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日常或いは最悪な日々


 ■ 2011/01/23 (日) やりたい


文字通りやりたい。むしろ性的な意味でセックス。実際にそういう場面になると勃たなくなるんだがな。精神的に弱い人間としては、あーいう動物的な行為をなると非常に醒める、視界が色褪せる、なんぜ俺はこんな所で腰を振ってるのか?と自問自答を繰り返し、萎える。あらゆる経験や過程をすっ飛ばしてきた人間には高度なコミュニケーションは取れないのかもしれん。それでも動物の他に漏れず、発情はする訳だ。むしろ自分で処理した方が気持ちは良いんだが、まぁ、熱と言うか、手触りは女性がいい。それは間違いない。その辺は心なんて要らないんだろう。有った方が良いんだろうが、どうせ得られない。無い物ねだりをして何が得られる。もう学習した。この世の全ては自分の思い通りにはならない。ある人間の、或いは全てを兼ね備えた人間の総取りだ。どこぞの御曹司や芸能人、スポーツ選手を見てみろ、全て手に入ってるじゃないか。それ相応の努力をしてることは認める、でも世の中の大半の人間は「同じレベルの努力をしても」ものにならない。1は10にはなっても、死ぬまで100にはならない。それが現実。そして100には80や90に仲間が集まってコニュニティーを作る。社交界でも構わんがな。
話が逸れた。心は要らんから体さえあればいい。
ここで20代、30代の苦悩を見てると過去を思い出す。言ってやりたい。人間はそれでも生きていくと。同じような環境で、蛇の生殺し状態でも日々は続いていく。10代、20代の頃から同じような悩みや尽きなかったが、もう40過ぎた。何も経験しなくても怠惰に生きても、這いつくばってもそれでも年月は過ぎる。誰しも同じ苦悩を持ち、結局答えなんて出ないんだから、悩むだけ無駄というのがおそらく真理だ。だれも正答なぞ持ってない。ない物はない。そんなことを悩む暇があれば、何か一つでも経験を積み重ねたほうがいい。失敗でも成功でも良い。何もかもから逃避を続けると、俺のような人間ができあがる。
もはや替えもきかない、死に至るまでの道か。



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