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なんくるなるさぁ〜! |
■ 2004/11/25 (木) 天職 |
昨日はもやもやを話している内に、話したいことがずれていきました。
そうなる必要があってそうなったのだと思いますが、 やっぱり避けている部分があるのかもしれません。 つい最近気付いたことと合わせて、話したかったことを話してみます。 私の前職は中学生の頃ぐらいからの夢が叶って就くことのできた「教師」でした。 ただし、現在も変わらず教職は狭き門。「非常勤」で勤め続けることになりました。 ご存じない方もいらっしゃると思いますのでお話しますが、 学校の非常勤というのは基本的には最長で1年の契約社員です。 社会では契約社員や派遣社員が大変増えてきていますが、 教員の非常勤はその最古参ではないでしょうか? 日本の教育の在り方を変えようと文部科学省が学習指導要領を見直します。 昨今は「少子化」の進行と「ゆとり教育」がクローズアップされたおかげで、 1科目当たりの単位数が減らされたり、 今まで必修だったものが急になくなったりと、 担当する教科科目が突然消えてなくなることも少なくありません。 言葉は悪いですがある特定の科目だけを教える「専門バカ」の教員を 学校は抱えている余裕が私学の場合特になくなってきています。 そうした事情からいつでもクビの切れる「非常勤」を大量に雇用し、 正規に採用しないということが当たり前のようになっています。 学校は人を育てるところですが、こと教員に関しては「モノ」扱いです。 よく不祥事を起こす教員が出てきます。 最近は教員免許を更新制にしようなんて話が出てきています。 不祥事を起こす教員が出てくる根本的な原因は教員にあるのではなく、 その採用する教育委員会や私学であれば各学校の経営側の見る目がなかったと 言わざるを得ないというのが実情なのだと思います。 本当に優秀な教員を採用できるような仕組みを開発できていないのが現状です。 専門的な教育をさせて教員を育てる機関を作るという話も出てきていますが、 現在の教育の問題はこれからなる教員にあるわけではありません。 夢と希望にあふれて情熱を持って教師になったはずの教員たちが、 ものの1,2年でその情熱を失ってしまうことに問題があるのだと思います。 それ以前に私のようにいつクビが切られるのかわからず、 非常に不安定な状態で教員をしている人が本当にたくさんいるという現状を もっと多くの人が知る必要があるのかもしれません。 社会の仕組みが変化していって、 一番最後に変わるのが学校だといわれることがあります。 しかし特に「雇用」のことに関しては現代社会が抱えている問題を、 一番先取りしているのが教員の仕組みであると私は思っています。 私個人の話に戻ります。 私は夢が叶って非常に厳しい立場ではありましたが教壇に立ちました。 ただしこのときは契約の時点で1年限りが宣告されてた状態で、 それを承知の上で教員になりました。 その1年は本当にいろんなことがありました。 教材研究に明け暮れ、授業を聞かず騒がしい生徒たちと格闘した1年でした。 私が教えていた科目は受験にまったく関係なく、 生徒たちは赤点さえとらなければいいとはじめからたかをくくっていましたからね。 あっという間に1年が過ぎました。 いろいろうまくいかず辛いこともありましたが、 それでも「また教壇に立ちたい!」という思いはそのときは本当に強かったのです。 その強い思いが不可能を可能にしたのでしょうか? 1年限りで契約していたその学校から再度契約の話が3月末に飛び込んできました。 私が担当する科目とは別の科目の専門家を非常勤で雇っていたのですが、 先ほどお話したように学習指導要領が変更になる年に当ったために、 その方の専門科目が2年間なくなってその間他の科目を教えてほしいといわれ、 その方はそれを不服としてもっと可能性のある他校へ移っていかれました。 その後釜に急遽私が選ばれ、クビがつながりました。 もちろんクビはつながりましたが、 私にとっても未知の科目を3月末に担当することが決まり、 何の準備もできない状態で4月を迎えました。 非常勤はこんな無理難題も押し付けられたりするわけです。 私は上司の教科主任の覚えがめでたくなく、 それから毎年専門科目とは別の科目を、 ひどい年は4月に入ってから 急遽「校長命令」との一言で担当させられた年もありました。 それでも一度クビにした人間を急遽雇いなおしたということもあって、 2年目以降は多くの非常勤の方と同じく、 契約は1年毎でも、自動更新の形をとってきていました。 非常勤の過酷さはまだまだあります。それをお話したいと思いますが、 それは次回にまわすことにして、 タイトルの「天職」について触れようと思います。 私にとって間違いなく教員は「天職」でした。 今でも「天職の1つだ」と思っています。 ただ自分の中でこの職が完了してしまっています。 去年の3月に学校を去るとき、その前の最終授業のとき、 1年目でクビになった、まさしく1度目のリストラのときに感じた、 また「また教壇に立ちたい!」という思いがなかったんですね。 夢を叶えてなった職業。それが完了してしまった今、 次はどんな仕事をしたらいいんだろう? これがそのときからずっと続く自分への問いかけです。 いつクビになるかわからない中で 次の職を危機感を持って探していた部分もありますが、 クビになってしまった後「次にしたいことは?」ときかれて、 「???」という感じだったんです。 とにかく長くなりました。今日はここまでにします。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>そうですねぇ。この「期限」、くるみさんの返信にも書きましたが、この期限があるからモチベーションを保てて、非常勤の先生の方が質の高い授業をしているといういい面もあったりします。でも、人を育てることは、本来は腰を落ち着けてやることです。育てる側の教員が明日のわが身を不安に思いながら、将来を担っていく若者を育てられません。難しいところです。 (04/11/25 23:19)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>どなたにでも「天職」はあると私は信じています。幸運を祈るさんは天職にまだめぐり合っていませんか? もしそうならきっと今その「天職」に続くプロセスにいらっしゃるのだと思います。私もそうですが…。正規に教員になるというのは本当に狭き門です。だから重箱の隅をつつくような採用試験をしてふるいにかけて、あたり障りのなさそうな人間を選ぶわけです。その結果が今のたくさんの不祥事です。また今度このことも話そうと思います。また読んでやってください。 (04/11/25 23:15) なんくるなるさぁ〜 40@男さん>たくさんの「?」をありがとうございます。そのことについて、ずっと書こうと思っていて、昨日もそして今日も横道にそれて、そこまでたどり着けずにいます。次の日記にはそのあたりをきちんと書くつもりです。是非また読んでやってください。こうして読んでくださる40@男さんみたいな方がいらっしゃってくださると、モチベーションを落とさず、話したかったことを話せそうです。ありがとうございます。 (04/11/25 23:08) なんくるなるさぁ〜 くるみさん>そうですね。確かに教員の世界は独特ですね。教員1人1人がモチベーションをきちんと保っていないと、いくらでもズルズルいってしまう世界でもあります。そして極端に異質なものを嫌う。個性の尊重なんて、一番教員が教員同士でしないことです。その代わりに影口が横行します。…またそのあたりも書きたいと思います。よかったら読んでみてください。 (04/11/25 23:05) 大人の少年 天職だと思って就けた職業に期限があっては、なんともやるせないですね・・。先生という職業はいい仕事だと思います。 (04/11/25 22:54) 幸運を祈る 自分でこれが天職だと思う物が見つかったのは凄いです。でも教師として働くのも狭き門なのですね。なんとかできればいいのですけどね。 (04/11/25 18:50) 40@男 なんくるさんは教師をなさっていたんですね。天職だと感じながらも自分の中で完了してしまったと言うのはご自分の中の目標を達成してしまったと言うことなのでしょうか?それとも今の教育現場に失望してしまったのでしょうか?また、今までの同一線上にある職業で新しい道を探しているのでしょうか?それともまったく違う分野で道を探そうとしているのでしょうか?まだまだなんくるさんの日記を読み続けないとコメント出来ないような気がします。これからも時間の許す限り日記を読ませていただきますのでよろしくお願いいたしますm(__)m (04/11/25 10:59) くるみ 通りすがりのものです。今の教員は大変だと思います。先生の独特の世界も友達から聞いていますが、一般社会とまた違ったどくとくのものがあると思います。もし、また教えたくなったら教師を続けてください。情熱をもった先生が減るのは悲しいことだと思います。 (04/11/25 10:57) |
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