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なんくるなるさぁ〜! |
■ 2004/11/30 (火) もう一度… |
能力開発セミナーについて触れることにしました。
ただし今回は全く別の角度からです。 もしもセミナーに参加していなかったら、 もっと平凡に生きれていたのではないだろうかと思う自分がいるのも本当です。 もちろん以前お話したように参加したことで、 気付けたこともたくさんありました。 自分の生死に関わる部分も、まさしく救われたなぁと思える部分もあります。 それでも「セミナーに参加していなかったら…」と考える自分がいるのです。 おそらく参加していなくて、昨年3月の状況に陥ったら、 もっと早い段階で他の仕事を探し始めていたかもしれません。 逆にもっと早くに仕事に耐え切れなくて辞めてしまっていたかもしれませんが。 ポジティブ・シンキングの話もしていますが、 私ができているから話しているわけでもありません。 していてもちっともよくならないじゃないかって思うからこそ、 何がその原因なのかを探っているわけです。 切羽詰った状態だから、必死にそれを見つけようと思っているわけです。 まだお話できていませんが、その原因はわかっています。 ではそれをどのように克服したらよいのかを模索している状態でもあります。 私は元々話すことでいろんなことを自分の中で整理していける人間ですので、 この日記の場をお借りしてお話させていただいております。 たくさんの方がコメントをくださることに心から感謝しております。 そしてこれからも試行錯誤の内容をこの場でお話させていただきたいと思っています。 よろしくお願いします。 偉そうなことを話しながら、 自分の中でグラグラ揺れているのが今の本当の私の姿です。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>同感です。こうしてコメントをいただくと、いろんなことを考えさせられます。感謝です。 (04/12/02 00:46)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>私は「反省」することを否定しませんよ。これを「ネガティブ」とは言っていません。私は「行動」についてのポジティブ・ネガティブについては話していないつもりです。「汚い言葉」と表現しましたが、「バカヤロー」とか「死んでしまえ」とか、「ダメな奴だ」とか、こういう言葉を「ネガティブ」と読んでいます。多分、話している部分がずれてしまっているように、今回のコメントを拝読して感じました。…すっきりするかどうかはわかりませんが、話すことで自分の中を整理させてもらっています。そしてコメントを拝読して、いろんなことを学ばせていただいております。感謝しております。 (04/12/02 00:45) 幸運を祈る ここで書かれてる人達の日記は、色々ためになったり読むと疲れを忘れさせてくれますです。 (04/12/02 00:07) 訂正 PS 人の話したり・・>人に話したり・・ (04/12/01 11:53) 大人の少年 「ポジティブ・シンキング」、前向きに考えることはいい事だと思いますよ、先のレスにも書きましたが、私は、なんせ文章力がないので伝えたい事をどう文章にしたら良いか悩んでしまいますが、「ネガティブが・・」について補足すると前向きに目標にむかって突き進む事もいいのですが、時には立ち止まったり、寄り道したり回り道したりする事を人によってはネガティブにとらえられますが、それによって何かを得られれば、ナガティブではなくなると思います。PS 人の話したり書き出す事によってすっきりするのであれば、できるだけ吐き出してくださいね・・。 (04/12/01 11:52) |
■ 2004/11/30 (火) 病は気から |
「成功哲学」「能力開発セミナー」という言葉を持ち出すと、
皆さんお一人お一人にいろんなイメージがあって、難しいなぁと思ってしまいました。 こうした事柄に一番猜疑心をもっていた私です。 皆さんの感じられていること、おっしゃりたいことはよくわかります。 ですから少し話の角度を変えまして、 病気についての個人的な経験をお話したいと思います。 そうすることで私の話したい核の部分を少しはご理解いただけるかなと思います。 1年で契約が切れ、そして再び戻ってくるように言われて、 私自身の専門外の科目を、しかも自分の高校生時代に習ったこともない科目を 急きょ担当するように言われました。 正直にいいますと嫌いな部類に入る科目でした。 これをいかに教えるのか、新学期4月の時点では白紙状態でした。 しかしいざ教え始めてみると非常に興味深い科目であることがわかりました。 そしてこの科目を教え始めて、私の人生観が変わりました。 その科目を教えるために勉強し始めて、 実際に教えていて、一番生き生きしていたかもしれません。 授業もとても挑戦的な授業をたくさんしました。 その生徒達とは初めて3つの科目で3年間付き合うことにもなりました。 そして3つの科目を教えても彼らは この一年目に教えた科目の先生というイメージがと強いと卒業するまで言われました。 契約の不安が軽減されただけでなく、 毎日とても充実した授業を実践できていました。 ところがです。2ヶ月経つか経たないかぐらいに激痛が走りました。 非常勤ですから授業に穴を開ければ、収入に即直結します。 病院にいきましたが精密検査を受けなければならないといわれ、 今すぐ入院ということにはなりませんでしたが、 痛み止めの薬をもらって激痛に耐えながら教壇に立っていました。 検査日まで1週間。そして結果が出るまで1週間。 一体全体どんな病気なんだろうと不安な毎日でした。 おおよそどの臓器の病気かはわかっていましたから、 検査結果を聞きに行って、病院の待合所で長い時間待っている時に、 「なぜこの病気になったのだろう?」と考えを巡らせました。 セミナーで聞いた事なのか、本の知識だったのかそのときはよくわからないのですが、 「この臓器が病気になるって事はこういうことだよなぁ」と思いました。 「自分自身へのある特定の「思い」の蓄積がある特定の部位への病気を引き起こす」 ということを受け入れて考えてみると、 私の病気に関しては思い当たることがありました。 そしてそのときその「思い」「考え」をやめようと決意しました。 そして診察室に呼ばれて病名を聞きました。 大病であることには変わりはなかったのですが、 痛みの原因はもうすぐなくなるところまできていることがわかりました。 もちろん入院などの必要も全くありませんでした。 いくつかの病気を併発していましたので、 定期的に病院に通うことにはなりましたが…。 そして病院から家に帰ったその夜のことです。 その病変が自分の中から出てきました。病院から帰ってすぐのことでした。 この瞬間痛みからも解放されました。 あまりにもあっけなくこの病気とは縁がなくなりました。 もちろん病院で病名をききましたが痛み止め以外の薬はもらっていません。 何の治療もなく病気はなくなってしまいました。 再発の可能性があるということでしたので、 検査をその後は定期的に受けましたが、今は至って元気です。 その後私は「病気」と「心」の関係をたくさん勉強しました。 もちろん病気には「怪我」も含まれます。 病気だけでなく体重の問題なども含まれてきます。 どなたの言葉だったのか忘れてしましたが、 「人間は長い闘病生活、長い獄中生活、長い浪人生活」を経験すると、 人間の「器」が大きくなるといいます。 自分の人生を振り返る大きなきっかけになるからだと思います。 能力開発セミナーで気がついたこと以上に私にとってはこの病気での経験の方が、 何十倍も気付かされました。 そして生き方を変えるきっかけにもなりました。 この病気が縁で新たな出会いも生まれました。 今回のタイトルは「病は気から」にしました。 これは迷信ではありません。まさしく「病気は気持ちから」です。 言い換えれば自分の「思い」・「考え」が病気を作り出しているといえます。 何と人間というのは創造的な生き物なのでしょう! またどこかでこんな話を聞いたことがあります。 人間というのわずか100年足らずで寿命を迎えるような存在ではないとの事です。 現にとんでもなく大昔のことですが300歳・400歳という人が 普通にいた時代というのがあったとさえいう人がいます。 もちろん「環境」が人間の寿命を短くしているといえます。 その「環境」を作り出しているのも人間ですよね。 長生きすることがいいと言いたいわけではありません。 ただ人間の「思い」・「考え」の自・他に与えるインパクトに、 是非気がついていただけたらと思うのです。 少なくともそのことに私は気がつくことで人生が変わりました。 もちろんそれでも「壁」を感じている部分があって今の状態があるわけですが…。 次回から少し話の内容を変えようと思います。大元に戻すといいますか…。 ただこの3回でお話したことは私の「モヤモヤ」・「壁」の部分を理解する上で、 どうしても避けて通れない部分だと思って話をしています。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>言葉は難しいのですが、生活のあり方の変化ということですね。大人の少年さんの考える「今後の環境の変化」については了解しました。ありがとうございます。 (04/12/02 00:35)
大人の少年 「今後の環境の変化」>地球環境とが自然環境とかも関係あるとは思いますが、私自身は、人が生活していくうえでの環境の変化ということです、例えば食生活では、遺伝子組み換え食品や、サプリメントなど・・知らず知らずに食べているさまざまな食品がもたらす影響がどうなのか・・?また生活スタイルにしても、例えばお風呂に入る習慣でも最近はシャワーのみで終わってしまう人など・・日本人の長寿の秘訣はなんといっても湯船につかって身体を暖めていることだと思うからです、フィンランドでは湯船に替わりサウナで身体を暖める習慣があるから日本と同様に長寿国であると思います、またあらゆる物が抗菌仕様になっていたり・・これでは抵抗力のない体になってしまい弱体質の人ばかりになってとても寿命が延びるとはあまり思えないです。 (04/12/01 12:12) なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>大抵の病気は突然に大病になることはありません。大抵の大病は3年前ぐらいに必ずといっていいほど、深刻な精神的ストレスがのしかかる状態があった結果だそうです。どんな病気も基本的には防衛反応です。一番簡単なのは「休みなさい」というメッセージです。調子の悪さをあまり気にしなくとも、適切に「休むこと」ができていれば、酷くなることはないのだと思います。逆に適切に休まずに無理をすれば、寝込む状態が現れるかもしれません。とかく現代社会は身体を無視して「無理をする」のが当たり前のような社会になっていますからね。まずはそれでも「休むこと」。これが大切ではないのかなぁと思っています。 (04/11/30 23:26) なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>そのお友達の方は「信仰」をお持ちだから、それが可能だと思われますか? 全くもって私の直感でしかないのですが、ご自分の売る商品への信頼が「幸せを売る」という信念へとつながっているように思います。どのような商品を売られているのかわかりませんが、「信じること」…これはもちろん特定の宗教を信じるということではありません。…がひとつ鍵になるような気がしています。ロールキャベツさんはそのお友達のようになりたいですか?そのあたりをきかせていただけたらううれしいです。 (04/11/30 23:22) なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>こちらにもコメントをありがとうございます。私は寿命はまだまだのびると思います。ただ人間としてイキイキと生きてかどうかはわからないと思っています。医療技術はさらに進歩するでしょう。たくさんの器具に助けられながら、寿命はまだまだものびるのではないかと思うのです。またまた大人の少年さんに質問なのですが、「今後の環境の変化」とは大人の少年さんはどのような変化をお考えですか?ぜひおきかせください。 (04/11/30 23:16) 幸運を祈る 確かになんか調子悪いと思っていて、あまり気にせず全然平気だって思っていたら、いつのまにか治っていた時ありました。その逆もありましたけどね・・・ (04/11/30 20:31) ロールキャベツ すごい友人がいます。彼女は常に考え方がポジで営業をやっているのですが、自分が相手に対して商品をうるだけでなく、幸せを売っていると信じています。話していると相手もだんだんそういう気になってきて、幸せをもらう気分でお金を出してしまいます。彼女はお寺の娘ですが、何か信じるものがある人の強さを感じています。 (04/11/30 16:23) 大人の少年 まさに病は気からですね・・、人間はその環境に適応しつつ進化成長してきましたが寿命は今がピークかもしれませんね・・今後の環境の変化に現代人が適応していく事が出来るのだろうか・・?少々疑問です。 (04/11/30 09:08) |
■ 2004/11/28 (日) 成功哲学 |
近頃は新聞の広告欄を見ても、書店に足を運んで平積みになっている本を見ても、
「お金儲け」の本ってとっても多いですよね。 株や投資のHow to本も多くありますが、「お金持ち」というテーマの本も多くあります。 それらに付随して、成功哲学の本というのも昔のものがリバイバルされて、 ずいぶんとたくさん出ています。読まれた方も多いのではないでしょうか? 私の学生時代のバイト先の上司はこの成功哲学の本が大好きで、 いつもいつも読んでいました。 それらに付随したカセットテープなども買っていましたね。 私はそういう本には興味がなかったので、貸してもらっても読まずにいました。 何か胡散臭さを感じていたのです。 ところがですね、そうもいっていられない事態に陥りました。 業界で日本一の業績をあげてしまうような上司ですから、 ただの成功哲学好きの人というわけではなかったのです。 今は不景気ですからそういうところは減っていると思いますが、 研修の一環としていわゆる能力開発のセミナーに社員を参加させるケースがあります。 上司は社員研修ではなく、自費でこの会社に入った頃にセミナーに参加していました。 だから普通の人がするような発想とは全く違うんですね。 前回お話したような「イメージ」も使っていましたが、 目標を紙に書いたりして、何度も読み返すようなことを常々していました。 能力開発セミナーっていかにも怪しげですよね。 将来教師をするのならきっと役立つはずだから行ったほうがいいよと、 ずいぶん前から何度もその上司から誘われていました。 もちろん怪しげで行きたくありません。お金もかかりますからね。 そして論文に追われ、研究者への道が途絶えた頃、 彼から強く強くセミナーに参加するように説得されました。 彼が仕事と人間関係に行き詰まり、異例のことでしたがセミナーを再受講しました。 ちょうど4月から非常勤で働くことが本決まりになった頃です。 論文を提出するまでは無理だときっぱりと断りましたが、 その後で構わないからと、受講費をそのときは出してくれて(後に返しましたが)、 参加することになりました。 このセミナー、いろいろ問題はありましたが、私の人生を変えました。 変なことをいうようですが、 もし参加していなかったら今の私はこの世にいなかったかもしれません。 高額の参加費も研究者への道が途絶えたことで学費を充てることができました。 もし途絶えていなかったら、人生はもちろん変わっていましたが、 その後人生のどこかで壁にぶつかっていただろうと思います。 今だって壁にぶつかっているわけですが、 きっと壁に押しつぶされてしまって、それこそこの世にいなかったかもしれません。 胡散臭い成功哲学の本もこのセミナーをきっかけにたくさんたくさん読みました。 前回お話した他校の採用試験を受けに行った時に「イメージ」したのも、 もちろんセミナーやこれらの本から得た知識を応用したからです。 しかしこのイメージを使ったやり方には「タイム・ラグ」があることは、 前回の日記の中のお話でお分かりいただけると思います。 それこそ自分に都合がいいようにはそのイメージを活用できていないんですね。 バイト先の上司とも話したことがありましたが、 ずっとそれがどうしてなのかわからずにいました。 人間というのはどうしても物事を「ネガティブ」に考えてしまう生き物のようです。 そしてそのネガティブな考えがそのまま現実となって現れてしまう。 成功哲学のアイディアはそれをイメージや アファメーション(肯定的な言葉の自分への問いかけ)を繰り返し行うことで、 普段ネガティブに考えてしまうことを打ち消すことで、 ポジティブな現実を生み出そうというものです。 だから一生懸命にポジティブなイメージを持とうと努力するわけですが、 これがめったにポジティブな現実とはなりません。 現に私も私の上司もそうでした。 確かにいつか叶うのですがベストなタイミングで、 自分にとってベストな形で叶ってしまうことがありませんでした。 ポジティブな自分への問いかけはしないよりはした方がいいに決まっています。 それは人間は常々「ネガティブ」に考える生き物だからです。 ポジティブな問いかけをしていたから、必要以上に悪くならなかったのでしよう。 あの時教壇に立つイメージをしなかったら、 戻ってくるようにいわれた非常勤の職も他の人にいってしまったかもしれません。 現に候補が他にもいたことを後で聞かされましたから…。 いずれにせよこれだけでも人の「思い」の力というのを まざまざと私の場合は実感することができたわけですが、 これだけでは済みませんでした。 「心」と「思いの力」の凄まじい力にこの後私は翻弄されることになりました。 それは次回にお話したいと思います。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>私の疑問への回答をありがとうございます。私は人間はほっておけばどんどん悪い方向に物事を考えてしまう生き物だという認識に立ってお話を始めました。それで自分が望むとおりの、文字通り「文句なし」「不満なし」の人生が歩めていればいいのですが、現実はそうでありませんよね?少なくとも今の私は不満のない人生ではありません。その人生を作り出しているのが、もし自分の思いや考え方、普段無意識に口にしてしまうネガティブな言葉、ここでは「汚い言葉」という意味なのですが、これらを口にしたりすることによって、その現実をひきつけているとしたら、それを意識して変えてみることで、人生を変えられないものかと、提案しているのが、「成功哲学」を始めとした、「ポジティブ・シンキング」の主張なのだと理解しています。したがって、ネガティブな考えや態度を続けていて、その人生に不満がないのであれば、私の話していることは全くもって無意味なことなわけです。むしろ、ネガティブな言葉を使わないように、ポジティブな言葉を使っているけれどうまくいかず、ポジティブは自分にとっては難しいと、自分を責めてしまうのは一番のナンセンスなのだとも思っています。ただこの話には奥の奥があります。それが私が本当に話したいことです。そして皆さんにそれをどんな風に思われるのかを伺いたいとも思っています。そこまでまだまだ話せていませんが、そのときはよろしくお願いします。 (04/11/30 23:10)
大人の少年 ネガティブが必ずしも悪い事ではない>人間には後悔、反省、後ろめたい行動、など・・人によってはネガティブな事のようですが、それに対するイメージは人それぞれ違います、仰るように「いい、悪い」を判断するべきでないもの(事)もありうると私も思います。例えが適切ではないのかもしれませんが、世の中には「必要悪」というもの(事)の存在も否定できないと思います。(質問の答えになってないかも知れませんが・・。) (04/11/30 09:31) なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>大人の少年さんへの返信にも書きましたように、ネガをいい悪いで本来は判断しなくてよいものなのかもしれないと思っています。まだこの話自体が私が本当に話したいこと、モヤモヤしている部分の入り口でもあるので、わかりづらい表現もあるかもしれませんが、「ポジ」「ネガ」ということに「判断」を持ち出さないことが、一番大事なことじゃないかなぁと思っています。もう少しこの続きを読んでみてください。いつもコメントをありがとうございます。 (04/11/29 23:39) なんくるなるさぁ〜 40@男さん>私としては珍しく能力開発セミナーのよい面だけに焦点を当てて話しました。「いろいろ問題はある」と一言いれておいたのですが、それが打ち消されるくらい肯定しているように受け取れる文章だったのかなぁとコメントを拝読して思いました。こうしたセミナーの悪評の部分は手法ではありません。むしろセミナーを維持していく、その経営のあり方に問題があって悪評が目立っています。洗脳や暗示といったものは確かに使っていますが、これは現実社会の方がよっぽどひどいかもしれません。こうしたセミナーについてお話をしたくて、今回のお話を始めたわけではありませんので、セミナーそのものについては、また別の機会にお話したいと思っています。40@男さんに毎日読んでいただけて、ありがたい限りです。ありがとうございます。 (04/11/29 23:35) なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>いつもコメントをありがとうございます。本当は私自身「ポジティブ」「ネガティブ」にほとんどこだわっていません。前回の日記にコメントをくださった方の中に「+思考」・「−思考」を使っていた方がいらっしゃったので、その方がわかりやすいのかもしれないと思い、ポジ・ネガを使っただけなんです。ところで大人少年さんに質問なんですが、ネガが必ずしも悪く事ではないケースというのを教えていただけますか?それとも「いい・悪い」で本来は判断するものではないのかもしれないとも私は思ったりもしています。 (04/11/29 23:21) 幸運を祈る ポジティブって難しいですよね。絶対にポジティブに考えようと思ってもどこかしらで、ネガティブな考えをしてしまいます。完全にポジティブって本当に難しいなって思います。 (04/11/29 21:15) 40@男 本日は能力開発及び自己啓発セミナー等についての私個人の考え方をコメントさせていただきます。この手のセミナーは”諸刃の剣”であると思っています。洗脳や暗示の手法も多く取り入れられていますし、ともするとその手法に飲み込まれてしまうこともあります。自己をしっかりと保ち続ける意思と必要なものを取捨選択し受け入れる柔軟性があれば、より自分を高めることが出来るものだと思っています。ともすれば取り込まれてしまう人も多いので悪評を耳にしますが、セミナーを受ける側によって善にもなり悪にもなるのではないでしょうか。PS:日記を毎日見させていただいています。おぼろげながら、なんくるさんの思考の方向性が見えてきたような気がします。もう少し日記を読む方に重きを置きたいと思います。 (04/11/29 14:15) 大人の少年 ポジティブはイメージを持ち続ける事は、いいことだと思いますがネガティブが必ずしも悪い事ではないはずです、人生、時には、過去を振り向くのもいいかも、です。 (04/11/29 10:23) |
■ 2004/11/28 (日) 潜在意識の力 |
突然これまでの話の流れとは別のようなタイトルになりましたが、
私の中では繋がっています。 今後話しを進めていくときの鍵にもなると思うのでお付き合いください。 私のこれまでの人生では試験と名のつくものとの相性がトコトン悪く、 毎回希望をしていない所に結局進むということばかりでした。 何とツイてない奴なんだと自分を何度も責めました。 自分が望むものを手に入れられず、何度も涙を流したことか! しかしツキのせいばかりにしていられないことが仕事については起こりました。 私は中・高・大学と、全て滑り止めにだけひっかかりました。 中学受験もしましたが結局公立に通いました。 だから高校こそはと頑張りましたが、これもまたダメ。 最後は大学で逆転と意気込みましたが、惨敗しました。 浪人は許されない環境にありましたから、滑り止めにかろうじて補欠でひっかかっていたところに、 全くの不本意ながら進学することになりました。 ただし仮面浪人は許すというので、大学に通いながら受験勉強を続けました。 行きたかった大学に入学することを夢見て。 その大学の最寄り駅から颯爽と歩く自分の姿をありありとイメージしながら、 コツコツと受験勉強を続けました。 幸い素晴らしいお二人の先生に出会うことができて、入学した大学で勉学に励むことに決めました。 それでも3ヶ月ぐらいは受験勉学をしていたでしょうか。 ところがその仮面浪人をしたときにしていたイメージが思わぬところで叶ってしまいました。 それが私が勉めていた学校でした。 ○○駅で降りて、そこから学校に通うと言い聞かせていました。それがその通りになりました。 現実は非常勤で働くことでさえ狭き門なのです。 教壇にたてるだけでも幸せ者だともいえます。 また一年契約が切れたとき、他の学校に試験を受けに行きました。 その学校でほしい先生の科目は私の専門ではありませんでした。 それでもどうしても教壇に立ちたくて、その科目を教える自分をありありとイメージしました。 何度も何度も教壇に立つ自分をイメージしたんです。 そしてクビになった学校から以前お話ししたように事情が変わったので戻ってくるように言われ、 再び教壇に立つことができました。 驚いたのはその翌年で、新年度が始まったばかりの時に急遽校長命令で、 未経験の科目を担当するように言われました。その科目が他校で試験を受けた際にイメージした、 まさしくその科目でした。それに気付いたときは唖然としました。 随分と後になってから気が付いたのですがね。 なりたいイメージする。これって潜在意識の領域を利用しているのだそうです。 でもこれをよく考えてみると、起きていること全てに自分の考えが関係しているのだなぁと 気が付きました。意識している・いないに関わらず思ってしましたから現実になるわけですよ。 しかも忘れた頃にそれが現実になってびっくりするわけです。 前回お話しした研究者の道を進めなかったことも、 非常勤という中途半端な形でしか採用されなかったことも、 自分がそれを望んだからじゃないかとも考えることができたりします。 でもわざわざ好ましくない現実を誰も好き好んで望むわけはありませんよね? それはなぜなんだろう?とずっと考えていました。 こんなことを考えるようになったのは、以前お話しした塾の上司の影響でした。 今度はその辺りのことを話して自分の中の整理をしたいと思います。 よくも悪くもいろんな影響を与えてくれた人なので、区切りをつけたいので、 次回から話してみたいと思います。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>私も努力が足りなかったと思いますよ。自分の試験結果に対して…。でも「受験はギャンブルだ」という言い方をする人がいるくらい、「運」に作用されるものでもあります。それに望んでいるはずなのに、なぜ努力を自分にさせなかったのでしょう?…こんな風に自分の人生を自分で眺めてみると、いろんなことがわかってきそうなんです。そのことをこの後話したいと思っています。 (04/11/28 21:58)
なんくるなるさぁ〜 イカデビルさん>どうも大部分ではなくて、全部らしいですよ。そうやってこれまでの人生を眺めてみると、何かがわかるかもしれませんね。確かにプラス思考とかマイナス思考とかにも関係しているかもしれません。ただそれだけでは説明がつかない部分もあるのだと思っています。その辺を今後話していきたいなぁと思っています。 (04/11/28 21:55) なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>何か人にないものを持っているなんてことはありませんよ。逆にいうと誰もがもっているものだと思います。もちろん大人の少年さんだって。案外「妥協」っていうのが難しくしてしまう原因かもしれませんね。 (04/11/28 21:52) なんくるなるさぁ〜 ひろひろさん>運命ですか…。運命って変えられるものだと思いますか?変えられないものだと思いますか?どう思いますか? (04/11/28 21:49) 幸運を祈る 自分も試験というものは、駄目でしたね。自分の場合は、自分の努力が足りなかったのですけどね。 (04/11/28 21:29) イカデビル 興味深い話でした。結局自分が大部分の事象を導き出しているのでしょうか。やな事もいいことも。たぶんそうなのかも。だから、+思考が大事ってみんな言うんじゃないですか?−思考だとどんどん−へ向かっていってしまう、今回の話と結びつくのではないでしょうか? (04/11/28 11:41) 大人の少年 自分が望む環境に自身を導くと言うか、望む環境を自身がひきつけるか、何か人にはないものを持っているようですね・・。でも大多数の方々が、何かしらの妥協をしならの生活をしているようですね。100%自分が望む人生は、難しいです。 (04/11/28 09:23) ひろひろ それを、世の中に人達は、運命と言うらしい。 (04/11/28 08:02) |
■ 2004/11/27 (土) 次の天職へ向かって 2 |
研究者の夢が破れたとこと。
実はこのことは私の中にずっと今も引っかかっています。 教員が「非常勤」という中途半端な立場であり続けたことも、 このことがずっと心の中で引っかかっていたせいかもしれません。 私が教壇に立っていたのは高校でしたが、 何か自分でしっくりしていなかったんですね。 友人たちには「高校生より、中学生や小学生の方があっていると思うよ」と よく言われましたし、今も言われます。 でも私はより大人を相手に話したいという思いがずっと強くありました。 私が研究していた分野で日本の大学で教壇に立とうとすると、 まずはアメリカへ渡ってPh.Dを取ってくる必要が最低限あります。 つまり留学をする必要があるわけです。 残念ながら私は語学が弱く、研究者の道を断念せざるを得なくなったのも、 語学のみの入学試験にパスすることができなかったからなのです。 「教壇に立つ」という夢は叶いましたが、 何か自分の中では中途半端に叶ってしまった。 そして雇用状態も中途半端。何もかもが中途半端でした。 それでも高校の教員の採用試験はずっと受け続けました。 しかし採用人数は私の専門科目で年に1人いればいいという感じです。 受験者数の数がそのまま倍率になります。 もちろん優秀であればテストでまず好成績を挙げればよいのですから、 問題ないように思われるかもしれませんが、 教員の採用試験ほど曲者の試験はありません。 まさしく落とすための試験ですから、 受験勉強をしても大半は役に立ちません。 そんなことを知っていても何の役にも立たないようなことを 知っているかどうかが問われるわけです。 もちろん対策用の問題集などがたくさん売られていますが、 はっきり言って役に立ちません。 この採用試験ほどまじめに勉強して報われない試験もないでしょう。 たぶん合格できるのはよっぽど運がよかった人だけという感じがします。 それともよっぽどの偏屈か、 重箱の隅をつついたようなことまで知っている超物知りの人かどちらかでしょう。 この試験に合格して教員になった人が本当に教員として適切かといえば、 私には怪しいとしか言いようがありません。 この試験に通った人が教員をしている現状を考えれば、 当然不祥事が起きても不思議ではないと私は思うのです。 もちろん私の仲間にも教員をしている私よりも情熱のある人間もいますから、 全てが全てではありませんが、 この採用試験のあり方が今の教師の様々な問題を生み出す元凶になっているように 私には思えてならないのです。 ただでさえ難しいし試験です。 心のどこかで引っかかったまま受けても受かるわけありません。 中途半端な「非常勤」生活が続いてしまったのも、 元をたどれば夢が破れたことに帰着するのかもしれません。 どっちつかずのままずっといましたが、 いずれはこの「非常勤」の職でさえも、 辞めなければならない時が来ることはわかっていました。 「自分が本当に打ち込める職ってなんだろう?」 「天職ってなんだろう?」 「自分は一体全体どうしたいのだろう?」 ずっとずっと探し求め続けました。 ずっとずっと探し求め続けて、結論が出ずにリストラにあいました。 この答えが出るまで時間がほしかったというのが本音です。 これのことは以前の日記に書きましたね。 それでもどっちつかずの中途半端な状態を終わらせる、 大きなきっかけにリストラはなりました。 クビにならなければまだまだ中途半端でいたと思います。 今が中途半端でないといえば嘘になりますが、 もう一度白紙にして考えることができるきっかけになったとは思っています。 私の勤めていた学校は私学でしたから、 何十年も勤めあげる方がいらっしゃいます。 幸か不幸か65歳で定年になった方と組んで教えていた時期がありました。 彼に自分の未来を重ね合わせました。 教員同士の足の引っ張り合いに最後の最後まで関わり続けていました。 打ち合わせで話しにいくと聞かされるのは陰口ばかり…。 新しい教え方にチャレンジすることもなく、 何十年も前に自分で作った板書ノートと試験問題を使いまわす教員でした。 定年を迎え、翌年は私と同じ非常勤で教壇に立ちましたが、 非常勤になったとたん専任達は彼を無視し始めました。 大先輩ですら無視です。もちろん話をしないという意味ではありません。 我々一般の非常勤と同じ扱いになったということです。 そして一年後には彼は辞めました。 教員は子供たちに夢を与える職業だと思うのです。 その教員が自分の未来に希望が持てない状況におかれていること、 同じ毎日の繰り返しを何十年としていくこと、 これは本当に教員自身はもちろんのこと、何より子供たちが不幸です。 今にして思えばこのことに気付いたとき、 この学校を今度クビになったら教員になるのはもう辞めようと決めたのだと思います。 そのためリストラ宣告を受けてから、 もちろん時期も遅くなっていたのですが、他校を探すことはしませんでした。 今回で話したいことの外堀が埋まった感じがします。 返信してくださった皆さんの言葉の中にはまるで私の内側を ご存知なのかとも思われるような言葉をくださる方がいらっしゃって、 びっくりしている部分もあります。 それがどのことなのか次回あたりからお話できると思います。 それからこの日記の仕組みを詳しくご存知の方にお聞きしたいのですが、 この仕組みは同じ日に2つ以上の日記を更新することはできるのでしょうか? 「次の天職へ向かって 2」を今回書いていますが、 次回「3」を今日中に書いてしまうと上書きされてしまうのでしょうか? ご存知の方はぜひお教えください。よろしくお願いします。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>そうですね。探しませんでしたね。 (04/11/28 00:07)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>上書きされないんですね。今回は試せませんが、安心して書いてみます。ありがとうございます。少子化が進み、ますます私学は企業化していってしまっていますね。もっと独自色を出していけばいいのでしょうが、勤め先は受験校かをさらに加速させようとしていました。残念なことです。 (04/11/28 00:05) 幸運を祈る それでもう探そうとは思わなかったのですね。 (04/11/27 12:19) 大人の少年 自分の利益追求のみを求めるがゆえに他の人を蹴落とすようなことをするのはきわめて遺憾ですね、特に学校であるならば、生徒にも間接に影響しかねませんね、これでは企業が利益のみを追求して、その後の社会への影響など考えないのと同じですね・・早く新たな道を歩んでくださいね。日記は日に2回更新しても上書きされる事はないと思います、既に日に2回更新している人もいますよ〜。 (04/11/27 10:27) |
■ 2004/11/26 (金) 次の天職へ向かって 1 |
今回は教員になる前の話をしようと思います。
教員になる前は学生でした。会社勤めをすることなく直に教員になりました。 学生時代にアルバイトはしていました。 これも将来を見据えて塾の講師をしていました。 私の場合大学の勉強が好きで普通の方より長く大学で勉強をしていましたので、 その間ずっと塾の講師をしていました。 上司の信頼が厚く、契約社員として教室を任されたこともありました。 今でもたまに思い出すのですが、大学を卒業した直後の4月のことです。 同級生達は新社会人としてこれから会社勤めを始める。 契約社員としてバイト先の教室で事務処理をしながら、 何か取り残されたような、そして一般的なレールから外れたような、 そんな自分の寂しいような、やるせないような気持ちを思い出すことがあります。 何となくこのときから今の状況が決まっていたような、 そんな感じがするのです。 実際のところこの春に同級生達と共に就職をしていたら、 今こうして書いていることはなかったかもしれません。 もしかしたら、もっと早くにここを訪れ、 日記をこうして書いていたかもしれませんが…。 人生の大きな転機であったことは間違いありません。 そして教員になったとき、確かに夢は叶ったのですが、 心から喜べる状態ではありませんでした。 同級生達とは違うレールに乗っかった春に選択をした、 研究者としての道が断たれたのが、そのときでした。 今回は話が少しあちらこちらに飛びそうです。 思うままに書かせてもらいます。 読みづらいかもしれませんが、お読みくださっている皆さん、 お許しください。 私が学生時代にしていたバイト先の上司は、 その業界で日本一になったこともあるやり手の上司でした。 正確には私が勤めている間に日本一の実績を残したので、 とてもとても鍛えられました。 特に採用時の成績の悪かった私は厳しく厳しく鍛えられました。 それでも彼は私の人間性を見抜き信頼し続けてくれたから、 今があるのですが…。 彼は子供にかける情熱というのは半端ではありませんでした。 心から生徒のことを想い、そして生徒もそんな彼を慕いました。 彼のその情熱が日本一の実績を残したのだと思います。 彼からは「働く」ということもいろんな角度から教わりました。 契約社員として彼の代理を任されることもありましたから、 社会人としての最低限のマナーもみっちりと教え込まれました。 そして教員になってから、いかに教員の世界が生ぬるいものかを、 彼の元で働いていたからこそ理解することができました。 自己保身のための足の引っ張り合いばかりを目にしたからです。 教員同士が志を高く持って、協力し合って、 生徒のために何かをするなんてことは、まずありませんでした。 非常勤の何十倍もの収入を得ながら、したくない仕事はしない。 余計なことを提案しようものなら、お前がやれ。 他の教科間で陰口のたたきあい。 同じ教科の中でも表向きは仲良くしながら裏では悪口ばかり。 生徒が目の前にいなくなると、 教員たちの頭の中から生徒は全くいなくなっていました。 「長いものには巻かれろ」という言葉があります。 1年しか契約のなかった最初の年はこの学校を変えようと、 1年しかないのだからと、常識破りのことをたくさんしてきました。 しかし、再度契約がなされた2年目以降はたくさんの我慢をしました。 教壇に立てなくなることが本当に怖かったからです。 自分の「天職」が奪われてしまうことが怖かったからです。 旧態依然としたシステムが私学の場合はずっと踏襲されます。 とても非効率で教員の負担になっていることは明らかですが、 異を唱えれば来年の契約が危うくなります。 それをじっと我慢して続けていました。 そして皮肉にも学習指導要領変更により 担当科目がなくなったことでリストラにあいました。 もちろん年功も長くなり時間当たりの賃金が 高くなったことも理由にあったようです。 現場の効率性を高めることを我慢していたら 学校経営の効率性のためにリストラにあう。なんとも皮肉なものです。 よく友人達から学校をリストラされてから生計を立てるために、 塾の先生をしてみたらと言われることがあります。 教員になる前に塾でやるべきことはほとんどやりました。 そして塾の世界がいかにシビアなものかをよく理解しています。 とても変なことを言い出すのですが、 私は自分の専門教科を教えるのはおそらくとても下手だと思います。 その教科が好きな子にとっては興味深い話が次々に出てきて、 とてもとても楽しくなってくるのですが、 そうでない子にとってはどんどん込み入った話へと進んでいって、 難しくなってしまうようです。 それ以前に受験科目ではありませんでしたので、 生徒達の関心はテストの言葉ありであることがほとんどでした。 難しい話をきいて、それをテストに出されるのではかなわないというのが、 生徒達の本音のようです。 ある特定の教科を受験のために教えることは正直今の私には関心がありません。 逆にそうしなければ塾・予備校業界では生き残っていけません。 その意味で教員の代わりの職業に受験産業というのは今もありません。 不思議なもので話し始めると、いろんなことが頭の中を駆け巡って行きます。 そんなに普段は教育のことなど考えていないのですが、 書いていて少々自分でも驚いています。 そんな訳で今回も本当に話したいことが話せていません。 まわりくどくなっているかもれませんが、 本当に話したいことを次回こそは話そうと決意して、 今回はここまでにしたいと思います。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 アニキさん>読んでくださってありがとうございます。 (04/11/27 00:41)
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>特に私学のに場合はもう冬の時代に入っています。生き残りをかけて、切り詰めるべきことはどんどん切り詰めます。そのために校風さえ変えてしまうところもあります。私のところはそうでした。能力の高い高賃金の非常勤を立て続けにクビにして新卒を使う。しかも右も左もわからない感じの「イエスマン」をとる。教育の質は下がる一方です。それを解消するために予備校のサテライト授業(衛星放送授業)を取り入れているというからあきれます。「人間学みたいな科目があったなら…」…大人の少年さんはとてもうれしいことをおっしゃってくださいますね。そういう科目の授業をしたいです。 (04/11/27 00:40) なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>私も教えるのが上手な人は羨ましいですね。日記に書きましたが、教えるのはうまくないですよ。塾は本当にシビアです。子供も減っていますからね。 (04/11/27 00:33) なんくるなるさぁ〜 ロールキャベツさん>非常勤に対する信じがたい言葉というのは真実ですね。信じられない、信じたくないことなのですが、真実です。続き、コツコツと書いていきます。ぜひまたお読みください。 (04/11/27 00:29) アニキ 読んでて色々考えさせられます。 (04/11/26 23:55) 大人の少年 先生という職業の世界も複雑ですね・・、一般サラリーマンの世界とは別だと思っていましたが、経費節減したところで教育レベルはあがりませんからね、もし、人間学みたいな科目があったなら、なんくるなるさぁ〜さんにぴったりの科目かも知れませんね・・私が生徒なら、なんくるなるさぁ〜先生の授業を受けてみたいです。 (04/11/26 23:18) 幸運を祈る 自分は人に物を教えるのとか、かなりの下手糞なので人に物を教えるのが上手い人が羨ましいです。塾の講師も色々大変なのですね。 (04/11/26 20:16) ロールキャベツ 友人が小学校の非常勤をしています。教員同士のいじめや非常勤に対する信じがたい言葉を多々聞き、会社勤め以上にストレスたまってるなあ、でも信じたくないなあと思っていましたが。続きまた書いてください。 (04/11/26 16:26) |
■ 2004/11/25 (木) 天職 |
昨日はもやもやを話している内に、話したいことがずれていきました。
そうなる必要があってそうなったのだと思いますが、 やっぱり避けている部分があるのかもしれません。 つい最近気付いたことと合わせて、話したかったことを話してみます。 私の前職は中学生の頃ぐらいからの夢が叶って就くことのできた「教師」でした。 ただし、現在も変わらず教職は狭き門。「非常勤」で勤め続けることになりました。 ご存じない方もいらっしゃると思いますのでお話しますが、 学校の非常勤というのは基本的には最長で1年の契約社員です。 社会では契約社員や派遣社員が大変増えてきていますが、 教員の非常勤はその最古参ではないでしょうか? 日本の教育の在り方を変えようと文部科学省が学習指導要領を見直します。 昨今は「少子化」の進行と「ゆとり教育」がクローズアップされたおかげで、 1科目当たりの単位数が減らされたり、 今まで必修だったものが急になくなったりと、 担当する教科科目が突然消えてなくなることも少なくありません。 言葉は悪いですがある特定の科目だけを教える「専門バカ」の教員を 学校は抱えている余裕が私学の場合特になくなってきています。 そうした事情からいつでもクビの切れる「非常勤」を大量に雇用し、 正規に採用しないということが当たり前のようになっています。 学校は人を育てるところですが、こと教員に関しては「モノ」扱いです。 よく不祥事を起こす教員が出てきます。 最近は教員免許を更新制にしようなんて話が出てきています。 不祥事を起こす教員が出てくる根本的な原因は教員にあるのではなく、 その採用する教育委員会や私学であれば各学校の経営側の見る目がなかったと 言わざるを得ないというのが実情なのだと思います。 本当に優秀な教員を採用できるような仕組みを開発できていないのが現状です。 専門的な教育をさせて教員を育てる機関を作るという話も出てきていますが、 現在の教育の問題はこれからなる教員にあるわけではありません。 夢と希望にあふれて情熱を持って教師になったはずの教員たちが、 ものの1,2年でその情熱を失ってしまうことに問題があるのだと思います。 それ以前に私のようにいつクビが切られるのかわからず、 非常に不安定な状態で教員をしている人が本当にたくさんいるという現状を もっと多くの人が知る必要があるのかもしれません。 社会の仕組みが変化していって、 一番最後に変わるのが学校だといわれることがあります。 しかし特に「雇用」のことに関しては現代社会が抱えている問題を、 一番先取りしているのが教員の仕組みであると私は思っています。 私個人の話に戻ります。 私は夢が叶って非常に厳しい立場ではありましたが教壇に立ちました。 ただしこのときは契約の時点で1年限りが宣告されてた状態で、 それを承知の上で教員になりました。 その1年は本当にいろんなことがありました。 教材研究に明け暮れ、授業を聞かず騒がしい生徒たちと格闘した1年でした。 私が教えていた科目は受験にまったく関係なく、 生徒たちは赤点さえとらなければいいとはじめからたかをくくっていましたからね。 あっという間に1年が過ぎました。 いろいろうまくいかず辛いこともありましたが、 それでも「また教壇に立ちたい!」という思いはそのときは本当に強かったのです。 その強い思いが不可能を可能にしたのでしょうか? 1年限りで契約していたその学校から再度契約の話が3月末に飛び込んできました。 私が担当する科目とは別の科目の専門家を非常勤で雇っていたのですが、 先ほどお話したように学習指導要領が変更になる年に当ったために、 その方の専門科目が2年間なくなってその間他の科目を教えてほしいといわれ、 その方はそれを不服としてもっと可能性のある他校へ移っていかれました。 その後釜に急遽私が選ばれ、クビがつながりました。 もちろんクビはつながりましたが、 私にとっても未知の科目を3月末に担当することが決まり、 何の準備もできない状態で4月を迎えました。 非常勤はこんな無理難題も押し付けられたりするわけです。 私は上司の教科主任の覚えがめでたくなく、 それから毎年専門科目とは別の科目を、 ひどい年は4月に入ってから 急遽「校長命令」との一言で担当させられた年もありました。 それでも一度クビにした人間を急遽雇いなおしたということもあって、 2年目以降は多くの非常勤の方と同じく、 契約は1年毎でも、自動更新の形をとってきていました。 非常勤の過酷さはまだまだあります。それをお話したいと思いますが、 それは次回にまわすことにして、 タイトルの「天職」について触れようと思います。 私にとって間違いなく教員は「天職」でした。 今でも「天職の1つだ」と思っています。 ただ自分の中でこの職が完了してしまっています。 去年の3月に学校を去るとき、その前の最終授業のとき、 1年目でクビになった、まさしく1度目のリストラのときに感じた、 また「また教壇に立ちたい!」という思いがなかったんですね。 夢を叶えてなった職業。それが完了してしまった今、 次はどんな仕事をしたらいいんだろう? これがそのときからずっと続く自分への問いかけです。 いつクビになるかわからない中で 次の職を危機感を持って探していた部分もありますが、 クビになってしまった後「次にしたいことは?」ときかれて、 「???」という感じだったんです。 とにかく長くなりました。今日はここまでにします。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>そうですねぇ。この「期限」、くるみさんの返信にも書きましたが、この期限があるからモチベーションを保てて、非常勤の先生の方が質の高い授業をしているといういい面もあったりします。でも、人を育てることは、本来は腰を落ち着けてやることです。育てる側の教員が明日のわが身を不安に思いながら、将来を担っていく若者を育てられません。難しいところです。 (04/11/25 23:19)
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>どなたにでも「天職」はあると私は信じています。幸運を祈るさんは天職にまだめぐり合っていませんか? もしそうならきっと今その「天職」に続くプロセスにいらっしゃるのだと思います。私もそうですが…。正規に教員になるというのは本当に狭き門です。だから重箱の隅をつつくような採用試験をしてふるいにかけて、あたり障りのなさそうな人間を選ぶわけです。その結果が今のたくさんの不祥事です。また今度このことも話そうと思います。また読んでやってください。 (04/11/25 23:15) なんくるなるさぁ〜 40@男さん>たくさんの「?」をありがとうございます。そのことについて、ずっと書こうと思っていて、昨日もそして今日も横道にそれて、そこまでたどり着けずにいます。次の日記にはそのあたりをきちんと書くつもりです。是非また読んでやってください。こうして読んでくださる40@男さんみたいな方がいらっしゃってくださると、モチベーションを落とさず、話したかったことを話せそうです。ありがとうございます。 (04/11/25 23:08) なんくるなるさぁ〜 くるみさん>そうですね。確かに教員の世界は独特ですね。教員1人1人がモチベーションをきちんと保っていないと、いくらでもズルズルいってしまう世界でもあります。そして極端に異質なものを嫌う。個性の尊重なんて、一番教員が教員同士でしないことです。その代わりに影口が横行します。…またそのあたりも書きたいと思います。よかったら読んでみてください。 (04/11/25 23:05) 大人の少年 天職だと思って就けた職業に期限があっては、なんともやるせないですね・・。先生という職業はいい仕事だと思います。 (04/11/25 22:54) 幸運を祈る 自分でこれが天職だと思う物が見つかったのは凄いです。でも教師として働くのも狭き門なのですね。なんとかできればいいのですけどね。 (04/11/25 18:50) 40@男 なんくるさんは教師をなさっていたんですね。天職だと感じながらも自分の中で完了してしまったと言うのはご自分の中の目標を達成してしまったと言うことなのでしょうか?それとも今の教育現場に失望してしまったのでしょうか?また、今までの同一線上にある職業で新しい道を探しているのでしょうか?それともまったく違う分野で道を探そうとしているのでしょうか?まだまだなんくるさんの日記を読み続けないとコメント出来ないような気がします。これからも時間の許す限り日記を読ませていただきますのでよろしくお願いいたしますm(__)m (04/11/25 10:59) くるみ 通りすがりのものです。今の教員は大変だと思います。先生の独特の世界も友達から聞いていますが、一般社会とまた違ったどくとくのものがあると思います。もし、また教えたくなったら教師を続けてください。情熱をもった先生が減るのは悲しいことだと思います。 (04/11/25 10:57) |
■ 2004/11/24 (水) 自分はいったい何? |
今の自分は一体全体社会的には何者なのか、これが悩みでした。
とても中途半端な自分…。中途半端だから八方塞がりになった感じがしていました。 自由業者、フリーター、無業者、無職、ニート、ひきこもり。 どれも当てはまっているようで当てはまっていない。そんな中途半端な自分。 いずれかに決めてしまうことはないのかもしれないと思うけれども、 そこが中途半端だと、救いの手も求められない。 自分の中の深い部分が救いを求めているのがわかる。わかるけど何を求めているかが分からない。 わからないから求めようがない。求めようがないからとまったまま。 今のこの状態になってから、もうすぐ2年になります。 去年の3月末で仕事がなくなったのですが、リストラの通知を受けたのが一昨年の12月でした。 それ以前から危機感はありました。危機感があったので次の仕事のことはずっと考えていました。 考えていましたが答えが出ずにいました。 リストラの通知を受け取った時、もっと時間がほしいと正直思いました。 話が思っていたのとすこし方向が違ってきました。 仕切り直しをしたいので、まずは今回はここまでで終えようと思います。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>リストラ通知を受け取ったときに思った「時間がほしい」は「お金をためる時間」がほしいっていう感じでした。答えが出なさそうだったのはわかっていたので…。その辺りを話すつもりがずれていきました。次の日記を読んでやってください。 (04/11/25 01:10)
なんくるなるさぁ〜 40@男さん>「いつかこの思考をしていた時間が自分の財産になる」というのはよくわかっていますが、足かけ10年となると、いい加減答えを出したかったりしています。 (04/11/25 01:08) なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>「いろいろ」は後で日記に書きますね。そのことを書こうとしていて、ずれていってしまったので…。また読んでやってください。 (04/11/25 01:05) 幸運を祈る 前の会社では色々あられたのですね。時間って本当にいっぱい欲しいですよね。 (04/11/24 19:22) 40@男 なんくるさんはご自分のことを冷静に見てらっしゃいますね。いろいろ思考されることはとても大事なことだと思います。答えを出すことにこだわらずに思考をすることこそ重要なのだと考えてみてはどうでしょうか?いつかこの思考をしていた時間がご自分の財産になる時が来ると思いますよ。(^^♪ (04/11/24 11:54) 大人の少年 いろいろあったようですね・・。私も似たような考えをも、した事がありますが、今となっては、ただ生活費を稼ぐだけ日常ですが、この先にある?であろう、わずかな「光」を期待しつつ何とかがんばっていますよ・・。なんくるなるさぁ〜さんも、がんばってください。 (04/11/24 06:48) |
■ 2004/11/23 (火) まずは感謝です。 |
返信してくださった皆さん、ありがとうございます。
自問自答はもうあきました。いつも頭の中であれこれ考えていますからね。 日記だって、文字通りの日記を毎晩書いています。かれこれ9年目に入っています。 この数ヶ月はさらに感情にだけスポットを当てた、日記のようなメモ書きまでしています。 ネットにだって、HPを作って日記を書いたりしています。 これはこれで友人達が読んでいるので、 いつの間にかそれを意識して気持ちを吐き出すことができなくなりました。 場所を変えて今流行りのブログにもチャレンジしましたが、 独り言をただ綴っているだけのような気がしてきてしまって続きませんでした。 現にほとんどアクセスされていませんでしたしね。 それに、愚痴とかそういうネガティブなものばかりを発信してよいものかも迷いました。 自分が読む側になったときのことを想像してみると、 「やっぱりこんなの読みなくないなぁ」と思えて、言葉にできなくなりました。 このスペースに書かれている皆さんの日記を拝読して、 少しその辺りのモヤモヤした気持ちが、「ここなら書けるかも」という気持ちにさせてくれました。 それでも1日迷いました。 自分の中のあまり認めたくない部分を認めることにもなりそうな気もしたので…。 それは漠然とした自分の弱さなんですが…。 ですから、返信してくださった皆さんの言葉に救われました。 まずは書くことに自分でOKがこれで出せました。 これから少しずつこれまで言葉にできなかったことを言葉に、文章にしていきます。 どうぞよろしくお願いします。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 幸運を祈るさん>こちらこそ、これからよろしくです。 (04/11/24 00:37)
なんくるなるさぁ〜 ぽちさん>弱虫、泣き虫なのはわかっているのですが、変なプライドが邪魔をしています。「はここに書き込むことによってすっごく楽になって」いるっていう言葉には希望が持てます。ありがとうございます。 (04/11/24 00:36) なんくるなるさぁ〜 40@男さん>「ウチナァ」の解説、ありがとうございます。そうですね、「なんくるなるさぁ〜!」という言葉は、沖縄らしい楽天的な言葉ですよね。その「その楽天さ」がほしくて、タイトルにしたといった方がいいかもしれませんね。自分に欠けてるなぁと思えるので…。心の中、少しずつですが、ぶちまけていきます。これからもよろしくお願いします。 (04/11/24 00:33) なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>自分を責めちゃっていますかね?あまり自覚ないので…。困ったものです。「助かる」っていうのはよくわかります。返信をいただいて本当にうれしいですから…。少しずつ吐き出していきます。これからもよろしくお願いしますね。 (04/11/24 00:24) 幸運を祈る これからよろしくです〜。 (04/11/23 18:36) ぽち 人間だれでも弱虫ですよ。日記を書くことによってモヤモヤを吐き出して前に進めるといいですよね。私はここに書き込むことによってすっごく楽になってます。 (04/11/23 11:41) 40@男 ウチナァ=沖縄の言葉・ヤマトン=沖縄以外の人と言う意味です。「なんくるなるさぁ〜!」も沖縄らしい楽天的な言葉ですよね日記を通じて人々と出会い、人の意見から違う視点を発見する。そんなことが出来れば心から「なんくるなるさぁ〜!」と言えるようになるはずです。まずは心の中をぶちまけましょう。(^_^)v (04/11/23 09:43) 大人の少年 あまり、自分を責めるのは良くないですよ・・。この日記コーナーは、知らないもの同士だからこそ、自身の本音を書く事が出来るし、皆さんに勇気をもらったり、気持ちが楽になったり、私は、非常に助かっていますよ。少しづつでいいので、心の中の「もやもや」を吐き出して、はやくすっきりしてくださいね。 (04/11/23 06:33) |
■ 2004/11/22 (月) 初めて書いてみます。 |
昨日、いや日付的には一昨日、このHPを初めて見ました。
日記も書くスペースがあるんだなぁと思いながら眺めていました。 ずっと自分の中でモヤモやしていたので、 言葉にして整理してみたいと思った矢先のことでした。 これから気持のままに、このスペースにコツコツと書いていきたいと思います。 読んでくださる皆さん、よろしくお願いします。 |
名前 内容
なんくるなるさぁ〜 大人の少年さん>はじめまして。愚痴、悩みなど何でもありですよね? プライド(?)だったり、羞恥心だったり、いろんな抵抗があって、すぐに素直に吐き出せるかわからないですが、とにかくチャレンジしてみます。よろしくお願いします。 (04/11/22 23:14)
なんくるなるさぁ〜 ぽちさん>はじめまして。やっぱりモヤモヤした気持ちを書き込むと元気になれますかぁ。私もチャレンジしてみます。こちらこそよろしくお願いします。 (04/11/22 23:11) なんくるなるさぁ〜 へいとさん>はじめまして。日記を見てくださってありがとうございます。こちらこそよろしくです。 (04/11/22 23:09) なんくるなるさぁ〜 40@男さん>沖縄の言葉をタイトルに使ったので、見ていただいたんですね。沖縄の言葉は全くわからないのですが、この言葉にたまたま出会って、とっても気に入ったので、使ってみました。ちなみに「ウチナァグチ」と「ヤマトンチュウ」ってどういう意味ですか? よかったら教えてください。これからもよろしくお願いします。 (04/11/22 23:08) なんくるなるさぁ〜 壮健美茶さん>最初の返信、ありがとうございます。どんどん日記に、吐き出していきます。よろしくお願いします。 (04/11/22 23:05) 大人の少年 はじめまして、よろしく。ここは、愚痴、悩みなど何でもありですよ〜。 (04/11/22 22:18) ぽち はじめまして、よろしくです。私もモヤモヤした気持ちをここの日記に書き込むことで元気になってます。これからよろしくですぅ。 (04/11/22 21:39) へいと はじめまして、よろしくです。 (04/11/22 16:55) 40@男 はじめまして、「なんくるなるさぁ〜!」と言う「ウチナァグチ」のタイトルを見て日記を読ませていただきました(^^♪私はヤマトンチュウですがこれからも読ませていただきます。よろしく〜(^_^)v (04/11/22 10:41) 壮健美茶 ドンドン日記に、ハキダシテ下さい。これから宜しくお願いします。 (04/11/22 04:33) |
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