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U_sanのいいんですよ。それで。 |
■ 2014/05/07 (水) やわらかなノイズ |
介護施設で働くようになって、クタクタで、
しかし満足感に包まれた奇妙な日々を送っている。 しかし、実際に利用されている高齢者の方はというと 施設を利用して満足なんだろうか。 たぶん違うだろう。 私は、ここ最近、連日、見てはいけないような夢を見た。 これを見たと認めるということは、私が最低なクズ野郎 で人間失格と自ら認めるということだ。 最初の夢は、肉体が腐っていく夢だった。幸い自分では なかったのだ。そう、幸いだ。私はすこし離れたところ で生き途絶えた肉体が腐敗した様をただ見ていたのだ。 生き途絶えて尚、「痛い」「助けて」「痛い痛い」とう めくのだ。可哀想ではなく、怖いという思いと興味本位 でただ見ていた。目覚めは悪かった。なんであんな夢を 見たんだろうと思ったがすぐに忘れてしまう。どうでも よかったのだ。私でなくてよかった。 次の日、母が包丁で私を刺す夢を見た。家で一人、嫁の 帰りを待っていた。バタンと荒々しくドアの開け閉め音 がしたので嫁が帰ってきたとおもい、振り返ると覚悟を 決めた母がまっすぐに私を突いてきたのだ。母の鬼気迫 る眼力に捕らわれて、包丁が見えなかった。「刺された」 と思った瞬間に目が覚めた。体がガタガタと震えていた。 呼吸が乱れ、脈もはやかった。 この肉体の反応がすべてだ。私の本質を物語っている。 私はこの事実を認めることがどうしようもなく嫌だった。 しかし、認めざるを得ない。しばらく憂鬱になるかも知れ ないと思いはしたが、実際のところ、数時間でどうでも よくなってしまった。 高齢になるとはどういうことだろうか。人間の体というも のは人生50年で設定されているらしい。つまりは50歳 以上生きるのが普通になっている現在は異常ということだ。 それを医療やその他の力によって100歳越えも珍しくな いという状況に導いているのだ。 下り坂を延々と生きるというのはどのようなものだろう。 日々、疼痛、動くこともままならず、社会からそれほど 必要とされず、知っている人はだんだん少なくなっていっ て、最後に待っていたのがシステマチックな介護・・ 彼らは壊れていくのだろうか? 麻痺していくのだろうか? 幸せを感じているのだろうか? 我々に正義はあるのだろうか? こんなんで、なぜ私は幸せを感じるのだろう? それは他人事だからなのだろうか? 私の生死に直接直結しないからだろうか? 私のやってる介護は、たんなる自己満足なのだろう。 だから幸せなのだ。 もらってばかりの人生だ。利用者の方々に生活の糧をもら い、かつ元気、勇気をもらって、感謝するくらいしかでき ないけど、そのかわり、できるかぎりそばにいてあげる。 今日1日、無事に終わった。午後、帰宅するなり足だけ 洗い、布団で寝入る。心地よい。うとうとしながら窓の 外を見た。夕方にはいるちょっと手前、どこにでもある 風景だ。美しい。車の騒音がやわらかく聞こえている。 すばらしい。至福の一時だ。いままで何度もこのような シチュエーションに出会ってきた。時には至福に感じる ときもあれば、でも大概は飽き飽きしていて、ごく稀に うんざり感じるのだ。 感情というのはわがままだ。適当にもほどがあるよ。 明日、また新しい明日に向かって、今日と同じように会 えたらいいなと思います。 |
名前 内容
うーさん 優しい方ですね(^^)私こそ「ありがとう」です。重い話題、たまにやるけどご勘弁くださいね。 (14/05/12 23:01)
風たん 介護施設で働いて居るのですね 頭が下がります。ありがとう! (14/05/12 16:29) |
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