話題
人類にとって宗教は必要であるなら宗教の正邪はあるのか?
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ちまたにあふれている宗教だが、日本人は無宗教者と思っている人が多いにもかかわらずお正月には神社に行って賽銭箱に無駄な銭を放り込む人が多い。
実に馬鹿な連中だと思っている。賽銭なんて無駄遣いやめて自分で修行すべきだろう。だから棚からぼた餅を望んでいる人々は無駄な神社参りをしている。
自分で努力をして、自分で祈って、そして必ず結果を出すという執念が欠けている。日本の宗教法人はパチンコ店の数より多い。だから競争させたらいい。
99.9パーセントは商売でやっている宗教だ。ただし、創価学会だけは違うだろう。これだけ大きくなったのは商売ではなく、信者さんが努力して大きくなったのだろう。世界的にも広がっているのは研究しなくてはならない。
ある人は言う。ただの紙切れを拝んでなんになるのかと!
しかしよく考えたら一万円札もただの紙にインクで印刷しただけ。しかし力がある。創価学会の曼荼羅もただの紙切れに日蓮の魂を墨で書いただけ。しかし力の大きさは天地の違いがある。その曼荼羅に比べたら1万円札なんてゴミみたいなものだ。だから祈りは叶う。100億円、1兆円だって可能だ。金なんていくらでも天井から降ってくる。
投稿者 : 介護離職者 日時 : 15/11/28 10:47