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人生???


 ■ 2004/01/31 (土) 世の中の居場所


本日、某予備校から一次面接通過の連絡。次は、何故か役員面接で最終。
いきなり最終? いいのか、そんなことで。

ああ、でも、おれ、教育業界向きじゃない。サービス業向きじゃないのだ。

最近どの会社でも体育会系ばっかり欲しがってる。
文科系の沈思黙考型社員には用はないんだろうか。
いや、たぶん必要ないんだろうな。仕事というのは多分、それほど思考力を必要としないんだ、きっと。

はっきり言って、「変革の時代の今がチャンスだ」なんていわれても、私にとっては逆境でしかない。だって、私が生きていけそうな社会の隙間がほとんど見当たらないんだもの。
だが、借金をしょっているせいで、定職に就かないわけにも行かない。

厳しい。
だが、なんとかして、働きたい。
このままぐずぐずしていると、そのうちどこにも行けなくなる。


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かなりの酔ってますすえっこ 役員面接。適当に目をそらさず真剣なまなざしで訴えれば大抵の。。。。 (04/02/11 03:01)


 ■ 2004/01/22 (木) なぜ生きている? いや、「なぜか」の問題じゃない


二週間に一回以下の頻度で日記とは呼べない。
が、それはまあいいとして、
最近、一次試験で新手の性格検査をよく見かけるようになった。

現役の学部生だった頃(なんと一部上場の財閥系メーカーに内定をもらってた)には性格検査なんてほとんどなかった。SPIによる能力検査がほとんどだった記憶がある。

でも、そんないいげんな検査で人間を審査して場合によっては落とすなんてふざけてるよな。
だって、質問項目に「誰かにつけられているような気がしてよく振り向く」とか、「人が自分の見ていないところでうわさしている様な気がする」なんてあるんだぞ。精神科の予診カードかよ。まだ見たことないけど。いつか見ることになるかもしれない気が強くするけど。


それはそうとして、内定をもらってたのに(そして勤めていたはずなのに)なせこのサイトを巡回サイトにしているかというと…
自分の哲学研究者としての動機も才能も省みずに大学院に進学したから、ということになります。てなわけで今、改めて就職活動をしています、みたいな。
けれど、本当はやる気がしない。

僕はやっぱり、「人生相談のプロのようなもの」という、はなはだわけのわからないものになりたいと思っている。
だが、そんなものがそもそも職業になるんだろうか?
それに、…だが、うまく言葉にならない。

いや、言うべきだろうか。

ネットを回って自殺志願者を思いとどめさせるのにも限界がある。
直接会ってみても、やっぱりうまくいかないときはうまくいかない。
これまでに一人自殺を思いとどまらせ、一人ノイローゼを軽減させたけど、それだって所詮一時のことだ。
他者を自分の了解と言葉に丸ごと取り込んで意のままに活殺する試みなんて、絶望に直面することを原理的に運命付けられている。別のやり方を探さなければならない…。

人の心は移ろうもの、移ろうことが人の生を形作る。移ろわなくなることこそ死。
だからこそ一様にはとどめがたく、そうであるゆえに死に行く。

その移ろいそのものにならなければならない。生きることを肯定するには。


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俺も俺も 以前乗ったタクシーのおっちゃんは俺は人生相談のプロだって言ってました。 (04/02/15 15:42)
----(゚∀゚)----! カウンセラーとか目指すのがいいんぢゃないでしょうか? (04/02/01 00:28)


 ■ 2004/01/08 (木) 本当に働きたいのだろうか


就職活動を始めるとかいっておきながらまだ何にもしていません。

いや、明日はマスコミ関係のセミナーがあるので夕方には東京都内。

来週は二回も会社説明会がある。

今年二五になる私は、今のうちに就職できないと今後の人生が暗闇の可能性があるので真剣にやりたいとは思うのですが。

資格も何にもない上に余計な学歴。ここで社会に出られなければどうしようもない。
やっぱり下手をすれば再び真っ暗闇。嫌だ! そんなの。

ああ…、でも、今の世の中では働きたくない。
働く事が人生の目的だと思い込める人だけを、どの会社も欲しがっている。

「『就社』じゃなくて『就職』を目指してください」
「わが社はやりたい仕事が出来る会社です」
「一度やったら辞められません、面白くて」

冗談じゃない。最近の流行の就職にまつわる言説はみんな、高度経済成長期を言葉の言い換えに過ぎない。要するに、会社がこれまで担保してきた社員の人生を各人が担保しなければならないようになったという、言葉の流行の上での変化は別として、右肩上がりでなければな良い人生ではないという発想は別に変化していない。むしろ、右肩上がりの人生を描けない人間には、その責任の全てが「自己責任」の名のもとに押し付けられる。

そして、その価値観にみんながんじがらめにされている。まともに働いている社員から、無職でノイローゼすれすれの人まで。

けれど、なぜ、だれもがそれが幻想だと気がつかないんだろうか。
右肩上がりだろうか下がりだろうが、経済だの収入だのと関係なく、そもそも幸福な人間なんてそうめったいるわけないのだ。だからこそ、そこで改めて考えなければならないと思うのだが。


皆本当はそんなこと嫌なんじゃないか? …つまりあくせく働いて、目標掲げて自己実現、なんて。
鬱病が流行ってそこそこ市民権を得たのも、本当は皆そういう思いを口に出せずにいやいや働いているから、そこに無理が祟ってきたのが表面化したんじゃないだろうか。

中島義道じゃないけど、何でみんなそういうこと…つまり本当の本音を口に出さないんだろう。

「やりたい仕事は本当は別にある」
「かつては夢があった。だが、挫折して今は意に染まない仕事で口を糊している」
「尤もらしく『お客様の喜びが私どもの最高の喜び』なんていってるけど、それは客が金のなる木だからだ」

こういうことを世の中のそこら中でみんなが言い出せば、かえって世の中はよくなるんじゃないだろうか。
そうすれば、
例えば、正社員である自分達の権益を守り契約社員とフリーターを奴隷の代わりに使っておいて、フリーターと無職の若者を端から馬鹿にしている連中の欺瞞なんか隠しようもなくなる気がする。

まだ右肩上がりの幻想から覚めてない人が、この日本という“退屈の統べる国”の現実を感じ取っているとはとても言えないだろう。
無職が起こす革命、暴動。それは案外、こういう気分から始まっていくんじゃないだろうか。


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コンドウマサヒロ 興味深いです (10/09/01 20:20)


 ■ 2004/01/04 (日) 教育産業なんて詐欺師集団?


月に一度の更新で、何が日記なんだか。

まあ、月記ということならまあいいか、ということで。

僕、就職活動を始めます。
マスコミ関係と教育業界中心。

でも、マスコミ関係は寒風吹きすさぶと形容するのが正しい状態。
まあ、わかった上で志望するんですが、そもそも採用数が全体で少ないことを思うと
採用内定でずに無職→このサイトにお世話になる期間が長くなる、という連想を絶てません。

一方の教育業界は、どうも胡散臭い業界っぽい気がするんですね。
前に個別指導のアルバイトやってたときは…

「俺は詐欺師だ(しかも三流)」

みたいな感慨にとらわれてました。つまりだめだめ講師だったというわけで。

こないだ都内のさる塾で説明会を受けてきたんですが、
それに現れた〈当社の役員〉という人物が、なんと頭髪がパンチパーマでした。
一部上場を売り物にした会社だったんですが、どうも、教育産業というのはやくざな商売に思えます。

それでなくても、学部時代に就職活動をしたときに説明会に出た予備校はもっとひどかった。
出てきた人事部の社員とやらが、まるで暴力団の三下のような酒枯れというかカラオケ枯れのような悪い声をしていて、「あんちゃんちょっと事務所に顔かせや」的な絡みをさせたら天下一品のような柄の悪い話し方。さらにビデオ上映で顔を見せた社長が四十そこそこ…自分の親父より若い奴を頭にいただくのは我慢がならないというか、いやそういうことじゃなくって何がひどいかと言うと、そいつの喋りが夕刊紙専門のスポーツ新聞の経済面並の教養しかないのが丸出し。そんな奴に、人の才能や可能性を伸ばす仕事なんてできるはずねえだろ! という意味のことを説明会後のアンケートに書いて退散しました。


しかし、私が本当になりたいと思っているのは、出版社の編集者でもなく、塾の講師でもなく、多分、「魂の医者」みたいなものらしいです。

ノイローゼや鬱で苦しんでいる人の顔を明るくなるのを見るときに、
私は一番「生きている意味」を感じる気がします。

といっても、心理カウンセラーになるのはちょっと手遅れですが。
やりたいことを見つけたときには手遅れだったりすることも、人生ままあるみたいですが。


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