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仕事が1年続かない男の心情手記 |
■ 2007/03/12 (月) ふさぎこんだ結果 50日目 |
今日は新聞休刊日と自分の定休がバッティングして損な半休となっている。実は昨日、うちの販売店の新聞奨学生の送別会があり、それに参加することに半ば強制的になっていた。しかし、せっかくの日曜日で、別に何をするわけでもないのだけど、気も知れない人たちと一緒に飲み食いするのがたまらなく憂鬱だったので、職場での付き合いとはいえ、バックレてしまった。
ただ、真夜中にどうしても会社にいく用事があり、深夜の2時ごろ行った所ばったりと店の幹部連中と出くわしてしまい。すっとぼけて今日の飲み会のことはさも忘れてましたという反応をしたのだが、俺は嘘が下手だし、たぶん、あからさまに俺が参加したくないというのがバレバレだっただろう、ある意味修羅場だったが、 結果的に自分の気持ちが伝わればいい。俺は会社に仲良しごっこをやりに行っているのではない。働いてお金をもらえるから行っているだけだ。そして、与えられている仕事に対して誠実に働いているだけだ。結果的に他人に誠実であるように求められるのならば俺はそれは金の為にやる。生活のためにやる。俺の本心はもっと別のところにあるが、それをわかってもらう理由はないし、それで何かが解決するというわけでもない。 休みの日はどうもふさぎこんでしまう。勉強を無制限にできるまたとない機会のはずなのに何もせずにそのほとんどを寝てすごしている。 最近はそれでも、家事や身の回りのことはやるようになったが、以前は一端動きたくなくなると、全く何もできない状態だった。完全なうつ状態だった。 その気分は今も完全には抜けきらないが、これが俺の人間的な性質だと今は腹をくくって生きている。 今日はそれでも一昨日入った給料を証券口座にうつして株の買付のタイミングを見ている。もうすぐ今日の後場が始る。 俺の月の収入は手取り14万円、パート扱いで、国民年金は今は親に立て替えてもらっている。去年1年は自分が払っていたが、この収入じゃとてもじゃないが払えない。まして、年金に対しての不信感もひどい。しかし、親は真面目に俺が20過ぎてから払い続けている。 俺は最初、そんなことはどうでもいいと思っていたが、親がせっかく払い続けてきたものを自分がふいにしては申し訳ないと思い、去年から支払うことにして職についた。 しかし、その職場は結局、精神的にも肉体的にも疲弊しきって辞めるに至った。自分は腰に持病もちで、60代とおなじような腰になっていると医者に言われている。軟骨が磨り減ってしまっている。 過度の肉体労働がそんな体にしてしまった。一昨年の職場は、歩けなくなってしまったので辞めるに至った。リハビリして筋をのばし、腹筋と背筋をつけて去年の職場に入った。しかし、そこでも結果的に腰を酷使し、また精神的にもずいぶんと追い込まれた。 労働はスポーツじゃない。部活動でもない。自分の限界にむかって挑戦しても、それはある意味、無益なことだ。長く安定的に続けることが寛容だとようやく気づいた。 今は家賃3万7千のアパートを自分で借りて暮らしている。今年の目標は勉強と資格、そして何より、バイトだろうがパートだろうが、腰掛みたいな働き方だとしても、とにかく1年働き続けることだ。何より、毎日を建設的に生産的に1日1日過ごしていけるようになれることが俺のこれからの人生を大きく左右する課題だと思っている。 その課題を克服できない限り、俺に明るい未来などない。俺は夢を捨てられそうにないし、かといって現実に自分の丈を合わせることもできない。 俺に残されている道は、今、現実にあるもので自分の現実を納得いく形で日々作り上げて積み上げていくことだと思う。俺は自分の現実を自分自身で考え作り出していく他ないと思う。また、そういう道を選んだのだと思う。少なくとも俺は長いものに巻かれるような生き方はできない。あくまで自分の確信を人生において求めている。 世の中には夢を持って、それに弛まぬ努力を繰り返し、挑戦を繰り返してどんな小さな夢であっても達成し、前進していく素晴らしい人たちがたくさんいる。 しかし自分は、夢を描くだけ描いてもそれに対して無心に努力を続けることができない。その結果が、高校での学業不振であり、中退、短大中退、そして仕事の転職の繰り返しなのだと戒めを込めて痛烈に思う。 中途半端だとそれでも言うのは、曲りなりに何もやらなかったわけではなかったこと。 中途半端であるけど、今、こうして職を得て、生活を整え、蓄えも若干持ち、勉強できる環境をもてるのも、俺の中途半端な努力と財産が、この生活の基盤を作ってくれている。それは俺自身が徒手空拳でこの現実から切り取って勝ち取ってきたものだ。その自負はある。しかしながら、夢に対しては無に等しく全然、その努力は足りない。 葛藤が多すぎたと思う。バカみたいにくだらないことを考えすぎた。だけど、もう考えることなんて今の俺の現状ではほとんどなくなったと思う。 考えるに考えて、自分の中でいくつもの哲学的な答えを見出してきた。心は10代の頃に比べれば、はるかに静かに落ち着いた。それは前進かもしれないし、考えたよい結果だったかもしれない。書に答えを求めて、自分の現実に、社会に目に映るもの全てに答えを求めてきた。いろんなことがわかった。全てわかったとはいわないけど、正しいか間違っているかは別に、自分なりにこの人生に目安がもてるようになった。 そして、何をすべきかはわかりきっている。 それでも、悩む、行動にしぶる。そして、思うにならない自分の意志にふさぎこむ。それを繰り返している。 しかし、その壁を越えずして、俺には望む未来などない。 あとは何も考えず、これまで考えて、そして決めたことにたいして無心に不断の努力をするのみだ。 10代から俺の課題は変っていない。それを今やるんだ。そのためにこういう環境を作ったのだから。 正社員の話もあるし、稼ごうと思えば現実的に今の倍は稼ぐ手段もある。しかも同じ仕事でだ。一昨年はそうだった。去年も収入的には極めてバイト、パートとしては恵まれていたと思う。今は完全なる腰掛仕事だ。 新聞配達という仕事を4年近くずっと繰り返している。俺はこれを職人業だと思っている。配ってきた区域の数だけは多い。とりあえず俺はこれで食えるというものは手に入れることができた。しかし、このままではそれだけで終わる。 仕事に若干の余裕を持てる代わりに収入は少ないが、毎月5万ぐらいは貯めていくことができる。そして今年1年でそれも仕上げて、来年、再来年はガンガン、夢のために資金を稼ぎまくる。そのために、なんとしても今年は課題を達成させなければならない。 時間は待たない。考えることは終わったんだ。あとは無心に行動するだけだ。 やるなら、今しかねぇ! |
名前 内容
長渕 自分も やるならいましかねー (07/12/03 17:38)
ジュリエット&ザ・リックス オウ!その心意気だ! (07/03/12 22:16) |
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