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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2014/10/18 (土) 高円寺


親類が昔、高円寺で焼き鳥屋をしていた
北口の通りを入って行った暗い路地裏で
うっかりすると見落としてしまうような場所にあった

カウンターは5席くらいしかなく
一家3人はその裏の6畳一間に暮らしていた
戸口を開けると軒先の向うに中野サンプラザの灯がまたたいていたのを覚えている

その家では歩いて10分くらい離れた「カンカンアパート」の2階を
別宅として借りていた。中央線から見える秀和レジデンスの近くである。
近所に銭湯があって、そこは午前2時まで営業していた

また、あそこは古本屋が多かった
夜遅くまで開いている飲み屋や喫茶店も多かった。
今でもそうかもしれないが学生の街だったのだろう
イメージとして「日本のインド」といった人がいたが
言いえて妙だなと思った

30年前、田舎から大学受験のため上京した僕は、
そこに泊まりながら各大学の受験に通った

大学時代、僕は中央線の隣の隣「東中野」に住んでいた
当時としては珍しかった3階建てのアパートの3階に暮らしながら
毎夜新宿の高層ビルのネオンを見ていたものだ

焼鳥屋をやっていた親類は夫婦ともに他界した
娘さんは結婚して3人の母になり小平に住んでいる

よく「昭和の匂い」とかいう言い方があるが
それなら「平成の匂い」とはどういうものなのか

それは次の時代にならないとわからないのだろうか











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内容



 ■ 2014/10/05 (日) 食餌療法


僕は今年の夏、体調を崩して1カ月会社を休んでいた
8月の終わり頃、復帰したのだが会社に出始めて1週間程度は
やはり体の調子がおかしかった
めまいがして眼の奥で頭全体に響きわたるような頭痛がした
足元もふらふらで胃に痛みを感じていた。
仕事どころの騒ぎではないと思い、考えたのは食べ物のことである

独身である僕はいつも外食か弁当のどちらか
原因はここらへんにあると検討をつけ、
9月から
・コーラを捨て、豆乳にした。
・また緑茶のかわりに柿の葉茶を
・ピーナッツバターやジャムを捨て代わりに黒砂糖を冷蔵庫に入れた
・主食は白米茶碗半分、大根おろしに入れた納豆、豆腐の小さいのをふたきれ、
 それにタクアンと梅干、あとはそばである
・タブレットはスピルリナとブルーベリー
これを1週間くらい続けると体調の不良は回復してきた

やはり食べ過ぎがよくなかったのだ
天麩羅やハンバーグ、カレーライス、餃子等、毎日毎日食べていたから
内臓がおかしくなっていたのだろう
あんなギトギトしたものを大量に腹に詰め込んでも、
胃だの腸だのが消化できる訳がない

最近僕は女流作家の本ばかり読んでいる

初めは篠田節子、それが終わると小池真理子にいき、
今は先日他界された山口洋子さんの本を読んでいるのだが、
御三方とも洒落た文体、ついつい夜更かししてしまう









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内容

サイコロ 私も最近年齢のせいか、たまにお腹をくだします・・・特に辛いものが駄目で、脂っこいものもいけません・・・甘いものが好きなのですが、クリーム系は避けつつあります^お互い体が資本ですので気を付けましょう^ (14/10/12 09:42)


 ■ 2014/08/22 (金) 出 勤


サラリーマンの無断欠勤や蒸発が激増している。原因の大半は、企業内の複雑な人間関係や、人間性の無視ではなかろうか。 野心に燃え、一流商社に入社した勝田。しかし彼は、次第に個性や夢を抹殺され、今は“人間部分品”にすぎない自分に絶望を感じていた。ある日、出勤途上の彼を突然襲った激しい衝動!忘れていた青春の想いに駆られ、彼は出発まぎわの列車に飛び乗った・・・・・・。 
           (「夢の虐殺」森村 誠一 昭和48年5月号「小説現代」) 


僕は「うつ病」で7月24日から会社をずっと休んでいた
朝起きるとワイドショーを見て、佐世保の女子高生の殺人事件や新潟新発田市の
誘拐殺人やタイの代理出産のニュースを見ていた。
それから近所の巨大なイトーヨーカドーのショッピングモールで
何時間もぼんやりしている。昼間は憂鬱だった。
夜は落ち着いた。9時〜11時のニュースを見て、午前1時に夜の散歩に出かける。
夜の散歩はよかった この時間は街は静かで涼しかった。

心療内科に通い診断書を会社に提出した。
休暇中、何度か会社に行き、自分の病状を「報告」した。



<鉄筋の檻に飼われた豚同士の近親結婚は、もうまっぴらだ>

<1日や2日会社を休んだところで、家畜が畜舎から逃げ出して、そのへんをうろうろ
さまよい歩いただけにすぎない。野性を失った家畜は、独力で餌を見つけることが
できずに、間もなく畜舎へ連れ戻される。>

<Cフェースを勝ち取ったら、聡子と結婚しよう>
<おれは、最初から聡子と結婚すべきだったのだ。長い廻り道をしたが、ようやく
 本来の道を探し当てた>

読み終わった勝田は胸の底から払拭できなかった予感めいた不安が当たった
とおもった。
「やっぱり脱出できなかった」
勝田はつぶやいた。そんな気がずっとしていたのだ。
 − そうよ。あなたにそんなことができるはずないわよ −

耳朶にゆかりの勝ちほこった声が聞こえてくるようである。

勝田は聡子からの手紙を粉々に破り捨てると立ちあがった。
妻に離婚の意思を取り消すために。そして明日から、鉄筋の檻に飼育される家畜人の
群れの中に戻るために。
鬼面岩Cフェースに代わって、巨大な鉄の檻のような社屋が、瞼に浮かび上がった。
 − 今夜は久しぶりに妻を抱こう −

不思議なことに彼はその檻に戻ることに喜びすら覚えていた。
久しく離れていた人工的にほどよく調味された、栄養満点の餌を早く食べたかった。
               (「夢の虐殺」森村 誠一)



僕は数日前から会社にまた通いはじめている。
周囲の人間ははじめこそ遠巻きにしていたが
2、3日すると以前と変わりなく接してくるようになった。

面の皮が厚いのが僕の唯一の取り柄、それが「しがみつく」僕の生き方だ。


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サイコロ 良いではないですか^お互いしたたかに生きましょうー^ (14/08/22 23:13)


 ■ 2014/08/17 (日) 天皇の決断(Japan the final agony )


1945年、連合軍は沖縄に進攻し日本本土をおびやかしていた。B29の大編隊は日本の空をおおい、都市という都市は焼野原と化し、日本は滅亡の淵にたたされていた。しかも軍部はなお日本決戦をさけびつづけ、一億玉砕の日がせまっていた。この事態を収拾すべく、耐えがたいポツダム宣言を受諾して、終戦にみちびいた人こそ、天皇であった。すみきった英知と、国民に対する深い愛情からくだされた決断であった。
天皇の決断
(Japan the final agony アービン・クックス著、加藤俊平訳)

閣議で和戦きまらず

 八月九日午後二時、全員参加してひらかれた閣議は、和平を求めるか、あるいは戦争を続けるかを、最終的に討議した。阿南陸相は、民族の名誉のために戦いぬけば、かならずなんらかのチャンスがあるど主張した。
 しかし米内海相は、負け惜しみや希望的観測によって、これ以上、危険なカケをすることはいけない、戦争を終らせるため、現実にそくして交渉に入り、日本を全面的破壊から救うべきだと主張した。
 そして米内海相の要求に応じて、各大臣が軍需品、食糧、輸送などの国内情勢について報告したが、その見とおしはきわめて暗いものであった。しかし閣議はまだ、ポツダム宣言を受諾することについて意見の一致をみなかったので、小休止することになった。

 閣議再開後、鈴木首相は、ポツダム宣言を受諾するか、拒否するかの、いずれしかないと言明した。
 最高戦争指導会議は、すでに受諾を原則的にみとめていたのである。
 東郷外相が受諾賛成を力説したあと、阿南陸相は、日本がイタリアの悲劇の二の舞をふまないように、条件をつけるべきだと熱弁をふるった。
 彼は「陸軍はこの点について、自分よりもっと強気であり、戦争に負けたとは思っていない」と警告した。
 さらにやりとりがあったのち、鈴木首相は各閣僚に、それぞれの意見を求めた。
 東郷案に反対したのは、阿南のほか松阪広政法相、安井藤治国務相であった。安井国務相は「国体の護持はえられたにしても、連合国が、天皇を戦犯と決定したらどうするか」というむずかしい質問をした。
 東郷案を支持したのは、米内海相のほか石黒忠篤農商務相、豊田貞治郎軍需相、小日山直登運輸通信相、太田耕造文相、左近司政三国務相であった。
 他の五人の閣僚は、ハッキリと意見を表明しなかった。
 また内閣は、ソ連の調停をうることができなかったため、総辞職すべきかどうかという問題について討議したが、鈴木首相は、激しくこれをしりぞけ、和平こそ第一、最大の考慮すべき問題である、と述べた。
 閣議がはじまってから、すでに六時間以上たっていた。
 鈴木首相は、午後八時三十分、閣議を散会し、天皇の意向をうかがうため皇居にむかった。

九日深夜御前会議

 鈴木首相と東郷外相は午後十一時、天皇に拝謁し、まず東郷がその日の閣議のもようをかんたんに説明したあと、鈴木首相は、ただちに特別御前会議を開催したいむねを言上し、天皇は即座に同意された。
〔特別御前会議の出席者は鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、梅津参謀総長、米内海相、豊田軍令部総長(以上最高戦争指導会議員)、平沼枢府議長、迫水内閣書記官長、池田総合計画局長官、吉積陸軍省軍務局長、保科海軍省軍務局長〕
 これは、もっとも異例なものであった。
 つまり、御前会議でポツダム宣言を取上げた最初のものであり、また意見が一致していない議題について、天皇の前で会議を開くのも初めてであった。
 御前会議は、九日午後十一時五十分に開かれた。
 まず天皇の御要望により、迫水書記官長が、ポツダム宣言の全文を読みあげた。
 ついで鈴木首相は「ポツダム宣言が、天皇の“国法上の地位”を変更する要求を包含していないとの了解のもとに、日本政府は、宜言を受諾する」との政府原案をみずから読みあげた。 〔“国法上の地位”は国家統治の“大権”と、のちに平沼枢府議長の提案で修正された〕
 首相はさらに「一ないし四条件をつけるべきかどうかについての討議で、閣内に意見の分裂がありました。しかし多数が、東郷外相と見解を同じくしていますので、日本政府の回答案の基礎として、東郷案を提出しました」と説明し、天皇が、いろいろの意見を聴取されるようにと言上した。
迫水久常内閣書記官長


 まず東郷外相が、かれの原案を主張し、米内海相が全面的に賛成した。
 阿南陸相と梅津参謀総長は鈴木首相の高飛車な専断的な会議のすすめ方について、心中はげしい怒りを感じていた。かれらは、このような政府原案について、事前に協議をうけていなかったのである。
 不快をかくしながら、かれらは戦争継続、あるいは陸軍の最大限の妥協案として、四条件をつけることを強く主張した。
 ついで平沼枢府議長が、東郷の見解を支持する慎重な発言をおこなったが、“もし”や“しかし”などの用語上の修正が多数つけくわえられていた。
 豊田軍令部総長は、阿南と梅津を強く支持し、勝利はけっして確実ではないが、全面的敗北も避けえられないものでもない、とのべた。討議は二時間にわたったが結論にたっしなかった。

宣言受諾の決断

 十日の午前二時、鈴木首相は、このうえは、天皇の決断をあおぎ、会議は天皇の御意志に従うむねを言上した。
 ポツダム宣言受諾について、四条件をつけさせまいとする政治家や秘書官からの大きな圧力が、実際にあったのである。 高松宮、近衛公、重光葵、松平康昌、高木惣吉、加瀬俊一などで、木戸内府に対策を講じるよう、直接、間接にはたらきかけていた。
 木戸は、天皇をわずらわすことを好まなかったが、九日には四回も天皇に相談している。
 これとはべつに、迫水その他の閣僚は鈴木首相に、問題を多数決できめるよりは、最後の手段として、天皇の決断をあおぐ方向に会議を指導するように要請していた。
 鈴木首相が天皇に、劇的なおねがいを言上すると、天皇は鈴木に着席を命じ、それから静かな口調で、「外務大臣の意見に同意である」と述べられた。
 そして、その理由として、次のようにつけくわえられた。
 「陸海軍の計画は、間違いがおおく、時機を失している。
 本土決戦というが、九十九里浜の防御作業は、予定よりずっと遅れているという。
 新設師団の装備もまだ整っていないという。これで、どうして侵略を撃退できるというのか。
 空襲は激化しており、これ以上、国民を塗炭の苦しみにおとしいれ、文化を破壊し、世界人類の不幸をまねくのは、私の希望に反するものである。
 忠勇なる軍隊の武装解除や、忠誠をつくしたものを戦争犯罪人にすることは、思うだに苦痛だが、国を救うためには、やむをえないだろう。
 いまは忍びがたきを忍ばねばならないときと思う。私は明治天皇の三国干渉のときのお心持も考え、自分のことはどうなってもかまわない。この戦争をやめる決心をしたのである」〔最後の四行は『鈴木貫太郎伝』から追加〕
 鈴木首相は、天皇のお言葉がおわるのをまって「聖断をもって、会議の結論といたします」と述べた。
 最高潮にたっしたこの歴史的な御前会議は、十日午前二時三十分に終了した。
 つづいて閣議がひらかれ、天皇の決断によって決定したポツダム宣言受諾を、午前四時に全会一致で確認した。

涙とともに最後の決断

最後の御前会議は、八月十四日午前十時五十分にはじまった。
 鈴木首相は、東郷・鈴木案に対して、まだ意見の一致をみるにいたらないことを、ハッキリと、天皇に申しあげた。
 そして連合国覚書き受諾に反対するすべての意見を聴取されたうえ、御決断くださるよう言上した。
 梅津、豊田、阿南らはあいついで立ち、連合国にさらに説明を求め、それがえられるまでは戦争を継続することを裁可されるように、と涙をながしながらうったえた。

天皇ふたたび決断をくだす

 天皇は、それまで続けていた沈黙をやぶって、運命的な決断をくだされた。
 天皇は「ほかにべつだんの意見がなければ、私の考えをのべる」と次のようにいわれた。

 反対論の意見はそれぞれよくきいたが、私の考えは、このまえ申したことに変わりはない。
 私は世界の現状と、国内の事情とを十分検討した結果、これ以上、戦争を続けることは、無理だと考える。
 国体問題について、いろいろ疑義があるとのことであるが、私は、この回答文の文意を通じて、先方は相当の好意をもっているものと解釈する。
 先方の態度に一抹の不安があるというのも、一応はもっともだが、私は、そう疑いたくない。
 要は、わが国民全体の信念と、覚悟の問題であると思うから、このさい、先方の申しいれを受諾してよろしいと考える。どうか、みなもそう考えてもらいたい。
 さらに陸海軍の将兵にとって、武装の解除なり、保障占領というようなことは、まことに耐えがたいことで、その心持は私にはよくわかる。
 しかし自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。
 これ以上、戦争を続けては、わが国が全く焦土となり、万民にこれ以上苦悩をなめさせることは、私として実に忍びがたい。祖宗の霊にもお答えできない。
 和平の手段についても、もとより先方のやりかたに、全幅の信頼をおきがたいのは当然であるが、日本が全くなくなるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすれば、さらにまた復興という光明も考えられる。
 私は、明治大帝が、涙をのんで思いきられた三国干渉当時の御苦衷をしのび、このさい耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、一致協力、将来の回復に立ちむかいたいと思う。
 今日まで戦場にあって陣歿し、あるいは殉職して非命にたおれたもの、またその遺族を思うときは、悲嘆に耐えぬしだいである。
 また戦傷を負い、戦災をこうむり、家業をうしないたるものの生活にいたっては、私のふかく心配するところである。
 このさい、私として、なすべきことがあれば、なんでもいとわない。
 国民に呼びかけることがよければ、私は、いつでもマイクの前にも立つ。
 一般国民には、今まで何も知らせずにいたのだから、突然、この決定をきく場合、動揺もはなはだしかろう。
 陸海軍将兵はさらに動揺も大きいであろう。
 この気持をなだめることは、相当困難なことであろうが、どうか、私の心持を理解して、陸海軍大臣はともに努力し、よくおさまるようにしてもらいたい。
 必要があれば、自分が親しく説きさとしてもかまわない。
 このさい詔書をだす必要もあろうから、政府はさっそくその起案をしてもらいたい。以上は私の考えである。

 〔天皇のお言葉の個所は下村宏(海南)著『終戦秘史』による〕
 地下三〇メートルの深閑とした地下室は感動的な空気につつまれていた。
 迫水は、自分の前の書類に、自分の涙がおちる音をきいた。

涙とともにさとされる

 やや前かがみに話される天皇は、あふれる涙を、片手でしきりにぬぐっておられたが、ついには両手でぬぐわれた。
 とぎれとぎれに、
 「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。……
 万民にこれ以上苦悩をなめさせることは……忍びがたい……」
 といわれたとき、列席者のあいだから忍びやかな、すすり泣きの声がおこった。さらに続けて
 「私として、なすべきことがあれば、なんでもいとわない。
 国民に呼びかけることがよければ、いつでもマイクの前に立つ」
 といわれると、ひとびとの涙と号泣は、もはやおさえきれないものになった。
 お言葉がおわると、鈴木首相は立ちあがり、天皇の御意思をすみやかに実施するむねを言上するとともに、一度ならず御決断をあおいだことを、おわびした。
 陛下が退席されると、閣僚のあるものは床に膝まずき、恐懼(きょうく)と悲嘆にくれた。
 「それは表現できないほど崇厳で、感動的な場面であった。
 ながい廊下を退出して車にかえり、閣議を再開したとき、我々の誰もが、思いだしては涙にむせんだ」
と東郷は回想している。




人の人生には必ず一度や二度、絶体絶命の瞬間というのがある
それを思う時、自分はいつもこの「聖断」の場面を思い出す




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伊藤 博文 このアービン・クックスの「天皇の決断」は今から35,6年前、僕がまだ高校生だった頃に読んだ本です。この「聖断」のシーンは僕が最も好きなところ。昭和天皇は学者肌で線の細いところはあるが、さすが幼いころから帝王学を授けられてきた英邁な方ですね。 (14/08/22 23:08)
サイコロ 昭和天皇は歴代天皇の中でも名君中の名君であった。 (14/08/18 21:53)
はいむるぶし 素直に涙が出ます。 言葉にならぬこの想いこそ日本人として本当に語り継いでいかねばならない・・・ (14/08/18 00:13)


 ■ 2014/07/30 (水) 登校拒否


僕は昔、学校でイジメにあっていた

子供のイジメというのは残酷なものである
自分が遭ったイジメは肉体的なものではなく精神的なものだった

休み時間に黒板や校内のロビーの掲示板に
悪口をでかでか書かれたりした
当然クラスの中では村八分で口を聞いてくれる人はいなかった

ある日とうとう学校をサボった
そうするとさらにイジメはエスカレートし・・・

そんな僕だったが2年生からは勉強とクラブ活動に真面目に努力し
一部のイジメグループからは目をつけられていたものの
残りの学生生活はなんとか無難に過ごし大学にもストレートで合格した

就職も無事に決まり、そのまま同じ会社で27年間働いてきた
もちろんその間にはいろんな人に遭い厭な思いをすることも多かったが
とりあえず50歳になるまで働いてきた

結婚はしなかった
当然である
自分は子供を育てるような、というより
他人を背負えるような人間ではないとわかっていたからだ
いわばバージョンアップした「引きこもり戦士」である

金だけは貯まった
酒や煙草はやらないし、競馬やパチンコ、風俗にもいったことがない
女性と交際したのも、ほんの2,3人だけ、
それもあまりお金のかかるようなことはなかった
余ったお金でマンションを買った

先週の木曜日から休暇を取っている
どうしても会社に行きたくなくなったからだ
9時ごろ起きて、近所のショッピングモールへ行き
そこで食事をして、その後ぼんやりしている

家に戻ってきて夕方までテレビを見てごろごろし
夕方、マウンテンバイクで遠乗りに出かける
9時過ぎくらいまでにマンションに戻ってくる

そして就寝前、深夜1時過ぎに夜の散歩にでかける

いままで寝るためにしか利用しなかったこのマンションだが
昼間、エレベーターの中やロビーでいろいろな人に会う
とても新鮮な感じがする

この間も夜2時過ぎに階下に降りたら、
ロビーで車椅子の老齢の母親と歩いている60代の女性にあった

この先どうなるかわからない
いまはただ静けさ
しかし力の抜ける感じが心地よい





























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サイコロ 戦士にも休息は必要ですよ。27年間ですか・・・私も、夜学に通っていたので、来年でちょうど27年になります^ただ、私の場合、まだ、まだ、休めそうにありません・・・^ (14/08/03 21:06)


 ■ 2014/07/20 (日) パテックフィリップ


この間、中古品を買った

昔読んだ週刊朝日の野村克也さんの文章のなかに
元巨人監督の水原茂氏が愛用していた時計だと書いてあった
いつかは欲しいなと思っていたが50歳にしてようやく手に入れた

まあ高級時計を腕にはめたからといって人格までが変わるわけではないのだが

話は変わるが、一流の男とそうでない男とはいったいどこで違いがでるのか
「学歴」?それもあるかもしれない
日本人は肩書きやブランドが大好きだ
今の日本で学歴がなければ、たしかに社会で上にあがるのは難しい
しかしあの田中角栄は小学校卒で総理になったではないか
やはり男には肩書き以前に「器」というものがあるのかもしれない

もうひとつ一流に必要なものは「運」だろう
自分というものの存在が必要とされる流れにうまく乗れるかどうか
普通の人間は、いちどチャンスを見逃してしまうとなかなか軌道に乗れない
一方で見事なまでにチャンスを生かし昇っていく人間もいるのだが
そしてこの「運」は「器」とともに、実は「人間関係」に深い関連があると思う

社会とは人間の集団だ
その中で自分のことしか考えられないサイズの人間が大きな仕事をできる訳がない
あたりまえのことだ

この世は「原因」と「結果」の法則から成り立っている
数学的に考えていけば「運」の良しあしも実は妥当な結果だったということか

もっとも人間にはさまざまな個性があり、それぞれの生き方がある
必ずしも社会的な成功にこだわる必要もない
一流談義のオチはその辺かもしれない



















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アイタルユウ センスがいいですね。勝手に自分と同じ位だと思っていた同い年の派遣の人がオメガのスピードマスター着けてて思わず左手のG-SHOCK隠しました。世の中そんなもんですよね。 (14/07/21 21:10)
マルス 中古とはいえ、すごい価格になりそうですね(´Д`)。私はジジイになったらグランドセイコーが欲しいです。 (14/07/21 16:08)


 ■ 2014/06/30 (月) 膳場 貴子さん


会社でたたかれて帰宅した夜、いつも23時からこのひとの顔をテレビで見る

綺麗なひとだなといつも思う
ただ日によって「凄く綺麗」と「そうでもない」日があって
それはどうやらヘアスタイルの微妙な変化によるものらしい

ニュース23は改編の話もちらほらあるそうだ
いつまでもこのひとを23時から観ていたいのに



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 ■ 2014/06/22 (日) 俺にはオレの唄がある(柳沢きみお)


ライバルとの出世競争と家族サービスに追われる毎日に虚しさを覚えた35歳の主人公は、周囲に内緒でボロアパートの一室を借り、週末だけ「もう一人の俺」として生活するようになる。そして真の「男のやすらぎ」を手に入れるために出世も家庭も不倫相手も捨て、理想の美女にアプローチを始めるが、いつしか女性ではやすらげない自分に気づく。それでは一体「男のやすらぎ」は何処にあるのか?

「きみだって女はやすらぎにはならない、と言ってたじゃないか」
「でも女だと思いまして・・・」
「いまにわかる。女はやすらぎにはならないよ」


「あってるね、同じだよ。君の副社長もなかなか人生を知ってるじゃないか」

その答えを知っているのは素性の分らない隣人と副社長の二人だけ。そして答えは最後まで教えてくれない。主人公は最後のページでようやく自ら答えを見つけることになる


結婚したことのない自分には主人公の心境はわからないところもあっても
ラストのページではなるほどな、と思える

ただその答えはともかく、今後 妻や子供をどうするんだ、とも男の身勝手さに突っ込みたくもなるが・・・










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 ■ 2014/05/31 (土) ホリエモン


やしきたかじんさんが亡くなった今、
僕が日本で面白い人物と思っているのは
このホリエモンと作家の佐藤優さんの二人だ

彼は「高校で学年最下位の成績からストレートで東大に合格した」
という輝かしい伝説を持っている
普通の人間にできることではあるまい

ただ刑務所からでてきた彼を見ていて思うのは
塀の中で精神修養をしてきたのはいいが、
以前にくらべて、ちょっとスケールダウンしたかなと

プロ野球の近鉄やフジテレビの買収に動いた頃の
あの破天荒さが感じられないのは寂しい

それとも今は我慢の時と、なりをひそめているのか



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お疲れです 佐藤優さんって鈴木宗男の下で主任分析官してた人ですよね (14/05/31 13:05)


 ■ 2014/05/25 (日) 村上春樹


この間、短編集の「女のいない男たち」を買って読んでみた
☆4つというところが妥当なところだと思う
(ちなみに同じ短編集の「東京奇譚集」は自分の採点では☆4.5)

僕はこの人の作品をまだ数冊しか読んでいない
が、丁寧な文章と不思議に難解なストーリーのアンバランスが魅力的だ

つまらない日常の風景が
この人の手にかかるとソフトで異次元的な芸術に変わる
人気があるのもよくわかる


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