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ヒモと呼ばないで9年ぶりに帰ってきました。誰か助けて。 |
■ 2003/12/20 (土) 谷戸 |
顔の「おでき」はかなり回復。
薬なんかつけてないから、やっぱりストレスから解放されて自然治癒力が働き易くなった結果なのだろうか。 午後から丘陵へ行く。 1週間ぶりだ。 葉もかなり落ちて、冬本番も間近という感じ。 最初の上りですでに息が切れる。 たったの1週間でこれじゃ、先が思いやられる。 研修で来れなかった分を取り戻すかのように、ガツガツ歩く。 八国山のいつものコースをハイペースで歩破したもののもの足りず、休まずに隣の鳩峰山に向かう。 いつものように鐘を3回打ち、鳩峰神社にお参り。 今日はここで闘ったと言われる侍、新田義貞と彼の軍陣を特に意識して、鐘を鳴らした。 意味は多分あるが…上手く言えない。 次はすぐ隣の水天宮様にお参り。 双方ともに、ご無沙汰しているお詫びと、何とかやっていけていることに対してのお礼をする。 散策路を過ぎ、鳩峰山を後にするもまだ満足できず、八国山お気に入りの場所を「おかわり」することにした。 今日は、幾つかある候補から、ほっこり広場のさらに奥の「谷戸」とそこから尾根に戻る坂道をおかわりした。 雨が降ると水が円を描くように流れて溜まり、短期間だけ池のようになってしまう場所だ。 そして、ここから尾根に向かう土を盛った散策路と短く急な上り道は、いまだに落ち葉の絨毯が健在で、坂の両脇には横の斜面を小枝で作った柵のようなものがあり、それが幾重にも落ち葉を堰き止めている。 いかにも「人の手が入った」里山ならではの場所なのに、何故かいつも静かなのがいい。 今度は急がず、この辺り一帯で足を止めて「上を向いて」紙飛行機のようにゆっくり落ちる葉を眺めながら、好物の疑似潮騒を待つことにした。 するとしばらくして、こんなに密集している木々の「1本」だけが何故か揺れていることに気づく。 徐々にというより、何かの拍子にいきなりその動きは大きくなり、隣の木と接触し音が鳴り出す。 その後何故か少しのタイムラグがあって、またしてもいきなり周囲全体を大音響の疑似潮騒が包み込んでいく。 …なんて気持ちいいんだ。 ここにこうして一人立っているだけで満足するなんて、なんて安上がりなんだろうと自分でも少し呆れる。 しかし「好きな娘の可愛い癖を新たに発見したような感じ」…なんて言ったら、分かってくれる人もいるだろうか。 いや、余計気持ち悪いか。 そして、こんな動きは、坂を下っている時ではなかなか気が付かない。 幹の真ん中から下は微動だにしないことに加え、当たり前だが、足下に気を取られているからだ。 ちなみに、俺が転倒したのもここ。 無理矢理この場所を味わい尽くそうとして、坂を「下りながら」上を見上げた結果だ。 充分気を付けたつもりだったが、落ち葉の中に隠れてた小枝に足を取られ、あっさり滑って転んだ。 上りでは、足を滑らせても転ぶという恐怖心がそもそもない。 だから、歩くことそのものが楽しめるし、周囲に目が向き、時に「上を向いて歩く」ことだって出来るんだ。 俺の人生にはもう上りはない。 下るだけだ。 だからって「転びたくない」と「楽しみたい」という望みくらい持ったっていいだろ。 それには、絶対に「立ち止まれる」場所が必要なんだよ。 でも、「下り」で立ち止まるのは、それだけで充分キツイ。 だからこそ、仮にそれが造園されたものであっても「広場」や「谷戸」が必要なんだ。 そのうちで最高のものが「主夫」。 「主夫」、「主夫」なんだ。 もう一回言ってやる。 「主夫」だよ。 「警備会社の準社員」なわけないだろ。 谷戸の落ち葉を見て楽しんでる俺を変態扱いしないって言ってくれるなら、家で家事と育児だけしていたい俺のことも受け入れてくれよ。 同じだろ。 どこが違うんだよ。 転びまくって、泥だらけでやっと主夫まで下りてきたんだよ。 なんで、また急坂を上り下りしろなんて言い出すんだ。 もう出来ないんだよ、そんなこと。 わざわざ無能を晒しに、朝5時に起きる生活なんか嫌だ。 あと1日の猶予しかないなんて、信じられないよ。 きっとまたすぐ顔中に吹き出物ができる。 お前のせいだ。 |
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