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ヌレヌレ草★這い上がる雌ブタ |
■ 2005/04/13 (水) パズルピース |
今までの日記にお父さんの事はよく書いたけど、お母さんの事は詳しく書いた事がないな。
お母さんは10年ほど前に死にました。 そして、それ以前、ヌレタンが18歳の時に両親が離婚して以来会ってなかったな。 それでも、離婚するまではアルコール依存症の母親を人間としてみてなかったね。 ああ、<嫌悪>って言葉がぴったり当て嵌まる程嫌いだったっけ。 ヌレタンがウイスキーとビールが飲めないのは、その時のお母さんの匂いが忘れられないからなんだよね。 それでも、血筋か?お酒強いし大好きだけどね。テヘ★ 母親を許せる様になったのはヌレタンが英国で暮らす様になってからです。 母親を女として理解できる様になったからかな。 当時で最後にお母さんとあってから6年程経ったとき、ヌレタンも色々と恋愛を経験して女としての彼女が見えたからかな。 ヌレタンが18歳以来音信普通の母は元気だろうかとふと思ったのがきっかけでした。 お母さんの住所を知らなかったヌレタンは某有名化粧品会社の経理部長を勤めるおばさん(お母さんの姉)にコンタクトをとったのです。 家に山ほどあるおばさんの会社のナイトクリームの裏に記載されている会社の住所に手紙を送ってみました。 数週間後お母さんから手紙が来ました。 娘が外国で暮らしている事にはかなり驚いたようでした。 肝臓が悪く、入退院を繰り返してるとの事でした。 数回、電話と手紙のやり取りをしたのだけど、やっぱりお酒はやめられないみたいでした。 最後のお母さんからの手紙は乱筆で、明らかにお酒を飲みながら書いているもので、内容も稚拙でした。 それにはヌレタンも落胆したけれど、それも母親の選んだ道。 飲酒への欲望が何よりも強いんだろうと、心の半分は母親の事を切り離して考える様になりました。 どうせ、もう会わない人だろう、と他人みたいに考える様になりました。 母のわたしへの教えは 【女として、ああいう人生を送ってはならない。周りを不幸にしてはならない。】 という反面教師的なものだったです。 そして、皮肉な事に今でもその教訓は、お母さんから教えてもらったもので一番大きなものです。 でも、ヌレタンはお母さんを許している。 確かに、子供の頃、あれだけ優しいお母さんはいなかった。 優しい人だけど、弱い人だから、ああなってしまったんだろう。 お母さんの膝は暖かくって、お母さんの料理は上手で...もちろんそんな思い出は沢山あるけどね。 お父さん、お母さん、弟、そしてヌレタン。 うちの家族はひとつひとつはきれいな形のパズルピースなのに、どうしても上手く嵌らない。 それでも、そのパズルは、お母さんのパズルピースが抜けた途端、不器用で完璧ではないけど、何となく形になったようです。 お母さん、家族としてのパズルピースとしては上手く嵌らなかったけど、家族それぞれのひと辺にはちゃんと合う様になっていたから。 色々な暖かく複雑な思いを残して。 以上。 『ヌレヌレ草』 http://myweb.tiscali.co.uk/nurenure/ |
名前 内容
ヌレ 新未来派タン=家族も大変だよね。。。そして依存症本人も辛かったと思う。これは想像を絶する努力がないと治らない病気で、10年お酒をやめた人でも魔がさして1度飲んだら元に戻ってしまうということも稀じゃないしね。みんな、ストレスを発散出来づらいタイプの人が多いのは実感します。世の依存症の人にももっといい治療が出来る世の中になってほしいです。 (05/04/20 22:08)
ヌレ ハンコ屋タン=多分ね、ヌレタンが海外に出たのも家庭環境が関係してると思うし、母親も依存症ってのは病気だから、意志ってゆーか、(本人もお酒はやめたかったと思う。)依存した心がお酒を欲するようなのれす。なので<良かった>とは思えません。もっと長生きしてほしかったもん。 (05/04/20 22:04) 新未来派 以前アルコール依存症病棟で働いたことがあるのですが、やはり家族は大変なようですね。でも、患者さんは優しくていい人が多かった・・・。私が思うに、世の中のほとんどの人は、強いストレスを受けたときに自分よりも弱い立場の人をいじめるなどして、うまくストレスを発散している。それができない「いい人」がアルコール依存症になりやすいのではないかと思います。ヌレさんのお母さんも、きっとやさしくていい人だったんだろうなぁ・・・。 (05/04/14 00:14) ハンコ屋 人生いろいろだからな。でも、自分の好きな様に生きたみたいですから、良かったのではないですか?それにヌレタンも自由な道を進んでいます。まぁある意味、プリンセスとは逆の立場なのかもしれませんね。 (05/04/13 10:52) |
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