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爺放談


 ■ 2014/06/23 (月) 悪人の戯言


「セッションズ」と言う映画を見た。

この作品の大まかなあらすじは、幼少の時ポリオを患い、一命は取り留めたが脳性麻痺から首から下のほとんどが麻痺状態になった男の生涯を描いたストーリーだ。

特に重度障害を持つ人々が抱える「性」の問題をクローズアップしている点とそれに伴う宗教的思考を織り交ぜた作品となっている。

私自身は「障害者」を扱った映画はほとんどにおいて観ないのだが嫁のたっての希望により観てしまった。

で・・・観た感想はというと

やはり終始くだらない映画だった。

私の理念である「映画」としての「扱ってはいけない題材」という物がある。

それは「動物」「子供」「障害者」だ。

この三つの題材は得てして「可哀そう」と言う感情をどれだけくすぐるかを基本としている事が大半で、更に言うならこの題材に対して否定的な感情を持つ事は「非人間的」「反モラル」と言う様な無言の圧力さえ感じざるを得ない内容になりがちだからだ。

また、この中でも特に「障害者」はこの傾向が強く、同調圧力すら感じる内容で、更に思うのは障害者は「善」という大前提の作品が多く、これが私のような悪人にはなじむ事が出来ない最大の理由だろう。


私の歪んだモラル感で考えるこれらの事柄、特に「障害者」には私なりの熟考がある。

「障害者と健常者はあいまみえない」という物だ。

この結論に至ったのはこれまでの私の経験によるものだが、おそらくこれは当たっていると私は思う。

もちろんこれは突き詰めた人間感情であり、またこの感情は「親子関係」などの様な「利他主義」には当てはまらない。

いわゆる「社会性」というパブリックな中での関係性だ。

であるから私の様な悪人にはこの手の映画やドラマ、それ以外でも「障害者」を主としたイベント関連のの物も全てに「偽善」という観念が頭をよぎってしまうのだ。

特に偽善の最大イベントである「パラリンピック」などは私の観念からはこれほど障害者たちを馬鹿にし見せ物としているイベントはないだろうと思っている。

そもそもこのパラリンピックなる催しはいったい何の趣旨が有るのだろうか?

障害者でもこれぐらいの運動能力がある事を知る事で健常者と変わらない!と言う事を訴えているのか?

それとも健常者と違った動きの中でもまともにスポーツを取り組める事を訴えたいのか?

はたまた体が不自由でも一生懸命なこの姿を見て健常者のみなさんに感動を覚えてほしいということか?

ひょっとしたらこのイベントは同じ障害を持つ人たちを励ますためのイベントなのか?

ま〜どの理由であろうとこんなふざけた催しは早くやめた方がいいと私は思う。

これほど偽善に満ち満ちたイベントは他にないだろう。

なぜならこのパラリンピックに出場できる障害者達は障害者全体の何%の人達だ?

障害者達のそのほとんどは運動という次元を超えた人達もたくさん存在する。

健常者の催す「オリンピック」は健常者全ての人に出場できる可能性はある。

しかしパラリンピックはその可能性は少しの限られた人達にしか無い。

障害者達の、しかもほんの限られた人達だけの物なのだ。

この様な催しになんの意味や趣旨があるというのだ?

特に重度の知的障害を持つ子供たちのそのご両親らはこのパラリンピックなる催しをどう見ているのだろうか?

人は神様にはなれない、どうしても何とも仕様のない事がある。

平等や公平公正などは人々の幻想であって現実社会にはそぐわない。

しかしだからと言って平等や公平公正を著しく乱すような行為をする必要も無い。

パラリンピックは考えようによっては相当これを乱している行為ともとれる。

これほど平等性や公平性に欠いた催しがあるだろうか?

限られた条件の者しか出場できず、しかも周りの人間たちの協力が大前提のこの催し・・・

その者達が織りなす美談美技に感動と共感をと言う前に、この催しに参加どころか日々の生活に追われて食事すら。会話すら出来る事の無い障害者達の気持ち、それに関わる両親達や家族、友人達はどう思うだろうか?

彼等の中には不公平感や自分自身へのやるせない感情を更に深く植え付ける人達だって少なからずいると思う。

オリンピックを目指す目指さないは健常者たちは自由であるが彼等は違う。

自業自得でそうなっていない、パラリンピックはある意味「選民主義」なのだ。

こんなものを御大層に「善」と言う位置づけで見ている人達は傲慢で「脳みそお花畑」としか言いようがないと思う。

障害者については私は思う。

もし、本当に障害者達の平等性や公平性を思うなら健常者との交流を隔絶すべきだと思う。

人間は本当にはどのような者の立場にも絶対に成れない。

思いやりや善なる行為はその全てが「自己満足」に過ぎないのだ。

昔、お祭り等でよく見かけた「見せ物小屋」

この「見せ物小屋」では中で障害者達が健常者たちの前で芸をし、それで彼等の生業として生活をしていた。

彼等は不自由な体を駆使して体得した芸を披露するのだ。

健常者たちはそれを見て驚嘆しお金を払う。

この両者の間には何の罪悪感も無い、当時はそれが当たり前で見る方も見られる方もそこに違和感など無かった。

しかしこれは道徳的によろしくないと何時からか姿を消した・・・

しかし私にはこの当時の方がより人間的で、障害者達にも今よりは住みやすい環境だったと思う。

何故ならそこには「偽善」と言う要素が入り込む余地のない世界だからだ。

人は「情け」を掛けられることが実は生きにくい。

「情け」とは「劣っている」という証明の様な物だからだ。

どの様な状況下にあろうと人はプライドを捨てきれない。

それが人間である証と言っても過言ではない。

それが何に対しても「情け」という物を掛けられればどうだろうか?

そんな状況は「劣っている」という烙印を常に突きつけられている事と同義である。

そう考えた時「見せ物小屋」は障害者達にとっては本当の「対等」なのだ。

優しさは事によってはものすごく残酷な物とも化す。

人を人扱いしていない事ともなる。

パラリンピックは疑似的な対等と言うお祭りに過ぎない。

本当に対等を言うならオリンピックに障害者だろうが何だろうがエントリーすればいいのだ。

お情けたっぷりでしかも選民主義のこんな催しは何の意味がある?

私ならどうせやるなら全障害者を対象に大掛かりな「見せ物小屋」をやる。

ここに「可哀そう」や「悲壮感」など入り込む余地なく「嘲笑」や「野次」「驚嘆」「罵声」「感動」などがあって初めて「対等」であり、障害者全てに本当の「達成感」や「感動」があり、人としての本当の尊厳が有るのだと思う。

今の世ではこの考えは絶対的に無理で、それどころか「悪者」とされるだろう。

ゆえに私は「悪人」であり歪んだ思考を持つ男だ。

だから「動物」「子供」「障害者」を扱う映画は私には何の感動も与えなければ何の感慨も無い。

パラリンピックは人類史上最も愚かな行為で、そもそも健常者と障害者はあいまみえない。


もしこの両者の公共性や社会性を本当に思うなら健常者と障害者を隔離するべきである。















名前

内容

はいむるぶし 関東方面隊さん それはそれは・・・フフフ! (14/07/03 19:58)
関東方面隊 すでに悪人でござります・・・フフフf (14/06/30 09:39)
はいむるぶし 関東方面隊さん お〜〜〜!お初です!ミゼットプロレス!ありましたな〜〜!そうですか!私と意を共にして頂けるのですか!と言う事は・・・おぬしも「悪人」の仲間入りですぞ!^^ (14/06/29 22:15)
はいむるぶし まりあっち 私の性処理ボランティアはまりあっちが担当してくれますよね!わたし・・・これが生きがいで今を生きております・・・・!^^ (14/06/29 22:13)
はいむるぶし 腐敗官僚さん 本当に色々な事を知っていますな〜〜〜感心します!ところで腐敗官僚さんの腐敗の程度はどこまで進みました?もうそろそろ国内初のゾンビ誕生ですか?^^ (14/06/29 22:11)
関東方面隊 始めてレスいたします ボクの少年時代には見世物小屋は もう無くて チョット上の世代から話しを聞いた位ですが テレビではミゼットプロレスをヤッテいました いつの間にか放映もミゼットプロレス自体の興業もなくなってしまいました…ミゼットプロレスを見世物小屋に置き換えさせて読ませて頂きますと まさに我が意を得たりとの気がいたします あっミゼットプロレスラーは興業がなくなり 随分困窮したみたいですね 女子プロレスの下働きでしのいだみたいですが 女子プロも分裂が進み 今はドーしているんだか… (14/06/25 03:20)
まりあ 人を区分けして隔離し続けると最後は一人になって孤独になりそうね(;_;) 様々な方がたくさんいるから人繋がりや幸せを感じられるのかも、、、、、「セッションズ」はまだ見ていないですが、国外で性処理ボランティアさんの活動を見学したことがあります。不満、イライラ、寝つきが悪くなる方などへのボランティア。セッ スやブロー ョブのような行為はまったくありませんでしたよ(^_^;) 法律改正により、今後日本でも始まるのではないでしょうか? (14/06/24 09:00)
腐敗官僚 人類最速のウサイン・ボルト選手は生まれつき脊椎側湾症を患っていたけど、独自の走法を編み出したから世界一となれた。勿論、それは多くの協力者があったからなされた事だ。そうやって技術開発された事はあらゆる分野にフィードバックされ、我々の生活に反映されている。 (14/06/24 00:48)
腐敗官僚 パラリンピックはビジネスの側面がある。パラリンピックで使用されるパスケット競技用車椅子をみた事があるけど、自家用車1台分の製作コストが掛かってる。義手や義足に関しても全て最先端の開発の上に製作されている。 もし、俺がコスト度外視で100m走競技用の障害者用装具の開発を命じられたら…ジェット推進で音速の壁を破るパワードスーツを制作してやる。 (14/06/24 00:39)
はいむるぶし 記入なしさん 何が楽しいのですか?多くの人に見てもらえるからですか?それなら私は別にそれを欲してませんが・・・ (14/06/23 19:01)
記入なし どうだろう?それ程までに秘めた思いがあるのなら、試しにamazonのレビューにでも映画の批評やらを載せてみたらいい。そっちの方が楽しくなるぜ。健常者も障害者もないからな。 (14/06/23 18:42)


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