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独身中年・最底辺の日々


 ■ 2014/09/26 (金) 五十路への道程


久々に日記を書きます。

極めて異常な精神状態の中、粗悪な焼酎をダラダラとあおり続け、こんな時間まで起きています。

比較的薄いお湯割りにしているせいか、胃の気持ち悪さはあるが酔いのほうはあまり感じていません。もう麻痺しているだけなのかもしれませんが。

四十路に入り、近頃、寿命というか死に様というものを極めて現実的に考えるようになりました。

一般的には四十路など、まだまだ若いというのかもしれませんが・・・。

実際、十年後には五十歳。それを考えたとき、自分がとてつもなく歳をとってしまったことを思い知らされました。

そしてそれは、とにかく漠然と恐ろしい。そもそも、それまで生きながらえていられるのか?

よしんば生きていたとしても、その頃には両親が他界している可能性もかなり高い。生きていたとしても、現状を考えれば極めて老衰が進んだ状態になっているのは確実。
当然、頼りにしていられるわけはない。逆に介護や死後の諸々の後始末など、心身共に負担の大きい課題が残される。

人並み外れた相当の努力をしなければ、平均的な同年代の生活水準に追い付くことはできない。

そして絶望的なことに、私にはそれをする能力が生まれつき備わっていない。

・・・結果、私の十年後は今とは比べものにならないぐらいの悲惨な状況になっている。

今でさえ体調は極めて悪化してきている。不調箇所を挙げていたらキリがないほど。

精神状態のほうも相当危険になっている。いつ発狂しても何の不思議もない。今の年齢が、その一線をギリギリの所で堪えられる限界なのかもしれない。

そして・・・50代に入り、この孤独に耐えることは絶対に不可能だろう。

どこで道を踏み外したのか。いや、やはりこれは運命なのだろう。

孤独死という言葉が世に広まって久しいが、もし彼らと会話が出来るのなら、その時の精神状態をよくよく聞いてみたい。

死ぬのは怖い。現世に欲望的な未練があるのも事実だが、それよりも今こうして生きていることの苦痛のほうが遥かに大きくなっている。

様々な理由で自ら命を絶つ人は星の数ほどいる。彼らは、今の私と少しは似通った精神状態だったのだろうか。

事切れる瞬間、現世の苦しみから解き放たれる安堵感はあったのだろうか。

肉体的な苦しみのほうが強く、それどころではなかったのだろうか。



死ぬ勇気も出せないが、生きる勇気も出せない。

可能性という言葉は、夢を持たない人間にとって苦痛でしかない。

自らの意思で何をするべきか考えず、与えられ命令されたことだけを淡々とこなすほうが楽なのかもしれない。それが強制であっても。

自ら考えても何をしたいか、何をすればいいのか思い浮かばない人間にとっては、そのほうが幸せなのだと思う。



ただ今はもう、希望も目標もなく、国民の最低限の義務をも果たす気力も失せた。

胃が悪い。歯が悪い。皮膚の荒れで手足をはじめ所々痒い。

消えたい。

それだけ。


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内容

まりあ またその年齢になれば、うまく解決するのじゃないかなぁと思いますよ。ご自分なりに落ち着くかと。。悪いことを想定してしまい、もわもわ〜っとした不安がさらに不安や苦しみを呼んで膨れ上がって苦しまれているのかなぁと感じました。わたしたちは過去・現在・未来のことについて考えてしまうけれど、そんな時はしばらく何も考えず、ニュートラルになってみられては。 (14/09/27 09:13)


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