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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2012/08/16 (木) 8月16日


今日も宮城県古川市のホテルで休養。
福島県南相馬市から始まった被災地巡りの旅。多くの人に助けられ、励まされての旅。車に乗せて貰って、被災地を回って解説をしてくれた、民芸工芸品を作っている人。出勤途中なのに、私を拾ってくれ、被災地を巡って説明をしてくれた建設業の若者。この若者にはリポビタンDを2本頂いた。また、夕方、私が荷物を引いて歩いていると声をかけてくれた男性。大阪から来たと、目的を聞いて感動してくれた。そのほか、タバコ屋の老婦人との会話、サイクリングしている若者たちとのふれあい・・・と、多くの人に接することが出来た。そして、マスコミでは決して聞かれない地元の生の声を聴く事が出来た。

厳しい意見の男性もいた。
岩手県の大船度市の男性だが、今は仮設住宅、支援があるが、二、三年後には見えない未来がある。とくに、老人などは未来が見えないからこそ、大きな不安を抱えている。老人は環境の激変には順応しきれないから、ストレスがたまり、余計に不安になる。
今、お金をもらい、一時的に楽観視し、仕事もないからパチンコにお酒に走っている。しかし、将来への見通しの重圧が徐々に圧し掛かってきている。阪神淡路大震災でも、老人の孤独死は年を追うごとに増えてきている。東日本大震災は、阪神淡路大震災とは桁違いの大きさ。そして放射能!

現在の日本は、世界(人類)は大きな転換点にいる。
人類はどこに行こうとしているのだろうか!?もう、それぞれの道を歩み始めている。


8月2日・・・は。
何なんだろう・・・この疎外感!?
誰にも会いたくはない!誰とも話をしたくはない!

自己嫌悪の数を数えても仕方がないが・・・ますますトンズラしたくなる。
私の精神状態はどのようになっているのだろうか!?崩壊しかかっているのだろうか!?もう、どうでも良くなってきた。
自己責任!他を頼るな!?

一関に来た。殺人的暑さ!?野宿が続き、寝不足になっているから余計に堪える。10分位歩いていると、真剣に倒れると言う感じ、駅の待合で休憩。
一関は飛ばして盛岡へ。
太平洋側の交通は止まっている。釜石に行こうとしたが駄目だった。これだけ暑いと熱中症もそうだが、ギンギンに冷えたビールがうまかろう。

今日は盛岡のホテルに二泊。

8月3日
盛岡のホテル。
盛岡では「さんさ祭り」行われている。
始めてみるお祭り。盛大なお祭りです。踊りも各地で少しずつ異なり、参加人数もギネスに認定されている。女性が主役と思われるような祭りです。
多くの女性が太鼓を抱えて叩き、踊っている。

8月4日
盛岡から宮古市に列車で行く。
宮古市から45号線を北上した。荷物を引いたり押したりしながらの旅。途中の仮設の店でタバコを買う。その老婦人に311当時の話を伺った。突然の出来事であり、逃げるので精一杯との事。しかし、その後の出来事が非常に心を塞いでいる様だ。地震と津波で店、家屋が全壊している。後を見に行く前に、全壊している瓦礫の下から「お金」だけを取り出している人がいるようだ。誰とはいわないが、近くの知っている人のような話し振り。人の心のおぞましさ・・・を切々と話されている。そして、今後の事を非常に気にかけておられて、
「これからどうしようか・・・!?」
「私も、すべてを捨ててどこかに行きたい・・・!?」
「家族のしがらみ、311の災害で怪我をして、ようやく動けるようになった身体・・・!?」
・・・等々。
年をとっているからこそ、将来の不安を抱えている。この事は、被災地を回っていると、非常に多くの年寄りの悩み事になっているようです。

店を出て、とことこと歩いていると家の基礎だけが残っている地域に出た。津波に洗われて、家屋が押し流されているのだと思い、そこで休憩していると、サイクリングしているおじさんに話しかけられた。地元の人。30分くらい話を伺った。この地域は津波ですべて破壊された。そして、津波に押し流されて山のふもとに集まり、自然の防潮堤になり、津波はそれ以上進まなかった・・・との事。この現象は石巻市でもお聞きした。石巻市では4000人くらい亡くなったが、多くの家屋が押し流されて橋の袂に集まり、自然の防潮堤になったとの事。

寒い中ライフラインが止まり、一番困ったことは排泄物の処理だとの事。高台から降りて、川の水をバケツに汲んで浴槽にためて、それで流したとの事。地域の人たちが身を寄せ合って、助け合って生きている。身近な人たちだからこその結束ですが、地域ごとに、それぞれ口には出来ない出来事も多いと思う。そのおじさんに野宿できる場所を聞いたら、「浄土が崎の駐車場」を紹介された。その浄土が崎までとことこと張るいていったが、坂道であり疲れた。遊覧船発着場の切符売り場の軒先をお借りしての野宿。やぶ蚊、若い人たちの話し声などであまり寝られなかった。

8月5日
浄土が崎を早朝に出発。
45線をひたすら北上。
途中、台車の車輪が壊れた。修理をしていると、気づかぬ間に車が止まっていて、修理が終わった私に声がかけられた。「どこまでゆくの!?」と。私はきた目的を話すと、ワゴン車に載せてもらった。その人は、民芸品を作っている人で、途中まで乗せていって貰う事となった。その人は、わざわざ「やまだ地区」を、回ってくれて、「東洋一の防潮堤」が破壊された現場まで連れて行ってくれ説明をしてくれた。見渡す限り・・・家というものは存在していない。鉄筋コンクリートのホテルが2階まで鉄骨がむき出しになっており、3階まで被害を受けている。
ここで、地震の後、津波が押し寄せると言う緊急時に、防潮堤に津波を見に行った人たちが居たそうです。その人たちは全員押し流されたとの事。ラジオ情報では「津波は3m」と言うことがはじめで、後、「5m」「9m」と流れたらしい。今までの経験から、その程度の津波ならば、防潮堤を超えることがないと言う安心からの行動らしい。この事は、後日釜石に行った時や吉井地区に行った時の地元の人も指摘していた。

これまでの経験が「狼少年」的な感覚になっているということになる。
これまでの地震、津波情報で、何ほどのことも無かったから、今度もそうだという安心感の行動。釜石まで乗せてもらった建設業の若者も言っていた。幾度も見に行っていた。今回も近くにいたら見に行っていた!と。

「たろう地区」をまわり、「グリーンピア地区」を案内していただいた。広大な地域であり、宮古市が買い取って復興地域にしているようだ。仮設住宅もたくさん立っている。

後、ホームセンターに回ってもらって、台車を買い「道の駅」で別れた。嬉しいサポートを受けた。なんか、私の魂と波動が合っているようなおじさんであった。
その後、45号線を北上し普代村に向かった。普代村に着く前の峠がきつかった。

8月6日
宮古駅より歩いて「北緯40度の地球村」普代村に着く。少々・・・じゃなくて、持っている多くの荷物を捨てようと思ったが・・・やめた。途中から水が乏しくなり、自販機、コンビニを探したが「無い!」。仕方が無いから村道の脇の広場にシートを敷いて野宿。とてもじゃないが寝れたもんじゃない。夜空は多くの星が見られ、都会では見られない夜空だが、夜露が多く寝れたもんじゃない。
仕方なく、荷物を纏めての夜どうしの歩きになった。コンビには無かったが自販機は見つけた。嬉しかった。早速飲み物を買って、ぐびぐびと飲んだ。

途中、村道の脇で仮眠。
それでも仮眠を取れるだけでもたいしたものだと思うようになった。
普代村でタバコを買った。
その時の老婦人の話では、「普代ではあまり被害はなった」との事。地震の揺れだけで、津波の被害は少なかったとのこと。海岸線の漁師の作業小屋や網などが被害にあった程度。やはり、地盤が関係しているのだと思う。

国道45号をひたすら北上。
普代駅に着いた。日よりも良く、ベンチに寝転んだ。ハッとして気づくと、二時間がたっていた。一瞬、爆睡している!こんなものかな!数日間の寝不足が来ているのでしょうね。体力的には消耗しているが、気力的には充実している。
引き続き45号線を北上。
ただただ北上。途中、山中で雨に降られた。このようなことは想定済みだから、荷物の防水をし、カッパを着た。カッパを着たが、カッパの役目は果たさずずぶ濡れ。しょうがないから傘を差して上半身だけでも着替えた。
小雨になるのを待って出発。
三陸海岸鉄道の駅を目指す。雨に降られ、山の中での野宿は不可能、駅に着いての野宿を考えた。着いた駅は無人駅。自販機もなし。白川海岸でしばらく足を洗い(塩水での消毒をかねて)、駅に戻り、野宿のしたく。しかし、天の僥倖か!?日ごろの心の持ち方が良かったのか!?鉄道の振動と光と共に電車が入ってくる音がした。
私は内心狂喜した。
荷物を纏め、入ってきた列車に乗り込んだ。終点の「久慈」まで乗る。
「久慈」では祭りの真っ最中。ホテルは満員。「久慈駅」のベンチで寝る。しかし、人の気配、自販機があると言うことは心強いものです。


8月7日
久慈駅の野宿。
ベンチがあることは、底が浅い野宿経験者の私にとっては、大変ありがたいことです。久慈から電車で八戸へ。青森県に来た。八戸は、震災の漂流物で大変だったようです。港が使えなくなり、操業を停止するような経済的に大きな影響を受けていたようです。
今日は八戸の駅のビジネスホテルで休養。

8月8日
今日はホテルのテレビで甲子園の開会式である事を知った。ビジネスホテルではテレビを見ている。外界の情報を得る為に・・・というより、引き篭もっていた時はテレビなるものを持っていなかったからね。
八戸から電車で盛岡へ。

8月9日
完全休養日。


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