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かえで日記 6thAuthor:楓 ( Profile ) |
■ 2007/01/17 (水) 世界が灰色になった日 |
12年前、世の中が凍った時間まで、あと4時間足らず。(午前5時46分)
不思議と朝早くに目が覚めました。 いきなり強く全身を揺すぶられ、そのまま床に何度も叩きつけられたかのような衝撃が襲いました。 まだ物心もつかない私には、何が起きたのか分かりませんでした。 いつも普通にあったものが・・・無い。 いつもと明らかに違う空気。 空に立ち込める黒い黒煙。 当時、悲惨な思いをされた方も多いかと思います。 詳細については、日記に書く事を控えさせていただきます。 傷ついた方々、早く良くなられますように。 亡くなられた方、ご冥福をお祈り申し上げます。 |
名前 内容
楓 なまけものさん> 本当にそうですね。あの時の惨状を垣間見た人なら、先の耐震強度偽装事件なんて、絶対に行動に移せないと思います。家というものが人々の生活にどれだけ大切なものなのかを思うと。でも、数年後に東京を訪れた時、絶対的な差を思い知りました。また、同じ事が東京に起こるとどうなるのか、簡単に想像できてしまって、凄く怖かったです。新潟県中越地震からはまだ3年目を迎えたばかり。自らの身を以って痛みを知らなければ伝わらないものなのかと思います。 (07/01/17 23:47)
楓 まりあさん> ありがとうございます。あの日の空は薄暗かったです。気温は分かりません。目に飛び込んだ東の空が大きな黒煙の柱で頭が一杯で。ガソリンスタンドから火柱が上がって、すぐ横では車の大渋滞。家並みの影が無くなって、一面が焼け野原。あれから私の心の中には、揺るぎようの無いものは一つもないって事が焼きつきました。数日までいたはずの面影も無くて、花だけ飾られても訳が分からなくて。ブルーシートとリュック、水を運ぶお手伝い、何を食べているのか分からない食事、知らない人の温かい笑顔と言葉。区画整理という冷たい言葉。いつも見ていた市場は跡形も無く燃えていて、沢山の人が亡くなったとか。私は何も非常用の備えってしていません。何ていうのか、開き直りに近いというか。でも、あの時、その後の色々な事があって、今の私があるのだと思います。ほんとに。お陰といっては変ですけど、色んな意味で強くなりました。ぽかぽかとした陽光というより、キラっと煌めく一筋の光って感じですね。もちろん、それは夢だったり、希望だったり。私は灰色の部分も大切にしたいです。 (07/01/17 23:39) なまけもの 自分は地震が起こった地域と距離的には掛け離れてましたが、それでも結構な揺れを感じました。それだけ、あの地震は凄まじいものだったんですよね。あの悪夢のような地震が、この先起こらないことを切に願います。 (07/01/17 22:00) まりあ 楓っち、今日は雨降りでしたね。 あの時雨は降ってなかったけど、今日よりもっと寒かった思い出があります。 今から床に就きますが、あの時足りなくなった解熱鎮痛剤と、底の厚いサンダルを枕元に置いていつも休みます。私のベッドの隣の人は私よりアウトドア装備してますが。。。(そんなたくさんの装備もって逃げるヒマないよ…と突っ込みつつ^_^; ) いつか、今以上に楓っちの心の中の灰色の部分に、ぽかぽかとした陽光が差し込むといいですね。 (07/01/17 21:43) |
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