日記HOME | TOP タイトル一覧 月別 |
無色の妄想日記タイトルを変更しました。 現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。 ありがたいことです。 旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。 今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。 残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。 ただ・・・それだけ。 |
■ 2012/10/30 (火) 10月30日 |
新潟県新発田市の天気は曇り。この後、雨になるようだ。
今日、出発する。 30日は満月か・・・!? アメリカでは、巨大ハリケーンで多くの方が避難している様であり、大きな混乱が起きているようだ。 日本では・・・北海道から東北にかけて、太平洋側の断層沿いに、典型的な雲の動きがある。ゆれるか・・・!? 私は歩く。 ただそれだけ。 |
名前 内容
記入なし 身体が痒いの直った? 歯は大丈夫? そろそろ部屋を借りたら? (12/10/31 04:06)
ふわり 満月なんだね、なんか最近、月が異常に明るくなってる気がする、部屋で寝てると「明るいな、もう朝?」って想って見たら月の明かりだった。20年以上この家のこの部屋に住んでるけど、こんなの初めてだよ (12/10/30 12:59) ふわり 僕の知り合いの人も、秋田で「地面がゆらゆらしてる」っていってた、関係あるかも (12/10/30 12:57) 中年競馬夜曲藤原紀香ちゃん すぴ子さん僕に気があるのかなぁ・・・? (12/10/30 12:06) |
■ 2012/10/29 (月) 10月29日 |
新潟県新発田市の天気は晴れ。
色々とあったから、一日延泊をした。 低級霊の悪戯!?気にする事は無いとの事。 のほほんと生きてはいるが、のほほんと生きている事と、現実から目を逸らす事は異なる。実際、物理的にも、精神的にも圧迫を感じる事は事実。そこから目を逸らすことは出来ない。 明日、歩く道を少し歩いてきた。 トンボ、蛙がいた。残暑の影響なのでしょうね。 この地域の本格的な寒さは来年に入ってきてからとの事。 もうしばらくは、ゆっくりと歩くことが出来そうだ。 久しぶりに、「森を見て、木を見る」を見た。 なかなか興味深い、参考になる情報である。私は、私の魂の源に還る事となる。私の魂の源とは、どのような所なのか!?また、今の時期に、この地球という惑星に生まれ、この世界の社会という組織からはみ出した!追い出された!はじき出された!・・・この社会組織から負け組み!といわれている人間だが、今、放浪の旅に出て(追い出されて・・・他の選択肢もあったが、放浪の旅の選択肢を躊躇なく選んだ。)、いろいろな屁理屈を並べている。何が本当の事であり、何がそうでないのかは、人其々であるが、私は、私の選択した道を歩むしかない。もう、後を振り返る、後ずさりする、引き返す事も出来ない状況に自ら飛び込んでいる。後悔はしない、責任転嫁もしない(目には見えない世界に対しても)。行く所に、行くしかない。 今、ホテルで「鬼平犯科帳」を見ている。 私の好きな番組です。泥棒家業をしてたが、捕まり、密偵になっている男の過去の後悔の内容番組。男と女の関係。男の気持ちの後ろ髪引かれる様な話。男と女の関係とは・・・!?家族というものの存在とは・・・!? 年をとり、若い時の過ちと、これからの我が身の行く末を考える時、人は、どのような気持ちになるのか!? |
名前 内容
ふわり あたらしい事をしようとするときには、現実精神両方にカルマからの圧迫があるって聞きましたよ、 「これから本番だ」っていう舞台前の緊張とかに似てるとか、うまくいってるシルシかも、ご自愛ください^^ (12/10/29 15:58)
中年競馬夜曲藤原紀香ちゃん どうもありがとうございます。雑談でもよしがに藤原紀香ちゃんが来ると思いますか?・・・シルバーバーチの霊訓を雑談でもよしがで書いていただきたい。よろしくお願いします・・・。 (12/10/29 11:56) |
■ 2012/10/28 (日) 10月28日 |
新潟県新発田市は雨。
昨日の事を考える。 10月27日 「道の駅 豊栄」泊。ありがとうございます。 この駅にはベンチが多く備え付けられている。夏場には賑わうことだろうと想像できる。しかし、昨今、利用者のマナーの悪さが問題化している。 「汚さず 壊さず 跡を残さず」 の鉄則を忘れているようだ。しかし、各地を回っていると、同じような破壊工作が行われているように感じる。ある、特定の組織の組織的な動きとも取れる。 昨夜は、トイレの横に備え付けられているベンチで寝た。アーケードがついているから、急な雨や夜露にも対処できる。また、買い求めた防寒着を着て、暖かい。どうしようもなければ、自販機の置いてある24時間開放されている部屋に批難しようと考えていた。昨夜は、防寒着を着、どのくらいの寒さに耐えれるかの実験になった。重ね着を工夫するだけで、大きな効果が出ると解った。 セカンド・ステージの初日は、よい流れに乗っているようだ。 誰にも干渉されず、誰にも干渉しない。静かに夜を過ごせた。 午前1時30分、4時30分、5時20分に目覚め、一服する。夜空が美しい。 6時ごろ明るくなり、鳥の囀りが聞こえる。 防寒着を脱ぐと、さすがにひんやりします。 現在7時45分。天気は快晴。気持ちのよい朝です。 道の駅に来ている男性と話した。男性は、「トイレの横に荷物を置いて、寝ているのはどんな人か!?」と、疑問(不審)に感じていたと言う。私は、「こんな人間です(笑」と、説明した。旅の話し、原発、放射能の話と続き、現在の状況の意見交換をし、また、今後の旅の行程で、日本海側の道をとると、美しい景色が見られるとのアドヴァイスを受けた。ありがたいことです。 豊栄の食堂は7時に開く。そばを食べた。 駅の横に、「とよさか ダチョウファーム」があり、4頭(羽?)のダチョウが居た。羽が黒いダチョウが2頭(羽?)、灰色のダチョウが2頭(羽?)。雄と雌でしょう。 現在8時10分。 天気がよく、暖かい。駅の雰囲気もよい。久々に、ぼけ〜っとしている。このような気分は「道の駅 にしかた」以来である。他の人とは異なる時間をすごしている。異なる時空間に存在し、幽霊のような状態を目指している。(笑 干渉しない、干渉されない。 そうそう、早朝に夢を見た。 体から火を噴出している男性が近づいてきた夢。ゾンビー映画のような状況ではない。私は別に怖がりもせず、その男性の火を、口で「ふ〜ふ〜」しながら消そうとしている。(夢の中でも悠長なことをしている私です)火を噴いている男性も、苦しんでいる様子でもなし、パニックになっている様子でもない。 何を意味しているのであろうか!? 近未来の私の姿か・・・!? それとも、体から噴出す火は、内なる執着が昇華している姿か・・・!? それとも、この地の怨霊さんか・・・!? 8時30分ごろ駅をたつ(発つ前に、ホテルの電話予約を入れた)。 居心地のよい駅だから、もう少しのんびりしたかったが・・・未練が残り、腰が重くなるから、さっさと発った。 とことこと歩き、7号線の側道を歩く。 もうすぐ11月と言うのに、春を思わせる陽気に、赤とんぼが飛び交い、蟷螂、蝶々が活動している。また、蛇も居る。にょろにょろを動いている(私は、蛇は苦手です)。ここは、新潟県新発田市聖籠町。 とことこと歩いていると、朝、予約を入れたホテルの看板が見えた。 ちょっと早すぎる到着です。コンビニで時計を見ると、10時45分。およそ2時間の歩き旅。チェックインまで4時間ほど時間を潰す。荷物をホテルに預け、身軽になり時間を潰す。24時かでやっているスーパーがあり、アルコールの値段、食材の値段を確かめる。 スーパーの外で日向ぼっこ。 暑くもなく、寒くもない気持ちのよい天気です。Tシャツ姿の若者も居る。 まことに贅沢な時間を過ごしている。 これまで、岩手〜宮城〜福島〜茨城〜栃木〜群馬〜新潟と歩いてきている。今までは、半分以上が道の駅頭を利用した野宿。"旅行の経費”で大きく占めるものは、交通費と宿泊費です。今まで、この二つを節約してきた。これから寒くなる。これまでのように道の駅を利用することは出来ないだろう。今後は、ホテル伯が多くなると思う。ホテルを泊まり歩きながらの歩き旅。 現在のところ、肉体的、経済的、時間的に問題はない(意識的には・・・大きな問題を抱えているように感じるが)。行けるところまで行くしかない。また、福島県では、半月以上滞在している。内外の被爆は受けているはずです。東海アマさんほかの人たちは、放射能汚染された食材などを食べると、リンパ節腫脹を起こしたりするらしいが、今のところ、私にはどのような症状も表れていない。放射能に対する感受性の問題ですが、私のような鈍感な者は、ある時心停止するかもしれませんね(爆笑。それは、それでよいと思う。食生活も、旅に出る前とは比べ物にならないぐらい変わった。出された物は、ありがたく全部いただく。 体が、体が頑健になってきているようにも感じる。風邪ひとつ引かない。 この旅を経験して、多くの事を学び、多くの反省をした。 旅先でしかお会いできない人とも会った。若い人、年寄りの人とね。多くの心優しき人と出会い、極少数の胸糞悪い人との出会い。総てが学びであり、どの人も、私の中に響くものがあったのでしょう。 全て、必要な時に、必要な事柄が、必要なだけ与えられる。其々の状況に見合った魂(人)が配置されている。 ありがたいことです。 スーパーで買い物をしようと入る時、一人のおばさんが、私の事をじ〜っとみて居る。それも、幾度もね。何なんだろうね・・・!? 買い物を済ませ、ホテルのチェックインしようとホテルに向かって歩いていると、私のすぐ後方で交通事故が起きた。大きな事故ではなかったが、何か不気味なものを感じた。野次馬根性で見には行かなかった。 ホテルにチェックイン。ホテルであてがわれた部屋に入ると・・・!?フロントに電話し、来てもらった。すぐに部屋が変えられた。プロのサービス業のホテルです。有り得ない事が起きていた。(私の守護霊団が、その部屋には泊るな!と言う動きなのか、反対に、私を、その部屋には入れたくなかった勢力があったのか・・・!?霊的な動きですから、其々の主観に任せるしかないけどね) 夢・・・おばさんの凝視・・・交通事故・・・ホテルでのトラブル・・・!? 私は、何かが動き出していると感じた。 少しさかのぼるが、群馬県に入ってから、色々と出来事が起き始めていた。 富弘美術館の件。 渋川ホテルでの、体調の異変(これは、日記では羽目をはずしたと表現でメモしている。ちょっと、自分自身でも信じられないような出来事であり、体調の変化です)。 疑えばきりがないが・・・この世には「たまたま」「偶然」はない。必ず必然的な出来事が起きる。この事から、昨日の動きには、私的におかしな流れを感じている。私を守護しようと動いている勢力、私に対して害を及ぼそうと動いている勢力とある。このことは、私の人生においては、私が中心であり、私が主人公である。そして、私を中心に色々な動きが錯綜し、進んでいる。一人ひとりが、ご自身の人生の中心であり、主人公になる。その他は脇役である。 色々な流れがあり、色々な出来事が重なると、どうしても、何かに結び付けてしまう。 |
名前 内容
中年競馬 夜曲 罪つくりやせがまん男の夜曲です。僕のシンボルはぜんぜん使っていないあそこと色男です。うふふ・・。つづく。 (12/10/28 17:08)
|
■ 2012/10/27 (土) みんな、助けて・・・!? |
ちょっと、ショッキングなタイトルですが、本当に、「みんな、助けて〜」という心境です。
スピ子さん(と、霊的能力がある方は) 私の周囲を見てください。 おそらく、とんでもない動きが見えるはずです。 詳しくは、おそらく明日に記述しますが、私の敵対勢力は、私を北に向かわせたく無いのか、群馬の渋川の時から、私に圧迫を加えてきている節があります。 |
名前 内容
ルポ それは、貴方自身の迷いと不安の表れじゃないのですか? (12/10/28 10:51)
すぴ子 新潟の次は山形かな・・・と、内心ドキドキしてた(注:やまとさんの言うホニャララ勢力とは関係なく。そもそもそれが何なのかまだ分かってない)。男なら他力本願はダメだよ。こういう時こそ、へその下(丹田)に力を入れて!「自分はぜったい大丈夫だ」って何度も言ってるとそうなるよ。あなたは大丈夫。 (12/10/27 22:04) 中年競馬 夜曲 わけわかんないこと言わないでほしいです。もちろん僕は半端な天の波動の霊聴能力がありますけども、あなたの周囲まではわかりませんが、天の波動はなにもかもおわかりのはずですが、すぴ子さんをよろしくお願いいたします。うふふ。^^ (12/10/27 20:48) |
■ 2012/10/26 (金) セカンド・ステージに突入 |
今日は2012年10月26日。
いよいよ、放浪の旅、セカンド・ステージが始まります。 どこに導かれ、どのようなイベントが待っているのか!? どのような旅になるかは、おおよその輪郭は出来ている。 「天下泰平さんのブログより引用(木内鶴彦さんの経験より) ・・・そこで死ぬ直前の自分の様子、つまり呼吸が止まり心臓が止まる瞬間も生きている時の自分のリアルな感覚と同じようにすべてわかるようです。というより、死んだ後も本当に死んだのかどうかわからないほど、生きている時とほとんど見ている視界も視点も変わらないそうです。これは、3回も死んでいる人が言っているので間違いないのでしょうね。・・・引用終わり。」 シルバーバーチの霊訓を信じている私にとっては、理解できることですが、今、旅をしていることにより、精神的な開放感が生まれている。不安感が無いと言えば嘘になるが、社会生活をして、イライラのイラ太郎状態を続ける生活よりかはよほどましです。 この精神状態をより高くする事により、肉体を脱ぎ捨てる時の精神状態を安定させたい。この事は、旅に出る前にはちょっと経験していることではあるがね。 より高い精神状態になり、いつでも還れる状態に持ってゆきたいね。 今朝の新潟市は雨。現在は曇り空が広がっている。 土砂降りならば延泊するのだが、今の状況ならば延泊する必用も無いでしょう。 9時過ぎにホテルを出発。 出発する時には雨も上がり、太陽が顔を出している。とことこと歩き出すと暖かくなったので、ウインドブレーカーを脱ぎ、Tシャツ姿になる。簡単な地図を見ながら、道路標識を見ながら歩く。今日は新発田を目指す。7号線を北上。 とことことこ・・・テクテクテク・・・ごろごろごろ・・・と、歩き、信濃川を渡り、国道7号線の側道を歩く。側道は一方通行になっており、車もあまり通らない。 とことことこ・・・と歩き、阿賀野川大橋まで来た。橋長は903m。 側道ばかり歩き、歩きやすいので、早く「道の駅 豊栄」に着く。ここは、「道の駅」発祥の駅らしい。雰囲気的(波動)には悪くない。情報ターミナルがあるが、17時には閉鎖される。食堂は19時まで。しかし、自販機の置いてあるところが24時間開放されている。トイレも大きく、綺麗である。また、ベンチが多く設置されていて、夏場などは賑わう所だと想像できる。少し様子見状態。 私はトイレで体を拭き、着替える。朝、たっぷりと食べたから、あまりおなかは減っていない。まあ〜出てゆけ!と言われたら、黙って出てゆく気持ちはいつもある。 買い求めた傍観着が役に立ちそうだ。セカンド・ステージに入り、どのような流れが出てくるのやら・・・。 今日、ここに野宿できれば、明日からの予定が楽になる。 追い出されても、7号線の高架下の通路に入って、野宿できそうだ。 それでもよいと思う。 |
名前 内容
中年競馬 夜曲 すぴ子さん、どうもありがとうございます。やまと(放浪者)さんをよろしくね。^^ (12/10/27 20:41)
すぴ子 この日記読んで分った。どうしてやまとさんが引き寄せる人間のタイプが極端なのか、それぞれの意識・心根・人格(霊格)にバラつきがあるのか。答えのヒントをこの日記の中に見たよ。 (12/10/27 12:15) 中年競馬 夜曲 すぴ子さんと結婚する。どうもありがとうございます。 (12/10/26 16:14) ルポ 昔は掲示板で何回となく貴方と議論しましたが、今は貴方の現実そのものと心模様への興味から日記を拝見しています。心は自由ですから、どんな世界観もその人の生き方と共にあれば理解は出来ます。 (12/10/26 12:55) |
■ 2012/10/25 (木) 10月25日 |
今日が放浪に出て、3ヶ月の最後の日。
これから寒くなってくるので、ホームセンターで防寒着と防寒靴を買い求める。これからの旅は、今までと異なる旅になる。いくら身体を捨ててかかっていても、自己満足の行動で、苦しむ事は無いからね。また、社会の人の意識を意図的に向けさす必要も無い。 これまでは、暖かくて、道の駅での野宿を重点的にしてきたが、これからは、私自身の自己満足の旅ではなく、この社会から距離をとりながらも、この社会の常識に染まった人たちと接する機会を少なくする為にも、時空間を越えた一人としての生き方をする事となる(出来るかどうかではなく、自然とそのような行動になってきていると思う。この事も、私が載っている流れの一環なのだろう)。存在感が無い人間を目指す。 10月16日 「道の駅 おぢや」の情報ステーションで目を覚ます。気持ちの良い朝だ。 昨日は温泉に入り(3回も入り、念入りに身体を洗った)、身体を癒した。 夜中、警察官が来た。通報されたのではなく、巡回途中で、私の荷物を見て、不審に感じたのだ(当然だ!)。私の身元を調べ、静かに去っていった。 7時前に、おぢやを出発。 駅を出てから、幹線道路に出る前に、朝の散策をしている老婦人とであった。 すれ違いざまに 老婦人 「山に行くの!?」 私 「歩いて旅をしています。(これまでの経緯を簡単に説明する)足は丈夫ですよ 笑」 老婦人 「意志が強いのね・・・!?」 私 「いや、いや・・・(おっ!このご婦人、わかっている!)」 少し、老婦人と会話をさせていただき、老婦人の応援を受けて別れる。 また、とことこと歩き、歩を進める。 歩いていると、犬を"抱っこ”した、若いご婦人から声をかけられる。 若いご婦人 「旅ですか・・・!?」 私 「はい。歩いて旅をしています。私は、よくホームレスに間違われます(特に女性からは!)不審に思わなかったのですか!?」 若いご婦人 「私も若い頃登山をしていましたから、姿を見て、旅をしているのかな〜と思ったのです。」 ・・・少し、話をさせていただいた。 世の中、人それぞれです。 其々の人のこれまでの経験から、他人をどのように感じ、判断するかが変わります。 籠の中の鳥状態の人はそれなりに・・・。 社会常識に染まった方は、それなりに・・・。 若い頃の経験が、他人を見る目を養い、判断材料を提供している。 だからこそ、支配階級は、その社会的行動力を削ぐ為に、色々な規制を設けている・・・ともいえる。 私 「あの〜あなたの朝の散策ですか!?それとも・・・!?」 若いご婦人 「両方です・・・笑」 犬の散歩とご自分の散策をしているようだ。若いご婦人は歩くのが早い。ご自分のペースに犬が追いついてこないから、歩く時には犬を抱っこし、時に犬を歩かせているのでしょうね。 とことこと歩き、信濃川に懸かっている、妙見堰につく。 小千谷から長岡市に入った。 長岡市の町に入ったところで、老人から、「歩いて・・・!?」と声をかけられた。朝からの老婦人、若い婦人、老人と、私を見て旅ということを感じてくれている。嬉しい事です。 榎峠、朝日山・・・と、司馬遼太郎の「峠」の作品になる地名。 幕末、長岡藩の河合継之助の舞台となった地域。とことこと歩き、17号線を北上。昼ごろ、長岡駅に着き、長岡駅前のホテルを電話予約する。 駅前で、時間潰し。 大きな荷物を持っているから、警察官から注目されているようだ。駅前の交番に前に警察官が立ち、私の方を見ている。私は無視して、タバコを吸っている。何かあれば、聞きに来るでしょう。 チェックインの時間が来たので、交番の前を通り、ホテルの向かうと、交番の前で立哨をしている警察官から声をかけられた。 警察官 「すごい荷物だね」 私 「歩いて旅をしています。(旅の経緯を簡単に話す)」 被災地の状況。福一の状況、放射能・・・と、ちょっと、警察官を相手に話し込む。 ホテルにチェックインして、洗濯と入浴をし、休養する。 徒然に・・・。 やはり、学びの旅をしている(させられている)ようだ。 実際に、旅という行動をしないと解らない事を学んでいる。 私の日記を見て、どのように感じるかは、人それぞれです。其々の魂の出自により、感じ方が異なるのは仕方が無いことです。 私は今、人生で最も充実した、贅沢な時を過ごしている。 10月17日 完全休養日。 食っちゃ寝、飲んじゃ寝をしている。 10月18日 ホテルでニュースを見ていると、とんでもない犯罪が多発している。多発しているというより、これまで行われてきて、隠されてきた事に光が当たっているという事。 心の崩壊、精神の崩壊が進行している。 隠されていたが故に、崩壊が進む毎に、非常に残虐になってくる。これも、人それぞれのカルマか・・・!?本当に狂った、出鱈目な社会です。 市内の河合継之助記念館に行って来た。 「常在戦場」。 現在の日本の状況ですね。 近隣諸国からの人口、思想、武力侵略の危機。原発事故、放射能害。政治的な洗脳、誘導による、日本民族虐殺の危機。出鱈目な政治家による日本破壊工作の進展。 10月19日 3時30分ごろ目覚める。 なんか、野宿生活の感覚が身についてしまったようだ。三日間、ホテルに滞在したが、一度も布団の中で眠らなかった。部屋の中は暖かいから、そのまま寝入っている。 今日、チェックアウトして、出発する。大まかな地図は手に入った。 ホテルで見たニュースより 『新潟県湯沢町で採れた「野生のきのこ」より、基準値以上の放射能物質を検出』 マスコミは、出荷停止処分により問題ないというニュアンスで報道しているようだ。 『野生のきのこ』が放射能汚染しているという事は、その地域一帯が放射能汚染しているという事。それも、311以前の基準値を大幅に底上げしている基準値です。野生のきのこが放射能汚染する過程では、地域一帯の生物は、どれほどの放射能汚染をしているのだろうか!?出来もしない『除染』。強制避難地区に、強制的に帰そうとする動き。 まったく、狂った、出鱈目な世界です。 長岡駅前の351号線を北上し、8号線に出る。 とことこと歩き、西山を目指す。西山にある『道の駅 西山ふるさと公苑』。山をひとつ越えて、頂上の薬師トンネルを越え、116号線に出る。山に入る途中、農作業をしている男性と話した。私の旅に目的、被災地の人たちの状況、心境。今朝の野生のきのこのニュースから、私の感想を述べると、頷いておられた。どうしようもない状況だということを理解しておられるようだ。もう『腹を括っている』としか思えない、堂々とした態度です。 「道の駅 西山ふるさと公苑」に着く。 田中角栄さんの公苑のようだ。私のような者は場違いだから、早々に立ち去る。 次の駅に向かう。 次は、「越後出雲崎 天領の里」。 とことこ・・・てくてく・・・ごろごろと歩く。天領の里は日本海に面している。少々距離があり、暗くなってきた。私は、とことこと歩き続ける。途中で出会う中学生が、「こんにちは」と挨拶をしてくれる。私も挨拶を返す。この地域は、良寛さんの地域でもあるようだ。暗くなり、車の往来もあり、道も狭いところもある。私は蛍光反射板のリストバンド(栃木のにしかたの駅で、交通キャンペーンをしていた時に頂いた。私にとっては重宝なものです。暗くなってからの歩き、トンネル内で役に立っている)をつけて歩く。 暗くなって天領の里に着いた。 日本海に面している。8,9月ごろは、太平洋を眺めながら歩いていた。今、日本海を眺めている。日本を横断したという感慨深いものを感じて、しばし、見とれていた。 気温も下がり、あまり汗もかいていないし、長く歩いたので疲れて着替えもせず、寝袋を出し、少し飲んで寝た。 ビニール袋に入れた寝袋は暖かい。 夜中、若者たちが集まっている気配を感じたが、私は寝ていた。 朝、起きて荷物を見ると、ごみと一緒に残飯が捨ててあった。私のバッグを入れているビニール袋に入れてあった。ごみと勘違いをしたのか!?ホームレスに残飯を差し入れたのかは解らないが、ありがたく頂き、野良ちゃんとカラスのご飯にさせていただいた。ありがとうございます。 10月20日 朝、快晴。日本海の潮騒を聞きながら記す。 朝早くから釣りをしている人が多い。家族連れも多い。 昼と夜の寒暖差が激しい。朝、日光が出てくると暖かい。 9時過ぎに出発。 402号線を北上。今歩いている道は、「日本海夕日ライン」と呼ばれている道。夕日がきれいな所なのでしょう。次の駅は「道の駅 良寛さんの里わしま」。 とことこと歩く。井鼻海水浴場でサーフィンを楽しんでいる若者が20数名いる。10月も下旬に差し掛かっているのにね。という私の服装も、夏の服装。 とことこ・・・てくてく・・・ごろごろと歩く。 道に迷った。足も痛い。地元の人に聞いて、「道の駅 良寛の里わしま」に、14時30分ごろつく。 足を見ると、まめが出来ている。痛い! 良寛の里までおよそ5時間の歩き旅。昨日の疲れが残っている。 ここ、良寛の里には、「道路情報ターミナル」が併設されていた。ラッキーである。今日は、このターミナルにお世話になろう。 徒然に・・・。 一人の時間を過ごす。 周りに多くの人が居ようとも、無人の荒野に一人居るが如く、一人の時間を過ごす。心地よい時空間。干渉しない、干渉されない。 (時空間という言葉。ふと浮かんだ。次空間ではない) 10月21日 昨夜は、「道の駅 良寛の里わしま」泊。 情報ターミナルで横になるも、出入りが激しい。夜中、雨が降ったようだ。風が強い。雲が多く、風が建物に当たって、どんどんという地鳴りのような音が聞こえる。 さて、次の駅「道の駅 国上」までは18km。3〜4時間で行ける距離と感じる。まあ〜道に迷わなければね。足の都合もあるしね。 疑心暗鬼、自己欺瞞、独りよがり、独り相撲・・・と、色々な事が浮かんでは消える。これらもリズムがある。 8時ころ、「道の駅 良寛の里わしま」を発つ。 わしまの里での情報では、今日は雨とのこと。とことこと歩き、116号線を北上す。わしまを出発するときには晴れていた。寺泊地区にはいってから、山側の空模様が怪しくなってきた。これは、1時間以内に雨が降り出すという予測の元、地下道に入り口に退避した。案の定、雨が降り出した。時に激しく、時に緩やかに。近くにスーパーがあるから、食料の調達は出来る。まあ〜のんびりと、急ぐ旅でもなし。 雨がやんでから、スーパーに行き、食料とアルコールを買って、朝食代わりに、店の前のベンチで食す。 それから、とことこと歩いていると、男性に呼び止められた。 なんか、けんかを売られてるような感じの口調です。そこで、私は旅の説明をすると、急に調子を変えて、話し出した。ちょっと、要注意ですね。 私が「道の駅 国上」を目指しているというと、道筋を教えてくれた。しかし、その前に、宗教的な話になり、〜学会という名前を出した。私は、その時点で、その人物をシャットアウトした。宗教的なものに被れて、都合よく態度を変える人物は信用できない。 その人物と別れ、地図を見ながらとことこと道の駅を目指す。 道に迷った。 地元に人に聞くと、道の駅までの道筋を教えてくれた。 私はとことこと歩いていると、走ってきた車が止まった。その車に乗っていたのは、午前中に、〜学会といった男性。わざわざ追いかけてきたようだ。何の為に!?何が目的か!?鬱陶しいから適当にあしらって、分かれた。 「道の駅 国上」につき、この駅の雰囲気(波動)を感じようとした。 なんか・・・私とは合わない様だ。それでも、今日の野宿の場所と決め、「足湯」に入り、のんびりとしていたが、それでも、なんか合わない!?18時過ぎ、道の駅を後にして発った。合わない波動の地にいると、とんでもないトラブルに巻き込まれるかわからないからね。一刻も早く離れる事にしなければならない・・・と思う。 とことこと歩いていると、バス待合小屋があった。今は使用されていない小屋。中を見ると、きれいに掃除されている。きょうは、ここに一夜の宿をお借りしよう。荷物を小屋の中に入れて、ベンチに横たわる。今日の出来事を考えている。 あの男性はいったいどのような人物なのか!? あの駅の雰囲気は!?そして、付回すような男性の陰(別の男性)は・・・!? 私は、暗くなってから離れてよかったと思っている。 10月22日 弥彦駅にいる。7時40分。弥彦駅待合室で記す。 この弥彦駅は、大正時代に造られた、神社風の造りです。 昨夜は、2号線沿いにある、バス停留所の待合小屋で泊まる。しかし、これだけ合わない雰囲気(波動)の駅も珍しい。やはり、〜学会の学会員に会ったことは、何事かを表していると思う。支離滅裂な話し内容であり、強引とも思える印象を持つ接し方です。この世には「たまたま」「偶然」というものはない。何事も、起きるべくして起きる「必然」です。彼に会った事は、危険予知に関して、刺激を与えられたのだと思う。 常にアンテナを張り、情報を収集して、分析、判断しなければならない。そして、会わない波動の場所からは、一刻も早い避難が必要になる。非常に大きな経験でした。この3ヶ月間は、自然の動物的な生活をしてきているから、今まで眠っていた、野生の能力が刺激されて、目覚めだしたのかもしれない。 2号線のバス停留所の待合小屋を出るとき、しっかりと御礼の意識を投げかけた。小屋自体、その地の精霊さん達に、「ありがとうございます」と。 社会からの離脱を目指してはいるが、このように接し、利用させてもらっている。だからこそ、「汚さず、壊さず、後を残さず」の鉄則は守らなければならない。 朝になり、明るくなってから小屋を出発。 弥彦駅を目指す。弥彦駅は、大正時代に建築された、神社風の建物で、珍しいそうです。とことこ・・・てくてく・・・ごろごろ・・・と歩く。途中のコンビニで、ごみを捨て、時間を見ると6時15分。弥彦駅に着くまで、地元の男性3人と話した。一人は犬の散歩をしている男性であり、私に対して、「旅をしているの!?」と、話しかけてきた。一人は、私の姿を視認して、家から出てきて話しかけてきた。その人も、車で被災地に行った事があり、「被災地の方が気の毒だ」と、言っておられた。最後の一人は、弥彦駅の近くの人で、私の事をじ〜っと見ていたから、私は挨拶をした。すると、「日本一周!?」と、問いかけてきた。私は、簡単な旅の説明をした。二人で共通する事は、執拗に「昨夜はどこで泊まった!?」と、聞いてきた事。怪しんでいることは間違いない。しかし、しっかりと話すと理解してもらえる。 今、北国街道を歩いている。 現在、岩室温泉地区。小春日和の気持ちのよい天気です。 とことこと歩く事を続ける。116号線を北上。新潟駅を目指す。 とことこと歩いていると、新潟西バイバスに行き当たる。歩行者は進入禁止。さて・・・!?右に行くか、左にそれるか!?気持ちの赴くままに、右に折れ進む。地図を見ながら8号線を目指す。 つかれた・・・。歩き疲れた・・・暗くなり、足も重くなっている。どこか、野宿できそうな所はないかいな〜と、探していると、大きな駐車場があった。よく見ると、街中にあるような駐車場ではなく、高速バスの停留所の駐車場であった。トイレもある。よし・・・今晩はここで野宿しよう!と、心に決める。 ベンチに老人が座っていた。私は話しかけて、地元の人とわかり、この付近の地形などを聞いた。私の旅の話をしていると、老人は、「俺も、若ければな〜」と呟いている。老人から付近の様子をお聞きし、近くにコンビニやスーパーがあることを教えてもらい、食料を買いにいった。ベンチで酒を飲み、弁当を食べて横になっていると、いつの間にか眠ってしまっていた。寒くて目が覚め、高速に上り、高速バス待合室で寝た。小さな部屋だから、暖かい。 3時30分ごろ、警察官が来る。 下に荷物を置いているから、巡回途中見つけたようだ。身元確認をし、立ち去る。 10月23日 朝5時前だと思う。雨が降り出した。 気が滅入る。左足小指の状態も悪い。私は何をやっているのか・・・!?雨宿り。 歩いての自分探しの旅・・・!?雨が降れば、足止めされる。周囲の人からはホームレスに見られる(実際、そうなのだが)。中には意気に感じてくれる方もいる。 どうでもよいが・・・気が滅入る。 地理が解らないから、余計にね。道路標識つたいに行くしかないけどね。しかし、このような状況も想定していたが、実際には、体の疲れなども溜まり、気が滅入っている。時空間を越えなくてはならない(こんな時に何を言っているのやら・・・ホテルでの入力時の感想)。孤独に埋没、他人との接触は避ける。 反対の立場を想定してみる。私のような不審者が、近くに居ると事で感じる事・・・。だからこそ、長時間、一箇所に留まるわけには行かない。お金を出して、ホテルに居続けるにはよいがね(ホテルからも追い出されるかもしれないね。実際、いつまでホテル泊が出来るのかも疑問に思う時がある。)一般社会から飛び出したのだから、自己責任の元、生きなければならない。精一杯生きる。だからこそ、社会から距離をとっているからこそ、周囲の人に過大な不快感を与える事は避けなければならない。自己満足に終わる事なく、他人迷惑になる事も減らして、静かに生き、静かにこの世界から旅立つ。そう、旅立ちの為の旅。自分探しの旅などありえない! 雨で足止めされているからといって、いつまでも駐車場には居れない。ごろごろと荷物を押しながら、昨日来た道を戻りかけた。強い雨が降ってきた。こりゃ〜遺憾!と思い、駐車場まで引返し、駐車場には入らず、高速の高架の通路に逃げ込んだ。雨は避ける事が出来る。大きな荷物をそこにおいて、昨夜食糧を買いにいった店に行く。 行く途中、強い雨に降られた。 朝の店の支度をしている男性に道を聞いた。 私 「一番近くの駅はどこにありますか!?」 男性 「この近くにはない!(断定口調)」 気が滅入って、落ち込んでいる時に断定された。へこむ・・・。 しかし、この付近に私がよく利用しているホテルの名前を出すと、男性は、そのホテルならば、歩いて10〜20分位の所にあるという。 私・・・へっ!?へこんでいる時に、思いもかけぬ助け舟が入ったように感じた。その男性は、ちょっと、話し口調に癖がある(断定する癖)。だから、滅入っている時には、余計滅入るが、よい知らせの場合、余計に嬉しく感じる。その男性と旅につして語り合った。ホテルまでの道のりを懇切丁寧に教えてもらい、ホテルの向かって歩き出した。電話で予約も取れた。 ここで、ちょっと考えなければならない。これまでの旅の事、これからの旅の事。寒くなるしね。 「道の駅 新潟ふるさと村」に来ている。予約したホテルはこの近く。道の駅でチェックインまでの時間つぶし。 う〜ん、何なんだろう〜このへたれ感は・・・!? 今まで、過度に社会常識を持った人とは、あまり接していないのだが・・・疎外感!?孤独感!?不安感!?・・・気持ちが沈んでいる。全て承知の上で出てきているのにね。今更の感がある。なんとも、情けないものです。 これからの旅は、ホテル経由にしようか!?(これまでは、道の駅経由できていた)今朝の男性は、車での旅を主張していた。前に会った方は、車か自転車にしろと言う事を言っていた。人其々、其々の置かれた環境、状況などがあるから言いのだけれどもね。 この狂った、出鱈目な社会。 その枠の中に閉じ込められて、喜んでいても仕方がないが、何故だろう・・・!?長い期間、自虐思想に慣れ親しんできているからか・・・!?まだ、洗脳、誘導、刷り込み思考が抜け切れていないのだろうか・・・!?それもあると思うが、何が原因かが解らない為の不調。 雨・・・。 チェックインまで時間を潰して、しっかりと自分を見直し、取り戻そう・・・と、思う。そう、10月25日で、旅に出て丸々三ヶ月になる。一区切りにちょうどよい時期である。 道の駅に観光地化。 狂った世界の出鱈目な動き。政治、経済、教育・・・全てが管理され、誘導され、徐々に籠を小さくされていっている。 10月24日 意識の転換。意識は行動に反映される。 今日は昨日とは打って変わっての快晴である。気分もよい。 心の変動。いや、心自体は、この物質世界の影響は少ないと思う。精神的動揺が激しく襲ってくる。不安がないと言えば嘘になる。しかし、その不安感がどこから来ているのかが問題である。 この社会の枠からはみ出す事による不安。 この社会常識からはみ出す事による、他者の思惑との軋轢が生じることによる不安。 この不安感に妥協をしてしまえば、意味はない。 不安感に対して、より強い抵抗をしても、空回りをするだけ。不安感の根をしっかりと見極め、判断しなければならない。社会からの離脱!!!と、どのようなことを言っても、今の社会からの完全なる離脱など出来はしない。ホテルの利用、コンビに、スーパーの利用、道の駅の利用など・・・、生きる為の接触は避ける事は出来ない。どのように言っても、自己欺瞞と自己満足になるだけ。 |
名前 内容
記入なし ↓ゴメン 存在感が無い人間って、自然に溶け込んで一体化している印象 (12/10/26 00:35)
記入なし 存在感が無い人間tte (12/10/26 00:30) 炎の錬金術師あたる すごく正確なリポートだなあ あるきめですさんですね (12/10/25 21:04) すぴ子 貴重な旅の記録をここでシェアしてくれて本当にありがとう。すごいスピードで学んでるよね!以前なら三年かかったのを三ヶ月でものにしてる。『存在感が無い人間を目指す』とのことだけど、霊主体従に向かうあなたならすでにある程度そんな感じだと思うんだけど。やっぱり大きな荷物が目立つのでは?価値観・意識の違う層の人々とは境界線をひきたいということでしょ?あなたに引き寄せられる人間のタイプには確かに極端さとバラつきがあるよね。どうしてそうなるんだろう? (12/10/25 20:18) 中年競馬 夜曲 どうもありがとうございます。また明日。僕はカサブランカダンディを歌っていませんが、大好きになった歌です。天の波動が教えてくれた歌なんです。お互いいい加減に真剣に馬鹿馬鹿しく霊的真理的に、お笑いながら・・・あとはつづく。うふふ。 (12/10/25 15:17) |
■ 2012/10/24 (水) 10月24日 |
新潟県新潟市の天気は快晴。
午前中はやや風が強かったが、散策していて、気持ちのよい天気です。 昨日は、昼間は強い雨であり、気分的も雨模様で滅入っていた。 私的に、こんな旅が出来るとは思わなかった。順風漫歩ではないが、比較的穏やかな学びの旅であったとおもう。しかし、このような流れに入って、いまだ生きている(生かされている)事には何かの意味があると思う。 3ヶ月の放浪の旅。 本当に、三ヶ月間も旅を続けていると思うと、我ながら感慨深いものです。 8月9月に太平洋側を歩いている時には、穏やかな太平洋を見ていたのですが、10月に入って新潟に入って、日本海を見た時には、本当に横断してきたのだな〜と・・・見とれてしまった。 今回の三日間の宿泊は、私にとって大きな意味がある。これまでの宿泊とは違った大きな意味がね。 頭とひげに白いものが目立つようになってきている。 意識的には、それほどプレッシャーは感じていないが、肉体的には、色々と酷使しているからね。それなりの反応だと思う。 日記に関しては、記録はとっています。 ただ、放浪の旅の三ヶ月を区切りとして、まとめておきたいのは山々ですが、意識的に、物理的にちょっと思うところがあります。 10月12日 「道の駅 たくみの里」で目覚める。ありがとうございます。 昨夜の夜空も美しかった。都会では見られない多くの星が見られた。都会で決して受ける事の無い心の糧を頂いている。旅に出て、夜空の美しさに感動しまくりです。 山の方の空にはどんよりとした雲がかかっているが、たくみの里は快晴。今日は新潟入りをする・・・予定。 たくみの里を出発したのは、おそらく6時頃だと思う。 てくてくと歩き、昨日の山越えをして来た時に寄ったコンビニでトイレを借りた。トイレを借りただけだが、店員の高齢の男性は、私の行く先をじ〜っとみていた。おそらく、地元の人だから、この道を進むと三国峠を越えて行くという事を考えていたのだろう(そのように感じた)。坂道を登っていく途中、車のクラクションが聞こえた。向かい車線からの車。私に対しての合図だろうと思う。が、車は通り過ぎてしまった(誰かはわからない)。私はそのまま進む。テクテク・・・とことこ・・・ごろごろ・・・と。坂道を登ってゆく。すると、今度は私の追い越してゆく車からクラクションが鳴った。前と同じ車。おそらく、私のことを知っている方が応援の合図を送ってきてくれたものと感じる。ありがたい事です。 テクテク・・・ごろごろ・・・とことこ・・・と、歩を進める。 長い長い道のり。てくてくと歩いていると、群馬側の道は工事をしている。交通規制もかかっている(片側通行)。私は、テクテクと進む。交通整理をしている警備員、工事関係者は、私を見て驚いたような視線を送ってくる。まさか、三国峠を徒歩で、それも台車に荷物を積んで歩いて越えるようなもの好きもいないでしょうね。通信機(トランシーバー)で、歩行者がいるということを連絡している。 工事は数箇所で行われている。 工事区間を通り過ぎる時の工事関係者の視線とは裏腹に、物腰が柔らかく、親切に誘導してくれた。ありがたい事です。多くの人に、このように助けられながらの旅。決して独りよがりの行動をしているのではない。全然関係ない人たちが、全然関係の無い私の行動をサポートしてくださる。動くと言う事の意味を考えさせられるものです。動くという行動を起こせば、それなりの波が立つ。この事はネットでもそうです。ネットでの情報発信により、その情報に接した人たちは、其々にその情報による影響を受けるものですからね。 三国峠の坂道を登っていると、突然、向かい風が襲ってきた。 強い向かい風。風に熱を奪われる。寒い・・・!?しかし、一歩、また、一歩と歩を進める。気温が低い分歩きやすい。真夏の岩手の坂道を思い出す。あの木陰まで、あの木陰までと歩いた岩手の道。 私は歩く。 テクテク・・・とことこ・・・ごろごろ・・・と。 多くの工事関係者の行為を受けて、歩きやすい道を歩かせてもらい、頂上の三国トンネルまでたどり着く。ありがたい事です。三国トンネルは1270m。 三国トンネルも工事中であり、交互の片側通行。その三国トンネルを越えて、新潟に入った。今度は下り坂。 道路標識には、3kmは続くだらだら坂との事。歩いている私にとっては楽な坂です。道は整備されているから、余計に歩きやすい。 とことこ・・・と下り坂を下る。 峠を越えて、新潟県の湯沢町に着いたのが12時50分。 さすがに寒い。 大雑把な地図しか持っていないから、現在、湯沢町のどの付近に居るのかが解らない。ただ、ただ歩くのみ。17号線を歩く。湯沢駅までどのくらいなのか!? ここは雪国。バス停留所には小屋が設置されているところがある。入るのが躊躇われる小屋や、こぎれいな小屋。岩手にもあった。 この小屋で野宿できるか!? それとも、追い出されるか!? 警察に通報されるか!? 目には見えない世界の同胞はどのように動いてくれているのか・・・!? このような小屋で野宿出来れば、いくらか寒さも凌げ、手足を伸ばし休む事が出来る。これまでの経験から、眠る事が出来なくとも、手足を伸ばして休むだけで全然違ってくる。 まあ〜流れに任す。 10月13日 バス停の待合小屋で泊まれた。ありがたい事です。 昨夜、外でタバコを吸っていると、駐車場にパトカーが入ってきた。小屋の外には荷物を置いている。しばらくして走り去った。おそらく、私を観察していて、害意が無いという判断で走り去ったのでしょうね。(あちらこちらでチェックを受けているから、私の情報が行き渡っているのかもしれない)職質を受けると思ったがね。 6時ごろ目覚める。と、言っても、短断眠の繰り返し。それでも、体を横に出来て、手足を伸ばして休む事が出来るだけで随分と違う。 このような旅をしているのだから、利用させてもらう立場。 『汚さず、壊さず、後を残さず』の鉄則だけはしっかりと守りたい。 さて、出発。 出発してから、お猿さん、青大将を見た。 青大将は丸々と太った大きな蛇。死んでいるのか!?気温が低いから動けないのか!?外傷は無いようだ。 お猿さんは、遠くから私を見ているが、小さな群れを造っているようだ。 とことこと歩いていると、『道路情報ステーション』という道路標識があった。寄ってみた。道路情報は8時30分から17時位まで見られる施設であるが、隣に休憩所が設置されていた。トイレもある。まさしく、道の駅のようだ。休憩所は24時間開放されていて、自販機もある。このような施設を利用しよう。私のような旅人にはありがたい施設です。地域の概略の地図もある。 越後湯沢の駅があり、駅の裏に「足湯」の表示があった。そう遠くは無い。 駅を目指し、とことこと歩く。 駅に着き、タクシーの運転手に「足湯」の場所を聞いた。運転手は懇切丁寧に教えてくれた。ありがたい事です。 「足湯」に入る。三国峠を越えてきたのです。これまでも足を酷使している。ちょっとは労わってやらないとね。気持ちよい。 つらつらと思う。 今まで旅をしてきて、多くの人と接し、多くの事を学んだ。自身の醜い影を見た事も多かった。その都度、一時的な感情の変動を感じているが、自虐思想ではない、自己反省しなければならない部分。しかし、それは自身で創った壁であることも確か。世間とは異なる世界を創り上げてきた。 今まで生きてきて、旅に出た後の学びのほうが遥かに大きく、奥が深い。自身と向かい合わなければならないのだからね。どんな言い訳も通じない世界。 私に対してよい人、不愉快な人、胸糞悪い人・・・と、居たが、よい人のほうが遥かに多い。 色々な意味で鏡面反射されている。 まだまだ、多くの昇華しなければならない事が多い。・・・まだまだですね。 とことこと歩き、南魚沼市に入る。 ここに、私が持っている地図には載っていない「道の駅」があった。7月にオープンしたばかりの駅。 「道の駅 雪あかり」。嬉しい事です。 雪あかりに着き、どのような雰囲気(波動)の駅か、しっかりと感じようとする。 車中泊をしている人も多い。車中泊をしながら、ご夫婦で回っている人たちも居る。色々です。 10月14日 「道の駅 雪あかり」で目覚める。 風が強く、寒かった。寒さ対策は、今後の課題です。 南魚沼市で見た夜空は、今まで見た中で最も美しい星空です。正座のことはよくわからないが、これだけ見事な多くの星が見られるのならば、星座に関しての知識があれば、もっと感動した事でしょうね。ここでも、心の糧を頂いた。ありがたい事です。 今朝は快晴。さて・・・!? 駅が開き、朝ごはんを買って、休憩所で食す。9時過ぎに出発。 とことこと歩き、6日待ち、5日町を過ぎ、「道の駅 ゆのたに」を目指す。今、コンビニで時間を見ると、2時30分。 なんか・・・憂鬱な気分!? この憂鬱気分はどこから忍び込んでくるのか!?遣り切れない気分で歩く。歩く・・・歩く・・・。 どうでもよい気分になってくる。投げやりな気持ち。歩いていると、気分的には良くなって来ているのだが、今日は駄目ですね。この憂鬱な気分の根っこはどこに・・・!? とにかく歩く。 10月15日 昨日、とことこと歩き、「道の駅 ゆのたに」を目指した。 歩いている途中で暗くなり、道路標識を見落とした。憂鬱な気分で、注意散漫になり、自己憐憫に浸っていた。そして、行過ぎてしまった。不安になったので、スタンドの人に道を尋ねると、大分行過ぎているとの事。道順を聞いて引き返す。参ったものです。暗いし、心細いし、足は痛いし、疲れているし・・・と、弱音の意識に染まりながら歩く。途中のスーパーで食糧、酒などは買っていたので、どこか野宿出来そうな所を探して野宿しようと考えながら歩いていた。とことこと引き返し、「道の駅 ゆのたに」に着いたのが午後8時過ぎ。疲れた〜〜〜! トイレで体を拭き、着替える。このごろは気温が低くて、あまり汗をかかなくなってきている。酒を飲みながら食事をし、寝る準備をする。寝袋をすっぽりと覆ったビニール袋。今日は暖かく寝れると思う。このような行動は、いつでも実験的なものです。なんせ、初体験を、実際の行動で経験しているのですからね。 「道の駅 ゆのたに」で目覚める。 今朝は気持ちよく目覚める。さすがに暖かい。サウナスーツを着ているようなものか!?しかし、ビニール袋には水蒸気の水滴がびっしりとついている。寝袋が汗で湿っている。新陳代謝による、体内水分の蒸発。人は寝ている時に、200〜300mlの汗をかくと言う。寝袋はまめに乾さなければならないね。 徒然に・・・。 籠の中に居て、外の世界を見ようとしない。社会常識に囚われ、刷り込まれて、誘導された感情の赴くままに、感情表現をしている。好悪の感情。男女の感情。種族、利害関係の感情の誘発。これらが社会性と反社会性を織り成している。どちらも操作されている。何が本当の事であり、何がそうでないのかを見定め難くされている。どちらも本当の事が混ざり、どちらにも嘘が混じっている。利害関係を基にした画一的な思考を欲求されている。自由とは・・・籠の中の世界での自由であり、籠の外に目を向けたとたん、不自由になる。個人感性を優先させるか!?集団の感性を優先させるか!?現在は、どちらも操作せれた物である事には違いないと思う。どちらに転んでも、支配層に都合の良いようになっている。 ここで、魂の自由と肉体世界の自由の感覚の違いが出てくる。 このような道の駅では、車中泊をしている人が多い。 一人で、カップルで、車に自転車を乗せて・・・と。其々に、其々の生き方を楽しんでいる。私もその一人。この「道の駅 ゆのたに」は「深雪の里」と呼ばれているようだ。 今朝は快晴。駅を7時頃発つ。 とことこと歩き、「道の駅 越後川口」を目指す。 途中で曇り空になり、ぱらぱらと雨が降り出した。傘を差して、とことこと歩く。途中、バス停待合所で休憩する。 とことこと歩き、「道の駅 越後川口」に着く。この駅は、地域のコミュニテイースーパーのような感じ。トイレに「警告書」が張り出されている。この駅で宿泊、野宿するものは不審者とみなし、警察に通報するとの事。 トイレを借りただけで素通りした。山を越えてとことこと歩く。次の「道の駅 おぢや」を目指す。おぢやでも同じだったら素通りするしかない。トラブルは避ける。 しかし、「道の駅 おぢや」は違った。 おぢやは天然温泉付の駅だった。外で、どのような雰囲気の駅かを感じていた時、地元の男性と話し合う機会を得た。私の旅の話を興味深そうに聞いていた。そのだんせいは、若い頃、登山に凝っていたとの事。私の放浪の旅を興味深く聞き、意気に感じてくれたようだ。男性から、温泉の割引券を頂、温泉に入った。また、駅には道路情報ターミナルが併設されていて、24時間開放されているという事、たまに、そこに泊まっている人も居るとのこと。温泉に入り、そこで寝れば良いと地元の人にアドヴァイスを受けた。ありがたい事です。 天然温泉に入るのは何年ぶりか・・・!? 温泉内でも、その男性が話しかけてくれ、温泉の配置を教えてくれ、サウナにも入り、露天風呂にも入った。 『好意には誠意で応える』 本当にありがたい事です。ありがとうございます。 温泉は22時まで居てもよく、地元の男性から教えられたリラックスルーム(仮眠室)で仮眠を取る事も出来た。昨日の歩きで、足が相当堪えている。足の豆を潰し、水分を出すと楽になった。引きずるようにして歩いていたからね。 時間が来たので、温泉を出て、道路情報ターミナルに移る。 道路情報ターミナルは、警察官の立ち寄り所になっている。夜中、警察官に調べられる。 ・・・もう、慣れた。 |
名前 内容
すぴ子 これはやまとさんにしかできない偉業。そして『旅に出る前&途中のやまとさん』と『今のやまとさん』が大きく異なるのを見ると、これはあなたにとって『大禊(みそぎ)の旅』だったのでは?私そう思うの。 (14/01/06 19:10)
すぴ子 あんな道を台車ひいて歩いたんだね。大変だったね。そもそも歩いている人がいないよね。すごいと思う。岩手ではもっと過酷な道があったみたいだし、8月28日の川俣?から安達までの道のりとか、読んでて胸が一杯になったもん。 (14/01/06 19:02) すぴ子 去年(2013年)の11月だったか12月にTVで”三国峠”見たの。ローカルバス乗り継いで旅する番組。三国トンネルあたりでバスが途切れて出演者たち困ってた。日暮れて寒そうで・・・。私あとで『三国峠ってどこかで聞いたな〜。どこで聞いたんだろう??』となり、『そうだ!やまとさんだ!』と思い出した。 (14/01/06 18:49) すぴ子 雪あかり、キター!素敵な名前・・・と思った後に一句浮かんだの。聞いて・・・ 『雪あかり 今はかすかに 照らすとも やがてまことの 道あらわれん』 (↓に解説あり) (12/10/25 17:16) すぴ子 今は進むべき道がかすかな明かりでしか照らされておらず心細いかもしれませんが、やがて確かな太い一本道があなたの前に現われるでしょう。それはまるで、春になり雪解けの後、冬の間隠れていた地面がそこに現われるように・・・・。 (12/10/25 17:15) 中年競馬 夜曲 施設警備はくびになりました。女がらみです。どこが悪いのか・・僕じゃありません。つづく。 (12/10/25 11:36) 炎の錬金術師あたる かんぽの宿いいよ おすすめです。 (12/10/25 00:01) すぴ子 うん。わかった。おとなしく待ってるね。 (12/10/24 22:00) すぴ子 10月12日以降の移動日誌が読みたいけど、ひょっとしてどうでもよくなって書かないの???新潟県中越地震から昨日(23日)で八年目ですって。 (12/10/24 19:14) 記入なし 大きな意味ってなんだろう。報告待ってます! (12/10/24 18:44) 記入なし 新潟に住んでいます。冬は雪が多くて大変なところですが旅人なら自由に移動出来るからいいですね。 (12/10/24 17:29) 中年競馬 夜曲 どうもありがとうございました。つづく。またあとで。 (12/10/24 15:55) |
■ 2012/10/23 (火) 10月23日 |
今日、新潟県新潟市のホテルにチェックイン。
三泊する。 これまでの旅の経緯と、これからの旅の事を考える。 これまではチャレンジャーだったと思う。色々な経験を一気に、この三ヶ月間で経験していると思う。これまでの事を一区切りとして、今後の事を考える事になる。これまでの人生で、最も充実した、贅沢の時をおくらせて頂いた。 ありがたい事です。本当にありがたい事です。 色々な人と出会い、意識の異なる人との出会いで、意識的な摩擦が起きるが、ストレス的に具象化したトラブルはなかった。実地における、大いなる学びと行動。 私的に解釈をして、色々と理屈をつけてメモしているが、そんな事もどうでもよい気になっている。今後の動きについては、この三日間で考えるが、ちょっと異なった動きになると思う。 皆さん、ありがとうございます。 |
名前 内容
中年競馬 夜曲 どうもありがとうございます。不思議な人です。贅沢という意味を実感しました。僕にはわかりませんが。つづく。。 (12/10/24 09:35)
記入なし 素晴らしい体験をされているようですね、羨ましい限りです。応援してますのでこれからも頑張ってください。 (12/10/23 19:47) |
■ 2012/10/18 (木) 10月18日 |
今日も休養日。
ホテルのパソコンを借りての入力。 テレビでニュースを見ていると、とんでもない犯罪が多発しているし、ご近所トラブルも多発しているようだ。精神(心)の荒廃、崩壊が進んでいる。この状況も、カルマ、進む道の分化により、より顕在化してくる事でしょうね。今まで押し込め、蓋をしていた心の澱みが噴出してきていると思う。恐ろしい事であるが、これが現実です。都会という便利な都市に居て、ストレスが溜まり、体を自壊するか、ストレスのエネルギーが、心の淀みを一気に噴出させるか・・・!?そのどちらの道も選択せずに、放浪の旅を続ける。 どこに導かれ、どのようなイベントが待っているのか!? 午前中、長岡市の地図を見ていると、河井継之助記念館があることを知る。 早速、行ってみる(道の駅ロードマップでは、会津よりにあった。) 『常在戦場』 長岡藩士の心構えを記している。 この言葉は、今の私にとっての心の糧になる。 一人ひとりの心構えは、その人其々の置かれた環境、立場により異なる。江戸期、明治期、大正期、そして、昭和の戦前までの心構え。日本人の伝統として、各地域の武士の心構えが残されていたはず。会津の心構えも大きな話題となっている。それらの心構えを旧日本軍の兵士たちは持っていた。私たちの祖父母の時代。 太平洋戦争(第2次世界大戦)において、多くの植民地を失ったグローバル・エリート(世界支配層)は、日本民族という存在を抹殺しようと試みているようだが、目には見えない世界の干渉など、多くの意図が錯綜しながらも、日本人としての誇りを失わせ、近隣諸国と軋轢を創りながら、アメリカという国を使っての愚民化政策を続けている。 世界支配層の動きは、世界各地で行われ、各種の思想・人体実験を繰り返している。近隣諸国的に見れば、中国などは文化革命以降、「お金」至上主義になっている。文化革命以前の「心」「思想」を失っている。これらを見ていると、他民族は、比較的短時間における洗脳誘導によって民族自体の特性を変えることができるようだが、日本民族(大和・倭民族)には、そう簡単に返ることが出来ない様だ。地球先住民の一種族として、創造性豊かな感性を持っている民族。循環思想を持ち、他の生き物と共存できる民族。アインシュタイン博士が絶賛している民族。 日本を利用し、絞れるだけ搾り取ったアメリカというギャング国家。そのアメリカを操り、裏に隠れてうごめいている組織。今後はどのような動きをするのか!? 陰謀論的には、支配組織の計画は遅れているようだ。 いろいろな意思が錯綜し、未来のタイムラインは少しずつ変化しているようだ。今後、どのような動きになるかはわからないが、日本人(真性日本人)だけでなく、世界に残されている地球の先住民族の意識的な集結が起きるのではないかと思う。色々な動きがあり、右往左往させられているが、その動き自体もけん制に使われている。 図らずも、新潟県の長岡市に導かれ、河井継之助という人物の記念館を尋ねる事が出来た事は、私にとっては非常に大きな事だったと思う。「道の駅 おぢや」から歩いてきた経路は、長岡藩の戦場地帯だった。 10月4日 草木ダム展望台を発つ。時刻は不明。 トコトコと歩きながら、景色を見ながらののんびり旅。一人旅だから、自分のペースで歩く事が出来るし、休む事が出来る。 トコトコトコ・・・テクテクテク・・・ごろごろごろ・・・と。 3時間ばかり歩くと「道の駅 くろほね」に着く。小さな駅だ。 隣にあるコンビニでカップラーメンとおにぎり2個買う。くろほねの休憩所で食す。 この駅は素通りして、次の駅を目指す。ちょっと距離がある。それでも、のんびりと歩く。 群馬の道。 だらだらの坂道が続く。上ったり降りたりしながら歩く。日差しは夏です。休んでいる時に腕を見ると、白っぽくなっている。汗が蒸発して、塩が噴出している。私にとって、日光の山越えよりきつい。坂道を歩いていると、車が近寄ってきた。窓が開いて、「旅行しているの!?」と、男性から声をかけられた。私は旅の説明をすると、感心したように頷いて、「がんばって!」と励まされた。ありがとうございます。 トコトコと山道を歩いている。 所々で工事が行われている。警備の人にも、気持ちよい対応を受け、誘導される。ありがたい事です。 目指す次の駅は「大胡」。 夕方、大胡に着く目処がついたので、産地の野菜を売っている売店によって、食料があるかどうかを見た。おにぎりと山菜ごはんのパックを買った。 暗くなって「道の駅 大胡」に着く。 体を拭き、着替えをして寝る準備をする。草木ダムから歩きに歩き、塩を吹きながらの歩きだから疲れた。買ったご飯を一気に食べてしまう。少し飲む。 夜中、両足と腹筋が痙攣を起こした。 脱水と脱塩の症状だろう。水を飲むと収まった。塩分は缶詰を食べているから大丈夫だと思う。 野良君が居た。 10月5日 「道の駅 大胡」で目覚める。 気持ちのよい朝です。 天気は快晴。鳥の囀る声を聞きながら目覚める。天気がよいから、湿っている寝袋を乾したいものです。大胡の駅では馬やヤギなどが飼われている。柵に寝袋を乾す。 大胡の駅で見たチラシ。 「猫に餌をやるには、ルールがあります。無責任な餌やりはやめましょう。猫に餌をやるには、近所の理解を得る等、一定のルールがあります。無責任な餌やりは、不幸な命を増やすだけでなく、近隣の方や猫の命を守るために活動している良心的なボランテイアに大きな迷惑をかけることになります。「糞の清掃」「近所の理解」「後片付け」」 言いたい事は解る。 欺瞞と虚飾。コントロールできる命は大事にし、コントロールできない命は排除する思想。世界支配層の思想です。世界支配層(グローバル・エリート)たちは、現在の人類の淘汰を計画し、実行しているようです。チラシの文面を人類に当てはめるとわかる。これだけ無分別に多くなった人類です。人類の数を減らそうと考える組織があってもおかしくはない。きれいきれい病・・・などを蔓延させて、体の抵抗力を貶め、人為的に操作したウイルスをばら撒く。 人類は細菌と共生関係にある。 その関係を人類のほうから一方的に断ち切ろうとしている。きれいきれい病。抗生物質の大量消費、薬剤の大量消費、次から次へと出される規制。白人種(グローバル・エリート)の思想が社会全体に広がっている。これらの思想は支配層にとって都合のよい思想であるのですが、一般人は、自分たちより弱い生き物に対して向けている。もう、自分たち(一般人)に向けられているということが解らない。この事に疑問すら持たない。真に支配層にとっては従順な家畜です。 さてさて・・・!? 大胡の駅で寝袋を乾して、ベンチで休んでいるとバイクで来た人が声をかけてきた。 私の姿を見て、興味を覚えたのでしょう。 旅の話から、その人の人生経験まで話が進む。その男性は、海外でバイクのテストドライバーをしていたが、家庭の事情で帰国したとの事。そして、テストドライバーからエンジニアの仕事に変わり、その会社の組合の役員をしていたそうです。本人はやる気がなかったが、巧く嵌められて役員にさせられたようです。テレビにも出演したことが有る人で、労働組合では名が通っているようです。そして、労働組合と企業の裏も表も知っている人。組合と企業の間に挟まれ、色々な陰険な対応を受けて体を壊した。最後には組合に裏切られて自殺まで考えたそうです。 色々と話していると、私との共通点が多くある事に気づく。 まさか、このような人生経験深い人と話すことが出来るとは思わなかった。その男性も、なんか吃驚していた。彼曰く、「これまで話した人で、こんな短時間で理解してくれた人は初めてだと・・・」。 この世には「たまたま」「偶然」というものはない。必然的な事象が、必要な時に、必要なだけ起きる。彼との出会いは、私にとっては大きな心の糧になった。ありがたい事です。旅をする事で、まったく知る事がない人との出会いが生まれる。自身の壁がなく、自身の本当の気持ちを話すことが出来る関係。旅先だからできる関係ですね。 昼過ぎに、「道の駅 大胡」を発つ。 10分くらい歩いていると、道路標識に「道の駅 おおご」とある。えっ!と、思い寄ってみると、そこが大胡の駅であり、昨夜泊まったところは、施設の一部の大胡の牧場だったことが判明した。 ここには大きな風車を模した建物があり、散策路も広く、「道の駅 大胡」の規模が伺われる。大きな駅です。 少し離れている屋根のある休憩所で一夜の宿を借りることにした。 10月6日 昨夜、雨が降った。 夕方は降りそうになかったのだが・・・!?大きな荷物は野ざらし。牧場で乾かした寝袋は大丈夫か!?そんなに激しい雨ではなかったから、おそらく大丈夫だろう。 大自然の中で、自然の一部として生きている。 寝ているような・・・寝ていないような・・・しかし、体の芯には疲れは感じない。 大胡の駅を出発。 トコトコと歩いて、渋川市を目指す。自然が多く、楽しみながらの、のんびりとした行程。歩いては休み、休んでは歩く。昔の旅人もこんな感じだったのではなかろうか。 渋川駅を目指し歩く。 駅はその町の中心的な場所であり、駅を中心とした町の検索にうってつけである(頭の中での検索)。ところが、駅に着く前に、目的のホテルの前に来た。えい!当たって砕けろ・・・の心境で、飛び込み、空き部屋の確認をする。 3日間の部屋が取れた。 チェックインまで時間があるから、荷物を預けて、渋川の町の散策に出かける。 ビールを買おうと店に入り、見ていると、おそらく経営者と思われる女性と会話する機会を得た。日焼けした真っ黒くろすけだから、目に付くのでしょうね。色々と話していると、その女性が若い頃、反原発運動をしていたとの事。その頃の話を伺う。今回の福一崩壊における感想もあった。非常に複雑な心境です。 また、ダム開発中止における、マスコミには出ない話もある。 各地を回り、お話しする機会があると、色々な経歴の人に出会うものです。 10月7日 休養日。 真に愚かしい行為というか、ホテルの部屋なのに野宿している気分が続いている。 愚かしい・・・自身猛省。 10月8日 今回の休養は、精神的、肉体的に本当のリフレッシュになったようだ。お酒を飲み、ちょっと羽目をはずしたがね。 今を生きる。 帰るべき所はない。還る時が来るまで放浪するのみ。 10月9日 テレビニュースで、山中教授のノーベル賞受賞ニュースがやっている。 おめでとうございます。 今日、新潟に向けて発つ。 おそらく2〜3日で新潟入りするだろう。日本海側の道まで、まだまだ長い道のりである。 (今朝の体調不良は、単なる食べすぎだろう!?)・・・おろか〜卑しいからだよ〜。 どう生きたいのか!? 本当のところ、私にはわからない。肉体生命を、目には見えない世界の存在に委ねているからね。だから、今は、生き続けられるだけ生きる。そのような流れに乗っているようだ。今はまだ経済的に余裕があるし、肉体的な不調もない。 9時にホテルを出発。 17号線を北上。途中、「道の駅 こもち」に寄る。なかなか雰囲気的によい駅だ。野良君が日向ぼっこをしていた。白井宿。こもちを後にして、17号線を北上する。途中、交通量の多い17号線からそれて、昭和村に向かう道をとる。旧国道と思われる道を歩く。車の通りも極端に少なく、人とも会わない。 利根川の渓谷を見ながらの歩み。なかなかよいものです。 昭和村は閑静な村という印象。渓谷を見ながら歩いていると、金田一幸助の映画のシーンのような風景が続く。自然が豊かである。町に近づくにつれて車の量が多くなる。信号機も見られるようになる。 昭和村を過ぎ、、沼田市の町に入った。 「道の駅 月夜野矢瀬親水公園」を目指し、利根川沿いを上る。雅な名前である。 トコトコと歩き、5時過ぎに駅に着く。売店は5時30分で閉まる。トイレで体を拭き、着替える。5時を過ぎると暗くなる。 犬を散歩させている人がいる。大きな犬で、数頭いる。道の駅は犬の散歩に適した場所です。 店の外に置いてある床几をお借りして野宿。 夜、ウイスキーを3杯飲んだ。寝袋を出して潜り込む。静かな夜。遠くで列車の走る音が響く。 10月10日 人の気配で起きる。挨拶だけはしっかりとする。 5時過ぎ。駅は老人たちの散歩のコースでもある。 昨夜はよく眠った。気持ちよく眠った。朝の天気は曇り。しばらく様子を見る。 駅の中を散策した。地元の30代と思われる男性と話した。犬の散歩に来ていて、挨拶を交わし、この公園の話から、私の旅の話になり、被災地の話し、福一の放射能・・・と、これまた陰謀論、スピリチュアルと続く。男性もネットでいろいろと調べているらしく、詳しく、自分の意見を持った方だった。共振・共鳴が起きた。 11時30分ごろ出発し、「道の駅 水紀行館」を目指す。 地図上でも近いから、トコトコと歩いていると、およそ2時間で着いた。 水紀行館に着くと「足湯」が目に付いた。早速入る。足を労わる。酷使している足ですからね。たまには労わってやらないと。 あまり汗をかいていないが、体を拭き、着替える。 インフォメーションで、新潟までの道のりを聞く。 今まで歩いていた道は途中で歩けなくなるので、山超えの道しかないとの事。今の私にとっては、多少の山はたいしたことは無いと感じる(岩手の経験がものを言う)。 後は、この駅にどこで野宿するかですね。「足湯」の建物の裏手に、屋根の付いた休憩所がある。 夕方、車中泊をしている人が声をかけてきた。 百名山を回りながら登っているとの事。60歳の方で、定年退職の1年前に辞職したそうです。社畜から脱し、ストレスフリーになり、好きなことをしているとの事。お互いに喜ぶ。 10月11日 朝、寒くて目覚めた。 徐々に寒くなってくる。よい訓練になる。 昨日、月夜野の駅で、共振・共鳴した犬を散歩させている男性と会った。私が此処に居ると言う予測で、本当に居るのかを確かめに来たとの事。やはり、魂の共振・共鳴は起きている。彼にとって、私という存在は強烈なインパクトがあったようだ。この事は、「たまたま」とか、「偶然」という感覚を超えている。総て必然的な出会いである。 昨日お会いした、社畜から脱した男性が出発の挨拶に来てくれた。これから出発するとの事。お互いのこれからの健闘を祝して別れた。これらの動きも、私にとっては、大変嬉しい事です。 7時頃、「道の駅 水紀行館」を出発。 国道をトコトコと歩き、270号線に入る。山道である。トコトコと歩いては一服し(時にタバコぷかぷか)、一服しては歩きの歩き旅。途中で、登山道の雑草を刈っている老婆とであった。ノースリーブ姿で荷物を押しながら登っている私の姿を見て吃驚している。 老婆「山を越えるのかね!?」 私「そうです」 老婆「その姿で・・・!?」 私「歩いていると暖かいです・・・苦笑」 老婆「坂がきついよ」 私「ありがとうございます。気をつけてゆきます」 老婆は笑顔で「がんばって」と声援してくれた。 ありがたいことです。 トコトコと坂道を登ってゆく。私にとっては、たいしたと言う感じを受けない坂道。やはり、岩手のあのアップ・ダウンの山道の経験が大きい。 トコトコと登って、仏岩トンネル650mの入り口まで来る。此処で一服。 そこから見る山並みの景色は美しい。山が連なり、大変美しい姿を見せている。 このトンネルを越えると、後は下り道。トンネルには歩道が付いている。これだけでもありがたい。岩手では、歩道が無く、復興トラックが頻繁に走っていて、トラックが来るたびに、壁に張り付くように避けていた。(トラックのドライバーも、目障りだったと思う。ドライバーの皆さん、ごめんなさい・・・ぺこり) トンネルを通り抜け、下り道。 道が整備されているから楽である。トコトコと下って17号線に出る。 17号線に出る前に、車が止まり、窓が開き声をかけてきた男性がいる。 男性「山を越えてきたの!?」 私「そうです」 男性「今日の出発はどこ!?」 私「道の駅 水紀行館です」 男性「旅の出発はどこ!?」 私「大阪です(もう、いちいち詳しい説明はしないことにした。うそを言っているわけではないからね)」 男性「(吃驚した様子で)がんばって!」と、走り去った。 ありがとうございます。 山道を下り、17号線に出る。 下った所にあったコンビニがあり、時間を見ると11時20分頃。およそ3時間の山超えの旅。コンビニで食糧を買い、湖を見ながら食す。 時間的に、今夜は道の駅で野宿した方がよいという考えで、17号線を直進する事無く、引き返し「道の駅 たくみの里」を目指す。 たくみの里は、一地域が駅のような観光地のように感じる。それでも閑静な地域である。駅に着き、体を拭き着替えてから、少し散策した。目的は、何処か野宿出来そうな所を物色しながらの散策。しかし、散策する必要がなかった。駅の裏に東屋があり、野宿できる施設が整っていた。 駅で声をかけてきた男性がいる。 私の旅の状況を話すと、二三歩退くような態度を示し、最初の熱意ある態度からさめていた。 車に無線のアンテナを(本格的な)を乗せて、無線をしているようだ。なんだか怪しいものであるが、その筋の組織の人かな〜とかんぐったが、かんぐっても、私個人ではどうしようもない事だから考えないようにした。その男性から、コーヒー一缶、お菓子(チップス)、水を戴いた。ありがたいことです(本当に、色々な人が居るね)。 東屋で寝た。 |
名前 内容
記入なし 大丈夫? (12/10/23 12:21)
ふわり やまとさんも どう生きたいかについて 明確ではないのねえ 自分の意思ってなんなんだろうね (12/10/21 14:26) 中年競馬 夜曲 語感に味がありとってもいいです。どうもありがとうございます。 (12/10/19 09:30) 中年競馬 夜曲 どうもありがとうございました。天皇賞秋も波動をください。のんびりやってくれ。 (12/10/19 08:17) すぴ子 今回の宿泊はリラックスできた?明日からまたしばらく野宿だね、風邪ひかないようにね〜。10月11日の無線の男性はどういう人だったんだろう・・・熱意ある態度って???・・・読んでてドキドキしちゃった(ほんと色んな人がいるね)。 (12/10/18 21:11) すぴ子 最近のニュース、トンデモないを通り越してる。これを世も末と言うんだろう。特に気になるのがやまとさんのお国とその西隣の県・・・。見えない亀裂がどんどん入ってるのを感じる。そこから今後も一杯出てくるよ。ブワッと。 (12/10/18 18:20) 中年競馬 天皇賞当てる波動をくれ。どうもありがとうございます。 (12/10/18 09:42) |
■ 2012/10/17 (水) 10月17日 |
今日は休養日。
新潟県の長岡市のホテル。 食べては寝て、飲んでは寝ての状態。 小千谷の駅で温泉に入り、体重を量ると、56.85kgだった。 今日、ホテルの体重計で量ると、59kgになっている。 昨日から3日間の逗留。風呂も入り放題だから、快適である(このビジネスホテルには大浴場がある)。 天気予報では、今日、明日当たり全国的に荒れ模様になるという。 台風も、おかしな動きをしている。HAARPが動いているのでしょうね。気象兵器による恫喝をしているのでしょう。最後の足掻きか!? まあ〜今の私にとっては、どうでもよいことの範疇に入ることだが・・・。 10月1日 昨夜の事を思い出す。 正面ゲートで雨宿りをしていた。警備員の巡回がある。この「道の駅 ロマンチック村」は、道の駅に認定されてからまだ日が浅いようだ。 他の地域の道の駅で入手した地図に載っていない地図がある。(近頃、道の駅という名称を利用した行為があるということを聞いた) 台風の通過で風雨が激しくなってきた。 ここで、とある人の好意により、一夜の宿を借りる事が出来た。台風一過の夜です。本当にありがたいことです。ありがとうございます。 夜中、風雨が収まり、外に出てみると、美しいお月様が出ている。満月に近い形である。星の数も多い。本当にロマンチックな夜を経験(体感)させてもらっている。私のように歪んだ性質(性格)の者にとっては、癒しの環境です。ありがたい・・・。 一夜の宿で目覚める。 さわやかな朝です。 おそらく7時頃「道の駅 ロマンチック村」を出発。 日光街道(119号線)を北上。この街道は、杉並木が美しい街道ということだが、台風一過の影響で、小枝が散乱している状態だ。とてもじゃないが、台車を押しながら歩くことが出来ない箇所もある。そんなときは、車道に出て、車が途切れた時に車道を小走りに走って、車が来たら避けると言う事を繰り返し進む。 この事も、岩手で経験している。 何かにつけて、はじめの岩手の経験は私にとって、色々な意味で生きている。 歩くしかない。 歩いて、歩いて・・・歩いて。 どうにか15時30分ごろに日光の駅に着く。10月1日だというのに、空には夏の雲が出ている。日差しも強い。 さて・・・今日はどこで・・・!?(歩きながら色々と考えていたが、書く時にはすっかりと忘れている。どうでもよいことだがね) 日光は世界遺産に指定されている観光地。外人の観光客が多い。雰囲気も悪くないが、私には合わない。日光を通り抜け、野宿できそうな場所を探す。 途中のスーパーで弁当、ビール、豆腐を買う。 トラックの休憩所があった。ベンチがある。しかし、屋根がない。雨さえ降らなければ大丈夫なのだが・・・!?ベンチにシートを引いて、買ってきた弁当、ビール、豆腐などを並べ、一人宴会を行う。飲んで、食べて、終わりごろ雨が降ってきた。 私は大きな荷物はその場所においておいて、手回り品だけを持って、傘を差し、来た道を戻った。来る途中に、バス停留所があり、幾箇所かのバス停には屋根とベンチが備わっていることを確認していた。そこまで戻り、雨宿り。しかし、9時間ばかり歩き、酒が入っている。眠くなり、ベンチで横になる。熟睡。 10月2日 バス停のベンチで寒くて目が覚めた。2〜3時間は寝ていたようだ。雨は上がっている。荷物をまとめ、大きな荷物がおいてあるトラック休憩所まで戻る。荷物は無事。このような状況も、守られていると感じる。ありがたいことです。 荷物を整え、歩き出す。トコトコと歩く。道路に標示されている気温計は13℃。 雨は上がり、多くの星が見える。ロマンチックな夜ですが、寒い。じ〜っとしていると余計寒くなるから、トコトコと歩く。コンビニの看板が見えた。そこで、ホットココアを買い、定員さんに、近くに休める休憩所などないか尋ねた。数百メーターの所に駐車場があり、公衆便所があるとのこと。トイレと水が使えれば、そして、軒下があればそれでよい。その駐車場まで歩く。店の時計は3時5分だった。吐く息が白い。昼間と夜との寒暖差が激しい。 トコトコ、てくてく、ごろごろと歩き駐車場に着いた。 トイレの屋根の下にシートを敷き、冬用のコートを着て横になる。バス停で数時間眠っていたから、体的には睡眠は取れているようだ。横になって休めれば、それだけでも違うからね。明るくなってから、肌着を水洗いして干す。小まめに洗っておかないと困ることになる。 日光は清滝公衆トイレ周辺でのんびりとしている。 天気は曇り。水洗いした衣服が乾きにくい。まあ〜急ぐ旅でもなし。のんびりと・・・。 日が出ている暖かい時に自販機の前で熟睡した。(なんか、なりふり構わない生活状態になっている)一時の晴れ間の暖かさ。私の足先で、女性が飲み物を買っている。私は構わず熟睡モード。なんともはや〜。大の字になって寝ているのだからね。 日光の山々が呼吸をしている。 はじめは数箇所の水蒸気の噴出が、徐々に多くなり、山の頂上を覆い隠すほどの白いもやを吹き上げている。この水蒸気が雨雲になり、雨を降らせ、河を満たし、野を潤している。私は、感動した。山々の呼吸。これこそまさしく循環しているという自然現象。すばらしい景色である。 10月3日 朝3時頃、寒くて寝袋を出す。 な!なんと、寝袋が濡れている。台風の豪雨で、チャックの所から水が浸み込んだ様だ。スキューバーダイビングで使っていた防水性の高いバックだったから油断した。やはり、人間の技術力は、自然の力には敵わない。 4時頃コンビニに行くと、野良猫が居た。買い物を済ませ帰ってから、缶詰を持ってコンビニへと帰った。野良ちゃんたちに缶詰をあげて、駐車場へと帰った。その時の服装は、コンビニの店員は夏服、私は冬用のコートを羽織っていた。 夜が明けて、湿っている寝袋を公衆トイレの前で乾した。天気は山の気持ちしだい。山で暮らす人たちが、屋内で乾燥部屋を持っている事の意味を実感した。 愚だ愚だしていても仕方が無い。 出発する。時刻は不明。120号から122号に入り日光の山越えに向かい群馬県を目指す。日足(nissoku)トンネル2765mがある。長さに関しては、日本で有数のトンネルだとか?トンネルの途中、工事をしていて、工事関係者と思われる人が助けてくれた。ありがたいことです。その人も、「歩いて旅をしているのですか!?」という問い。その人も、若い頃、色々と冒険心に富んだ経験をしているのでしょうね。所々に配置されている魂の同胞たち。本当にありがたいことです。 ありがとうございます。 自然多き道をテクテク、トコトコ、ごろごろと、昔の旅人のように歩く。 足尾トンネル 483m。 このトンネルを抜けると群馬県になる。 トコトコとトンネルを抜け、群馬県みどり市に入った。目指すは「道の駅 富弘美術館」。歩いて、歩いて15時ごろ着く。美術館だけに静かで、閑散としている。あまり知られていないのか!?トラックも止まっていない。 ここは商業地域と学術地域に分かれている。5分ほどの距離だが、美術館の隣に、おみやげ物屋さんや食堂、コンビニ、農産物の販売所がある。 日光の山を越えて群馬県に入った。 私的にはそんなにきつい道とは思わなかった。いろは坂がある方向(120号線)はきついのかもしれない。そちらは道の駅が少ないから、こちらの道(122号線)を選択したのだけれどもね。 「道の駅 富弘美術館」 夕方、見回りの職員さんと話した。 私の行動目的、行動様式などを話すと、職員さんは興味津々と言った感じで聞いてくれ、一夜の宿を借りる事に同意してくれた。 ・・・しかし・・・常識馬鹿が居た。 本当に、なんといえばよいのか解らないけれども・・・私はトラブルは避けている。クレームがつくと、黙って立ち去る。今回も、相手が勘違いをしているのがわかっているが、黙って立ち去った。立ち去る時、相手も自身の勘違いを悟ったようだがね。 このアクシデントも、私への気づきの一環であり、私の中のものに共振・共鳴した現象だろう。だから、あのような常識馬鹿が寄って来る。よくよく考えると、私の昔の姿を見ているようだ。鏡に映したごとくにね。 まだまだ・・・ですね。 今夜の寝床を追い出されて、暗闇の中、トコトコと歩く。 すると、電気の光とともに駐車場が見えてきた。「草木ダム展望台」。駐車場には公衆トイレがある。今日はそこで一夜の宿を借りる事にした。 災い転じて福となす。 溜まっていた汚れ物を一気に水洗いした。そして、駐車場の茂みに乾した。夜中の作業。車が2台ばかり入ってきたが、すぐに出て行った。おそらくデートしていて、草木展望台に来たでしょうね。かっぷるさんたち「ごめんなさい」。 男子トイレの入り口近くで寝る。 |
名前 内容
中年競馬 夜曲 すぴ子さんと結婚することになるようです。メッセージが届きました。僕の性格はマゾヒスト。天の波動より。 (12/10/18 08:23)
中年競馬 どうもありがとうございます。 (12/10/17 23:39) ルポ せっかく良い体験をしているのだから、HAARP=気象兵器なんてくだらないイメージを懐くのは止めましょうよ。 昔から放浪者さんは陰謀論好きだったからな〜 (12/10/17 21:38) ふわり この日記の最初を読んでふと想ったけど 空腹時は身体が何でもかんでも栄養を取り込もうと 太りやすいって聞いたことあるけど それは 「恵みのエネルギーを受け取りやすい状態」になってるのかもしれないね そう想うとやっぱり普段は食いすぎなんだと自分で想う (12/10/17 20:29) すぴ子 三日間大きなお風呂でビバノンノ〜♪できるね!イイね! (12/10/17 17:59) + 何のために旅をしてるんですか? (12/10/17 17:28) |
■ 2012/10/16 (火) 10月16日 |
今、新潟県長岡市にいる。
司馬遼太郎の作品の「道」ではなく『峠』(確か・・・記憶があいまいになってきている)の長岡市。 幕末の北越戦争で、壮烈な戦いを見せた、長岡藩の地。河井継之助。小説に出てくる、小千谷、檜峠、朝日山・・・瀬っ多屋・・・等々。司馬先生が尋ね歩いた地。 今、ここに私はいる。河井継之助記念館は、会津寄りにある。ここ、長岡の地では、河井継之助は、長岡藩を破滅に追い込んだとして教えられているのでしょうね(明治には、河井継之助の墓が叩き割られているとの事。愛憎果てない明治期の流れです)。 私は、司馬先生の小説しか知らないが、幾度も読み、私なりの河井観を持っている。河井継ノ助は、今でいう、いじめっ子タイプの人のように感じる。ただ、時代間の違いにより、いじめっ子タイプの偉人が、時の流れに乗って出てきているという事。先見の明を持っているがゆえに、このままでは滅びるという危機感を持ち、動いている。先見の明を持った偉人は、時代の流れに乗れこそすれ、その時代の意識波動(それまで誘導、刷り込みされてきた多くの愚民たちの意識)には受け入れられないものです。 今、長岡市のホテルにいる。(このホテルからのパソコンからは、掲示板は閲覧できません)。 洗濯と休養に当てる。 9月26日 昨夜は寒かった。 ウインドブレーカー、スキー服、冬用のコートを着ても寒かった。だんだん寒くなる。防寒対策を考えないとね。 にしかたの駅。 朝、昨日の野良ミケ君を見た。シーチキンをあげた。全部食べた。食べられるうちに食べておけばよい。 今日で、大阪を出てから2ヶ月が過ぎた。まだ、生きている。と、言うより、より元気に意気軒昂になってきているように感じる。歩いて旅する楽しさを覚えた。色々な事があるが、この2ヶ月間は、本当に充実した時を過ごしている。何者にも束縛されない時間を過ごし、すべて自己責任の下、行動する。ストレスフリーの状態。世の中の多くの人からは白い目で見られるが、そんな事すら気にならなくなっている。 現在、13時30分。天気は快晴。昨夜は寒くて練れなかったので、暖かい広場の休憩穂のベンチで仮眠した。1〜2時間熟睡したらしい。なんか・・・壬生の駅に向けて出発する時間だが、もう一晩ここで冬に向けての準備をしようと思う。準備といっても、この旅ではじめて寝袋を使うだけの事なのだけれどもね。どの程度(現時点で)の服装で寝られるかの実験である。 地元のおじさんと話す。 おじさんは、私の行動を見ていたようだ。思川の時とは状況が異なる。無遠慮な見方ではなく、何気なく見ていたようだ。おじさん(70歳との事。おそらく脳疾患で、少し体が不自由なようだ)は、私の話を聞いてくれて、意気に感じたようだ。そのうち、おじさんの奥様も着て、おじさんから私の話を聞いていた。おじさんも若い頃、色々とチャレンジしたようだ。ご夫婦とチャレンジの話で盛り上がる(このメモを記している時は、10月17日である。昨日の16日に、小千谷の駅でお会いした老婦人と会話をした内容とリンクする)。楽しい時を過ごさせていただいた。ありがたいことです。 コンビニでビール、弁当、おでん、フランクフルト(猫用)を買ってきた。 食べていると、野良君がやってきた。にゃ〜と、ご飯を催促している。買ってきたフランクフルトを噛み千切ってあげた。その後、白い野良君もやってきたので、秋刀魚の蒲焼一缶を上げた。全部食べている。食べれるうちに食べたほうがよい。 ひとつの生命としてこの世に生まれてきたのです。 生まれてきたからには、生きようとするのは当たり前であり、子孫を残そうとするのも当たり前です。それを、人類の身勝手な考えで、生きる道を閉ざされようとしている。まことに身勝手な考えでね。愚かしい・・・人類以外の存在から見れば、傍迷惑な事です。 掃除のおばちゃんたちと仲良く話をした。 おばちゃんたちは吃驚していた。 9月27日 今夜は、この旅ではじめて寝袋を使った。 やはり、寝袋はいいものです。ぐっすりと眠れた。明け方、寒さが厳しくなる時に、防寒着を着る必要もある。これからどんどん冷え込む時期になるからね。 朝、5時ごろ起床。 起きる前にトイレに行った。途中で、パトカーが巡回しているのを見た。何か言われるかな〜と思ったが、パトカーはそのまま走り去った。 今朝、野良君を見かけたので、さばの水煮缶を上げた。 「道の駅 にしかた」を8時過ぎに出発。 出発する前に、掃除のおばちゃんの一人が来た。「気をつけて!」と励まされた。ありがたいことです。 トコトコと歩き、「道の駅 みぶ」に11時過ぎに着く。地図で見ても近い距離。およそ3時間の歩き。 みぶでは南米音楽のフォルクローレと言う音楽を奏でている人がいた。南米の方なのでしょう。「ランバダ」「コーヒールンバ」「コンドルは飛んでゆく」・・・と、耳に馴染んでいる曲が多い。壬生の着く早々気分的によい。 みぶの駅をぶらぶらと回ってみる。 屋根のある休憩所があった。しばらくそこに居た。時折、家族連れが着たが、変なおじさんが居るから、すぐに帰ってしまう。 風は強いが、そう寒くはない。今晩はここで野宿しようか・・・!?トイレの前が休憩所になっており、その間の通路が使えそうだ。色々と考える。さてさて・・・!? 雰囲気的には悪くない。それでも、原発問題、放射能問題は有る筈だが、逃げれないのだから、腹を括って、これまで通りに生きるしかないけどね。 天気予報では、この地域は「晴れのち雨」との事。風に湿気が混じっている。 荷物をみぶの駅の建物の中に移した。風は強い。トイレの近くの雨に濡れない所で野宿しよう。売店の商品が、閉店近くになって割り引きしている。(ここでは野良ちゃんに会えるかどうか?) 9月28日 5時前に目覚めトイレへ。 みぶの駅では、建物の下では風がなく、暖かだ。身軽な服装で寝た。朝、見知らぬ男性からバナナをいただいた。ありがたいことです。 さて・・・7時ごろ、みぶの駅を出発。天気予報では雨ということだが、雨に降られればそれはそれでよい。 トコトコ、ごろごろ・・・と歩く。警察官が横断歩道の各所に居て、子供たちの安全の為に交通整理をやっている。私は挨拶を交わしながら歩く。警察官も挨拶を返してくれる。 トコトコと、宇都宮の駅を目指す。 途中、若者に道を聞いた。その若者は駅の方向性を示し、出来るだけ大きな道を曲がった方がよいというアドバイスをしてくれた。お礼を言って、歩き始めた。何とか宇都宮の駅に着き、ホテルの予約を取った。みぶの駅から宇都宮の駅まで4時間ぐらいの歩き旅。もう少しかかるかと思ったが、予想より早く着いた。日光の山越えの為に酒、缶詰を買い込む。台風の影響か!?宇都宮の街は風が強い。 チェックインまで時間があるので、街中のスーパーに行って、ビールでも買おうとぶらぶらとしていると、午前中に道を尋ねた若者に出合った。その若者は、ニコニコしながら私のことを見ていた。私は気づかずに行きすぎようとしたが、若者から「駅は解りましたか!?午前中に駅までの道を聞いたでしょう!?」といわれ、私は気づかなかった事を詫びた。色々と話して、「この世には、たまたまとか偶然はない」という話になって、またまた、私の能書きが始まった。その時に不意に浮かんだのが、「魂の共振・共鳴」という言葉。若者も静かに聞いていたが、若者は若者の考えを持っているようだ。良い事です。 「魂の共振・共鳴」 おそらく、魂の出自に関係あるのだろうと思う。 9月29日 ホテルで休養。 大型の台風(17号)が近づいているようだ。日本列島縦断コースに乗っているようだ。日光の山越えなのにね。明日(30日)の夜から明朝にかけて、関東に影響が出始めるようだ。ホテルを出てから、宇都宮のロマンチック村に行くつもりであるが、さて・・・どうなることやら。 「潔く生きる」 9月30日 9月最後の日。 今日、ホテルを発ち、ロマンチック村に行く。おそらく3〜4時間ぐらいの時間で着くだろう。台風17号の影響をロマンチック村で様子を見る。 9時頃ホテルを発つ。 トコトコと歩いて、ロマンチック村を目指す。途中、雑貨、かばん、靴などを売っている店が開いていた。そこでリックを買った。店の人と話していて、私が「出来るだけ丈夫なもの」と欲求を出したので、話が旅の話になった。そこに、店の社長が出てきて、社長自ら商品の説明をしてくれて、少し値引きしてくれた。そして、店の中でリックの中身を入れ替えてもいいよと言ってくれたが、私が荷物を外においているからといって、外に出た。社長も付いて来た。興味があったのでしょうね。台車に載せた荷物を見て、これは本当に歩いて旅をしていると解ったのか、若い社員たちも寄ってきた。そして、これから日光の山越えをするという事を言うと、若い社員たちは驚き、「大変だよ〜」と口々に呟いている。社長は店に入り、adidasのシャツを持ってきて、私にくれた。ありがたいことです。私はお礼を言って頂き、荷物を入れ替えて、新リックを背負い歩き始めた。ロマンチック村に向かって。 (昔の苦行僧の如く、各地でお布施を頂きながらの旅のようです) 旅をしていると、色々な人と出会う。これもまた楽しく、また、嬉しいものです。 トコトコと歩き、ロマンチック村へ。13時30分ごろ着く。 今はまだ晴れている。台風の影響は夕方近くになって出てくるのでしょうね。 「道の駅 ロマンチック村」のトイレで体を拭き、着替える。頂いたadidasのシャツを着る。真っ白なシャツ。 徐々に風が強くなってきている。 ここ、ロマンチック村は観光地。 つい最近「道の駅」に併用されたようだ。 徐々に雲も多くなってきた。 ロマンチック村について、色々と聞きまわっていると、なんか、時間が来れば閉鎖されるようだ。当然といえば当然の話。しかし・・・まずい・・・!?トイレは24時間開放されているから、トイレに逃げ込めばよいがね。 栃木県にはいって10日発つ。 ホテルに入って得た情報では、放射能汚染瓦礫の最終処分地関係のニュースをやっていた。福島県に接している県であり、盆地的地形になっていると思われるから、まずいのではなかろうか!?人々の意識波動は軽く感じる。考えている人は考えている事だと思うが・・・。自然の波動を受けているがゆえに、のんびりとした感性を持った、大変貴重な地域だと思う。都会の殺伐とした感じは受けない。都会からの観光客は多いがね 。 |
名前 内容 |
■ 2012/10/13 (土) 10月13日 |
今日は、新潟県南魚沼市にいる。昨日、群馬県と新潟県境の三国峠を越えた。
渋川のホテルを発って、「道の駅 月夜野矢瀬親水公園」→「道の駅 水紀行館」→「道の駅 たくみの里」と、泊まり歩き、峠に向かった。「道の駅 水紀行館」で道を聞くと、291号線は新潟に通じていないそうで、291号線から270号線に入り山を越えて17号線に出るしかないとの事。 山を越えて、下にあったコンビニで時間を見ると、11時過ぎ。時間的にちょっと・・・と思い、「道の駅 たくみの里」に向かい、一泊した。正解だった。あの時間に三国峠越えをしていたら、真っ暗闇の中で新潟に入り、ちょっと困った心理状態なっていたことでしょうね。明るいうちに動くと、精神的に余裕ができて、動く行動に余裕ができる。三国トンネルを越えて湯沢町に入り、野宿できそうなところを物色しながら歩いた。17号線沿いにバス停があり、バス待合小屋がある。そこに入り込み泊まる(詳しくは日記で)。待合小屋を出発してトコトコと歩いていると、新しくできた「道の駅 雪のあかり」という表示板があった。新しいだけに、トラックの数が少ない。 今日はここで野宿しようと思う。 9月21日 『意識は行動に反映される』 「道の駅 思川」泊。 寒かった。徐々に寒さが厳しくなってくる。8月の炎天下での徘徊により、暑さに対しては順応しているが、果たして寒さにはどうか!?少しずつ体が順応してくるように調整したいものです。冬用の衣類も必要になる。まあ〜徐々に準備することにしよう。 今朝の空模様は曇り。さて・・・!? 私が荷物を整理していると、黙って、そして、じ〜っと私を見ている視線を感じた。挨拶しても無視。じ〜っとね。昨夜のこそこそしたみっともないごみ捨ての男性。そして、今朝のこの男性の行動。 『意識は行動に反映される』 土地土地の雰囲気(波動)、地域住民の意識の雰囲気(意識波動)・・・と、色々な地域を歩いてきて判じているが、まことに「欺瞞と虚栄」の感が免れない。この事は、何も「道の駅 思川」だけの事ではない。広く、世界中の人の意識状態の反映であると思うが、特に、現在の日本の状況は、311の震災と津波・火災、そして、福一の放射能の影響。そして、支配階級が蔓延さそうとしている「綺麗キレイ病」などがある。 なんか、衝動、殺菌、ごみ拾い・・・等々、綺麗キレイと言う標語、掛け声とは裏腹に、意識状態が反比例しているように感じて仕方がない。本当は、このような標語などを必要としない世界を創らなければならないと思うのだが、なんか・・・意識を刺激し、針で突っつくような評語が多い。 9時30分ごろ、雨がぱらついてきた。昔の旅人のように、雨による足留め。何も急ぐ旅ではないからね。おとなしくしておく。 小山市。午前中はぱらぱらと雨が降ったりやんだりとし、午後14時位から晴れて来た。策や、水洗いした衣類を改めて乾かす。 19時ごろ、雷、雨。ゲリラ豪雨のような雨ではない。 午前3時30分ごろ警察の巡回を受ける。不審者が居るとの通報があったようだ。 やれやれ・・・地域の人たちにとって、私は不審者である事には変わりないけどね。不安感を持つのは当たり前ですね。警察が私の身元をチェックし、私の旅の目的を聞くと、何事も無かったように帰っていった。話しの中で、私の被災地の話を真剣に聞いてくれた年配の警察官は好印象であった。この事も、共振・共鳴の類なのでしょうね。若い警察官は、所持金に執着していた(この事は、福島県の飯館村で調べた若い警察官の特徴と同じである)。若いからこそ、洗脳、刷り込みによる言動が出てきているのでしょうね。この事態を収拾してくれたのが年配の警察官。 私は2泊目。雨が降らなければ旅立つし、降ったら足止めされる。 9月22日 早朝、地元の人と話す。 私のような不審な者に好奇と警戒の色が露骨に見せているおじさんだ。じ〜っと、私の行動を見ているようだ。おそらく、農家のおばさんたちも警戒しているようだ。そのおじさんも、このような旅を続けている時の「お金」を心配している。私にとっては大きなお世話だが、地元の人の警戒と心配を解く為に、私の資金を話すと、ある面は警戒心を解いたようだ。「お金」に関しての犯罪は増えているし、近頃はとんでもない犯罪も増えている。私のような不審な者には強烈な警戒心が働くのでしょうね。仕方が無い事です。おじさんには、私のあるがままに説明すると、納得してくれた。おじさんも農業は途中からやりだしたとのこと。だから、私のこの旅に於ける記録はとっているかどうかも聞いてきた。おじさんの前職が知りたいが、この事は飲み込んで、話をあわした。 7時前に「道の駅 思川」を出発。 空模様は曇り。だけれども、降りそうな気配はない。トコトコと歩き、昼ごろに「道の駅 みかも」に着く。10時30分過ぎ。およそ4時間の歩き旅。 空は曇り空ですが、降りそうで降らない。なんだかな〜考えが出てこない。こんな時は一杯やるか・・・!? 「道の駅 みかも」で、弁当、きゅうり、豆腐を買い求め、外の休憩所でチビチビとやりだした。辛子味噌も有ったので、きゅうりにつけて食べながら、ワンカップを飲む。弁当を食べ終えて、地図を見ながら、次の進む道を考える。すると、やはり眠くなってきた。昼間から飲んでいると、体に残っている疲れが出てくる。外のベンチで2時間ほど寝る(このところ、旅慣れているというか、環境の状況において警戒心が薄れている)。みかもでは休憩所に和室がある。確か、そうまでも有った。17時まで利用可能。 さて、今日は無事に「道の駅 みかも」で泊まる事が出来るか!? 今の私の精神状態は、どんな小さなちゃちゃにも耐えられない状況だと感じている。デリケートになっているのか!?バリケード化してきているのか!?出来うれば、誰とも話をしたくない心境。うっとうしい! 「道の駅」で警官に身元を調べられたのは、「道の駅 思川」がはじめて。そうまでは、挨拶をし、雑談をしたが、身元は聞かれなかった。都会に近づくに連れて、意識の荒廃が進んでいると感じる。「道の駅 たまつくり」で見た、矢印状の雲。千葉での地震もさることながら、意識の荒廃地域には近づくなということか!? 私は旅人。 そう、一人の旅人。旅をしながら地域の雰囲気(波動)、地域住民の雰囲気(意識波動)を感じながら旅をしている。旅の途中の地域住民に迷惑をかけるとか、不安な思いをさせる為に旅をしているのではない(しかし、私のような者は、接触する人に不安感、警戒感を与えてしまうのも事実)。 9月23日 夜中から雨。 秋雨前線のような、しとしととした雨模様。一雨ごとに寒さが厳しくなってくるのだろう。 「道の駅 思川」と「道の駅 みかも」は10数kmしか離れていない。しかし、昨夜は蚊に悩まされた。思川のような寒さは無い。地形の関係だと思うが、地域の波動も関係していると思う。 ここ、みかもは夜中、若者たちの溜り場になっているようだ。と、言って、身の危険を感じたわけではない。都会と違って、私のようなホームレス借りを楽しんでいる精神の荒廃は感じられない。まだ、心に素直さ、純粋さが残っているのでしょうね。「道の駅 たまつくり」で得た雲によるシグナル。そのシグナルによって茨城県を横断するコースを取り、栃木県に到っている。東京に近づくことなく、東北地方にUターンする形だ。今度は寒さによる試練か・・・!? 徒然に・・・。 吐き気がするほどの自分。利用され、馬鹿にされてきた自分。敢えて、そのような自分を演出してきた人生。あほらしくて・・・あほらしくて・・・やっとられん。が、その姿勢は、本当の自分自身を隠す為の、防御壁であったことも事実。 歪んだ性質(性格)を矯正するには時間がかかる。難しいものだが、地団駄を踏もうが、どんなに泣こうが喚こうが、相手を恨もうが、自身から目を逸らす事は出来ない。現在のストレスフリー状態だからこそ見える自分があり、直すべき歪みが見えている。言い訳無用!見栄も衒いも無く、現実を見続けて、直すしかない。欺瞞と虚飾の世界からの離脱は、欺瞞と虚飾に染められた自分自身からの離脱に他ならない。誰を構う訳でもなし、誰からも構って貰う訳でもない。自己責任の上で進むしかない。 みかもの駅で、露天商の若者と話した。 雨で足止めされている事。雨は上がるのか!?どうかを聞いた。天気予報では、明日は晴れるとの事。気持ちよく答えてくれた。私が旅をしていることを話すと、感心して「がんばって!」と声援をくれた。ありがたいことです。 9月24日 朝4時ごろ目覚める。 昨夜は残っていたお酒(200ml)を、ちびちびとやりながら弁当を食す。この液は、19時に閉店し、20時ごろ、後片付けをした職員が引き上げると思われるが、私は、お酒を飲んだ為、そのころにはベンチで熟睡モードに入っていた。夜中、若者たちのざわめきの気配を感じたが目覚めずにいた。疲れが溜まっているのだろう。朝4時頃目覚め、荷物を見ると、昨夜買っておいた弁当を野良ちゃんに漁られていた。おにぎり1個を残し、後は無くなっている。残ったおにぎりは、朝、カラスのご飯に上げた。 今日は快晴である。 気持ちのよい朝である「道の駅 どまんなかたぬま」を目指し、此処を発つ。 トコトコと歩き、たぬまを目指すが、時間帯が通学時間帯に当たり、小学生に集団と行き会う。交差点には警察官が配置されている。私は、いつもの如く挨拶をして行き違うが、警察官は笑顔で挨拶を返してくれる。挨拶は大事です。 トコトコと歩き、「道の駅 どまんなかたぬま」に9時過ぎに着く(おいおい・・・ちょっと早すぎないか〜!?)。たぬまに着き、トイレで体を拭き、着替える。思川の駅からみかもの駅まで4時間ぐらいで着いたから、あまり汗もかかずにいて、そのままであった。髪も洗った。気持ちのよいものである。 「道の駅 どまんなかたぬま」。 日本の中心点に位置するようだ。平和な地域のように感じる。ただ・・・地元の人の目がひしひしと感じる(被害妄想と言われればそれまでだが・・・!?)。どこも同じだ。ただ。この状態は、私が幼いころのとき、私の地域に来た他の人を見る目、聞いた噂に重複しているという事を感じている。人という生き物は、自身の経験を基礎とし、その基礎に立った上での判断しか出来ないという事。「道の駅」は、地域によって特徴がある。それは、その地域の地域住民の意識波動の反映と言う事!?当然といえば当然という事であるがね。何かと囲い込み、規制が強い駅は、その地域の意識波動がそれだけ荒廃していると言う事!?荒廃に向かっているということ!?では無かろうか? どんなに建物、施設を立派にしても、それを利用する人の意識が向上しない限り、荒廃に向かう。 今、13時ころ。 ここ「道の駅 たぬま」では、虫の鳴き声が響いている。虫の音は秋。しかし、日光は夏。朝、夕はめっきりと冷え込んできている。 たぬまの駅では無料の「足湯」が有った。早速、「足湯」に浸かる。酷使している足です。このような時こそ労わってやら無いとね。 ここ、たぬまの駅で、2人の若者と話した。 駅で空を見ていると、彩雲が見られた。じっと見ていると、若者が近づいてきて、携帯で写真を撮っていた。地元の人かと話しかけたら、大阪から来たとの事。私も大阪から来ているということで、「魂の共振・共鳴」の話になっていた(毎度のことであるが、陰謀論、スピリチュアル関係の話に加えて、私が回ってきた被災地の状況の話)、福一の話と放射能。 夕方、地元の男性2人と話した。 一人の方は、現在の東北、日本が置かれた状況をご自分なりに理解しておられた。もう一人の方は、ちょっと気になる事だけれども、いやに馴れ馴れしい態度であった。なんか、私のことを知っているようだった。おそらく、どこかで私を見かけたのでしょう。言葉使いも丁寧であり、たぬまの地域の事を親切に説明してくれた。 雨が降り出した。気温も下がってきた。今晩は、この休憩所で一泊するつもり。 9月25日 昨夕から雨が降り、気温も下がり、冷え込む。 あまり眠れなかった。ここでも蚊に悩まされた。朝、曇り空。時折ぱらぱらと雨が落ちてくる。さて・・・!?出発するか!?もう一泊するか!?次の目的地は「道の駅 にしかた」。山越えであり、20km以上はある。長く歩く事になるから、発つならば早いほうがよい。たぬまを7時過ぎに発つ。 栃木県佐野市。 長閑な所だ。映画のワンシーンのような景色が広がる。河川敷のゲートボール場で、老人たちがゲートボールを楽しんでいる。山々に囲まれた里。 トコトコと歩き、丘のような山道を越えて、「道の駅 にしかた」に14時30分位に着く。およそ7時間の歩き旅。にしかたは今日は休み。閑散としている。にしかたは、新しい道の駅で、あまり知られていないとの事。私にとっては都合がよい。 (何かが引っかかっている。意識に何かが・・・!?しかし、もう動き出している。新たな展開が起きるはず) 明日のことを思い煩うことも無く、人間関係に苦しむ事も無い。このような旅をしていると、大多数の人がいやな視線を送ってくる。(このような意識状態も、比較的自虐的な被害妄想的感覚なのだと言う事が解って来る。他人様の多くは、あまり気にしてはいないようだ。一部の人だけだね。) 挨拶をし、しっかりと会話をする事により、自分自身というものを理解してもらえる。会話の楽しさを始めて理解出来るようになっている。仕事をしている時には、色々な思惑が過り、大げさに言うと、権謀術策の世界の駆け引きが日常茶飯事の会話になるからね。そんな意識を捨て去って、本当の会話を楽しむということが出来る。 近くのコンビニでビール、おでん、弁当を買った。 お酒は買い置きがあるから、にしかたの駅でちびちびやった。すると、野良猫君がやってきて、「にゃ〜にゃ〜」と、ご飯をせがむ。私は買っておいたシーチキンの缶詰を一巻開けてあげた。野良猫排除運動をしている人が見たら、「何やっているのだ〜!」と、頭から湯気を出すことでしょうね。このことは幾度も記してきたからね。 野良君はおいしそうに食べた。 |
名前 内容
記入なし どうしても外見だけで判断しがちだけど、話してみたら中身のあるなしってわかる。 とりあえず、一般社会では、とっかかりで損をしないために、印象良く外見を整えるわけだけど。 異文化では、記号化された細かい共通認識が通用しないのを、はっきり思い知らされる。 自信(旅の確信)と誇りを失わずに、無事、目的地にたどり着いて。 (12/10/17 11:08)
すぴ子 挨拶はほんとうに大事。それさえ出来たら十分かも。私も外国に住んでた時それを一番に考えてた。どんなに自分では“私は日本ではそれなりの中流家庭に育ち、それなりの教育を受け、留学するだけの十分な資金を持っている、それなりの日本人”と思っていても、向こうの人から見れば“どこの馬の骨とも分らない東洋のちんけな小娘(向こうの人には小学生くらいに見える)”でしかない。誰もはっきりとそう言わないけど・・・そういうの伝わってくるよね。 (12/10/16 22:42) すぴ子 自分が異質な存在(外国人)である状況下において、挨拶って“私はあなたと同じ人間です”と最初に相手に宣言することに等しい、そう思った。それは自分を尊ぶことであり、相手に“対等に自分を扱うよう”求めることでもあるんだって。やまとさんは大事な事をちゃんと自分で分ってる。 (12/10/16 22:41) 中年競馬 どうもありがとうございます。とっても味のある生き方です。天の波動もおっしゃってます。 (12/10/14 09:14) 水洗 もうすぐ雪降るぞ〜、風邪ひくなよ〜! (12/10/13 17:42) |
■ 2012/10/08 (月) 10月8日 |
今回の休養は、精神的、肉体的に本当にリフレッシュ出来ているようだ。不思議な感覚がある。まさしくリフレッシュである。ホテルを泊まり歩いているが、こんな感覚は初めてである。お酒を飲み、ちょっとはめを外したが、この事も関係しているのでしょうね。
今を生きる。今日を生きている。 帰るべき所はない。還る時が来るまで放浪するのみ。 9月18日 朝、気持ちよく目覚める。さわやかな朝である。 7時ごろ、「道の駅 ごか」を発つ。古河を目指して歩く。とことこ、てくてく、ごろごろと歩く。道路標識を見ながら歩く。とことこと歩いていると、旧4号線を通り越してしまった。コンビニに立ち寄りタバコを買って、男性客に道を尋ねる。ここは埼玉であること。通り過ぎてしまっていることを指摘され、地図を見ながら、少し引き返して、高架になっている所が旧4号線だからそれに沿って歩いてゆけばよいと教えてもらった。高架の下のトンネルを通ったから判らなかったのでしょうね。くしくも茨城県を横断した格好になった。引返し、高架の道に沿って歩く。 古河には11時過ぎに着く。 ホテルの予約は、古河市に入ってからコンビニの公衆電話からした。古河市は平日でもあり、時間帯からして閑散としている。古河市にくる途中でも雨に降られた。古賀駅に向かう途中に中年の女性から、「旅行ですか!?」と声をかけられた。水商売風の女性。雨宿りをしている前の店の女性は、私を見てか、雨のためか、急いで店前の商品をまとめていた。話しかけても無視された。 ホテルに着き、選択、入浴をしてのんびりとした。体重56.6kg。そう言えば、今日は水以外に口にしていない。それでも、空腹感はない。 9月19日 朝、入浴。体重58.5kg。食べて、飲むとすぐ増えるね。 古河市は雨。ニュースで台風一過によるゲリラ豪雨、突風被害の模様が流れていた。茨城県の境町。先日までいた地域である。やはり、台風によるおかしな天気だったのですね。 徒然に・・・。 あるがまま。 そう、一人一人の魂は、其々のあるがままの姿へ還ってゆく。いや、多くのものを背負っているがゆえに、その荷を降ろすことをしなければならない。そうしなければ、あるがままの姿に還れない。還るとは・・・!? 何を求め、何を為し、何を背負ってきたのか!?そして、どうして・・・!? 9月20日 9時前に古河のホテルを出発。 今日の目的地は「道の駅 思川」。国道50号線と県道50号線を間違えて、迷ってしまった。歩いていると小山市役所生井出張所があった。そこに入り、道を尋ねる。私の旅の目的を話すと、親切な役所の職員が地図を出してきて、説明してくれた。ありがたいことです。 14時前に「道の駅 思川」に着く。5時間ほどの歩き旅。なかなか広くて、開放的な駅に感じる。私的にはいい雰囲気(波動)を感じている。トイレで体を拭き、着替える。 トイレで落し物をし、それを掃除担当のおばちゃんが拾ってくれた。おばちゃんと話しをし、私が旅をしていることを話すと、おばちゃんは岩手出身であり、非常に喜んでくれた。掃除担当のおばちゃんからミニトマトを頂いた。ありがたいことです。 (暗くなってから、ええ年をした男性が、まことに滑稽ながら、こそ泥のような感じでごみを捨てに来た。車で来ているから、家庭ごみでしょうね。何を考えているのやらですが・・・みっともない姿に見えた) 9月21日 |
名前 内容
ふわり 歩いていると気分がよくなるっていうの、なんかわかるよ、僕も気分が底にいた時期、とにかく意味もなく毎日何時間もひたすら近所を散歩してた、あれは今思えば心の自己防衛だったのかも (12/10/09 12:49)
すぴ子 台車の荷物持ち歩いてて大変だったら、すぴ子一時預かってもいいよ(やまとさん遠慮しそうだけど)。まあ頭の片隅にでも入れといてよ。自分の体験から想像するに、『コレとコレが無ければ動きやすいんだけどナー!』ってことありそうな気がして。。。。 (12/10/08 16:47) ふわり 現場ではいろいろはあるんだろうけど、過去ログから読んでると、だんだんやまとさんが浄化されてきてるように見えるだ^^ (12/10/08 13:01) |
■ 2012/10/06 (土) 10月6日 |
日光の山を越えて、群馬に入り、現在、渋川市に来ています。
ここで3泊して、今後のルート、装備を確認しながら静養しようと思う。 私が歩いている所は、昼は夏色です。10月上旬ですが、昼間は暑く、夜から冷え込み、朝方は非常に寒いです。地元の人もおかしな気候だということを言っていましたね。 9月11日 今日もまたのんびりと。 今朝、昨日お会いしたご老人と話した。ストレスがどれほどの害悪かになった。答えの出ない問題を堂々巡りしながらの思考。ストレスが溜まる一方です。ご老人も納得しながら聞いてくれて話をしてくれた。 私は、今、最も贅沢な時間を過ごしている。 ストレス・フリーの状態。心が軽い!身体が軽い! 湧き上がる気力。こんなにも凄いものかと実感している。 茨城のたまつくりの駅。周辺を散策した。 今朝は霧。昨日お会いした犬を連れた男性から、今日、明日当たり雨が降るということを聞いた。雨が降れば、晴れるまで逗留するのみ。時間はたっぷりとある。贅沢な時間がね。 司馬遼太郎の作品の中に「風神の門」というものがある。 戦国時代の話であるが、その中で、後藤又衛と猿飛佐助の会話がある。真田雪村の命により、徳川との決戦に備え、関が原の一戦により落ちぶれた勇者に生活費を渡しているのだが、後藤又衛に渡しているお金は高価な茶道具に消えている。後藤又衛は、大名格の石高だったが、主君と諍い出奔し、挙句の果てには京都で乞食をして、物乞いをしながら生きているような境遇になっている。そんな後藤又衛にお金を届けているのだが、乞食小屋にはふさわしからぬ高価な茶道具がある。 佐助「この茶道具はどうなされました」 又衛「そちが持ってくる金を頭金として求めた」 佐助「・・・・」(あのお金があれば、こんな乞食小屋に住まなくとも一軒家を借りて小女を雇って生活できるものを・・・!?) 又衛「佐助!そちは、この乞食小屋に相応しからぬ茶道具と思っておるな!そちが持ってくるお金で、もっとましな生活が出来るものと考えておるであろう。しかしな、この又衛、乞食生活も気に入っておるのよ。河原に立ち、人椀の施しをもらえば、あ〜今日は飢えずにすむ。一銭の銭をもらえば、あ〜よかった。これで何かを求められる・・・と。男子たるもの、金銭に執着して何が出来ようぞ!」 このような会話だあったと記憶しているが、ストレスフリーの状態とは、このような心境に近いのではなかろうか。こじ付けがましいが、何者にもとらわれず、何者にも左右されない。あればあった出よし、なければないでよし・・・という心境。執着する心がストレスを生む。現代社会では、お金、仕事、人間関係、世間体、社会常識、優越感、劣等感・・・と、執着するものに取り囲まれている。小さな籠の中に閉じ込められて、食べられもせぬにんじんを目の前にぶら下げられた馬のごとく、疾走している。その中で右往左往し、ストレスを溜めて身体を自壊している。(自壊させられている)執着ゆえに、堂々巡りを繰り返す。 魂の想い(心)と表在意識の思い(心)の乖離が大きければ大きいほど、ストレスは大きくなる。 魂というものは囚われることなく、自由な思いの存在。 しかし、表在意識は多くのものに囚われて、執着している。その執着が魂に垢としてこびり付く様になり、魂自体が苦しくなる環境になっている。 都会という魔界都市では、心の膿が噴出しているようですね。 夕方、1200ccのバイクに乗った男性と話をした。バイクで回っているようで、20年以上回っていて、回っていない箇所を回っているとの事。ベテランです。バイク自体も、冬季には自分で整備するようです。ネジの一本一本をしっかりと磨いているようです。夕飯をご馳走になった。ありがたいことです。 9月12日 早朝に雨が降った。犬を連れた老人の予想が当たった。 雨で足止めされるか・・・!?やれやれ・・・。(内心はちょっと嬉しい。たまつくりという駅は気に入っているからね)朝、犬を連れた老人が来た。トマトジュースをいただいた。ありがたいことです。 早朝はどく黒い雲に覆われいたが、時間がたつにつれて晴れてきた。 7時前にたまつくりの駅を出発。 残暑厳しい時、茨城県の霞ヶ浦市の森では蝉が鳴いている。元気に鳴き競っている。 とことことこ・・・テクテクテク・・・ごろごろごろ・・・と歩く。土浦市で迷った。大雑把な地図しか持っていないから、地元の人に聞きながら歩く。どうにか354号線に出て、水海道市を目指す。だんだん暗くなる。ストレスフリーといいながら、唯一ストレスが出てくる夕方。どこで野宿しようかと、野宿できそうな所を物色しながら歩く。公園があった。藪蚊が多かった。又、地元の人の話では、悪さする若者が多いから気を付けるようにとのこと。私は歩き出した。 とことことこと歩き、つくばエキスプレスの緑の駅についた。きれいな駅で、近代的な雰囲気を感じさせます。ここのトイレで身体を拭き、着替える。 近くのコンビニに食料とビールを買いに行った。帰ってくると、警官が私の荷物の近くに立っていた。不審物として通報されたのでしょうね。 駅では、市議会議員の立候補者が挨拶をしていた。私は一旅人。関係ないから、シカとしていたら、私にも挨拶に来た。私は旅人ということで断ったが、何かに付けて話しかけてくる。こうなったら・・・と、民主党の立候補者に、現在の民主党の不満、私が被災地を回ってきて、聞いた話の内容を話した。そして、声高に、荷物をさして、「あの荷物を持って、被災地を回ってきた!」と話していると、警察官二人は引き上げた。(笑 政治家たちは、選挙の時だけ頭を下げる。なんと言ってよいのかね〜。 9月13日 つくばエクスプレスのみどりの駅で目覚める。 昨夜は酒も飲んでいないのに、つくば市議候補に絡んでしまった。まあ〜民主党の立候補者だからね・・・!?少しは考えてもらえるといいのだがね。まだ若い人だから、所属に関係なく、新たな意識を持ってもらえたら、変わってゆくと思うがね。昨夜の事も、「たまたま」とか「偶然」とかで済ますことは出来ないと思う。「必然」的な事が彼に起きたと考えるほうが良いと思う。私が千葉に向かわずに内陸に入ってきたことも、必然的な流れであったことでしょうね。 つくばの朝。 まさしく秋の朝である。さむい・・・。しかし、頑張って歩いてよかった。気持ちの良い朝を迎えることが出来た。5時過ぎだというのに通勤、通学の人が電車に乗車している。このつくばの緑の駅から秋葉原まで1000円の区間。魔界都市東京に近い。 「トンズラしたい病」が発症する時は、表在意識の行使の時が多い。トンデモなことを平気のへいさ(他人との積極的な会話などで)で行っている。現時あの私の表在意識がどれだけ歪んでいるかが覗われる時であり、身も世もない気持ちにさせられる時でもある。まだまだ・・・ですね!?社会常識的には・・・!?ですが、魂的には「ちょっと〜!?」と、いう感じになっているのでしょうね。「沈黙の行」が必要になるという感じを受ける時でもある。私の内面の世界の問題でもあり、外の世界の接点でもある表在意識の問題でもある。 まあ〜わざわざ自身の愚かさを示す事もないと思うがね。愚かな事です。今までの人生(押さないときから退職するまで)は、意図的に愚かさを装ってきた。その修正が抜けずらいようです。そのような習慣がついてしまっているからね。そのような環境に追い込まれ、そのような護身術を身に付けてしまっている。 もう、よそう!つまらぬ自責の念に苛まれる事は。 9:30頃水海道市に着く。 つくばの緑の駅から近かった。つくばの緑の駅を出発したのが7時前だから、3時間位の歩きの旅。つくばの駅で予約をとっているから、チェックインまで時間潰しをしなければならない。街を散策する。閑静な街です。 歩き回っていると、図書館という看板が目に付いた。そう、図書館!学んでいる時によく利用した図書館。図書館は冷房が効いて、静かで、本が読める。図書館に避難(避暑)した。快適である。 ホテルにチェックインし、洗濯と入浴。のんびりとした。 夕方、ビールとつまみを買いに行き、部屋でのんびりと寛ぐ。 スーパーに買いに行く時、何か様子がおかしな男性がいた。私に何か言いたそうな感じを受けたが、私は無視した。それが良かったのか悪かったのかは判らないが、雰囲気的に避けたかった。 6日間野宿であったので熟睡した。 9月14日 今朝、早朝に地震があったようだ。 私は気づかずに寝ていた(笑 震源地は茨城県と千葉県の境の千葉県側。震度4との事。私の行動予定通りに動いていると、ちょうど震源地の直上あたりで野宿していると思う。どのような混乱、事件、事故、自身のパニックに襲われていたかはわからない。「道の駅 たまつくり」で見た矢印の雲のシグナルは、やはり、目には見えない世界からの私への誘導だったと感じる。 タバコを買いに外へ。とにかく暑い! 昼、ホテルに帰り、ビールを飲んで寝た。 なんか・・・リアルな夢を見た。大阪、姫路の地名が出た。高層ビルが大崩壊する映像を見た。リアルなもので、短編映画をいくつも編集したような夢で、夢の中で他の人と話をしている私がいる。 9月15日 水海道のホテルを8:30頃出発。 朝食はバイキングだから、たらふく詰め込んだ。旅に出るまでは、肉食は控えていたが、旅に出てからは、出されるものはありがたく全部戴く事としている。はじめはゴロゴロピーピーだったが、このごろはお腹も慣れてきたようだ。 「道の駅 さかい」に3時頃着く。およそ7時間の歩きの旅。境の雰囲気(波動)を感じる。車の出入りが激しい。 夜はデートスポットの場らしい。数組のカップルが来たが、変なおじさんが野宿をしているので、短時間で帰っていった。夜中、不審な男性が徘徊している(自分のことは棚に上げている放浪者・・・苦笑)。 9月16日 「道の駅 さかい」で、6時過ぎ目覚める。 隣のベンチに老人が座っていた。私は挨拶をした。老人はこくりと頷いた。どの地域にいても、相手がどのような態度に出ようとも、はじめの挨拶だけはしっかりとしたい。 早朝から観光バスがやってきた。トイレ休憩のようだ。 このさかいの駅でも子猫2匹見た。捨て猫の子供か!?親猫の姿は見られない。掃除のおばちゃんがぶつぶつ言っている。えさをやるからいつくのだと。私は不愉快な思いを押し殺し、私の持論を丁寧に話した。このような状態になった責任は人類にあるとね。おばちゃんも同意をしてくれたが、現実問題として困った状況であることは確かなことである。 さかいの空は夏の空。 今まで「道の駅」を巡って来て、主だった駅には其々特徴的な人物がいるようだ。 車中泊の人と思うが、休憩所が開くと、飲みものとパンを買って来て休んでいる。 「そうま」では、三重から犬を連れて居ついている老人。 「足立」でも車中泊をしている男性。 「たまつくり」でも、新しい軽の車に家財道具と思われる荷物を載せて、休憩所が開くと休んでいる男性。 ・・・いろいろとあるものです。 今日、色々と考えた。 354号線は道幅も狭く、交通量が多く(特にトラックの往来が多い)、危ないので、歩きやすい道を選んだ。目的地には遠回りになっても、安全第一です。時間はたっぷりとある。これまでは、地理的にわからなく、地図とおりに進んでいたが、今後は、危ない道は避けようと思う。ドライバーにも迷惑をかける事がない様にね。 歩きやすい道を選択すると、「結城」方面に向かい、途中で左に折れて4号線に出ればよいと思う。 さかいの空も様子がおかしい。晴れていたと思ったら曇り、雨が降ってくる。「狐の嫁入り」のような空模様の感じである。 雨がやんで、青空が見える時に「さかい」を出発した。 「道の駅 さかい」を出発して、とことこと歩きやすい道を歩き、古賀を目指す。 歩きやすい道を選ぶと、本当に歩きやすい道が出てくる。そして、いつしか河川敷の堤防に出ている。その堤防をとことこと歩いて、ジョキングしている人、ウォーキングしている人とすれ違い、とある若いジョキングしている人に、「古賀までの距離を聞いた」。すると・・・。 ジョキングしている人 「どこから来たのですか!?」 私 「道の駅 さかい から来ました。古賀までどのくらいありますか?」 ジョキングしている人 「道の駅 ごか はここからこの方向にあります。距離的には近いですが、道がわかりにくいですね。ちょっと引き返し、あの橋を渡ってゆくしかないですね」 私は、彼が誤解をしているとわかったが、道の駅が近いのならば、そちらに行けばよいという判断をした。私はお礼を言って引き返し、橋を渡り、彼が示した方向に向かい歩いている。途中、畑仕事帰りのご婦人に道を尋ねる。ご婦人は驚き、歩いてゆくのですか!?と聞き返しているが、私にとってはいつもの事です。これまでの歩きに比べれば、数キロの距離など物の数ではない。私は丁寧にお礼を言って、その場を後にした。 とことこと歩き、「道の駅 ごか」に着いた。 トイレで体を拭き、着替える。 このごかは、地域の避難所になっているので、大きなアーケードが設けられている。お客さんも家族連れが多い。子供を連れて来る事が出来る安心感があるのでしょうね。 道の駅 ごか ここで野宿をしていると、夜中に雨が降り出した。1〜2時間熟睡したらしい。しかし、道の駅で野宿していてよかった。この雨の不利は、豪雨と読んでもよい降り方です。道端のどこかで野宿をしていると、ずぶ濡れの状態になっていたことでしょう。この事でも、勘違いをしてくれた地元の人に感謝です。 9月17日 道の駅 ごか で目覚める。 ベンチでぼ〜っとしていると、トラックのドライバーに話しかけられた。「どこいくの!?」という、いつもの声かけですが、私はいつもの旅の説明をした。少し話していると、私を見ていて、ホームレスと思っていたようだが、何かホームレスと雰囲気が違っているとの事。だから、声をかけてきたらしい。私は、どこから見てもホームレスだからね(ドライバーははっきりと、あんたはどこから見てもホームレスだよ!と、言ってのけたが・・・!?)。はじめは旅に話しをしていたが、途中からドライバーの会社の話になった。 妬み大き社長とその愛人お話。 仕事上で大きなストレスを抱えているようだ。私は、黙って話を聞いていた(時折あいずちを打つ)。仕事、人間関係など、多くのストレスに苛まれ、仕事場を変える考えを持っているということを打ち明けてくれた。ドライバーも誰かに心のうちを聞いてほしかったのでしょうね。この事は、多くの被災地の人だけではなく、多くの人に当てはまること。 話すという行為は、心のストレスの軽減に繋がり、話す行為により、自身で答えをつかむものだという事(答えは自身で持っている・・・ここの所が重要である)。 ドライバーは、私というどこの骨とも知れぬ放浪者に話すことにより、自身を見つめなおすことができ、思考が整理されてきたのでしょうね。話し終えた後はすっきとして分かれた。 ところが、しばらくすると、ドライバーは女性と歩いているところに会った。ドライバーは、「かあーちゃんを呼んだ!」と、うれしそうに奥様を紹介してくれた。私自身、なんかうれしかった。 「道の駅 ごか」 非常に賑わっている。連休の最後の日だからか!?家族連れが多い。やはり、この駅は家族連れで来れるほど安心出来る駅なのでしょうね。 17日。今日で三日連続の通り雨。関東平野は天気が変わりやすいと地元の人は言う。突風による車の横転事故も起こると。 今日は。ごかの駅では午前一回、午後一回と新米を使ったおにぎりの振る舞いがあった。普通のおにぎりだが、中に何か具が詰まっているおにぎりは「あたり」という事で、新米5kgの景品がもらえる。私としては、新米のおにぎりを食すことが出来ただけでありがたいことです。 しかし、まことにおかしな天気である。 夜には断続的な集中豪雨があった。降っては止み、降っては病み・・・。そして、降っている時にはまさしく豪雨である。 |
名前 内容
ふわり この日記が後に続く流浪者たちのガイドになるかもしれないねえ (12/10/07 12:35)
ルポ ただ、やはり人は孤独には弱い存在ですから他人を求める訳ですが、問題は他人に依存しないという事でしょうね。依存すればストレスが生まれます。 (12/10/07 09:48) ルポ その通りですが、達観するには年齢を重ねる必要があります。 それも又自然の理かも知れませんね。 (12/10/07 09:44) |
タイトル一覧 月別 |