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ヒモと呼ばないで

9年ぶりに帰ってきました。誰か助けて。

 ■ 2004/01/04 (日) 不随意


自分の中に、どうしようもない生き物がいる、といつも感じてる。
間違いなく自分でありながら、姿を一度も見たことのない「敵」だ。

それを何と呼んでいいのか、しばらく思い出せなかったが、今思いだした。
「不随意」だ。

「手を動かす」とは言うが「血液を流す」とは言わない。
「走ろう」と思えば、それに従うことは難しくはないが、「肝臓をもっと働かそう」と思っても、そうはなかなかいかない。

自分で容易にコントロール出来るものだけを「自分」として考え、そうできないモノは「自分ではない」としてしまう。

こうして、「自分ではないモノ」は、潜在的な「敵」になる。

でも落ち着いて考えてみれば、コントロールし切れないからと言って、自分の心臓や血液や、神経が自分の身体の大切な一部で、それも「自分自身」である「目」や「手」を自在に使うためにも不可欠のモノであることはすぐに分かることだ。

つまり、この「潜在的な敵」も実は「自分自身」であって、「コントロールできないこと」を受け入れる精神状態ならば、まさに全身全霊で人生を生きられる、ということだ。

ああ、すっきりした。
やっと思い出せたよ。

しかし、だ。

そう簡単にこの難敵と和解して、「制御不可能」な世界とお付き合いなんかできないんだよね。

特に俺みたいな無能な男には、この「コントロール出来ない事」が沢山あるんだ。
それを「受け入れる」なんてしてたら、あっという間に社会に嬲り殺されてしまうよ。

そこで「闘う」か「逃げる」か、の選択だ。
俺が選ぶのは、当然、後者。

そこで、時々勘違いする。
「闘わない」という共通点だけを以て、「受け入れる」と「逃げる」を同じ事だと思ってしまう。

全然違うんだよね。

前者は「自由」を感じ(何かで読んだだけだけだからわからんが)、後者は「虚ろ」な時間しか感じない。

確かに俺は自由で生き生きなんかしてない、虚ろな時間を生きてる。
別にいいと思ってないよ。

でも「闘う」のも「受け入れる」のも難しすぎるんだよ、俺には。
逃げるしか出来ないんだ。

生きている以上、コントロール仕切れなくても、心臓や神経や腎臓から逃げられないのと同じように、人生のリスクからも逃げられないと頭ではわかっていても、ダメだ。

立ち向かえない。
受け入れられない。

そんなこと出来るもんか。
恐いよ。



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