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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2014/12/12 (金) 日々雑感


相変わらず穏やかな日々をすごしている。
腸のほうも快調です。快調すぎて血液が噴出した。いわゆる下血です。

寒くなってきた。
四国の徳島県では、豪雪による被害が起きている。あまり雪が降らない地域だから、積雪計もないから、実際、どのくらいの積雪なのかはわからないようだ。被害にあわれた住民の皆様にはお見舞い申し上げます。
ただ・・・ちょっと気になることがある。

9月26日
記事アップ。

9月27日
御嶽山噴火。
2014年の御嶽山噴火では、2014年(平成26年)9月27日11時52分(日本時間)に発生したとされる、長野県と岐阜県の県境に位置する御嶽山(標高3,067m)の噴火について、・・・・略。

ラジヲでニュースを聞いたとき、不思議な感覚に包まれた。この時には意味がわからず、忘却のかなたに流れた。

11月21日
記事アップ。

11月22日
長野県で震度6弱の地震。
2014年(平成26年)の長野県北部地震は、同年11月22日(土)22時8分頃、日本の長野県北部、北安曇郡白馬村の北緯36度41.34分、東経137度53.27分(高戸山)付近を震源として発生したマグニチュード6.7(暫定値)の地震。

この地震で”ハッ!”とした。もしかして、9月の御嶽山のニュースを聞いたときの不思議な感覚は・・・!?
そうすると、明日、12月13日に何か起きるか!?
私は災害が起こることを期待しているわけではない。が、不思議な感覚が気になる。この日本の波動と私の感覚的波動がシンクロしたか!?それとも、日本の龍脈と繋がったか!?という思いが過った。それとも、HAARPでも動かして、日本政府を恫喝しているか!?明日には解る。

あらゆる変動は、人間にとっての災いならば災害といわれる。しかし、その原因を創ったのは人類。原因と結果の現象です。現在、地球規模の気象、地殻変動が起きている。何も日本だけではない。

衆議院選挙
私は、今回の選挙は重大な選挙になると感じている。
多くの人は、現在の国会議員がどのような人々で構成されているかを理解しているのではなかろうか!?

今だけよければよい!
自分さえよければよい!
混乱と破壊が出来ればそれでよい!

という、妖怪議員、スパイ議員、魔女議員、魔男議員・・・等々が日本の国政の席についている。
前にも書いたが、「倭の民の国の 大和の民による 地球人類のための国創り」の体制が出来るか!?
安倍さんや麻生さん、菅さんは大きな圧力を受けている。
その圧力に耐えうる魂の方たちと感じている。だかといって、傍観はよくない。意識の応援を送らなければならない。安倍さんは色々と言われるが、安倍さんは「国家百年の計」という言葉を口にされている。簡単には口に出来る言葉ではないと思う。日本は「言霊」の国です。
だからこそ、巨大な意識の力を秘めている大和の民の応援が大切になる。
この選挙で、暴走党の何でも自由にやるぞという体制を変えなければならないと思う。だからといって、無責任党には任せられない。ましてや、ギャンブル合法化、集団的自衛権の行使を積極的に進めて、大和の民の殲滅を画策している暴虐党など論外である。

一人ひとりがよくよくお考えの上、投票することが、今、本当に大切なのではなかろうか。

集団的自衛権の行使の容認
「憲法解釈の変更」。
この言葉には非常に引っかかるものを感じている。
聖書では、「一字一句変えることは出来ない」ということが明記されている。ならばと、解釈を変えて、宗派が乱立し混乱している。
私は、欧米のキリスト教の影が見え隠れしているものと感じてならない。日本国憲法は、日本人が作ったものではないという見解で、日本人の手によって作り直そうとする動きもある。しかし、世界に冠たる平和憲法です。簡単に変えることなど出来ない。自民党は、憲法を作り替えるということを言っているようだがね。
国民一人ひとりが、意識の自立を目指すならば、憲法を変える必要も、作り直す必要もないのではなかろうか。
日本人、大和の民だけではなく、世界各国の人々の意識の自立が大切になる。その魁となるのは大和の民。倒されても、倒されても、起き上がり、一歩でも、半歩でも前に進む宿命を背負っている民。龍神の魂を引き継ぐ龍神族。それが倭(大和)の民。

その民の国を破壊しようと、混乱と破壊の中心としようとしている勢力がある。

ギャンブル合法化
「経済」とは・・・!?
以前メモしたが、ウッキペデアより引用
「・・・「経済」は、漢語では、世の中を治め、人民を救うことを意味する経世済民(若しくは経国済民)などの略語としても使われた。「経国済民」の初出として、しばしば晋の葛洪の『抱朴子』が引かれるが、馮天瑜によると正しくは「経世済俗」である[4]。・・・」
引用終わり。

経済は、その国の人の力により成り立つものではなかろうか。まず「経済」(単なるシステム)ありき、「お金」ありきの考えは本末転倒である。目先の「お金」ほしさに、ギャンブル合法化を目指している議員が存在している。この日本にギャンブル場を作り、治安の悪化、貧富の格差の増大、人心の荒廃、社会の荒廃を目指しているようだ。まさしく、今さえよければよい!自分さえよければよい!の典型ではなかろうか!?

社会の荒廃、人心の荒廃に続くものに目を向けようとしない。混乱と破壊が目的だから仕方がないけどね。「国家百年の計」の元、時間はかかろうが、日本本来のものつくりの体制を復活させるよう努力すべきではなかろうか。現在の、「大量生産、大量消費、大量破棄」の「経済」から、本当によいものを、長く使えるものを創る。日本はそれが出来る土壌を持っている。その事に注目し、復活させるべきではないか。私はこのように考える。「もったいない」という言葉を思い出すときにきているのではないか。しかし、現在の便利さ、豊かさのレベルを落としたくないという人が多いのでしょうね。

身体の声
鼻血〜全身倦怠感〜骨のきしみ〜下血・・・と現れている。しかし、どれも一時的なもの。下血も、一日、二日と出たが、三日目は食事制限をしたから排便はない。四日目はみた目は普通の便。
身体の声が大きくなってきている。そろそろ地球学校からの卒業が近いか!?しかし、どの症状の時も、”ドキッ”とするような精神的な動揺はない。特に下血の時には、噴水のように出た。便器がまっかっかであり、その後も赤い糸を引くように流れ落ちた。それでも、客観的事実を見ている私がいる。そして、時たま感じるのだが、私の中のもう一人の私が”ニヤリ”としているのを感じる。この感覚は、確か青森の道の駅でも感じた。暴風雪の中を歩いて道の駅にたどり着き、無断で一泊の宿をお借りした夜だったか。
まあ〜このような状況になることは覚悟のうえで着ているからね。私の今生の課題が終われば、尻に帆を掲げてトンズラする。最後にして、最大のイベントです。

この様な時に思い出すのは、「エリザベス・キューブラー・ロス女史」ですね。
ウッキペデイアより引用

エリザベス・キューブラー・ロス(独:Elisabeth Kübler-Ross、1926年7月8日 - 2004年8月24日)は、精神科医。死と死ぬことについての画期的な本(『死ぬ瞬間』)の著者 。
その中で彼女は初めて今日死の受容のプロセスと呼ばれている「キューブラー・ロスモデル」を提唱している。まさに死の間際にある患者とのかかわりや悲哀(Grief)の考察や悲哀の仕事(Grief work)についての先駆的な業績で知られる。
私財を投じて死に向う患者のための施設(センター Center)を開設し精力的に活動を行なった。現在、この活動はホスピス運動の嚆矢のひとつと考えられている。彼女が、ホスピス運動を創始したわけではないが、それを推進した人々は、まさに彼女によってこの運動がいのちを与えられたのだと異口同音に語っている。

晩年にはエイズ患者へのかかわりを深め、エイズ患者のための新たなセンターの開設を計画したが、そのために近隣住民との深刻な軋轢を生み、最終的に拠点センターの閉鎖、移転を余儀なくされた。拠点センターは原因不明の火事により全焼したが、彼女はこの事件を対立する住民による放火であると認識していた。
1995年に脳梗塞に見舞われ左半身麻痺になった。その苦悩を2002年、アリゾナ・リパブリック紙のインタビューで語っている。2004年にアリゾナ州のスコットデールの自宅で亡くなった。

エリザベス・キューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』の中で発表したもの。以下のように纏められている。すべての患者がこのような経過をたどるわけではないとも書いている。

否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。

怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。

取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。

抑うつ
なにもできなくなる段階である。

受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
引用終わり。

幸い、私は「シルバーバーチの霊訓」の知識を選択した者。あの世スレッドや、雑談でもよしがのスレッドに講釈をメモしてきている。今更慌てる事もしないような精神状態になっているようだ。やはり、あの旅で何かが変わったのだろう。
よく言われる「死の恐怖」。「死」に対する恐怖ではなく、「死」に至る苦痛に対する恐怖ですね。私は新たな世界への「ワクワク感」がある。


名前

内容

やまと 夜曲さん そう簡単にはあちらに迎えられそうもありません。まだ始まったばかりですからね。貴方が縁ある魂ならば、時の接する所でお会いしましょう。コメントありがとうございます。 (14/12/12 22:26)
夜曲 死は神様からのご褒美と書いてる人もいましたね。もちろんどう生きたかによりますが。放浪者さんご健在でなによりです。僕はあの世スレからあなたに関わってきたものです。できればいつまでも生きていてネットに現れてほしい。 (14/12/12 21:54)


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