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ヒモと呼ばないで9年ぶりに帰ってきました。誰か助けて。 |
■ 2004/01/25 (日) 全生園2 |
今日は休日。
午後から全生園へ。 前回と同じルートで歩き、南門から入る。 前回見た復元された施設をもう一度よく見る。 名前は「山吹舎」だった。 木造の男子独身寮だったそうだ。 作家の北条民雄が闘病したのは「秩父舎」。 ここにある木はやはりカエデで間違いはなかった。 そのまま宗教地区→旧学校跡・図書館跡→神社通りを経て、中央通り傍の風呂屋を横目に、先を急ぐ。 前回はすでに閉館していた、ハンセン病資料館に到着。 それでも閉館まであと30分しかないでので、急いで2階に上がる。 実物大で再現された闘病舎が展示されていて、そこで火鉢を囲む者、布団に寝る者、将棋を差すもの、机に向かう者…のマネキン(?)がある。 もちろん、顔や体のあちこちには、痛々しい眼帯や包帯が巻かれていたりするんだが。 心の準備が出来ていないまま見たので、そのリアルな再現に思わず絶句する。 …何も言えない。 順路に従い、先に進むと「北条民雄」の文字。 彼の顔を初めて見る。 果たして、彼の姿は想像と少し違っていた。 大きな写真の彼は、眼鏡をかけて、木訥そうで…それでいてどこか気が強そうにも見える。 そして、何より妙味深かったのは「日記」だ。 そこには「ラヂオは愚劣だ」というようなことが書いてあった。 「うるさくて本も読めない」的なことも。 普通の日常を生きていたんだ。 もし彼が現代を生きていたら、何を「うるさい」「愚劣」だと思うだろうか。 そして、ここでもう一点興味を引くモノがあった。 それは「着物」。 「どこに行くにも『うどん縞』の単衣」という説明文もあった(と思う。うる覚え。失礼)が、俺にはシンプルでデザインとしては悪くないとも思えた。 ガラスケースの中のモノなどは、袷のものもあり、濃い紺色のそれはカッコイイとすら思えた。 …北条民雄さんなら、現実の不自由さを何一つ分かりもしないくせに、見かけだけで恐らくは当時としても「粗末な」着物のことを、「カッコイイ」だとか抜かす輩をこそ「愚劣」だと言うだろうか。 愚劣だ!うるさい!何も知らないくせに!…と言われるかな。 …その通りだな。 非礼だよ。 ごめんなさい。 閉館時間に押し出されるように、資料館を出る。 さぁ、ここからが、今回の主目的だ。 納骨堂で、前回の失礼を詫びて、もう一度亡くなられた方々に、きちんと手を合わせるんだ。 その前に、携帯の電源を切る。 絶対に切る。 切った。 間違いなく切った。 …よし。 そして、安心して前に。 すると、視界の隅に東屋の若いカップルが。 …ネチャネチャ何かしてる。 …。 納骨堂だぞ、ここは。 いくら何でも場所をわきまえろよ。 …またしても静かな気持ちを維持できず。 音の次は景色か。 北条さん、愚劣なのは彼らですよね。 俺はそう思います。 …また来なくちゃ、全生園。 |
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