返したところで後で返しに行けばごまかせると思ってしまうから怠惰になってしまうのかもしれません。

 延滞常習者をやり続けるくらいなら、一度全ての図書館の貸出をやめるべきなのでしょうか。読みもしない本を時間をかけて借りたり返しに行くくらいなら、借りないというのも一つの手であると言えます。しかし現在の私は自分の欲しい本ですら買えないという状況だけに、タダで好きな本が読める図書館はこの上なくありがたい施設でもある訳です。やはりルールを守る事が基本なのでしょうね。社会を生きるにおいて必要な事を学ぶ事も図書館の貸出・返却からも学ばなければならないという事になるのでしょう。


 今回は私の図書館の利用にまつわる話になってしまいました。ちなみに私が三ヶ所の図書館で高い頻度で借りている本は、ローダン・シリーズにスター・ウォーズのスピンオフ小説、宇宙関連の書籍、歴史関連や政治学関連に、ヤングアダルトコーナーに置かれているアニメ・コミック関連の書籍などです。最近でも小熊英二氏の「民主と愛国」(ページ数966という6600円もする分厚いハードカバー書籍)やアメリカの国際政治学者ハンス・モーゲンソーの「国際政治」やイタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリの「帝国」といった600ページクラスのハードカバー書籍も借りる事は借りましたが(期間は2ヶ月程度)、結局一ページも読まずに終わってしまいました。読みもしないハードカバー本など借りても単なるエネルギーの浪費に過ぎないという事を痛感させられています。

 常に物に囲まれていないと気分が落ち着かないというのは問題なのかもしれませんが、私は自分を愛書家と考えていますので、本に囲まれる生活というのは憧れでもあります。もし自分が将来一戸建ての家を購入できたのならば、書庫は必ず作ってそこには大きな本棚に学術書や研究書から趣味の本までありとあらゆる本を鎮座させたいと思っています。






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ひろひろ 常に物に囲まれていると気分が落ち着かないタイプです。 (04/08/04 18:10)
ひろひろ ブス子さん、〔顧客サービスなければ、インターネット通販、カタログ通販〕です。それが、〔ひろひろ〕の買い物い対する、信念です。 (04/08/04 18:04)
ぺけぽむ 思い切って、「自分が今5千円を使って買うとしたら(額は状況にあわせて変える)」と思って絞って借りるのは? 欲求を制御する訓練みたいな感じでストレス溜まりますけど、本当にほしい本だけに手が伸びますよ。 (04/08/01 20:04)
ブス子 2週間借りられて、もう引き続き読みたい時は本を持参でもう2週間の手続きをする・・。読みたい新本を購入希望で書けば、いい本なら図書館が買ってくれて入ったら電話くれます。 でも、本に線引いたり、マーカーつけたい時は自分で買わなきゃ。 どうせ、長い事言ってないし、探すより 受付で頼んでどの辺に置いてあるか聞きます。 スーパーでも、初めての店は何がどこにおいてあるか聞く方が早い。ところが、慣れないバイトばかり雇ってるんでその人も困ってます。 ディスカウントは、さいきん不親切で使用方法、別売付属品を教えてくれないお姉ちゃん。ポスト取り付けるのにコンクリート、タイル用、モルタル用とあるが・・、無知な女はだめぽ。・・・壁 穴開いたままだ・・。徒労、苦労。 1人暮らしはた〜いへん。 (04/07/31 17:55)
韮山 私の長い就活経験から行くと、8月は会社側が夏休みをとるので、求職者も中休みに入らざるを得なくなります。 その代わり、盆明けから求人が急増するので、それに備えて体力を蓄えたらいいと思います。 本もいいですね。これからは期限に気をつけることにして、借り続けたらどうでしょう。 暑いですが、頑張ってください。p(^^)q (04/07/31 15:27)
幸運を祈る 図書館で本借りたのいつのことだったかな〜。覚えておりません。 (04/07/31 13:48)
えりさ 私も何度か延滞して図書館から通知うけたっけ。 (04/07/31 11:52)
ひろひろ 書籍は、借りるより、買った方が安いし最新の理論が分かるのにーー (04/07/30 23:46)


 ■ 2004/07/23 (金) 宇宙は雄大、しかし自分は矮小


 前回書いたときからは11日、フランス革命記念日(ドイツ現代史を専攻していた私からすればナチスが事実上天下を取った日[1933年]にもなりますが)からは9日が経過しましたが、15日には川崎の方に団体職員の筆記試験に、19日には某私学の学校職員採用の筆記試験を受けに世田谷区の方に出かけました。

 19日の筆記試験は朝の9時集合なだけに休日にもかかわらず6時起きで7時にはもう家を出て試験会場へと向かいました。私の住んでいる埼玉県の東部から世田谷や川崎、横浜に行くには余裕を持って集合時間の2時間前には家を出るようにしています。それゆえに19日は多分数年ぶりに6時に起きた訳です。大学院時代に徹夜して6時過ぎまでレジュメや論文を書いたり、今年の4月以降も締め切りの2日前(消印有効の場合は当日に)応募書類を書くのに徹夜となって、それを近所の郵便局に出しに行ってから改めて睡眠をとった事も何回かあります。そんな事をやっても受けた所を落ちていたのでは情けない事この上ないのですが・・・・・・。


 7月も後残すところ10日もきってしまいましたが、7月に入ってからの私の日記は、我ながら自分のネガティヴさを強く感じている事ばかりをしきりに述べている所が見受けられます。確かに今でも自分はやる事為す事理にかなってない行動をとる事があります。そういった事に気付くのが、親をはじめ他人に指摘されてからというのがいまも続いています。自分が愚かな人間で、そんな人間を採用する側がリスクを負ってまで採る訳がない事は認めざるを得ないという事はわかっていても学習能力が少しもないんじゃないかと思う事もあります。大学院の修了後、家にいる時間が多い分手伝いなどをしていますが(一人暮らしをする際の予行練習の意味もあります)、つい何分か前に言われた事を忘れる事が多くあります。このような事が今の自分にとっては生きていく上で負担となっているのです。親からもこのままではホームレスへの道をたどっているとまで言われる始末です。

 大学院まで出ておきながらホームレスなんかには死んでもなりたくないというのが私の本心です。いくらダメな院生であってもホームレスになるつもりで大学院に行ったわけではないからです。数年前に「ホームレス作家」なるノンフィクションが話題となりましたが、「院卒ホームレス」などというのはこの上ない屈辱だと思います。オタク人間でお荷物のダメ院生の行き着く先はホームレスだった、というような感じでマスコミの格好のネタにはなりたくはありません。それにしても最近は夕方のニュース番組でも特集を組まれるくらいホームレス問題は深刻ですね、中には有名大学卒という高学歴のホームレスの人もいるみたいですし。

 私はSFや宇宙といったものが好きで、そういったものに大きな憧れを抱いているという事はこの日記の中で多く書いてきました。しかしながら自分は宇宙的規模で見るとミクロな世界に過ぎないわりと身近な人間社会でも相当矮小としかいいようのない人間だという事を思い知らされる事ばかりです。宇宙や万物の歴史は雄大なものなのだから、私のような人間のミスや過失なども水に流す(あるいはなかった事にする)おおらかさを持って欲しいと他人に対して願う事もあるのですが、集団生活を送るにおいているだけで雰囲気をブチ壊す輩など宇宙がどんなに雄大であろうが不必要となるのかも知れません。宇宙や万物の歴史は雄大であり、人間の多少のミスや性格不一致などは些細な事に過ぎないのだから受け入れるだけの心の広さが必要などとほざいていると新興宗教の教祖か信者のように思えるのですが・・・・・・。

 やはり日常生活ではキチンとした事がやれなければならないのでしょうね。決まり事や約束を守る事など。それを破っても土下座までして謝って許しを乞いたり、宇宙は雄大だのという妄言を吐いたりするようでは社会のつまはじき者になって一生社会の最底辺を這いつくばっていく事になるかもしれません。路頭をさまよいながら星空を見上げて「宇宙はこんなにも雄大であるのに云々」などと独り言を言っていたらそれこそ変質者と思われても仕方がないと言う事なのでしょうか。


 最後になりますが、皆様からご指摘のあった皆様のご意見に対する返事に関してですが、時間の許す限り付けるように心がけたいと思っています。私は皆様が、どこか自分が後世に残したいという気持ちで書いた文章にどのような感想を持っているのかだけに関心があって、それに対する返事までは気が回らなかったと感じています。
 
 日々人間とは思えない間抜けな動物じみた行動ばかりしている自分でも思いの全てをぶつけたいという気持ちでこの日記を記しています。これからも自分の愚かさが改善できるかどうかはわかりません。いつ親に捨てられてもおかしくない状況にまで自分で追いやっていると思う事すらあります。私は日記を書く事で自分の心のバランスをとり、なおかつ世間とリンクしていく事を心がけようとしています。nanakoさんがおっしゃられるように人の意見に対して自分の考えを述べる事は大切な事に感じられます。大学院時代の私はまともな研究をやらず、中間報告の際にもゼミのメンバーからの意見にまともな答えすら言えず、他の人の発表の時ですら自分の意見が言えないという状態でした。こんな人間が大学に残れないからといってじゃ社会に出ようと思ってもなかなかうまくいかないという事は現在痛感させられています。それゆえに社会に生きていくための学習だと思って、皆様のご意見に対する自分の考えを述べていきたいと思いますのでどうかよろしくお願いします。



名前

内容

(´・ω・`)しょぼんぬ 日記長いのでプリントアウトしてじっくり読みます。これからも期待あげ。 (04/07/26 15:59)
ブス子 でも、この不況 自殺者、発狂者が増えるとあながち遅れた予言が来ると心配しています。うつ病の増加も・・。最後に空から恐怖の大魔王が降りてくる、というのは核ミサイルだと思っています。 (04/07/24 14:55)
MOTOAKI ノストラダムスの大予言は21世紀になってからはほとんど見向きもされてませんね。予言自体に関して、自称ノストラダムス研究家の方々が好き勝手に解釈しているものだと私は考えています。 (04/07/24 14:09)
ブス子 私は故森田正馬氏の本をほとんど読破・・・知らん人多いと思うんで止めときます。 (04/07/24 10:58)
ブス子 ノストラダムスの大予言についてはどう思います? (04/07/24 10:21)
MOTOAKI >ブス子さん 私は故カール・セーガン博士の著書や『Newton』別冊等を読んで、宇宙にはまだまだ地球人類の知らないものが多くあるという印象を持っています。宇宙人の交信についても、もし自分が宇宙科学関係の道を志していたのならばやろうとしていたかもしれません。ただどのような宇宙関連のニュースが日々ネットやTV、新聞や科学雑誌といったメディアに入ってくるのかは興味があります。私は宇宙について思いを馳せる事は恐い事ではないと思っていますが。ちなみにnanakoさん、私は男です(笑)。過去の日記を読めば一目瞭然だと思いますが。 (04/07/23 22:53)
韮山 前向きになって、良かった良かった。(^^) まだ若いし、これで未来が開けるでしょう。 筆記試験がある先への合格確率は必ずしも高くないですが、それも経験するとねらい目が分かってくるはず。行動あるのみです。頑張れp(^^)q (04/07/23 22:37)
ブス子 nanako> 今頃、何を言うてんの?  (04/07/23 22:03)
nanako 失礼しました!MOTOAKIさんってお名前だったんですね。男性だったのかあ・・・? (04/07/23 19:22)
nanako こんにちは○○さん!院卒さんとでもいうべきでしょうか?お名前考えてみたら宜しいんじゃないでしょうか?「交流しましょうね?」って意見受け入れてもらえて良かったです。ブス子さんもこんにちは!でした。ではまた〜 (04/07/23 19:19)
ブス子 というと、マリーアントワネットしか思い浮かばないし、「ベルサイユのバラ」という漫画はおもしろかった。SFコミック「秘密(シークレット)」は読まれましたか?死んだ人間の脳の記憶を読む犯罪捜査漫画です。清水玲子で1と2出ています。ホームレスにならないかの心配は私もあります。ところで、MOTOAKIさんは宇宙人と交信したいなど考えますか? 考えると危ない人間の一歩になります。宇宙など考えるだけで空恐ろしいです。 広場恐怖をもってますんで。 (04/07/23 15:51)


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