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日々の記録


 ■ 2005/04/08 (金) 27歳の幼児


 世間ではついこの間まで卒業式だ入社式だと言っていましたが、4月も1週間ばかりが過ぎると今度は入学式、そして新学期と学校が始まる時期になってきました。日付は変ってしまいましたが、ちなみに私の母校の大学は今日(7日)が入学式でした。おそらく大きな目標を持ったフレッシュマン達が多数式に臨んだ事でしょう。

 思い返すと私も5年前は大学院、9年前は大学の入学式に臨んでいました。その時に自分が将来どのような方向に進んでいくのか全く考えておらず、「そのうち何とかなるだろう」という気持ちで学生生活を送っていました。そして現在、「何とかなるだろう」という気持ちは「もうどうにもならない」としかならなくなってしまいました。学生時代はいずれは高学歴で高収入、高身長も入れれば3高となりますが、の社会のトップエリートになれるという妄想を抱いていましたが、今の自分は無駄に高学歴で無駄に高身長という本来なら有利に働く所が余計マイナスになってきているように思えてなりません。そんな今日もまた書類選考の不採用のメールが届きました。


 自分は4月1日の夕食時に起こした激昂事件の際に皆様から様々な御意見を頂いたのにもかかわらず、一つ事が過ぎたらまた別のもので、目先かわれば同じ事の繰り返しをやっています。自分はやはり学習能力が無く、自分のやる事は半分以上できればやれたも同然の考えを脱却する事がなかなか出来ません。しかも私は物事に時間がかかり過ぎる癖があり、時間をかけても時間をかけただけの事が出来たためしがありません。とりわけ料理を作る事や皿洗いではこのような事が顕著だったりします。また私はその事を母親から注意されて、この前ほどではないにしても感情を爆発させて屁理屈を並べた挙句、幼稚園児みたいに大泣きしてしまいました。

 本当に自分は27歳になっても、精神年齢は幼稚園の時から全くといっていいほど変っていないようにしか思われません。ただ屁理屈を言う口だけが達者になったと親から言われるばかりです。中学時代にクラスメートからバイキン扱いされていたのもこれのせいであって、社会に出てもこの調子だとまた中学時代の繰り返しになる事を親からさんざん言われてきましたが、なかなか直る気配はありません。親からアルバイトすら勤まらない、むしろ社会に出れば今度は年下から馬鹿にされるといった事も言われており、自分は生きる事が苦しく感じられてなりません。

 日常生活レベルで見ても私はお金を払うに見合っただけの事が出来ない廃棄物のようにしか思えてなりません。前にも書きましたが、お金をこちらから払う事で居場所が保証される場(つまり学校)は、どんなに馬鹿で幼稚園児のような人間であったって期限まではいられるのに対し、いかなる形であれ労働の場では私のような出来た時が終わり時みたいな感覚でやっている人間にお金を払いたい人間などいないでしょう。

 最近、私という人間は行く先行く先でそこに所属している他人に間接的であっても迷惑をかけ、不快な気持ちにさせているのではないかと考えてしまいます。ましては親に対しては物心ついて20数年、そして現在も進行中と言えるでしょう。私が現在、書類選考すら通らなくなっている事は、まず27歳の職歴無しよりも22,3歳の新卒のフレッシュマンを取りたいというのもあるのかもしれませんが、どんなに良さそうな人間に繕った所で頭の中身が幼くましては少しも優れた所の無い人間というのはすぐに採用担当に見抜かれてしまうからだと思います。名実共に優れた所の無い私にとって普通の大学卒レベルの就職など望めないのではとも考えてしまいました。
 
 結局自分は義務教育以降、どこもお門違いな所に所属し、たまたまそこにいた人達が精神的に優れていたからいじめられたりしなかったのであり、本当の自分は一生社会の底辺を這いつくばっていじめに耐えながら細々としか生きていくだけの能力しかない虫ケラ同然の最低人間なのかもしれません。自分に残された道は人がやりたがらないような仕事をやって食うや食わずの生活をしていくようにさえ思えてなりません。そうなった時、私にとってSFやアニメ、コミック、ゲームに音楽、さらには歴史や政治、軍事、宇宙科学といったものは手の届く事の無い遠い雲の上の存在、ないしは生きていく上で不必要かつ無意味なものになってしまうでしょう。

 自分は精神的に成長する事が難しい人間のように思えてなりません。自分が興味のある事に関していっぱい知識をつけた事は結局のところ自慰行為にしか過ぎなかったのかと考えてしまいます。その知識が自分が社会人として生きていく上で役に立つのならまだしも、ほとんど全てといっていいほど役に立つものが無く現実逃避の都合のいい道具として使っていたのではないかと思っています。日常生活で間違った事をしてそれを注意を受けては傷つき、心の癒しを趣味に求める事をしてきましたが、少しも心は癒されませんでした。だからといって趣味を手放す事は自分の腕や脚を切り捨てるようなものに見えてならないのですが。

 しかしこのままでは「スター・ウォーズ エピソード3」が日本公開される夏頃や愛知万博が閉幕する初秋はおろか、2005年の総括をやっているであろう年末になっても自分は相変わらず堂堂巡りをやっているような気がしてなりません。しかし日常生活の問題にすら激昂してしまうような私には苦痛ばかりが感じられます。生きる上での苦痛を緩和して、自分はもちろん周囲に対してもプラスに働くような行動が出来るようにしたいとは考えているのですが・・・・・・。


 3月末ぐらいから自分はネットに接している時間が長く感じられるようになってきています。こんな事は言いたくはないのですが、何だか「ネットが友達」になっているかのように感じてしまいます。自分の情けなさに後ろめたい気持ちが強いのか、それとも厳しい現実から逃れたい気持ちが強いのか、判断がつきません。自分の心を厳しい事にもくじけないようにする事が必要なのでしょうか。
 




名前

内容

マナ その後結果はどうですか? (05/05/04 23:50)
韮山 構えちゃいけない。構えちゃ・・ 明日、とりあえず一日外で過ごすこと。 最初はそれでよい・・ 気持ちは分かるよ・・ (05/04/13 01:48)
ハンコ屋 寛容であれば、問題なしです。ところで、母の日や父の日にプレゼントはしていますか?人が喜ぶ事をすれば、自然と道は開けますよ。 (05/04/11 22:58)
とりあえず あえて厳しいことを書きますね。あなたの現在の心のよりどころであるSF小説、コミックなど一度全て処分されてはどうですか。それぐらいやらないともう本腰入れて仕事さがさないんじゃないかな。今は全てを就職活動にそそぎこんで、どこでもいいから入ってあなたの親御さんを安心させることが一番大事なことだと思いますよ。働いてお金を貰ってそれからまた集めればいいじゃないですか、それが最善策だと思います。 (05/04/11 17:43)
ぺけぽむ 現実面とは他に、メンタルな話だけど、なんとなく、あなたの自虐は自分が就職しないでいい理由を無理ひねくりだしているに見えます。「自分はこんなダメ人間なんだから、社会は受け容れてくれない。就職口を探すだけ無駄、だから働かなくてもいいんだ!」見たいな筋書きでね。だれかに「働かなくてもいいんだよ」といってもらえるまで、そうやっていたいような心はないですか? (05/04/09 12:54)
ぺけぽむ そういえば、公務員試験はどうだろうかと。年齢制限にはまだ引っかからない所も多いし、一般企業向けの活動とと並行してやってもいいのでは。私はバイトもいいだろうと思うけど、しかし「バイトも務まらない今のあなた」を正社員で雇うやさしい会社は決して多くないと思う。バイトと並行するにせよしないにせよ、腹くくって数こなしましょう。あと、社会人向けの就職支援組織に行けばたぶん提案されることだと思うけど、事務系の資格をとったら一応強みがもてるのでは? 強みを探す&造る努力をしないと弱いまんまになっちゃうよ。 (05/04/09 12:53)
大人の少年 私も誤解をしていたようですね、すみませんでした。しかしいずれにしてもその組織は主に卒業予定者または既卒者のなかであまり時間の経っていない人を対象にしているように思います、そしてそれらの企業は新規採用(教育投資をして人材を育てる為の採用)を目的にしているように思います。狙うのは中途採用枠の方が可能性が大きいと思います。だからバイトなどを勧めるのは職歴に値するような経験を積み重ねる事によって就活に有利になると思います。 (05/04/09 08:44)
韮山 過去の日記を見てもらえば分かると思いますが、佳境のときは本当に9-17に近い状態で私もやってました。 語弊のある言い方かもしれないけど就職活動はお見合い。 「もてない」なら、とにかく数をこなすしかないんですよ。 決して「もてない」のはあなただけじゃない。恥じるのはそこじゃない。出会いを求めてないことです。 (05/04/09 01:30)
韮山 私は、他の多くの方が勧めるバイトは、あなたの性格上好ましくないように思いますので、あまりやるべきではないと思います。けれど、働かないなら代わりに「求職者という職業」なのだという自覚を持たなくてはなりません。まして東京近郊に住むなら、就職活動で9時-17時の社会人の就業時間分スケジュールを埋めることは簡単です。 そこまでやらなきゃ。 (05/04/09 01:19)
韮山 ともかく、学生対象で院卒も見慣れている学生職業総合支援センターで延々とあなたの「弱み」を確認しているだけでは前に進まないのです。分かってもらいたいのは本当にそこのところ。 (05/04/09 01:14)
韮山 もっと一社会人として扱ってくれるところへ行ったほうが良いと思います。人材紹介会社との橋渡しをするサイト(一例:http://consultant.en-japan.com/index_01_out.cfm)に登録して広くスカウトを待つ、あるいは学生向けではない全般的な若者就職支援組織(一例:http://www.city.adachi.tokyo.jp/addir05/wakusen2.htm)で、院卒を見慣れていないアドバイザーから見たあなたの「強み」を見つけてもらうとか・・ (05/04/09 01:13)
韮山 でもね、既に社会人のあなたが行くところはやはりそこじゃないと思うのですよ。 企業向けのサービスに「学校一覧」みたいなものを載せていること等を考えると、どこまでいってもこのセンターは学生とそれに近い状況の人を対象にしていると思います。 それに、一通り現在求人中の企業の顔ぶれを見ましたが、営業・ないしは接客を伴う仕事が中心であなたには一番向いていないのではないですか? センターのアドバイザーもクライアントの傾向を見てそのニーズを伝えてくる訳ですから、あなたへの評価が酷なのは当然です。視野を広げる意味でも「学生対象」の支援組織への依存は下げなくてはなりません。 (05/04/09 01:10)
韮山 申し訳ありませんでした。私に誤解があったようですね。 (05/04/09 01:07)
MOTOAKI 学生職業総合支援センターというものについてですが、六本木のジョブパークに存在する公的機関(と言ったらいいのでしょうか)であり、大学とは関係の無いところです。対象としているのが、新卒者はもちろんですが20代の既卒者も含まれています。私の説明が足りなかったようで、いかにも卒業しても母校の就職課に頼っているかにみられているのではと思い、説明しました。アドレスはこちら→http://job.gakusei.go.jp/ (05/04/09 00:00)
日本 労働の義務が我が国にはあります。あーだこーだ言ってないで働いてみることです。何事も経験です。 (05/04/08 23:54)
大人の少年 卒業されて一年以上経っているのであればもう学生とか学校とかの関係するような枠から外れましょう、なぜなら無職とはいえある意味社会人だからです。韮山さんが仰っているとおり大学の就職支援センターみたいなところを頼るのもどうかと思います。それから、頭に詰め込む知識は豊富のようですが物事を実体験して得る知識に乏しいようですね、物事を経験して得る知識に限りはありませんし、それこそが社会人にとって最も必要なことだと思います、先にも何度かレス書かせていただいたように貴方にバイトを進めるのはそうした意味合いもあるからです。「人がやりたがらないような仕事をやって食うや食わずの瀬生活をしていくようにさえ思えてなりません」の”人がやりたがらない仕事・・・”って?、仕事である以上立派な職業です、職業差別につながるような考えはやめましょう。とにかく貴方にいま必要な事は生活環境を変えることです。社会参加(労働)する事によって日々過してみて下さい。またまた長文で偉そうな事を書いてしまいましたが、がんばってください。 (05/04/08 23:22)
ロールキャベツ 自分のことを幼児なんて思わないほうがいいです。家にこもっていたら親は文句のひとつもいいたくなるものです。幼児、幼児といっていると自分自身を暗示にかけるみたいなことになりかねません。就職に苦しんでいる人はいくらでもいます。乗り越えましょう。社会の人間関係が怖いなら、将来は家でできるようになる仕事をさがすとか。今は、そういう技術が身につくようなバイトを2〜3年してみたらどうかな。学校に行くようなつもりで習得すればいい。将来の展望も開けるし、親も安心して応援してくれるようになるとおもいます。 (05/04/08 08:51)
韮山 苦言を一つ。親に「バイトも勤まらない」などと言われたら悔しく思わないといけない。「そうなんだ」で受け入れていたら成長はありません。 (05/04/08 01:05)
韮山 頑張ってください (05/04/08 01:05)
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 ■ 2005/04/03 (日) 新年度になっても上手くいかない事ばかり


 新年度になって3日が過ぎました。これで私にとって自宅以外で拠り所無き身となって2度目の新年度です。1日のテレビのニュース番組では有名企業の入社式などが映されていましたが、無職の身からすると見る気にもなれませんでした(1日の夕刊や2日の朝刊で入社式についての記事に関しても同様でした)。しかもインタビューに登場する新入社員からは、自分よりも年下ではあるものの、かなりしっかりとした姿勢や意気込みが感じられて、我が身が余計に情けなく思うばかりです。その一方では新たな学卒無業者もいると思いますが、その中でも底辺に近い位置にいる自分を思うとこれまた情けなくなります。


 先日の日記では皆様からの色々なご意見を頂き、その中で私が豊富な知識と論理能力を持っている事のご指摘も受けましたが、改めて考えてみると自分には蓄えた知識を使う事が出来ない事が多すぎるように思えました。

 今、家では母が体調を崩しており、そのため私が最低限の家事をこなさなければならない場合があるのですが、中でも食事を作る事は得意でなかったりします。両親が外出して不在時には一人で冷蔵庫にある物を使って簡単な物は作れるのですが、親がいたり(大抵母親)するとどうも自分の思うように事が進まなかったりしています。そのためここ1週間近く食事作りに苦労してきました。

 とりわけ4月1日に夕食を作っていた時には、タッパーに入れて冷蔵庫にしまっておいた味噌汁を量が多くなかったとはいえ家族3人分(父は残業で夕食時には帰って来ていなかったため)に取り分けずに母と私の二人分に取り分けた事を母親から注意されて激昂してしまいました。何とか足りない頭を使って料理を作ったのに、それがたかだか味噌汁ぐらいで努力の全てが台無しになってしまうとは一体どういう事かと言って怒った訳です。自分は無い頭を使って料理を作り、味噌汁を分けられなかったという事については失敗かもしれませんが、それ以外は出来たと考えています。いわばするべき事が10あるうちの9が出来て、1が出来なかったという事であり、いかにも10の事の1つが出来なかっただけで全部出来なかったように見なされる事に怒りを感じたのです。

 自分の中ではすべき事が10ある中で半分以上が出来たのならばそれは充分合格点というか及第点に値すると考えています。しかも今回の事例で見れば、3等分しなかった事は決して悪意があったからではなく、不注意であり、それ以外で無い知恵を使って料理を作った事は評価に値すると思っていました。私は何もしないよりも、たとえそれが偽善的であってもしたほうが遥かにマシだと思っています。

 親は私に対して現在は家族というよりは勤め人、つまり社会人としての礼儀や常識を身に付けるよう忠告している事は分かるのですが、親の考えと私の考えは衝突する事がしばしばあっていつも「何故分からないんだ」とか「悪意でやった訳ではないのに、どうして評価されないんだ」、「人間は誰しも失敗する生物である」といった事を私は怒鳴ってしまいます。コメントの欄にもありますが、「自分の言いたい事を飲み込む」という事はまだまだ簡単には出来そうに無いと思われます。何か注意されると「自分は間違った事をしていない」と強調する傾向が強いからです。

 自分は大学院で落ちこぼれた状態で修了してしまった後、それこそ地球的規模でも宇宙的規模でもといったくらいの広い視野と心を持って日常を生きようと思ったりもしていますが、自分が思っているほど物事がすんなりと上手くいっていません(上手くいくのだったらもうどこかに就職しているともいえるのかもしれませんが)。親とすら衝突してしまうという事は、社会に出た場合は何かと衝突ばかりして世間から疎まれてしまうという事になるのでしょうか。

 私は精神的には幼稚な面もありますので、おかしな言動をしたり、意味不明なミスをしたりする事は理解しており、日々そのような事を改善すべく努力しています。しかしその努力がなかなか実を結ばなくてうんざりしています。やはり中高大とその年齢に見合った事をせずに自分のやりたい事だけに没頭してきた結果なのでしょうか。

 学生職業総合支援センター(これからは支援センターと書きます)の相談員の方と話したりする中で、自分が何故就職出来ないのかという事に関しては、今更ながらですが務める事はお金を貰う事であり、企業側がお金を払うだけの条件やら能力に適合している事が求められる事に気付かされました。また大学(大学院も含めて)まではどんなに無知で精神年齢が幼かろうと学費という形でお金を学校に納めていれば、就学期限までは籍を置いていられるという事も今更ながら認識しました(もっとも大学院では指導教授に「やめた方がいいんじゃないの」とか「君に研究は向かない」と言われればそれまでですが、私の指導教授は修士の間だけは在籍を認めて下さいました。それだけ心の広い方だったと思っています)。学校の通信簿でいう左側(教科別の成績)よりも右側(学校生活での態度など)が就職時には重視される事も理解させられました。

 皆様がおっしゃられるように、4月以降はアルバイトの形での何らかの社会参加というのも考慮に入れなければならないとは思っています。しかしながら自分は正しいと考えている事を批判されたり否定される物言いをされると過剰なまでに猛反発をして幼稚的な言動をしてしまう事に心苦しさを感じてしまい、いくら社会に出たとしてもそういった事をやらかしてしまうのではと思う事があります。私の主観も含まれてはいますが、物事に取り組む時には自分はもちろん相手にとってもプラスになる事をしようと心がけています。しかしそれが受け入れられない事が納得がいかない(何であれ努力した事は評価に値するという考え)というか、精神的に幼い故にプラスな評価をされないと屈辱感を感じてしまうという事が自分にとって社会に出る上での足枷になっているのでしょうか。評価されない事に対する屈辱感を感じてしまう事は、自分に糞尿をかけられてしまう以上の辱めを受けたようにとらえる事があります。

 それとも社会で働くという事は、しなければならない10の事の中で9が出来て1が出来なくても0にしか見なされないという事なのでしょうか。半分以上出来ても全部が出来なければやらなかったも同然に見なされるのでしょうか。自分が何かをした以上は最後までその責任を果たさなければならないという事なのでしょうか。


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ベルエポック そう、俺が警備員の知り合いを嫌ってたのも、ソイツが「景気が良くなったら働く。」なんて寝言をほざいていた時期が内外から。 (05/04/04 01:32)
大人の少年 怒ってまで物事や自身を正当化したり悲観的に思ったりしても状況が変わらなければ一向に前には進みません。バイトしてください。(学歴や専攻にこだわることなく自分が継続的にできる仕事を見つけてください)朝、自宅を出る→通勤→会社での労働→退勤→帰宅。労働者の誰もがこの繰り返しをして日々生活をしています。そして、それぞれの時間の経過のなかで、喜怒哀楽を感じながら生活をしています。まず親のすねをかじって日々過ごすのはもう辞めましょう。そして、理論理屈だけの生活もやめましょう。「労働」を通じて”自分”という人間を感じ、変えなければいけないところは変える努力をしながら自己認識をしてください。そうすればおのずと社会人としての礼儀や常識も身に付くと思います。あと社会には、自己責任もあれば全体責任もあります、それを判断し見極める事も大切でありその状況に適応していくことも大切です。>「それとも社会で働くという事は、しなければならない10の事の中で9が出来て1が出来なくても0にしか見なされないという事なのでしょうか。半分以上出来ても全部が出来なければやらなかったも同然に見なされるのでしょうか。自分が何かをした以上は最後までその責任を果たさなければならないという事なのでしょうか。」ここまで結論付けてもしょうがないですよ。またまた長文になってすみません。 (05/04/03 23:44)
韮山 「10の事の中で9が出来て1が出来なくても0にしか見なされない」>そういうときもあるし、そうでないときもある。 要は、見る者によって変わるということです。「9やったと言う事実」は変わらない。それをどうアピールするか。 最初から論理的根拠「タッパーの中身は少なく3人分の確保が困難であること」を表明し、ネゴっていれば、結果9しか出来なくても(2人分しか確保できなくても)相応に評価されたはず。 もちろん、努力は必要ですが、最初から10は不可能なときもある。 たかが「要領」されど「要領」。 (05/04/03 18:18)
韮山 「たかだか味噌汁」、その通り。 良く分かっているじゃないですか。そんなことで激昂するのはエネルギーの無駄遣いです。 とはいえ「9/10できたからOK」の考え方は直した方が良いです。そうやって開き直るのは相手の感情を逆撫ですることにしかならず、結果的にあなたの損になるからです。 しかし世の中、なんでもかんでも10/10を達成するというのは至難の業。 できないときはどうしたらいいか。「ごめんね」で済む話です。 味噌汁なんて小さな話、追加して一人分作ってしまえば良かったと思いますよ。 (05/04/03 18:13)
ベルエポック なんでもいいから、バイト探して、やったほうがいいよ。漫画喫茶とかでもいいと思うよ。そりゃ、 (05/04/03 17:42)
とりあえず  自分は院卒だとか、希望は出版関係とかこだわりを捨てて建設作業現場やコンビニのレジ打ちなどの簡単な仕事から始めてみてはいかがでしょうか。結局昨年一年何も働かれていないわけですよね。その間の生活費はどうしているのでしょうか。もう20代も後半になるのではないですか。あなたと同じ世代の人の多くはむしろ親に仕送りしている人が大半だと思います。自分の今の現状を恥じて すぐにアルバイト雑誌でも買いにいくことを強くオススメします。 (05/04/03 16:54)
ハンコ屋 「10の事の中で9が出来て1が出来なくても0にしか見なされないという事なのでしょうか。」その通りです。極論をすれば、99点でも0点です。「自分は正しいと考えている事を批判されたり否定される物言いをされると過剰なまでに猛反発をして幼稚的な言動をしてしまう事に心苦しさを感じてしまい、いくら社会に出たとしてもそういった事をやらかしてしまうのではと思う事があります。」まぁ実際、自分が正しくも相手を立てねばならない時もあります。僕なんか沢山経験あります。例えば、部下が失敗したら自分が失敗した事と同じになります。また永続的な取引の為に取引先の負担を減らす為、こちらが悪い事にする事もあります。規則だから規約だからという事でなく、人間同士の裏取引も重要なんですよ。だから、そんな時は自分を殺して相手を活かします。しかし、それは無駄ではなく、気づかないところでプラスになっている事が多いです。 (05/04/03 16:17)


 ■ 2005/03/30 (水) 自分がまだまだ未成長である事を嫌に思う3月末


 前回日記を書いた時よりもう一月以上が経過してしまいました。そして3月も残すところ後僅かとなり、2日後にはもう新年度が始まります。しかもダラダラと籍を置き続けて半ば追いやられるかのように大学院を修了してから1年が経過しようとしています。とはいえこの間に自分にとってプラスになるような事があったのかといってもそれはなく、相変わらず変化の無い日常を送っています。

 大きな出来事と言えるものとしては、東京大空襲からちょうど60年目の日に私の母方の祖母が老衰で亡くなった事です。これにより父方の祖母を除き、私の祖父母は3人が鬼籍に入った事になります。しかし私は個人的な事情(=つまり無職であり、3月30日現在も職にあぶれているため)により葬儀には参列する事が出来ませんでした。自分は本当に親不孝者、というか親族不幸者に思えてなりません。自分自身を隠すために親族に対してすら距離を取らなければならない姿は情けなく感じられます。

 もう一つ大きな出来事を挙げるとすれば、3月半ばで私はまた一つ年を取り27歳になりました。四捨五入すれば30となる20代後半に差し掛かってもう2年になりますが、もうそんな所なのかといった実感はあまりありません。自分が精神的にはお子様な状態だから自分がもう20代後半である事すら実感が湧かなくなっているのでしょうか。家でも親に対してはなかなかお子様的発言もする事がありますし、3月上旬に六本木の学生職業総合支援センターのセミナーにて面接対策をした際などは顔がキツくてにこやかさが感じられないとまで指摘されました。

 時々私は昔の事を思い出したりするのですが、小中高と私は教科の成績はそこそこ良かったのですが、学校生活では先生の前では真面目な生徒のフリをしていても、クラスメート相手には幼稚な言動をして馬鹿にされたり障害者呼ばわりされた事もあります(特に中学)。高校はなんとか進学校に入り、そして都内の有名大学とそこの大学院へと進みましたが、大学および大学院のゼミで同期や先輩方は精神年齢的にも成熟されている方々だったので私も気兼ね無く話をする事が出来ました。とりわけ大学院では私の趣味的な会話にも付き合ってくれた方々がいて私も自分のレベルが高くなったのだと思っていたくらいです。

 しかしながら実態は、私が気兼ね無く話せたというのは相手が私のレベルに合わせてくれた上で成立していたのであって、自分のレベルが高いという事ではありませんでした。精神的にもレベルの高い方だけあって、人を見下したり馬鹿にするような発言を人前ではしないというだけであり、公立中学のように色々なレベルの人間が集まっている場所では私は他者にとってストレス解消の格好の標的ないしは都合のいい使い走りにされていました。

 私は人の話が全く理解できず、幼稚な言動を繰り返していても、プライドは無駄に高く、しかも誇大妄想癖に近い所もあって、自分の理想的なイメージはもうそれこそフィクションでいえば「銀英伝」のメインキャラクター、現実世界でいえば最盛期のTM NETWORKや吉川晃司氏などを勝手にあてはめていました。実際の私は身長が182センチあるにもかかわらず運動能力はまるっきり低く、ルックスも全く冴えていません。自分の好きな事以外には頭が回らない上に全く格好良くないというダメダメ尽くしで苛立ちが募る事があります。

 その苛立ちが募りまくっている状態が今なのです。親の話一つうまく理解する事が出来ず、お子様的言動を繰り返し、自分の努力が1パーセントも評価されていない。面接で落ちてしまうというのもこういった事が影響しているのかもしれません。しかし最近では履歴書ですら通らなくなっています。プロの採用担当からすれば、職歴が無いだけでなく、大学院も無駄に4年在籍していると経歴を見ただけで、「コイツは何やったってダメだろう」と切り捨てられているように思えてなりません。

 履歴書に私の事を書く際には、当然嘘などは書きませんが、これといった長所が無く短所しか思いつかないので自分の事を多分に美化している所はあります。誰だって自分の短所を羅列したいなど思わないのは当たり前だと思います。しかしこれといって優れた点の無い人間にとって社会人デビューはそれこそ茨の道のように感じられます。大学(大学院も含めて)までは常識知らずであってもペーパーテストさえ合格点を1点でも越えればパス出来るのに、社会人になるという事は机に向かってのお勉強以上に様々なもの(例を挙げればコミュニケーション能力や物事の理解力)が求められ、高い学歴欲しさにそうしたいとは思わない勉強をやってきたのは何だったんだと思う事さえあります。
 
 私は勉強するよりも、他人の作った物を堪能するというか溺愛している方を好む事があります。他人から見ればくだらないようなものでも、まるで人類世界の進歩の象徴とか現代日本の芸術の最高傑作といった風に受け止めているように思います。そういえば以前に、「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」の日本館が多大なる絶賛を受け、それがわが国でも「帰国展」として東京都写真美術館で展示が行われ(私は行けませんでしたが)、その模様がNHKの「新日曜美術館」(2月27日放送だったと思われます)で「芸術」として取り上げられた事を見て、オタク文化もいわば世界に冠たる日本の現代文化として誇りに思えたほどです。こういったのを見ると自分も社会的ないしは文化的に貢献しているんだと考えてみたくもなります。確かに私にクリエイティブな才能が欠けている事は承知していますが、人の作ったものを追いかけている事を単なる追従であるとは思っていません。いわば一種の社会参加ないしは建設的事業のようにとらえていたりします。自分も現代文化の発展のために微力ながら力を貸しているんだ、と。
 
 しかしこういう私の嗜好を理解してくれた人はいまだに一人もいません。大学院時代の方々も、心が広かっただけに自分の嗜好に対して拒絶反応を示すような事はしませんでしたが、かといって全てを受け入れてくれたかといえばそうもそうではないとしか言いようがありませんでした。人の嗜好といったものは100人いれば100通りのものがあるというのは分かっています。私は自分の嗜好を押し付けたりする事はしませんが、自分の嗜好に嫌悪感を示した相手に対しては盛りのついた軍鶏よろしく激しく反発して、一歩も譲ろうとはしない傾向があります。批判はともかく悪口を耳にするとどうも黙っていられないという感じだったりします。そこに当日記でも述べてきた私のお得意の屁理屈攻撃を展開してしまって、結局相手の理解を得られずに話が平行線をたどってしまうというパターンを(特に母親相手に)繰り返してきました。
 
 私は今をもって心を許せたり、あるいは趣味嗜好が一致するような親友というものが一人もいません。大学院時代の同僚やドクターの方々はくどいようですが心が広いから私の事もある程度までは受け入れてくれました。しかし修了してもう1年になるのに、何かの機会に東京で出会う事などほとんどなくあまりメールなどでも連絡を取る事すら無くなって久しいです。いくら3、4年も一緒のゼミで勉強していても、プライベートでの付き合いが薄すぎたがために親密にはならなかったのかもしれません。大学の中とその周辺でしか付き合いの無かった人達などに卒業してからもよろしく、とはいかないのでしょうか。なかなか親しい友人を作るのが恐ろしいほど下手なのですが、人付き合いが上手くいかない事にも現在の就職活動を困難にしている一因なのかもしれません。


 今年も4分の1が終わろうとしていますが、人間としてまだまだ未成長としか言いようの無い状態だらけの3ヶ月だったと言わざるを得ませんでした。自分の趣味嗜好の完全否定などはしませんが、自分の幼稚さにはつくづく嫌気がさしてきます。精神年齢の低さというものは隠そうにも隠せないという事なのでしょうか。泥沼的な状況から抜け出すのに四苦八苦しているのが3月末の現状です。



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ぺけぽむ 韮山さんの言うことももっともで、確かにチャンスなしとはいえない(狭い門だろうけど)。それはそれとしてつけ加えると、冷静な論理分析力や知識と言ったものが、自分の内面の冷静な反省に役立ってないように思えてしまう。過去に後悔が大いにあるのは別におかしくも何ともないけれど、それに拘泥してしまっている今の自分の心理とはどうなのかを落ち着いて分析すれば(これが一番むずかしいことだけど)まだ結構強みがあるんじゃないかと思えるんですね。「絶対講師になれ、それしかない」って意味ではなくて言うんですけど、例えば「世界史に関する知識は人並以上にある」というのも強みなはずで、過去に対する悔いがそういうものあるはずのものに対する目を曇らせてしまっているんじゃないかと思う。ご両親の小言というのも、たぶんご子息の将来とかに対する不安以上に、これまでの自分たちがしてきた育て方に対する不安や後悔のようなものから、つまり過去に対する不安や後悔から来ているように思えます。だとしたら、そのご両親の小言にまともに憤っていたら、結局自分の中の後悔を強めてしまうことになる。心配してくれる両親の心は心として、韮山さんの言うとおり、そういう心を曇らせたりささくれ立たせたりするような話のときは一拍おく心構えが必要と思う。 (05/04/02 12:30)
韮山 提案です。次に親に対してなにか言いたくなったらそれをぐっと飲み込む。言い返す代わりに3秒かけて深呼吸し、そのまま散歩に出掛ける。 日記を読む限りあなたは既に周囲を圧倒できる知識と論理能力を持っています。 カッとして相手に食ってかかるのではなく、「押してだめなら引いてみる」その冷静さを心がける。 どうでしょう、とりあずこのあたりから始めてみたら。 ぺけぽむさんの仰ることももっともですが、あなたが冷静さを手に入れれば、まだ正社員の可能性は残っているかと思います。 懸念されるのは、その冷静な分析をいつまでも出来ず、本当にチャンスを逃してしまうこと。 日常生活にテーマが必要です。 (05/04/01 00:26)
ぺけぽむ 高い学歴が欲しいだけでそうしたいわけでもない勉強を…とおっしゃるけど、正社員と言う比較的高い身分が欲しいだけで正社員一本の就職活動をしてると思えて。正直言って、現実に言ったら職歴経験なし院卒27歳の新人を正社員で採用する会社はあまりない(ということは良くご存知のはず)。正直言って、正社員採用されるコースからは「もう外れてしまった」のが現実だろうかと。じゃあそれはそれとして、その現実に対応してどういう道を切り開くか、だよね。職歴がなくても学歴が生きる仕事って言ったら「塾講師」。かなり立場の弱い仕事でしかないけど、バイトでやってみたらどうかと。現代の世界史にはつぶしが利くんじゃないですか? 知らないことは覚えりゃ良いし、一応その辺のことは大学でかじってるだろうからとっつきやすいのでは。講師採用でも成績次第ではなりあがれないこともなくはない仕事なので、とりあえず「つなぎ」のつもりとしてでも探してみては? (05/03/31 14:00)
桃太郎 体格がいいのだから、トヨタの期間工をしてみるのもいいのではないでしょうか。 (05/03/30 19:04)
通りすがり 御祖父の御葬式に無職だという理由で参列しないとは信じられません。肉親への弔いが自身の無職と何の関係があるんでしょうか。 (05/03/30 18:31)
大人の少年 お久しぶりです、もう27歳になられたんですね・・、(といっても私よりず〜と若いですが・・笑)で、27歳で職歴もアルバイト歴もないとなるとちょっと”やばい”かも?です。貴方のその豊富な知識が、この先のご自身の将来進むべき道に邪魔をいているようにも感じます。日記文章中に「顔がキツくて・・」とありますが、顔の表情は社会経験を積んでこそ作られていくものです。やっぱり、すぐに職が見つからなければアルバイトでも派遣でもいいから労働(社会参加)しましょう。社会に出ればたとえアルバイトとはいえ人間形成がでいたり顔の表情も多少なりとも朗らかになります。諺ではありませんが、古い表現で申し訳ないですが、「女の顔は請求書」「男の顔は履歴書」ともいいます。(いいいました。)前者はともかく後者の「男の顔は履歴書」というのは先ほどにも書きましたが社会経験をつんでこそ自分自身という人間が形成されおのずとか顔の表情も変わってくると思います。どんな仕事であれ時給はともかく自分が継続的にできる事をバイトまたは派遣で見つけてください。一定期間働けば自身に変化心身共々見られると思います。働く事によって自己認識もできるかと思います。長文になって申し訳ないですが最後に、どんな雇用形態にしろ働くって大変ですし、それぞれの仕事は誰かがやらなければなりません。「好きな事をするのではなく、しなければならない事を好きになる」(ある方の言葉です。)がんばってください。あと、あまり親に八つ当たり?は辞めましょう、いずれ親を心配しなければならない時がきます、すぐですよ、すぐ。 (05/03/30 11:36)


 ■ 2005/02/18 (金) またも親と衝突


 前回の記入から2日が経ちましたが、また私は親と衝突して大声で怒鳴りまくるという事をしてしまいました。私は家庭生活の中ででも社会で生きていく上で最低限必要とされる常識や能力を身に付けるよう努力している事は前回も書きましたが、本日は私が中学生時代から見続けているテレビ番組の事を母親から指摘された事でブチ切れてしまいました。

 私は現在、1週間の内で十数本ほぼ毎週見ているといってもいいテレビ番組があります。それらの内容は音楽番組やバラエティにドキュメンタリー、また報道番組だったりしますが、いくつかは自分が中高生ぐらいの頃から見ているものだったりもします。このテレビ番組について最近親からよく言われている事に、いい年した大人が中学生あたりが見るようなテレビ番組を見続けているんじゃないという事です。さらにはテレビ番組など年齢を重ねるにつれて卒業するものは卒業するものとしていくべきだとも言われました。

 こういった事に対して私は感情を大いに爆発して言い返した次第です。別に自分の生活上でルーティーンとなっているテレビ番組の視聴のどこに問題があるんだ、たかだかテレビ番組ぐらいで人間の価値を決め付けるような事はちゃんちゃらおかしい、といった感じで。

 私自身、たかだかテレビ番組くらいで人間の価値その他が決まってしまうとは思っていません。確かに地上波で放送されている番組は老若男女問わず分かり易い内容のものが多いと感じてはいますが。一時期アニメをビデオに撮り溜めていた時期がありましたが、あの頃は見続けるものとそうでないものの区分が出来なかった事がまずかったと考えています。自分の行動に考え足らずな所があったから失敗してしまったのだと思っており、現在はそういった所を減らすよう日々務めているのですが、自分の今までのライフスタイルを全て否定するような事には、「ちょっと待て」と言いたくなる所があります。

 私の家は、多々ある衛星チャンネルやBSデジタル放送と契約していないのでテレビで見る事の出来るものは地上波とNHKの衛星放送、そしてWOWWOWの無料放送ぐらいです。つまりテレビを見るにしてもそう選択の幅が広いという訳ではありません。毎週毎週違うものを見るにも限度があり、お気に入りの番組を毎週見た所でそれが私自身を堕落させているとは思いたくないのです。

 いくら見ているテレビ番組が十年一日であろうと、そういった事は人の長い人生から見れば大した事では無いと思うのです。テレビ番組くらいで私が常識的に見てもおかしな事をしでかした訳ではありません。別に私は親に対しても「この番組を見なければ殴る」といったような乱暴な事を言ったりしているのではありません。疑問に感じる事は、いくら奨学金をSF小説やコミック、アニメ・ゲーム関連書籍やCDやDVDに湯水の如くに使い込んでしまったからといって、自分の趣味を完全否定させられる事です。私は過ちは過ちで認めているのであって別に悪いものを正当化している訳ではないのです。ただ私は自分自身の趣味を現在社会人になる上では過剰に走る事ないように抑制する事を心がけていますが、それでも自分の精神を休める事は必要なのでお気に入りのテレビ番組を見ているだけなのです。確かに無職の身で日柄一日テレビ漬け生活をしているならばそれはそれで問題かもしれませんが、一日のうちでたかだか数時間見る程度の事が責められるような問題にはならないと思います。

 私は特別優秀な人間になりたいといった訳ではなく、ごくごく普通の一社会人としての生活を送れるようにしたいだけなのです。しかし学生時代に大コケしてしまうとその後の苦しさはただものではない事を否応なく実感させられています。また普通を維持していくにも並々ならぬ努力が必要である事も認識しました。それでも個人の趣味嗜好がその個人の全体を現しているという事を認めたくはないのです。確かに私は自分の趣味やらライフスタイルについて批判されると過剰に反応してしまう傾向がありますが、そういったものにぶら下がっているために成長できていないと思われるのは心外です。社会的な常識と趣味嗜好は全てとまではいかないにせよ決して同一視出来るのもではないと思っています。

 今回も内容的には前回と同じようなものになってしまいました。何とか現状を変えていきたいとは思ってはいるものの、なかなかうまくいきません。いつも親に突っかかってばかりの生活を変えるべく努力はしているのですが・・・・・。


名前

内容

大人の少年 ご無沙汰しておりました、お久しぶりです。お元気でしょうか?人それぞれ趣味を持つ事は良い事だと思いますが、物事にはプライオリティーがあります。私が現在の貴方の年令のときは趣味を楽しむ時間はほとんどありませんでした。交代勤務で昼勤務は残業3時間で夜勤務では2.5時間の残業の毎日を送っていましたよ、でもそれは生活の為であり生きる為でもありましたので趣味に時間を割くことができなくてもそれなりに楽しい時期でした。趣味から一旦離れてみてはどうかな・・?いずれまた趣味に時間を割いて楽しむことができると思います。 (05/02/28 00:10)
韮山 世の中、高い地位にある人でも、意外な趣味を持っていることがあります。 良い例えかどうか分かりませんが、元弁護士の政治家、社民党の福島党首は、宮崎アニメをこよなく愛するオタクとして有名です。 新進気鋭の若手実業家たちだって、なにか趣味は持っているはず。 自分の趣味をネックに感じすぎるのもどうかなと思います。 (05/02/22 00:39)
 確かに親の言うこと自体は単なる言いがかりであなたの言うことの方が正しいとは思います。ですが、何故そのような理不尽な言いがかりを受けるはめになるのかその原因を考えてそれを排除しようとしていますか? (05/02/19 23:06)
ハンコ屋 趣味に全財産使ってもいいんですよ。それで幸せな気分になればいいと思いますね。それが趣味ですから・・・。ガンガレ・・・。 (05/02/19 11:07)
スネ夫 自分も親に10代で「どぅ〜なってるの」や「遅く起きた昼は・・・」を見ていてバカにされました、死ぬほど腹がたったと同時に言っている意味がわかりませんでした。親(またはそ〜いう人)はもう人間が出来ているので仕方ないと割り切っています、そこで怒らければ自分が変わった証拠だと思います。 (05/02/19 03:18)
X 趣味を大切にしたい。って気持ちはよくわかる。でも、その趣味をやっていくには何が必要なのか?ってことを考えたほうがいいのでは?ってのと、あなたは一回、家を出て自立したほうがいいと思う。 (05/02/19 00:40)
韮山 「特別優秀な人間」まで目指す必要はないでしょう。その考えは悪くない。 ただ、しっかりと個々人を見た場合、みんなそれなりの意識を持って生活しているので、「ごくごく普通の」という人はなかなかいないものです。 仕事に就いたら、やはり10年後の自分の目標を持つべきだと思います。  (05/02/19 00:04)
夢見る名無し みんな同じです。HN変えました。親は大切にしましょう!一番大切です。また明日! (05/02/18 23:57)


 ■ 2005/02/16 (水) 趣味をめぐる親との衝突


 前回記入より一月近くが過ぎてしまいました。2005年になって1ヵ月半が過ぎましたが芳しい結果は未だに出ておりません。先週は試験やら説明会やらで1週間の内5日ばかり出かける事があって、久しぶりに忙しかった時期でした。日記に関していえば、あと3日でこの日記をつけるようになってからちょうど1年になります。しかしながらどうも最近は話題不足や気力が無い事もあってなかなか書く事が出来ませんでした。

 つけ始めた頃の日記を今読み返してみると、自分でも当時の苦しい胸の内が感じられるのですが、さてその頃と今を比べてみて今が少しでも良くなっているのかと言えば全然と言っていいほどダメとしか言いようがありません。

 私がもう学問の世界の住人(端くれとしての)でなくなったのは、今から考えれば大学院の2年目、つまり私がアニメやらコミックやらオタク趣味にはまりにはまって自分のやるべき事を完全に見失っていた2001年です。昨年5月から6月の日記を読めばその内情といったものが分かりますが、完全に端くれとはいえ研究者として死に体であった自分がゾンビさながらに院にしがみ続けた挙句の破局が2002年7月11日の「醜態記念日」であり、この日を境に私は現在まで著しく気分の重い日々を現在に至るまで過ごしています。今でもたまに気晴らしに秋葉原や都内の大型書店や地元などの図書館に出かけたりはしているものの、単なる一時凌ぎに過ぎず家に帰れば気分が重くなる事の方が多かったりします。

 私は決して親を嫌っている訳ではありませんが、昨年はおろかそれ以前から自分の趣味の事で衝突する事がしょっちゅうあり、実は昨日もそういった事で母親と衝突してしまい、私は家を飛び出して20分かそこら近所を走り回るといった事をしたり、母親に対しヒステリックに大声を挙げて抗議したり、コミックを部屋中に放り投げたりといった事もしでかしました。時間が経って振り返ってみると相当子供じみているように感じられてなりませんが、自分自身の趣味や嗜好をライフワークとしていきたいと心に決めているだけに譲れないものは譲れないという心情にもなります。それどころかアニメやコミック、ゲームなどを守護する崇高な義務があると思い込みたくもなります。ここまでくると病気じゃないかと思われそうですが。

 自分の中ではこのままではいけないと思う気持ちは強く持っています。そこで私はいくら汚れているとはいえオタク的な趣味や知識に上乗せする形でいわゆる世間一般で色眼鏡で見られる事のない趣味や知識を持とうと心がけてはいますが、現在就職活動中で時間的や金銭的に制約がある事を別としても、それもなかなか上手くいっていません。やはりこれは精神的に幼稚であるという事がそもそもの原因なのでしょうか。私は親から5、6歳の幼児を抱えているみたいだと言われる事があり、言われるたびにそうじゃない、自分は違うと否定はしても幼稚極まりない事を何度も繰り返しては自己嫌悪に陥っています。

 自分のオタク的趣味を巡って親と衝突しているなんて事は、大学院時代の恩師(いくら私がダメなゼミ生であっても指導教授は恩師なのです)はおろか先輩や同期の人に相談など出来るようなものではありません。院時代私は幾人かの人に、自分がアニメやコミック、ゲームが好きである事をほのめかす事は喋ったりした事もありましたが、そういった事で自分を崖っぷちに追い込んでしまっている事を言えば私に対する縁を断絶してしまうのではないかと思っています。ましてや元々ゼミで同期だった人からの年賀状は一枚も来る事がなく、院時代はそれなりに付き合いがあった割には現在の自分の境遇を見ると虚しさが漂っています。やはり私は秋葉原にたむろっているステレオタイプなオタク連中と傷を舐め合うしかないのかと思ったりもしますが、自分は断じて有名マスコミが差別・偏見意識丸出しで取り上げているオタクとは全く異なる人間であると声高に言いたくなったりします。親にパラサイトして親から貰った金を好き勝手に散財しまくった挙句に泥沼にはまり込んでしまったといえ、自分が培ってきた趣味の歴史を全否定する事など出来ません。それゆえにたとえ親であっても相互理解にまでは至らないのです。

 今回は文章の調子がどこか昨年のものに近い、あるいはそのまんまな感じのものになってしまいました。まだ自分の感情が抑えきれていない所があるからかもしれません。私は家庭で親と衝突してしまう時は、軽率な行動が原因ですが、それは決して悪意をもって親を妨害したり危害を加えたりしている訳ではなく、自分が良かれと思ってやった事や悪くはない事だと思ってやった事だったりします。他人の気持ちになって物事を考える事が不得意である事も軽率な行動をとってしまう一因なのかと思う事もあります。家庭生活の中でも社会で生きていく上で最低限必要な常識やら能力を身に付けようとはしていますが、前途はまだまだ多難です。


 最後になりますが、このようなサイトを見つけました。
 http://bunkei-insei.ameblo.jp/?bid=bunkei-insei
 これを読むと私も温室の中でぬくぬくと過ごしていたというか、あるいはぬるま湯につかって一般社会とは距離をおいた所で自分自身を見失っていたかが痛いほど伝わってきます。





名前

内容

韮山 前にも言ったかもしれませんが「説明会」依存は止めた方が良いと思います。今のあなたは無職とはいえ一人前の社会人です。 志望企業には、「試験を受験」に行くのではなく、入社させてくれと「交渉」しに行くのです。 相手が例え巨大企業であろうと、面接中は対等だし、そう見せる「迫力」が必要です。 新卒と既卒の最大の違いはそこ。 出来ない人間がやると逆効果になることもあるが、文章を見る限りあなたは「できる人間」です。 強気・熱意・論理・冷静・はったりで仕事を掴み取れ! あなたならできないはずはない。 (05/02/18 00:56)
アニキ 温室の中でぬくぬくと過ごして自分を見失っていたと思うのであれば、なんでもいいからやってみましょうよ。一般社会の厳しさを知りましょうよ。本当にそう思っているのであれば、やれるでしょう?? (05/02/17 23:37)
○ンコ屋 貴方の大学院卒業は社会に評価されるものなのでしょうか?もしそうでなければ、自分の学歴にこだわらずに現実を直視してください。去年とおなじじょうきょうですよね。いつまでもこんなことはつづけられませんよね。よくお考えください。 (05/02/17 23:30)
アニキ 俺も馬小屋さんと同じであなたは院卒のプライドに拘りすぎと思うなあ 院まで出たのになんで人生うまくいかないんだってのがあなたの本音ではないでしょうか その証拠にあなたの日記で「大学院」と言う単語が出なかったのはほんの2〜3回しかありません そんなプライドに必死にしがみついてるようでは傍から見ればかなり滑稽ですよ 熱意と行動で頑張ってください 能力のある人だと思うから 前を向いてほしいです (05/02/17 23:29)
ハンコ屋 学問と家庭と趣味に関して言えば、次元の異なるものであるから、調和が取れない事はないと想います。どれもしっかりやればいいだけの事ですね。親の偏見も理解できるけれでも、説得できるものと想います。オタクは人畜無害である事と文化である事を主張すればいいのではないかな。でも理解できない人もいるんだろうな。 (05/02/17 12:08)
馬小屋 院卒のプライドを捨て、警備員、パチンコ店店員、ライン工、梱包、などできる仕事をして、経済的に自立しましょう。今のままではただ立ち止まっているだけで何も進展しないでしょう。 (05/02/17 08:12)
馬鹿な名無し 明日をみつめて前向きにマイペースで行きましょう!上記のサイト拝見させて頂きます。では、貴方の夢が叶う事を祈ります。お元気で!! (05/02/16 23:31)


 ■ 2005/01/17 (月) あれから10年


 今日はあの阪神大震災からちょうど10年になりますが、その当時私はまだ高校2年生でした。10年前の1月17日は高校が推薦入試か何かでいわば休校日だったので、朝からずっとテレビで大地震によって多大な被害を被った神戸をはじめとする都市の惨状を見ていた事を覚えています。震災直後の映像は自分にとって結構衝撃的なものでした。近代的なビルや高速道路などが自然の恐ろしい力の前では無残にも破壊されてしまった様子を見ると恐ろしいものが感じられました。私は高校2年の頃から「Newton」を読むようになって、宇宙や地球、自然や科学技術といったものに僅かながらも興味を持つようになりましたが、都市を直撃した地震の恐ろしさをより強く認識しました。

 阪神大震災では相当数の被災者が出た事は周知の通りですが、全てを失ったに等しい状態からも立ち直って新たな人生を歩んでいる被災者の方々の事や、相当な被害を被った神戸をはじめとする各都市が復興して前進する様子を見れば、自分自身が抱えている問題も一つ一つ着実に解決し、前に進んでいかなければならないという気持ちになります。

 あれから10年が経ちましたが、10年間というものは過ぎ去ってしまえばあっという間かもしれませんが私にはそうは思えなかったりもします。私は人生経験が決して豊富というわけではないのですが、まだ口を開けば将来自分がどうするかよりも過去の自分の過ちを喋ってしまう事があります。これは自分がまだ未来に対して展望が開けていない事の表れなのでしょうか。また10年経って自分は全く成長していなかった、なんていう事にはしたくはありません。というよりも20代も後半に差し掛かっているのに口を開けばピンボケ発言やら非常識な発言やらをしてしまう事は重大な問題であると感じています。年末年始の休みも過ぎて以降今日までに学生職業総合支援センターで相談を受けたり、幾つかの所で採用試験を受けるなどして徐々にですが去年より積極的に動いていますが、自分の周囲に対し日頃から気を配っていけるよう心がけていこうと思います。


名前

内容

大人の少年 MOTOAKIさんお答えありがとうございます。そうですか・・、という事は社会勉強になるようなバイト経験は無いと言うことですね、このことから自ずとバイトしなかった理由は想像できますが・・(私の勝手な想像ですので書き込みは控えます)新年が明けてもう1月も下旬になろうとしています、新年度が始まるのは、そう遅くはありませんもうすぐです。どうでしょう・・3月まで就活をがんばって、結果が出なければ、短期のバイトでもして実社会を経験してみては・・自身の心鏡の変化があるかも知れません、それから再度就活に時間を割いては・・?かげながら応援しています。 (05/01/19 21:02)
MOTOAKI >大人の少年さん 質問の答えですが、答えるのが恥ずかしい事この上ないのですが、大学時代は全くアルバイトしていませんでした。ただ大学院時代に学内の定期試験の試験監督補助のアルバイトを3回ほどした程度です。理由を書くと長くなるので割愛しますが、アルバイトをしなかったというよりはやれるだけの能力が自分に無かったと言った方がいいのかもしれません・・・・・(その当時は)。 (05/01/19 17:27)
大人の少年 前回の日記にもレスしましたが行動の年にしてくださいね・・、一つ質問ですが、学生時代に(高、大)バイト何かやったことありますか? (05/01/18 23:08)
韮山 復興は一日にしてならず。 TVなどを見ているとまだまだ空き地が多いようですね。 一歩一歩。それしかないでしょうね。 (05/01/18 22:01)
幸運を祈る 阪神大震災の被害をテレビで見てびっくりしました。あれから10年経ったのですよね。本当に自分も頑張らないとですよ・・・ (05/01/18 21:55)
ぽん太 今日はたくさんの方が日記に震災の事をテーマにして書かれておりますね。私にとってもかなり衝撃的な映像でした。あのどん底から立ち直り今を元気に生きている人達もいるんだから、職が無いくらいでメソメソしてちゃいけないなと思います。 (05/01/17 23:42)


 ■ 2005/01/03 (月) 2005年最初の日記


 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


 大晦日および正月三が日は家で本を読んだりあるいはネットをしたり、また少しテレビを見たりして過ごしていました。テレビに関しては、大晦日は紅白と格闘技とTVタックルスペシャルの超常現象バトル(私はこの番組がつまらないお笑い番組なんかよりも遥かに面白いと思っていますが)を交互に見て、正月はシルクロードを見ていました。私の両親は年賀状を書く事に忙しかったのですが、私の場合自分の方から年賀状を送る相手がそんなにいないので全くといっていいほど忙しくありませんでした。院時代に同じゼミに所属していた人からも今の所は一つも年賀状が来ていません・・・・・・(涙)。

 結局の所、年末だ正月だといっても普段通りの生活とはさほど変っていないという事でした。ただ親と同居な分、上手い料理を食べる事は出来ましたが。

近頃の年末年始は各地で様々なイベントが行われているようですが、私はそういった催し物とは無縁な生活をここ数年送っています。サザンの年越しライブなどは結構面白いものだと思いますが、ここ最近は地上波で放送する事がなくなってしまい残念に思えてなりません。一度行ってみたいとは思ってはいますが。


 ここ数年の自分を見ていると、前の年よりも次の年の自分の状況が悪化しているようにも感じられる時がありますが、今年の年末に一年を振り返る際に、今年は去年よりも良かったと思えるようにしたいと考えています。


名前

内容

ぽん太 すみません。今日の日記タイトルだけ変わっていて中身が見れなかったのでコチラに一度書き込みさせて頂きます。これで多分新しい日記が見れるようになると思いますので。多分私が最初の訪問者になると思います。 (05/01/17 23:40)
韮山 今年が良い年でありますように! (05/01/07 00:58)
幸運を祈る あけましておめでとうございます。自分も正月はもうダラダラ過ごしておりました。歳を重ねる後とに正月っぽさを感じなくなってきちゃいました^^;そうですね。今年が去年よりよかったと思えるように頑張りたいですね。 (05/01/04 19:22)
大人の少年 あけましておめでとうです。今年は行動の年にしましょう、お互いがんばりましょう。 (05/01/03 23:25)
ぽん太 明けましておめでとう御座います。今年はお互いに前進する年にしたいですね。今年も宜しくです。 (05/01/03 23:22)


 ■ 2004/12/30 (木) 2004年最後の日記


 もう今年も残すところあと1日と数十分になりましたが、今年は今年一年をあらわす字である「災」が示すように本当に天災が多かった年ですね。26日にもスマトラ島沖の大地震とそれによる大津波でインド洋の周辺諸国では大規模な被害や7万人以上もの犠牲者(数は今後も増えそうですが)が出るという大災害が起こり、また日本では28日に新潟中越地震の震源地付近で大きな余震が発生したりとか年末にもかかわらず何が起こるか分からない状況である事が否応無く感じられました。人間の都合と地球の都合(ましてや宇宙の都合も)は相容れないものがあるようにも思えます。

 今年一年に関する自分自身についてはクリスマス・イブの日記にも書きましたが、改めて考えてみれば自分の物事に対する浅はかさやら物事が上手くいかない事に対して学生時代以上の苛立ちや憤り、怒りやらを面に出していた年であったように考えられます。年初めはまだ院生でしたがそこでも修論提出に必要な指導教授の印鑑を指定された時間にもらいに行かず、パニックになってしまった事(その時は指導教授不在という事で論文提出は認められましたが)に始まり、後はこの日記を読めば分かりますが、自分の趣味をめぐって親と衝突したり、学生時代に将来について何も考えずに「今が楽しければそれでよし」という生活を送ってきたツケを痛いほど感じさせられました。また自分にとっては辛すぎて、他人から見れば馬鹿馬鹿しい人生についてネットを通して訴えようと思い、いくつかのお悩み相談系サイトを巡っていた私が本サイトと出会ったのも今年でした。

 先日の日記における皆様の御意見の中に私が自分の趣味や嗜好とは無縁の一年でしたという事に対し、私の心と頭の中では決して無関係でなかったとのご指摘がありましたが、この事に関してはその通りとしか言えません。というよりも私は小学生時代から何かを支えにしていかないと自分が生きていくのが辛く感じてしまうという体質である事もあります。小学生時代はそれがファミコンであり、現在ではSF小説だったりコミックや音楽だったりします。そのようなものが自分が現在行っている就職活動を邪魔していたのかどうかについては、自分でも決めかねません。本業をないがしろにしてまで趣味に没頭していた大学・大学院時代はともかく今年一年は色々な意味で制約がありましたので邪魔になっていたとは思われません。むしろ自分の能力不足、というよりも怠けた生活を送ってきた人間のなれの果てなのではないかと考えています。

 私は今年一年よく親に「もう河原しか行く場所が無い」という事を嫌というほど言われてきました。河原、要するにホームレスにしかなれないと言われて腹が立つことすらありました。自分は小中高大院と所属していたクラスやゼミで存在自体が迷惑な人間(中学時代は障害児呼ばわりもされたくらいに屈辱的な事もありました)であり、普通の社会人になるために必要な事をもう小学生や中学生の頃から怠りまくっていましたが、もうこれ以上の転落人生とは決別したいです。世間一般で言われるところの普通の中学生や高校生、ましてや大学生としての本分を送る事の出来なかった自分ですが、これ以上社会や世間一般に対する劣等感を持ちたくないと思っています。

 来年は少しずつでも普通の人間としての生活をしていこうと思っています。私の親が私を育てる上で必死になっていたのは、いわゆる社会で普通に通用する人間にするためであって、決して自分を社会のトップエリートなどにする事では無かった事をようやく20代も半ばを過ぎてから理解出来たという有様ですが、特別に優秀でも特別に劣悪でもない普通に物事がこなせる人間になる事は親孝行にもなるとは思いますが、何より自分のためにもなるのではないかと思われます。そしてまた日常から愚痴や屁理屈が減るようにも務めていこうと考えています。

 年末年始はテレビではあまり面白い番組がそう多くあるようには思えず、公立図書館に至っては何処もかしこも休みで退屈過ぎたりもしますが、ここ数年間は修士論文執筆の苦しみ(アイディア不足や歴史に対する認識の欠如など)以外印象に残るものがありませんでした。今年の最後および来年の年初めも決して快いものではないと思われますが、少しでも気分を転換できたらいいなと思っています。皆様、よいお年を。



名前

内容

幸運を祈る 今年の事は忘れて、来年新たにいきましょう〜。自分はそう考えないと辛くってですよ^^; (04/12/31 12:39)
ぽん太 今年1年がMOTOAKIさんの今後を左右するキッカケになったのは確かなようですね。陳腐な言い方ですが、常に前向きに頑張って下さい。良いお年を! (04/12/31 00:07)


 ■ 2004/12/24 (金) ブラック・クリスマス


 最近この日記も一月ぐらい放置しているように感じてならないのですが、気が付けば今日はクリスマス・イブ。しかし私にとって12月24日、25日はここ数年は鬱屈とした日々であった事しか記憶にありません。大学院も4年も在籍して、その中では幾人かの素敵な女性とゼミで一緒になる事もありましたが、結局私は嫌われる事もなければ好かれる事もありませんでした(内心ではどう思っていたのかは分かりませんが)。彼女達に萌えまくっていても私自身の中身は幼稚園児並でしたので、恋や愛なんてものは成就しなかった事を痛いほど実感しています。しかしながら肝心の本業をないがしろにしていた事の方が遥かに問題であったとしか言い様がありません。私にとってクリスマスシーズンは、ホワイト・クリスマスなどではなく“ブラック・クリスマス”以外の何物でもないと思っています。

 もう今年も残すところ後1週間となってしまいましたが、今年を総括してみると結局自分が学生時代は自分を虚構というか妄想の世界に置いていたようにしか思えない一年でした。50近くも企業や団体職員、大学職員に公務員と受けてきましたが結果はことごとく「貴意に添えません」、つまるところ「あなたは我が社に不適格でしたので不採用に致します」というものばかり。ちなみに私が一縷の望みを託していた自分が住んでいる所の市役所の採用試験も同じ結果でした。要するに無職の一年でした。まだいくつか年明けに何箇所か採用試験待ちの所もありますが、それらが良い結果となるかはまだ分かりません。

 また私は今年一年アルバイトもせずに就職活動一本で弛みきった学生時代以上に力を注いで来ましたが、そろそろ限界が来ているのではないかと思えてなりません。こんな事していられるのもせいぜい来年3月までだと思っています。それでも私は母校の就職課はもちろん、六本木にある学生職業総合支援センターにも積極的に出かけるようにもして、必要あればセンターの相談員の方と話す事もするようになりました。自分の親や面接の時以外にも必要な事を喋るという事は大切だと思いますが、まだ親と話すとなるとどうも無駄話や過去の愚痴が多いように感じてしまいます。

 この日記の中でも私の愚痴に対して批判を頂きましたが、それでも家で親と会話をすると何時の間にか自分の愚痴や屁理屈のオンパレードになってしまいます。どうも私は自分にとって都合の良い答えが返ってくるまで粘りつづけてしまう癖があるように感じられますが、御都合主義的な性格をなんとか変えたいとは思ってもなかなか変えられません。小学校に進んで以来約20年、親や学校の先生やクラスメートの厳しい忠告よりも、芸能人やアニメやコミックの登場人物の発言や台詞に耳を傾けて必要以上に重要視していた人生の大きな負債が自分にのしかかっているといえるでしょう。学習能力皆無ではなく、ましてや悪意を持っている訳でもないのに他人に失礼な事を繰り返しやらかしてしまう事は今年一年かけてもなかなか直る気配が無く頭を悩ませています。
 
 最近もそのような事をやらかしてしまっては、怒りがふつふつと湧き上がって破壊願望に近いものを持ってしまう事があります。下手に暴発させてしまえば一生私は社会の底辺以上に底辺の所を這いつくばらざるをえなくなってしまうと思うと、感情の爆発を思いとどまりますが、他人に自分の短所を受け入れてくれる、それこそどこまでも広がる青空や海のようなおおらかさを求める事などもっての外なのでしょうか。時々思う事なのですが、アニメやコミック、小説の登場人物(とりわけ美少年か美少女)がヘマをやらかしても厳しく注意される事無く、笑って誤魔化したり、あるいはやけに優しい周囲の人間が水に流してそれこそ「なかったこと」にしてしまう例が少なからず存在しますが、現実に置き換えてみるとそう上手くはいきません。というよりも現実世界とありもしない虚構の世界を比べても何にもならないのでしょうか。自分の失敗は素直に認めるのが正しいのかもしれませんが、同じ失敗を何度も繰り返していると自分に過失があったというよりも何らかの不可抗力で失敗したと思いたくなる事すらあります。
 

 11月の日記にも書きましたが、今年は自分の趣味や嗜好とはほとんど無縁に近い一年でした。あまり最新の音楽に夢中になった訳でもなく、テレビアニメを毎日のようにチェックした訳でもなく、パソコンのゲームソフトも全く購入せず、ましてや何らかのイベントに出かける事もありませんでした。SF小説やコミック関連は古本屋やたまに新刊で購入はしましたが(最近買ったものとしては「まほろまてぃっく」の最終巻と「星界の戦旗」の第4巻<12月20日発売の最新刊>)、大抵の本は図書館での貸出で賄っていました。2000円はおろか、1500円程度の本にすらなかなか手が出せないという日々が今も続いています。図書館に関していうと今年だけでも5回くらい返却を催促する電話を受けてしまいました。一日でも早くまともな読書生活を送りたいという気持ちはあります。それでも私の趣味が、読書と音楽鑑賞、ネットサーフィンの3つしか存在していないという事はあまり快いものとは思えません。もっとアウトドアの活動的な趣味を見つけるべきなのでしょうか。

 年内にあと一回くらい書けたらいいなと思っています。




名前

内容

ぽん太 はじめまして!私ごときが貴方くらい優秀な方に意見するのはどうかと思いますが、やはり私以前にレスしてくれている皆さんの言うとおりだと思います。きっと良い年齢に達しているでしょうから、もう少しご自分という物を冷静に見極められる目を養った方が良いかと思われます。気分を害されたらすみませんが、私はそう思います。 (04/12/27 00:25)
大人の少年 とりあえず週一回でもいいから日記を書く頻度をふやしましょう、内容は何でもいいと思います。それから「今年は自分の趣味や嗜好とはほとんど無縁に近い一年でした」とありますが行動的には確かにそうですが貴方の心と頭の中では、決して無縁ではなかったと思います、結果としてそれが貴方の就活、または労働するという事を邪魔したのでしょう・・ぺけぽむさんの仰ってる事も一理あると思います。今年はあと数日で終わろうとしています、来年は行動の年にしてください、就活、バイト、とにかく働く事に重点をおいてください、いつまでも親のすねをかじっている場合ではありませんよ、せめて年金や健保などは自分が働いて得たお金で支払うようにしてください社会人としても最低限の義務は果たしましょう。 (04/12/26 00:01)
ぺけぽむ なんというか、私が言うのも難なのだけれど、同じところをぐるぐる廻っていて、まるでそこから自分で出たくないようにしか見えないです。本当に重要なことは趣味をどうするかじゃなくて仕事をどうするかでしょ。でも貴方の日記では、どうすれば仕事にありつけるかをまじめに考えた文章はまったく出てこない。趣味云々に話を狭めて本当の課題を考えないようにしてるでしょ? ほんとは働きたくないんでしょ? 働きたくない自分を知るのがいやなんでしょ? 就活してればそれが隠れ蓑になるからね。本当に働かなければならないという「尻に火のついた感じ」がまるで出てないです。散々進められたのにバイトしなかった理由の分析をここでやってみなさいよ。要するに自分の理屈で身を守れない世界に入りたくないんでしょ? バイトしたら確かに理屈なんて一発で吹き飛びますね。自分の理屈より仕事の論理のほうが優先されるんだから。性格を変えるなんて空疎なこと言ってないで、環境を先に変えたらどう? 単純作業のバイトか塾講師ぐらいしかあなたにできるバイトはないと思うけど、それが現津でしょ。どれだけ今の自分が他人の眼から見てしゃべれない、使えない人間か、それがどうすれば改善するかってのは、他人の反応から学習するしかないけど、貴方はその機会を今全力でつぶしている。さらに悪いことに、仕事と関係ない趣味の話に掏り替えて、そのことに踏み込まないようにしている。いくら理屈が達者でも、その能力が自己欺瞞にしか使われないようでは、一旦見抜かれたが最後、馬鹿にされて終わりですよ。自分で自分を馬鹿な人間にしていることに気が付かなきゃね…。 (04/12/25 14:25)
韮山 結論。 もっと自信を持ちましょう。 (04/12/25 01:47)
韮山 漫画のキャラクターがなぜ「許されるのか」あなたの思考力をもって論理的に解析してみたらいかがでしょう。 この世界では○○だから××は許される、など、社会的な環境(設定とも言うが・・)との関わりで考えた場合、現実への応用が必ずしもできないものとは思いません。 (04/12/25 01:47)
韮山 クリスマスがロマンチックなものだなんて誰が決めたんでしょうね。・・などというと、ひがみに思われるかもしれませんが、現実はドラマとは違います。「正しいクリスマス」なんてありませんよ。ちなみに、韮山の今年のイブは、男四人でバドミントンダブルス3時間ぶっ続けでしたww。 (04/12/25 01:43)
幸運を祈る う〜んどうなのでしょうかね。読書でも外に散歩して公園で読書するとかやってみてもいいかもしれませんね。この季節寒いですけどね・・・ (04/12/24 20:01)


 ■ 2004/11/29 (月) およそ一月ぶりの日記、もう年の瀬に・・・


 前回記入した時から1ヶ月以上が過ぎてしまいました。しかも今年2004年も残すところ30日近くになってしまっていたとは・・・。ほとんど日記を放置状態にしている間に世界では色々な事が起こり(アメリカ大統領選挙やPLOのアラファト議長の死去など)、既に世間はクリスマス&年末モードに。このページの日記コーナーも新顔の方々が増えたようにも感じられます。

 さて私は、前回書いてからしばらくの後に風邪をこじらしてしまいそれを直すのに数日かかり、また社会人としての生活に適応出来るように11月以降は夜は0時に寝て、朝7時に起きる生活をする事を親から半ば押される形で始めました。いわば生活改造に近いものですが、ちゃんと出来ているかと言われても決してそうとは言えません。最近でも寝る時間が1時や2時になってしまう事がありました。私は高校の時を含めて10年近く夜型の生活を送り、とりわけ大学院時代は夜の3時や4時に寝て起きるのは昼12時(それ以降という事も)というような生活を送ってきただけにそれを短期間で更正する事は結構シビアである事を痛感しています。日記がなかなか書けなかったのも風邪や日常生活の改造、そして現在進行中の就職活動やら日記に対するモチベーションが上がらなかった事など色々な事が重なったからです。

 今までこの日記の中でほとんど愚痴に近いような(というよりも愚痴そのものかもしれませんが)事を並べて来たようにも感じられます。それはやはり自分がどこか親に対して甘えているという事ではと思う事があります。私は世間から見ればいい年して仕事にもつかず日柄一日ブラブラして過ごしている人間に見られているでしょう。といっても大学院を留年した時からそうなのかもしれませんが。

 現在自分のダメな部分は少しずつでも更正していると思っていますが、その根本はやはり10年近く(あるいはそれ以上)続けてきた本能の赴くまま好き勝手やってきた日常生活にあったのではと最近になって思うようになりました。自分の本業をおざなりにして深夜のラジオ番組やアニメ番組、あるいはゴールデンの時間に放送されている自分の好きなテレビ番組を毎週時間がきたら視聴したり、好きな作家・漫画家の本やアーティストのCDが発売されたらすっ飛んで買いに行くような生活を長期にわたって続けていたら常識の無い人間になってしまうのも無理も無い話だと思います。

 私は現在世間で大流行中の韓国ドラマはおろかBSで放送されている「ER」をはじめとする欧米系のドラマや国産のドラマすらほとんど視聴しておりません。もちろんアニメ番組はビデオが壊れてからというものの全くといっていいほど見ていません(たまに見るという程度です)。世間の流行はおろか自分の趣味の領域とは完全ではないにせよ縁の無い生活を送っています。SFやライトノベルといった小説を気分転換に読むといった事はしていますが。

 11月を振り返ってみると、風邪で体調を崩した事に始まり先週の土曜日も面接の帰りに私が学生時代からよく利用している千代田線の車内で貧血を起こしてへたり込んでしまうなど自分の肉体面での軟弱さが現われた月だったと思います。やはり面接で緊張していたあまり、頭に血が上ってしまい、面接が終わってしばらくして緊張が解けてしまった事によって自分の頭から血が一気に引いてしまったからなのでしょうか。それにしてもへたり込む寸前の何とも言いようのない倦怠感は今も忘れられません。


 久しぶりに書きましたのでまとまりのない文章になってしまいました。ご了承下さい。



名前

内容

大人の少年 本当にお久しぶりですね・・。この一ヶ月間、体調不良でしたか・・?実は私もです。今年もあと12月のみですね、就活を一旦休止して年末のみのバイトなどをやってみてはどうでしょう?、一週間でも10日でもいいから・・通常の期間でのバイトとは違った経験が出来ると思います。バイトすればおのずと生活改造できますよ。何をするにしても体が資本です、体調管理をしっかりとしてください。 (04/11/30 11:01)
韮山 ↓補足すると、ここでいう「取材」とは、たとえば片っ端から上場企業の広報部を質問攻めにしてみる、とかです。 「お客さん」として臨むので人事面接とは立場が逆。立場によるサラリーマンの豹変振りを観察しながら、商売の情報を探ってみるというのも面白いと思います。 (04/11/29 21:57)
韮山 お久しぶりです。 まだ就活のモチベーションがもてないなら、とりあえず見聞を広める上で、「取材」なんていうのも良いかも。 気の赴くまま知的好奇心を満たすのが、あるいはあなたの人生にプラスになるかもしれません。 まぁ、折角の人生なんだから、前向きに気楽に使いましょうよ。 仕事を「仕事っ」と構えて考えないで済むようになれば、うまくいくから。(^^) (04/11/29 21:54)
幸運を祈る 少しづつでもいいので運動をして少し体力をつけてみてはどうでしょうか。 (04/11/29 21:32)
ぺけぽむ お久しぶりですね。まあなんというか、SFファンにとっちゃどうせつまらん流行り物を無理に見なくちゃいけないってことはないでしょ、とかそういうことはまあどうでもよくてですね。前に韮山さんが進めていたバイト探しはしてみましたか? 生活の中身を変えないで習慣だけ変えるのは結構難しいもんです。で、自分でバイトして稼いだ金で買いたいものを買うと、可処分所得が減って自然に見る目が厳しくなり趣味の質が上がる(本当に欲しいもの、必要なものだけセレクトする癖がつくから)というオマケもつくと思いますよ。あと体は大事に。最後の資本ですから。その辺もバイトして働けるだけの体力をつけると良いかも。…でも、面接でバイトしてることを聞かれたらどう答えればいいか、ってのは少し悩みますね…。 (04/11/29 20:57)


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