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人生???


 ■ 2005/06/20 (月) 自分が生きるために


 自分が生きるためには、仕事だけしてたらだめだとか思うようになってきた。

 今の仕事が自分に合ってないせいでそう思うのかもしれない。学生時代、ずっと頭を使うことばかりしていたせいで、今の体育会系の職場になじめない。
頭より体で動かないと何も解決しないというのは世の中の真理なのだけれど、塾という仕事に少し知性を期待していた私にとっては、なんだかその点が期待はずれというか。
 まあ、偉そうなことばかり私はこのサイトの掲示板とかで書いてるけど、要するに私は社会人としてはかなり使えない部類の人でしたから! 残念! というありがちなオチ。
まあ、無職.comに常連している時期が長いくらいだから、波長がこっちよりの人たちよりなんだろうなと思う。つまりまあ、当たり前に頑張って働いて金稼いで、ってことができないor苦手というタイプの人間なんだろうと思うのね。いい悪いじゃなくて、そういう人間性なんだよ。でも稼げて当たり前の世の中では肩身が狭いし食い扶持も実際稼げないっつう、ただそれだけのことなんだけどね。
 親元で育ってお金であまり苦労したことがないせいか、給料入ってても、ほっとはするけどうれしくはない。ほとんど役に立つことやってないのに毎月給料が入ってくるというところになんだか違和感を感じてしまう。けれど、入ってこないとなったら、それはオレで絶対搾取だとか思うわけで、給料ってものに対して矛盾した感情がある。
で、それは裏を返せば自分の仕事に対するスタンスがそうだということになる。生活の必要で働かなけりゃならない‐でも仕事は好きになれない、自分が今の仕事をしていることにリアリティがないし、永く続けていくことについて言えばもっとそうだ。

で、じゃあ、何をしている瞬間が最も生きているって実感できる瞬間なのかと考えると、今ね。まさに今の瞬間。
自分の書きたいことを書くためにキーボード叩いている瞬間。
もっと好きになって凝ってきたら、高校生の頃みたいな手書きに戻るかもしれない。ともかくこうやって書いている瞬間だけ、生きている感じがする。
最近は本を読むのもままならない。
思考力も集中力も落ち込んで、私生活の面でも仕事の面でも自己嫌悪するくらい生産性がない人間になっている。もっと、生きてる実感が欲しい。そうでないと、たぶん自分の中の何かが腐っていく。

そして腐ろうととなんだろうと、最後は一人で死にたい。
それだけが望みなんだから。だから。私に何かをあまり期待しないで欲しい…。


名前

内容

ぺけぽむ コメントありがとう>4と5さん、ハンコ屋さん。結局、今の仕事って「塾」だけど「頭より体力と気遣い」の仕事で、思いっきり普通のサービス業と同じなんですよね。お客への体面とか、気遣いとかが重要。あとお客の信用とか。わりとお店に行って粗略にされてもそれほど気にならないタイプなので、かえって自分がサービスする側になると何をしていいのかからなくなってしまう。普通に人が心地よいと思えることをしてあげればいいんだろうと思うんですけど、なにぶん私は「普通」の感性を身に付け損なった人間でもあるので、それが難しい。4と5さんも、いろいろなお仕事を経験されてるんですね。その経験と内面の深さを子どもたちのために活かしてください。私は、体力勝負がまかり通っているいまの塾業界に足りないものは陰影に富んだ人間味だと思います。ハンコ屋さんも、前に私はひどいことを言ってしまったのに、心が軽くなるようなことをいってくれて、感謝です。私は自営業に憧れる日々です。いつか作家になってやる! とか思ってるだけのダメっぽい人で終わっちゃうかもしれませんけど…。 (05/06/23 00:35)
ハンコ屋 皆、大なり小なり同じ様な事を思っているんじゃないかな。仕事なんて大概の人はやりたくないと思いますよ。しかし、同じ仕事でもポジティブに思考するか、ネガティブに思考するかによって変わります。嫌な仕事でも一生懸命やっていると、仕事の中に面白味を発見できるかもしれません。逆に趣味を仕事にした人でも、仕事が嫌になる事もあります、すべては気持ち次第です。まぁ、本当に嫌になったら辞めればいいだけの事ですなぁ。リラックスした環境で仕事が出来ればいいと思います。 (05/06/22 12:18)
4と5 就職三ヶ月目、ちょうどお疲れがたまる時期だと思います。自分の時間があっても自分のことができなくて、ただ疲労回復のためだけに過ごしてしまうことがあってもご無理はないと思いますよ。ゆっくりなさってください。私も最近、列車見張員を辞めて教育関係の仕事についたのですが、まず体力を要される仕事だとは思わず、驚きました。面接でいきなり「体力はありますか?」ですからw。書いているとき、私も生きている感じがします。キーボードより手書きの方が脳が活発に働くらしいのでなるべく手書きにしようとも思うのですが、キーボードの便利さを手放せないでいます。 (05/06/21 23:32)
んむんむ 趣味を持ちましょう。バイクとか! (05/06/21 09:34)


 ■ 2005/05/04 (水) 月イチの「日記」


月イチでやっぱり「日記」はないだろうと思わないこともない。
でもまあ日記。

本部研修が終わって仮配属中です。
私に仕事を教えてくれる先輩は私よりも年上ですた。

こうなると難しいのはやっぱり誰でも同じこと。
こちらは謙虚により謙虚にできるだけ謙虚に。
向こうはやっぱりやりづらいらしく、必要以上というか自分を上に置こうと意識してくる。しゃべり方とか。
それはそれで大変なんだろうと思うので、こちらとしては謙虚になることと仕事を少しでも覚えることで応えねばならんと思う今日この頃。

あるブログでコメント欄に書き込もうと思った文章が不具合で書き込めなかったのでこっちに記載。
読みやすいように一部改変。

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投稿者名は変ですが、(自分の名前)です。○○先生、お久しぶりです。
自衛隊と憲法9条のあいだに整合性を持たせたら…という仮定を少し考えてみたんですが、一市民としての私の目には大きなメリットがないように思えました。「解釈“改憲”」でいいじゃないの、と思えます。それで60年近く誰も戦死しなかったんだし…。
というか、「60年前に戦争の当事者として大量の死者を出し」、かつ「その戦争の終了後に曖昧でぐだぐだなやり方で、なんと何十年ものあいだわりあいと運営に成功した稀有な国家が、もはや歴史的な存在になりつつある」ということについての受け止めというか、まあ「喪」ですね、これをしないで話が進んでしまうことのほうが問題に思えます。これはでっち上げの神社とかに祭って済むスケールのことじゃないと思う。
そういう「喪」をしないまま、ずるずると時を過ごしてしまうことがどういうリスクを引き出すかを思うと、改憲なんか瑣末なことに思えます。
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以上。
最近、あまり哲学頭を使ってない。一日10ページ目標でハイデガーを読んでるけど、それも達成できてない。
まあそんなものだろうと思って自分に出来ることをやるしかござぃませんことねぇ奥様、と思って諦めないようにする。奥様って誰かとか聞かないで。適当に出て来ただけだから。

なんというかだね、自分に出来ることをやることの難しさと言うのをよく感じる。
例えば仕事で何かに気がついたら、自分に出来ることから選択肢を作って実行するよね。
だけど常にベストの選択肢を実行できるわけではないし、私のようなペーペーはそもそも何をしていいかまったく浮かばないと言うことも多い。

ただ、誰でもが何をして言いか途方にくれる状況ってのはあるはずで、それは例えば天災とかのことだろうけど、
最近の福知山線の事故もそうだろうと思う。
さっきのニュースで現場から職場に向かった二人の運転手がもう不合理なくらいたたかれているけど、
彼らの行動が一体何に則ってのものだったのか、どういう判断をしたのか、それがどういう意味で事故の結果に関連したのか、ひいては他の列車の運行にどう影響したのかについて冷静に問おうとする声はまだ聞こえない。
彼らはあの時出来る最大の対処として、「あの場を離れた」のかもしれない…という想像力をめぐらせている人がいない、なんてことではないと思いたい。
ある意味では、彼らは職責に忠実に行動して、結果としてJR他路線の影響が及ぶのを防ぐor最小に出来たのかもしれないのだからさ、そうやってヒス起こして叩くのは大人の態度じゃないと思うのね。
「人間的に何が正しいか」と言うことには今は触れないよ。これを言い出すと私は長くなるし。

で、まあ何が言いたかったかと言うと、ああいう報道の空気と一体になって運転手を呪ってるタイプの人って、たぶん職場ではまともに使えない人なんじゃないかという気がして仕方ない。
それに、ああいう報道をしている人たちは一体どうなんだろう。単純に使えない人たちだとも思えないけど、自分たちが仕事で気を遣っているだろうこと(ヒス起こして責任追及しても起きたことは変わらないし、まして再発は防げないということ)を、他人に対してはあっさり忘れているように見えるのは不自然だよね。


名前

内容

4と5 ハイデガー10ページですか。生業のかたわら、自分を自分たらしめている精神活動をも維持するのはなかなか大変ですよね…。私も諦めません。 (05/05/06 21:44)
ハンコ屋 その場に居た人が、JR東日本社員ならセーフなのか?警察官だったら?自衛官だったら?医者だったら?等、対象人物が違っていたら、どんな評価を受けるだろうか?でも、それを考えたところで?と言うのもある。こんどの事件の原因は、運転士のスピード違反である事は言うまでもない。しかし、時速100k以上のスピードを出させてしまったのは、会社の体質であるかもしれません。個人的には、脱線した電車の運転士は時速110Km位なら大丈夫だと思っていたと思う、だからスピードを出した。そして会社自身も133Kmまで脱線しないと主張していた。この誤った情報がこの事件の起因ではないか、と個人的には思っている。 (05/05/04 15:05)
ぺけぽむ >韮山さん私用電話の情報は初めて聞きますた。職務の面からはそうだけど、恐らく何も考えられない状態だっただろう車掌が縋りつくような心持で家族に電話を掛けたのかもしれん、と思うとなんとも。一ついえるのは、JR西日本が電車の大規模脱線と言う「ありうる危機」に対する対応が出来ない体制であることだとは思えますね。そういう状況下で何をどうするべきかの訓練なり研修なりを受けていれば、その車掌も恐らく頭が飽和しなかっただろうし、二人の運転士の去就についても「マニュアルor平素からの危機管理方針に従って行動した、よって彼らは免責で会社に責が一切ある」という会見になっているはず。会社自体がまともに仕事できてない状態ではないかなと思ってしまう。 (05/05/04 14:34)
韮山 福知山線事件につき、必要以上にJRを叩きすぎている面はやはりあると思います。 2人の運転手が職場に向かったのは、私としては当たり前の職務だったと思います。この事故でのJRの運行支障を(別の電車を動かすことで)最小限に抑えた訳だから。 それより問題なのは、脱線車両に責任を持つべき車掌が、私用電話を家族に掛けていた事。 これはあるまじきだし、そういう電話があったことをマスコミに当たり前のように説明する車掌の家族の行動は不適切だったと考えます。 (05/05/04 13:25)


 ■ 2005/04/17 (日) 久しぶりのことで


久しぶりに日記を書く。

一日から会社員。
一応正社員。
研修中。

まだ配属も何も決まってない。
なにぶん社長が全て決める会社なのでその辺ははっきりしない。
まあ、塾だから教室のスタッフか講師になることだけはわかっている。

本を読もうとしても疲れていてあまりその気にならない。
まあ、そうしたことも努力次第なのだけれど。


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今読んでる本(というか読みたくて読もうとしている本):
内田百間集成3『冥土』(ちくま文庫)
同『サラサーテの盤』(同)
ハイデガー、訳・川原栄峰『形而上学の根本諸問題』(創文社)

仕事で読む羽目になりそうな本(というかガードナーは買ってしまったので元を取るために嫌でも読まねばならない):
ハワード・ガードナー、訳・松村暢隆『MI:個性を活かす多重知能の理論』(新曜社)
(著者名忘れた…会社で聞けば先輩が大抵知ってるらしいけど)『テストの科学』

まあなんだ、管理されていることの反動でハイデガーとか百鬼園先生が読みたくなるのだろうと。
もうすこし老成したらたぶんまたレヴィナスが読みたくなるだろうな、と。
ただむかつくことにそうなる頃には忙しくて本が読めないだろうなと。




それにしても性欲が邪魔だ。


名前

内容

コンドウマサヒロ 同感です (10/09/01 20:21)
さいたまざいじゅう ご無沙汰してます。お元気そうで何よりです。 (05/04/21 08:12)
ぺけぽむ >4と5さん お久しぶりです。やっぱり私と4と5さんは本の趣味が似てますね。いま、ちょうど新入社員の大変さというのがわかりかけてきたところ。同期入社の連中の気がいいのに助けられています。体に気をつけて頑張ります。4と5さんもぜひぜひご自愛くださいませ。>ハンコ屋さん その節はどうもどうも。まあ、会社でいろいろ頭に詰め込まれる反動で、自分の好きな仕方で頭使わないとかえって疲れるんですね。学生時代は好きな本だけ読んで好きな勉強だけして好きなことだけ考えていたんで。 (05/04/19 23:21)
4と5 お、『冥土』ですか。私も百鬼園先生にはハマりました。仕事を始めてしばらくは疲れが激しいときが続くかもしれませんが、どうかお体にはお気をつけて。 (05/04/19 02:45)
ハンコ屋 難しそうな本だね。眠くなりそうですわ。 (05/04/18 14:33)


 ■ 2005/01/01 (土) 要旨(V 最終回)


あけましておめでとうございます。
今回で連載終了。この後のことはいまのところ考えていないんですが、まあぼちぼち。

>4と5さん
しばらく家を離れていたもので、ご返事が遅れました。
ご快癒へ向かわれていると伺えたことは、私にとっても喜ばしいことです。

論文を書くことで得た最大のことは、文章を書くことの喜びを改めて知ったことだったかもしれません。
といって、怠け者の私は、だから作家になろうとおもって目立った努力をするわけではないのですが、しかし、
文章を書くことで生きられるかもしれないという予感だけはあります。

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 だが、ここで一つの疑問を提示することが出来る。
 被投性という概念は、平易に訳せば「投げられてあること」というほどの意味であり、一見、同じく平易には「計画する・下絵を描く」というように訳せる企投の対概念であるかのように考えられる。しかし、この被投性という契機にふくまれる「既に」という契機は、現存在の能動性に対して「既に」であったはずである。つまり、現存在を投げたのは、現存在自身ではない。もし被投性と企投が単に対象的な対であるとしたら、企投によって現存在は自らを投げることが出来るのだから、被投性においても投げるという比喩の主語が現存在と擬することも出来るが、それが正しいとすると「常に既に」現存在に対して世界が開示されているという意味での被投性が理解できない。そして、さらに、そうした受動性が我々の存在に属していることを理解することの可能性もまた危ぶまれることになる。我々の能動性が根源的には受動性の上に成り立っているとしたら、そうした受動性を能動的な了解によって語ることが可能なのかどうかという問題が現れる。事柄として本質的であるのは、この問題である。『存在と時間』のテクストは、現存在の被投的性格について、その根源を現存在に内在するとみるのか、それとも外在的に捉えるのかと言うことに関しては、最終的には曖昧なままである。このことは、上記のように書物としての『存在と時間』の理解を左右するのみならず、我々が自らの根源性を理解すると言うことに関してまつわる困難を示す。基層的文節は、分節を与えるものであるにもかかわらず、言葉によって語られることによって被分節化され、文脈内的な意味を付与されてしまう。 こういうように、根源性にまつわる省察は、その過程上、省察の開始の際に設定された基本的な前提を覆すことなる。世界内部のものについて用いられる言葉によって世界の外部のものを表象した瞬間、それは世界内的なものの文脈の内でその外部を表象していることになってしまい、語りが目指そうとしたものを裏切ってしまうのである。
 裏切りの無い語法を開発することが出来るのだろうか。それとも、むしろ、裏切りであるかのような語法によってこそ、根源的なものが語られるのだろうか。『存在と時間』で論じられている真理論、そしてハイデガー自身がテクストで見せた予期、また『形而上学入門』など後年の著作での同じ主題への言及から察するに、存在論の思索は、自らが立脚する地平を常に変化させ、再構築することで進行する。所謂「存在者から存在へ」から「存在から存在者へ」という構えの「転回」もまた、存在論が存在論の遂行者に要請する地平の転換によって語られる。存在、基層的分節に対して「それが何であるか」という言葉を割り当てることは何ら重要ではない。むしろ、存在への問いが常にその問いの立脚する地平を問い直すことを要求することによって、我々の哲学的問いが豊かにされるという、こうした多産性。そして、探求するものにとって常にその多産性が約束されていることが、この探求の最大の肯定の証である。

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以上。これで連載は終わりです。
この要旨よりも本論のほうが論証が余裕がある分、解りやすいはずだとおもうのですが、
ここに掲載するには長すぎる、仕方なしにせめて要旨を…ということでの連載。

自分の書いた文章を読んでもらいたいと言う欲求というのは、
単なる自己顕示でもないし、投じた努力と時間を認めて欲しいということだけでもない。
つまるところ
「読んで欲しいから書く」
ということがあるのだと、身をもって知りました。


名前

内容

4と5 有難うございます>ぺけぽむさん。…掲示板では大したことも書けない私ですら、周囲に言われて書くはめになっている(泣)のですから、ぺけぽむさんのように読ませる力のある方は、書いたものがまとまった形になれば、多くの人に長く読まれることになるのではないか…という気がします。ぜひ書き続けてください。 (05/01/04 16:12)
幸運を祈る 連載お疲れ様でした。 (05/01/02 14:02)


 ■ 2004/12/25 (土) 要旨(2)


だいぶ日が開きましたが連載第二回。
今読むと、自分で考えたことのような気がしないです。
自分以外のものの魂が、考えてくれたような気がします。

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 本論では、既に一定の文脈の内部にある意味を「文脈内的意味」、そしてそれを分節するものを「基層的分節」と呼び、『存在と時間』における世界内存在の理論について現存在という存在の仕方からくみ出される構造を理解しつつ、意味の生成について理解することを目指す。さしあたり、意味の体系は現存在の能動性に先立って成立しているが、このことは基層的分節が我々の能動性を超えた何かであることを暗示する。現存在を、そのような機制によって意味が見出される場として考えるなら、これは時間性の問題とは無縁なことではない。何故なら、意味の多様性、そしてまた我々自身の存在様態の多様性が明らかにされるのは、ある態度から別の態度へ我々自身が変更されたときだからである。
 本論ではこの観点から『存在と時間』において取り上げられた時間性の問題を取り上げるが、それに先立って、現存在にとっての死の意味を検討する。何故『存在と時間』のテクストで死が特権的な現存在の意味機制の契機として取り上げられているのかを検討することで、基層的分節に至るための一つの指標が与えられる。死は、社会的事実としての死や生物学的な単なる動物的な死と区別した上でなお自らのものと考えられるなら、それは現実的なものとしての死ではなく、あくまで可能性であることになる。純然たる可能性として取り出されることで、それは世界内部における事物として意味づけられることを拒むようになる。とするなら、死の可能性は世界内の事物との関連では意味づけられないことになる。だが、一方で、現存在にとって、死は避けられない可能性であり、そして他の可能性と異なって様々ではあり得ない。その意味で、死の可能性は現存在にとって固有であることになる。
 そのようなものである死との関わりを、道具的な世界像は把握することが出来ない。一方で、死との関わりが現存在にとって固有なものであり、なおかつ、そうであることによって現存在の諸可能性が死の可能性を基点として意味づけられ、そのことによって現存在の全体性が成立する。死の可能性と現存在の全体性はこの限りで等価なものとされるが、重要なことは、『存在と時間』における死が、死ぬことそのものではなく、あくまでも可能性であることであろう。そうした可能性によって現存在は自らがその内にある諸可能性を束ねていることの意味は、最終的にそれらが死との関連で意味づけられていることであるが、しかし、諸可能性を束ねる「私」の死そのものは世界内の事象ではないである。
 以上のように考えることで、現存在の諸可能性の統一が可能であることは明らかであるが、しかし、何故多様性そのものが可能になっているのかについては、何ら明かされていない。現存在は、そうした多様性が常に可能であるように存在しており、なおかつ、その受動性の範疇において自らの存在を了解している。前者の受動性を被投性と、後者の能動性を企投と術語化される。意味の分節の起源探究は、従ってこの両者の間の往還的な関係を考えることになる。
 『存在と時間』で展開された現存在の時間性の議論における到来や既在という術語もこうした企投と被投性との関連で理解可能である。企投は決して世界内的なものとしては実現しない「私」の死へと関わる契機であり、到来に深く関わる。そして被投性は、時間的に捉えられるなら、現存在に既に既に意味の地平が開示されているという先行性を現す。そして、現在に対応する瞬視は、この二つの契機が相互に関係するその場である。それは単に事物が今目の前に展開しているという意味での現前/現在ではなく、そうした事物が総じて意味を持ったものとして了解され存在するという出来事が生成することであり、世界内における文脈を総合的、全体的に意味づける性格を持つ。この既在、到来、瞬視の三肢構造によって現存在に対して現われる意味が生成されることが示される。


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以上。
次回掲載分からが正念場の部分です。


名前

内容

4と5 何度もすみません。ぺけぽむさん、今年前半は、哲学スレッドでは有難うございました。ぺけぽむさんも大変なときに、真摯に回答して頂き、うれしかったです…本当に。当方、おかげさまで鬱はよくなってきています。減薬も始まって、なんとか生きていけそうです。…来年がよい年になりますよう、心から祈念しています。 (04/12/31 22:58)
4と5 「自分以外のものの魂が、考えてくれたような…」…すごいですね。いい作品を描いたときの画家のことばのようでもありますし…。私もそんなふうに書けたら。 (04/12/27 22:44)
すえっこ むつかしーーーーーーーー (04/12/27 22:08)
幸運を祈る う〜凄いです。自分には書けないですよ。 (04/12/26 01:41)


 ■ 2004/12/14 (火) 論文脱稿


昨日付けで学校の事務に論文(&論文要旨)を提出。
一部事務手続きでヒヤッとする場面もありましたが、無事にクリア。

結局論文本体だけで原稿用紙換算175枚になりました。予定より結構増えた。
中身は…まあ、自分で言っても仕方ないです。結局読み手の審判に任せるしかないので。

というわけで、書き終わってしまった今、とても暇です。
虚脱感に襲われていると言うか、なんか文章を書いてないと不安になります。

この状態をキープすれば作家になれるのか? (そんな甘くネーだろ)

論文要旨をここに張るぞ! とか前に言いましたが、
原稿用紙で10枚あるものをここに張るのは暴力に近いのではないかとおもうわけで、
といって自分で新たにサイトを作るのもどうかと。
コンテンツは自分の修士論文だけになるので、それ自体もはや却下ですね。だれがそんな地味なサイトみるっちゅーねん。

10枚を2,3枚にさらに縮められたら一挙掲載できるかな…。
それとも大まかに段落ごとに切って連載化すればいいか?
うんそうだそうしよう。

なので第一回。千字ちょっとです。多分後三回で連載終了。
(一応書いておくと、この要旨並びにその本論の学術的な正当性と価値は、この日記を執筆した現在、いずれの研究機関や研究者によっても保障されておりません。よって、引用・信用・盗用などして書かれた論文の価値が下がったり、赤っ恥をかく羽目になったとしても当方はそのリスクと結果には関知しません。ぶっちゃけ審査にまだ通ってないってことです。)
(誰も名乗りをあげないと思いますが、出版したいという方は一応ご連絡を。ただし大して売れないと思います)

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 意味と時間性の問題を考察すると銘たれた本論は、『存在と時間』のテクストにおける了解と時間性の問題を中心にしている。
 意味を考察するといっても、ある物が有する意味は、我々自身がそのものに相対するときに身を置いている文脈に拘束され、その中で形成されている。そうした文脈を一切離れたものとしての意味を見出すことは出来ないし、在る文脈から身を引き離すことはまた別の文脈に身を置くことである。我々を直ちに取り巻いているものから別のものに転ずれば、我々自身もまたそうした文脈の中で、自己を理解している。この文脈の中に身を置くという仕方から自らに関する理解と、自らに伴われて存在する諸事物の意味を等根源的に引き出している。「今自分は文章を書いている」という自己理解は、確かにペンのペンとしての意味を証すが、しかしそれを支える自己理解は、結局今まさにそうして見出されているペンもふくめた多数のものどもに支えられてもいる。いずれにしても、道具の使用は、その主体と客体を同時に形成する。その限りで、世界内存在の機制は、他者との対比的な意味での「私」という主語を含んだ構文によって、道具の使用、つまり行動を記述する基礎をも与える。「私」が日常性の内部の諸可能性を、「私」を焦点として束ねることが現に成立していることは、しかし単なる有用性によっては理解されない。我々の生活を改めて見直せば、我々の生活が有用性を軸にして意味形成されていることが理解できる。その意味では、我々は有用性によって定義されたものどもに満たされた世界に身を置くことで自らの意味を理解しているといえないことはない。眼前のものの意味が我々の意味を形成しており、そして眼前のものの意味は我々の自己理解から形成されている。なおかつ、そのようにして有意味である個々の事物や事柄は相互に指示しあい、その相互連関によって世界は閉じた意味の連関を形成する。生活はそうした意味の体系が既に成り立っている限りで成立している。その連関の中で意味の基礎付けを求めようとしても、最終的には閉じた世界の内部での彷徨にならざるを得ない。世界が有用性によって基礎付けられているとしても、その有用性という指標を最初に与えたものは何であるのかということは、有用性を基準にしては語られえない。現存在の存在が全体としてなんであるかという全体性は、有用性を基準としては語られえない。有用性は世界内部のものどもの相互連関の規定でしかなく、現存在そのものの存在は我々にとっての有用性そのものとは何ら関係が無いことだからである。

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こんな感じです。原文からそのまま転載したせいもありますが、画面では我ながら読みにくいことこの上ないです。こんなのを読まされる教官の先生方の苦労を思うととても足を向けて寝られません。


名前

内容

ぺけぽむ ご声援、ありがとうございます。もうしばらくこんな感じで要旨を連載するつもりですが、今日になって画面を自分で見直してがっくり。やっぱり読みにくいですねぇ…。 (04/12/15 10:56)
幸運を祈る 論文お疲れ様でした。自分には絶対書けませんですよ。 (04/12/14 20:38)
4と5 論文脱稿おめでとうございます!お疲れさまでした。 (04/12/14 19:59)


 ■ 2004/11/29 (月) とりあえず日記。


ぺけぽむ@修論の手直し中。です。
直していくとキリがなくて困ります。とくにパソで書いてるとほんとに底なし沼。
細かい修正ばかりで骨組みまでは変えられないのでそれがまたイヤ。
第一、自分で書いた論文ながら「屑 論 文」みたいな感じがして非常にストレスフル。

で、今日は少しうんざりして手直し中止。
歩いて20分のところの在る公園でハイデガーの『形而上学入門』を読みながら、
時々近くの自衛隊基地から飛び上がる米海軍の戦闘機を眺めて一日を過ごしました。

戦闘機はいいとして、この『形而上学入門』はもっと早く読んでおくべきだった。
そうすれば論文に少し厚みが出たのに…。今から取り込みなおそうかな…
一部の修正と補強なら、残り時間を考えてもやってやれないことはない、かな?
やってみようやってみようとりあえずファイルを新しく作って。完成品に組み込むかどうかは別にして。

もう論文なんか書くチャンスは二度とないかもしれないんだから。やれるだけやっとこう。


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内容

4と5 書いていると、妙なタイミングで文献との運命的な?出会いがあったりしますね。どうせ運命ならもっと早く来ておくれ、と慌てたことがあります。 (04/12/01 20:36)
韮山 それを始めるとキリがないです。(^^;) 自分も、顧客満足の卒論が一通り完成したところで、「サービス業の顧客満足」なる有益な参考文献にぶつかり難儀したことがあります。 結局、マイナーチェンジで収めましたが・・ (04/11/29 21:59)
幸運を祈る やれるだけやってみてください〜。 (04/11/29 21:50)


 ■ 2004/11/16 (火) 何にもしてないけど疲れる


何にもしていないというより、まあ今日は指導教官に朱入れしてもらった草稿を東京まで受け取りに言ったので疲れたのかもしれないです。
わりと田舎育ちなもので。東京は疲れます。特に23区内。

講評としては
「まあ勉強の成果も出ているみたいだし、それなりに自分で考えられているようだ。
 あとは誤字脱字の修正と、論点の飛躍や無駄な部分を削ぎ、
 自分で考えている部分でも一応使った原典は引用して地に足をつける。
 時間は残り少ないが、まあ化粧直しておきなさい」
とのこと。

確かにあっぷあっぷしながら書いたからおかしくなってるところは数多いし、
結局展開しなかった論点もうっかり残したままになっていたりと、自分で反省していたとおりのことを言われた感じです。
もっと叱られると思っていたのですが。…叱るほどには成果を期待されていないってことか。

あー、またしばらく『存在と時間』しか読めないのか…なんだか、論文を書くためによむというのに飽きてきてしまったというか。
論文を書くのは嫌いですね。哲学書を読むこと自体は割と好きですが。

プロになれないわけだ…(苦笑


名前

内容

韮山 卒論を思い出します。(^^;) 知識というよりは、「自論」の展開だけに、難しいんですよね・・・ (04/11/19 01:30)
幸運を祈る 論文を書くのは大変なんでしょうね。論文書いた経験がなかったりです・・・ (04/11/16 20:16)


 ■ 2004/11/10 (水) なんとか結論まで…


修士論文、最後の方までたどり着きました。
まだ完成ではなくてこれからいろいろ差し替えたり、磨き上げたりして完成ですが、
まあなんとか昨日で一応結論まで到着。
応援してくれたみなさんのおかげです。

今日は一日楽に過ごしました。気になって関連する本は読みましたけど。

簡単に言ってしまうと、
「平凡な人生でも、考えようで救いが在る。
 むしろ平凡であることの中にこそ救いがある。
 平凡であることでも、存在しているということの中に既に救いの可能性が在る」
みたいな感じになりました。
字面をの上ではそこまで書いてないのですが、もしかしたら審査では見抜かれるかな…。まあ、本音なので、隠しようはないのですし、別におかしいことではないし。

あとは先行研究との兼ね合いを見直したりして書き換えるところは書き換えて、
(使っていないネタのストックは充分在るので全然OK)(とかそういうことじゃなくて泥縄だなヲイ)
筆が滑っているところは滑らないように慎重に書き直して、
(ただどーも滑っているほうが面白いんだよね)(滑らないように書けないのかというツッコミは不可)
序文とあとがきを適当に付けて、論文要旨を作って完成。
(要旨は4000字が上限…4000字? ナニ、軽いさ、軽い…あは、あはははは…、はは…ガクッ)(ついに倒れる)

(起き上がって)
で、何故か手元には今、マルクスの『経済学・哲学草稿』があります。
来年から働くから、働くことについての哲学に触れておきたいとおもっていた矢先、
アマゾンで見て衝動買い。

曖昧に「搾取」とかよく言ってるけど、そもそもどういう意味で使われたたんだ?
というところを確かめなおしたいのですね。
流されて働きたくないし、流されてもそれがどうして流されてしまうのか、どうすれば流れを自分の手に引き寄せられるのか。
そのためのよすがになるものが欲しい。そんな感じです。


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韮山 余計なことを言ってしまい失礼しました。m(_ _)m  マルクスが発見した経済概念なり理論というものは、資本主義の学者の間でも一目おかれ、その理論の中でも用いられています。 アクセサリーの価値を認める他者の存在などは、マーケティングにおける消費者行動理論にも重なり、マルクスが将来を見据えていたことをうかがわせます。 党派性を排除することができれば、良い読み物になりそうですね。 (04/11/13 14:12)
ぺけぽむ 労働価値説くらいはさすがに聴いたことありますよ。韮山さんの例に即して反証を上げておくと、そのアクセサリーがアクセサリーとして認められるためにそれを交換する他者の承認が必要で、労働が直ちに交換価値を持つとは限らない…と。価値の基礎付けをどこに持ってくるかと言う話ですが。で、確かに日本の共産・社会主義にはそういう歴史はあるわけですが、経済学出身ではなくて倫理学出身の私はそういう党派性をまずは自明としないでマルクスを読みたい、と思うわけです。どっちにしろ官僚・政治家・資本家が共産主義革命のロジックを理解したとしたら、革命が未然に起こらないようにロジックの先手を取るはず→抑圧強化だけではなくて資本主義を闘争を起こさないほうに変質させる、という流れは予想できます。そしたらどうすればええねん、という話です。あとまあ、個人的なことですけど、入る予定の会社は労組ない会社なのでいっそ俺が労組作ったろかな、ということも視野にあるので、そこがマルクス読む動機です。 (04/11/12 13:50)
韮山 一方で、農村の小作人を支持基盤としてきた「日本社会党」は、日本社会について資本家vs労働者(資本主義的搾取関係)の対立と地主vs小作人(封建的支配体制)の対立が並存するタチの悪い社会(半封建社会)だと断じ、まずはフランス革命のような自由主義革命により小作人を解放し、後、ロシア革命型の社会主義革命を以って、社会主義体制を確立するという2段階革命論を唱えていました。 55年体制の頃の話ですけれど・・ (04/11/11 00:27)
韮山 ちなみに・・・ 都市労働者を支持基盤とする「日本共産党」はマルクスの理論に忠実に従い、「資本家」を倒すために「労働者」はすぐに社会主義革命を起こすべきだと唱えて来ました。(最近、軌道修正したようですが・・) (04/11/11 00:23)
韮山 マルクス経済学の論理によれば、「価値」は労働により作られる・・と。 確かに、ただの石ころには価値がないのに、労働により小石のアクセサリーになると「価値」を持つ。つまり、「価値」を産むのは労働者なのに、「労働者」でない人(資本家)が儲かっている現状を指して、「搾取」と呼んだのです。 (04/11/11 00:21)
幸運を祈る お〜最後の方までたどりつきましたか〜お疲れ様です。これからまだ修正などあるみたいなので、頑張ってくださいね。お体にお気をつけ下さい。 (04/11/10 22:10)


 ■ 2004/11/01 (月) 11月かよ?


なんというか、タッチの差で11月になってしまいました。

修士論文は、あー、87%くらい書きました。あと残り約8000字。書く材料さえ挙がれば三日で型がつくところまで来ました。

…来ましたが、最後の山場でスタック中です。
ネタ切れというか、扱った原典の本質的な(と自分が思った)問題を批判しているのですが、
どうも切れが悪い。
引用しては注釈をつける繰り返しを離れて、
自由に自分の責任で自分の頭を使って考え出した途端に内容のレベルが下がってしまいました。
「俺って馬鹿」という感慨に尽きないと言うか。
で、当然、論述がだらだらして書いている割には話が進んでない、読み返すと迷走そのもの。
こんなで大丈夫か? 大いに不安。

中身は、まあ自分で言っても仕方ないですが、それなりに頑張ったつもりです。
冒険的過ぎないようにオリジナルの見解を入れて、出来るだけ既成の出回った解釈からの引用は少なめに。引用するときは喧嘩を売るときという方向性で。

執筆のペースそのものは大体予定通りというか、少し早目で進んでいるので問題なし。
丸ごと一章書き換えるくらいの時間は確保できています。

まあ、一応論文の形をした何か、にはなるでしょう。

完成したら、論文要旨だけでもここに張るかな…。
それとも自前のブログでも作ろうかな。自分の論文を天下にさらすのはかなり恥ずかしいことでは、あるのだけれど。


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コンドウマサヒロ 11月19日 僕の誕生日です (10/09/01 20:24)
4と5 心血注いだ文章を人前にさらすのは勇気が要りますが、得るものは大きいと思います。私は睡眠の質まで変わりました(←過剰反応)。 (04/11/01 23:47)
ぺけぽむ 感謝です! (04/11/01 23:41)
幸運を祈る 頑張ってください。 (04/11/01 20:20)


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