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アラフィフ喪男の花粉症日記

この日記は、
中国山地にある小さな町在住の49歳の日記。

[悩み]
・冬は超冷え性、春は超花粉症、夏は汗かき。

 ■ 2011/01/22 (土) 10年前の今日2001年1月22日


10年前の今日(2001年1月22日)は、月曜日でした。
この日、私は溶接工になるべく、実家を出ました。


「ポリテクセンターで溶接習ったぐらいじゃ、現場じゃ通用しないよ」
「雪が降ったら、来れないでしょ」私が、近くに住みますと言うと、「給料も低いのに大卒のアルファーさんには、申し訳ない」
と、県内の溶接求人の所は全て断られ、
80qにある職安で、派遣で、未経験者可・研修有り・寮有りの求人を見つけ、面接にあっさり受かり、
実家を出ました。

(この辺のような山間の小さな町じゃ、女性と出会う機会は全くない。結婚どころか女知人すら出来ない。溶接の仕事も無い。それなら、実家を出た方がいいだろう)と思い、実家を出ました。



この日は、雪は降ってました。
朝5時に家を出ました。
車で駅まで行きました。
途中、大型トレーラーが横転していました。

新幹線の駅に着き、父が「選別だ」と言って、防寒用の手袋をくれました。

新幹線に乗り、新大阪まで行きました。そこから、研修センターへ向かいました。
昼前に着きました。
吉野屋で牛丼を食べ、
午後から、溶接の研修を始めました。

研修が終わり、研修センターの人に、寮まで送ってもらいました。徒歩10分ぐらいでした。
タワーマンションで、1ルームでした。
近くを散歩し、定食屋で晩飯を食べ、研修センターとタワーマンションの間にある公衆電話で家に電話をし、コンビニでパンとポカリスエットを買い、寮に戻りました。

やることが無くなりました。
ベランダに出て、大阪の街を眺めました。
私は(今のこの状況って、東京じゃないけど、私が求めてた都会の生活だよな)と思い、しみじみと感傷に浸ってました。

その夜は、冷蔵庫の音や、久々の1人暮らしなので緊張してたのか、一睡も出来ませんでした。



あれから、もう10年。その間の人生はプロフィール参照。
私は無職で実家に引きこもっている。
あの時の手袋は、今の寒い時期、散歩の時に使っています。

外に出れば、朝7時頃など10歳以下の小学生を見ます。朝8時半頃散歩に出るとスクールバスに乗った幼稚園児を見ます。
10年前、私が旅立った後に生まれた子供達です。
10年前、ここにいても女性とは縁が無かったので旅だったのに、周りには、10歳以下の子供達だらけ。私が旅立つ10年前、まだここに住んでた高校生あるいは中学生だった女の子が母親でしょうか?無性に悔しい・・・。



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