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アラフィフ喪男の花粉症日記

この日記は、
中国山地にある小さな町在住の49歳の日記。

[悩み]
・冬は超冷え性、春は超花粉症、夏は汗かき。

 ■ 2013/01/22 (火) 理系の大学に行けば人生変わってたかな?


私は中学の時、現代国語と、技術・音楽・保健体育の筆記試験は駄目でした。
試験勉強はしなかったんだけどね。

現代国語の勉強なんて、どう勉強すればよいかわからなかった。とりあえず漢字の勉強だけしてました。
現代国語の文章問題、(これが正解だ)と思っても、たいてい半分は間違えで、点は毎回平均点より10点低かった。

一方で、英語、数学、理科、社会、古文の点は良かった。
試験勉強をして試験をしてました。勉強方法は、学研マイコーチで復習でした。
通知表には「理数系に優れている」と書かれてました。
(理系の大学に行こう)と思いました。



ところが、高校になると、数学と理科が出来なくなりました。平凡ランク高校ですら50点も取れなかった。

全国模試は1問も出来ませんでした。
全国模試でどうにか出来たのは、中学の時、最も出来なかった現代国語だけでした。出来たと言っても、ほとんど間違えてましたが、それでも数学、理科、英語、社会、古文に比べてば、ましでした。
全国模試の数学、理科、英語、社会、古文は、1問も出来ませんでした。

私は理系から文系の大学に進路変更をして、
西日本各地の偏差値の低い文系大学を受けまくりましたが、全て落ち、予備校に行きました。
中堅私立文系コースでした。1年間、勉強をして、偏差値の低い文系大学経済学部に受かりました。

私の内向的な性格では、どこにも受かりませんでした。
性格が理系向き。

卒業後は、ゴルフ場のレストランの厨房でおばさん達とパートをし、
その後、訓練校で溶接を習い溶接工を志した。でも、派遣に登録し工場に行くが、訓練校ではそれなりに出来てた溶接だけど、現場では全く通じず、3日で溶接作業をやめさせられ、紙やすりで磨くだけの作業に就く。
その後、台車で物を運ぶ作業や、コンベアに物を載せる作業に就くが、30歳の時に何もかもが嫌になり、派遣を辞め、
無職。


もし、高校を卒業し予備校に行く時、私立文系コースではなく、私立理系コースに行き、偏差値の低い理系大学工学部に行けば、人生変わってたのだろうか?
理系の大学に行けばよかった・・・。

あの時は、(どこでもいいから大学に行こう。理数系は無理っぽいから、文系にしよう)としか思わなかった。
でも、高校の数学、理科はあまり出来なかったけど、
予備校の私立理系コースに行けば、偏差値の低い理系の大学なら、受かったかもしれない。
そうすれば、今とは全く違う人生があったのかな?



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