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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2013/02/09 (土) 言葉と感性と民族性と土地


現在、日本は放射能による汚染が進行している。
「天下泰平」さんのサイトから、無断コピーをさせていただく。

少し気になるデータを見たのでお知らせします。上記は、福島県の郡山市の毎年の死亡数の推移グラフですが、ご覧の通り2012年の冬の期間に関していえば、例年を大きく上回って死亡数が増加しており、2010年冬に比べ18%も死亡数が上昇しているようです。

<郡山市の冬の死亡数の推移>
2010年11月〜翌1月 767人
2011年11月〜翌1月 802人
2012年11月〜翌1月 905人

通年を通してみれば、必ずしも毎月死亡数が増加しているわけではありませんが、それでも2010年に比べて2011年と2012年は明らかに死亡数は増加しています。引用終わり

郡山の町を歩いていても、葬式の看板がやたら目に付いている。このような状況でも、マスコミは「復興」と言う文字を躍らせ、帰って来いと言う事いっている。まさしく犯罪です。しかし、避難している人たちの多くは、放射能を恐れて帰りたくないと言う意思表示をしているようだ。
じいちゃん、ばあちゃん、おっちゃん、おばちゃんたちの望郷の思考を私なりに考えていた。先祖代々のお墓、土地、仕事と、色々とあるがね。

人は、その生まれた民族の中で育てられています。その民族の風習、習慣を幼い時から、自然と刷り込まれる環境で育ちます。ここで、狩猟民族と農耕民族の違いがあると言う事が指摘されている。日本は農耕民族であり、土地に縛られた生活をしている。また、仏教の思想であるお墓を大事にしている民族です。

狩猟民族は獲物を求めて移動します。そこでは、他民族との衝突があります。生きる為に武力による衝突。話し合い・交渉(ディベート)が行われます。これは、騙しあいです。少しでも有利になるための交渉術です。部族として、このような歴史が繰り返されると、部族特有の性質が形成されます。生きる為に、どのようなことをなせばよいのかが、遺伝子的に刻まれるのです。ここに、言葉と言う道具が発達することになるのです。言葉と言うものは、口から出て、音として響きます。それを耳で聞く事により、音に対しての反射、感情が形成されます。言葉と言うものは、その民族特有の性格を形成する非常に大切なものになります。先祖代々の長い経験が詰まっている言葉です。激しい言葉、優しい言葉、自分たちが少しでも有利になるための騙しあいの言葉・・・・と。幼い時から自然と訓練されるのです。この事は、部族の存続にとっては、当然のことです。土地への執着は無く、生きる為に相手を騙す。生き延びるために武力を練る。支配し、強奪する。この事は、現在の欧米を見ているとわかると言うものです。

一方、農耕民族はどうか!?
作物を作ることにより土地に定着する。そこでは、侵略を受けない限り、自然に大きな影響を受けることとなります。そのため、土地や自然に対しての考え方が大きくなります。自然とともに生きる。この姿勢が育まれます。そこには、自然に対する畏怖の念と愛情が生まれます。荒れ狂う巨大な力の前に存在する無力な人。その反面、自然から受ける恩恵の大きさに感謝します。このような民族の言葉と感性は、土地に対する感謝、自然に対する感謝がおきます。当然、人との関係より、自然に対するものが大きくなり、自然への崇拝がおきます。ここに、それぞれの神が生まれ元になる。人以外の動物、植物、鉱物等(特定の動物を敬う、巨木、巨石を御神体にするなど)への畏怖の念です。そのような民族が使う言葉と言うものには、意思疎通だけではなく、その民族独特の感性が育まれる。

日本には風流心というものがある。
春夏秋冬の時の彩りや虫の鳴き声に対して感じる事が出来る感性です。虫の鳴き声に風流を感じる感性と、虫の鳴き声が雑音に感じる感性。これらは、それぞれの民族独特の遺伝子的な違いがあると思う。各民族特有の生い立ちに関係があるとおもう。この事は、いい悪いの問題ではない。

(日本国内でも、それぞれの地域により方言がある。関西地域の荒っぽい言葉には、その地域の風土が反映されている。東北地方の言葉には、その地域の風土が反映されている。このように、日本という小さな島国の中でも、言葉と言うものは、その土地の雰囲気を反映されている。雰囲気とは、まさしく、その地域の感性であると思う)

農耕民族である日本は、豊かな自然と、島国独特の地形により、他民族には無い感性が育まれてきた。それぞれの地域により、独特の言葉が行き、その言葉により感性が育まれて、集団を形成している。そして、自然に対し、他の動物に対しての思いも異なる。それぞれに、それぞれの思いを表した存在に対する信仰もある。そこに、仏教と言うものが入ってきた。宗教と言うものは、政治が絡まないと無害なものです。人それぞれに、心の安らぎが生まれる。しかし、支配と強奪思想の政治が絡めば、宗教と言うものはどれだけ残虐な道具になるかは、世界史を見ていればわかると言うものであり、日本の歴史でも宗教的な紛争は絶えない。
支配と強奪に関しては、世界の歴史を見るとわかるように、欧米諸国は辣腕を振るいます。常に、そのような環境下で鍛えられてきたのですからね。支配と強奪の目的を達するには、嘘などひとつの手段でしかないと言う事です。ディベート技術など、そのための技術でしかないのですよ。

ここに、欧米とアジアの間に差が出来、「常識の嘘」が罷り通る事になるのだと思う。

これらの社会的なゆがみがどこからきているのかを見ると、それぞれの民族が使っている「言葉」と言うものが大きな影響を与えているのもであると思う。生まれた時から使っている言葉により、脳神経が発達し、育つ環境においてそれぞれの民族性に鍛えられ個性が伸びる。日本には言霊と言うことが言われている。言葉に含まれている魂。言葉自体が生き物であると言うこと。その言葉は、使っている民族の生活に密着しているがゆえに、その民族の大きな影響を与えている。

個性も人それぞれであるが、基本的なものが同じならば、同じ傾向を示すのは当たり前です。「言葉」の統一は、画一的な人間を作る上においても、支配においても有効な手段です。欧米の裁判などを見ていると、日本人の感性では理解できないものが多いと感じるはずです。契約と言う概念で、恐ろしく多くの文章がつづられます。昔の日本人の感覚ではなく、すべてが契約と言う概念でくくられているのです。そうしなければ、種族の存続が成り立たないという感覚の元に、社会自体が作られているのです。支配と被支配が基本にあり、強奪思想があるからです。このことは、移民を受け入れる考えにも通じます。人類愛のため・・・と言う、ご都合主義的な感覚で、異なる種を入れると言うことの恐ろしさが見えていないのでしょうね。現在の世界は、本当に狂った世界だと思う。だからこそ、一人ひとりが、それぞれのおかれた立場、環境で、自身の考えを持たなければならないと思う。移民を受け入れるならば、それ相当の覚悟が必要になると言うことです。現在でも、反日種族が日本人に成りすまし、やりたい放題をしているときですからね。

この状況を打破するためには、「言葉」と言うものに対しての物質的解釈を超えた、「テレパシー」的な能力が必要になると思う。テレパシーと言う言葉に飛んでしまうと、続きが書けないから、この言葉は近い将来(おそらく)の意思疎通手段になるとしておく。

グローバルエリート集団は、現在も世界の超法規的世界に存在している。
今までの世界は、今の世界は、ぐろーばるえりーと集団にとっては、まさしく、実験世界の中であると思う。おそらく、2000年前から、色々な実験をしてきているのでしょうね。グローバルエリート集団は、この地球世界の支配者気取りなのでしょうね。しかし、ぐるーばるえりーと集団の中の指導的の一部の人たちは、異次元の存在に指導を受けていると思われる。だからこそ、人類をモルモットとして扱えるのだと思う。今の時代は、キリスト教が中心となって、キリスト教信奉者の指導層に動かされている。そして、そのキリスト教の宗教手段自体が分裂を繰り返し、争いあっている。この事自体も、グローバルエリート組織の計画の中に入っているのかもしれない。
この地球と言う惑星の世界は、グローバルエリート集団の独断場ではないと言う。反グローバルエリート組織も存在していると言う。


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