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最低最悪状況から復活成るか?

Author:ゆうたろう ( Profile )
色んな意味で最低最悪詰み状態人間の
ありのままの姿をそのまま書く。

 ■ 2015/04/18 (土) 暇つぶしの陰謀論、キリスト教、昔読んだ本のこと


珍しく10時頃一旦目が覚めたが夢の続きを見たかったので
2度寝。13時半頃寝ていられなくなって渋々起きる。

何も思いつかない。腹は減っていないが半ば義務的に
昼食をとりながら昨晩のアニメ(ジョジョとシドニアとか)を
見る。
すぐにやる事が無くなってまた横になりながら
スマートフォンでアポロ陰謀論のページを見たりして
眠くなるまで時間つぶし。
自分はアポロ陰謀論は全く信じていないが、
意外に最近の投稿でも陰謀論を信じている人達が
大勢居る事に驚く。
Yahoo知恵袋でも何年も前から同じような質問と回答が
繰り返されていて、2015年の今でも陰謀論は消えていない。

同様に進化論も、根強い反論者が絶えない。
キリスト教の宗教観とか創造論とかも根底にあって、
とてもカオスな状態で読んでて疲れる。

昔トンデモ本の世界という疑似科学を扱った本が
流行った時期があったが、その頃と内容的にはほとんど
程度の変わらないものが今でも一部、いや大勢から支持されている
ようだ。

自分は大学には行っていないし科学や物理の知識も
SF系が好きなので科学雑誌やその特集本・ムック本を読んでいた程度だが、
さすがにその程度の知識からでもツッコミを入れたくなるものが多い。

しかし世の中にはそんなおかしな説を信じながらも仕事をこなし
家族も居て普通に生活している人が大勢居るのだと思うと鬱になる。

昔若い頃、家の近くにプロテスタントの教会があり、精神的に病んだ
時に救いを求めて何度か行ってみた事があるのだが、
全くの期待はずれと言うか、とにかく???な事ばかりで
すっかり幻滅してしまった。
ある日教会に知人を訪ねて行った時、知人は不在で、しばらく
待っていたことがあったのだが、その時となりの部屋で
小さな子供を大勢集めて、創造論を教えていた。
地球や太陽系の成り立ちを一応現代科学にそった感じで
教えた後、
「さあ、はたしてこのしくみは、だれがつくったのでしょうか?
自然にできたのでしょうか?そうではありませんね。ではだれが作ってくれたのでしょうか?
かんがえてみましょう」とかやってた。

いいのかこれ?と思った。この時点で、ああ、駄目だここ。と思った。
教会の知人に、言った事がある。
「ここの人達は、聖書そのものによって救われているのではなく、聖書を
通して集まって出来たコミューン(共同体)の力で救われているのではないか?」と。
知人は「まあ・・そう言う面もありますね」みたいな感じではぐらかされたが。

自分は聖書的なイメージやビジュアルは好きだが、そのものをまじめに読んだ事は無い。
近所の教会に関わるずっと前、まだ20代はじめの頃だが、
遠藤周作というクリスチャンの作家の作品は好きで、その人の書いた小説を
何冊か読んだ。最初に「深い河(ディープ・リバー)」という作品を、当時アルバイトしていた
所で店番中に机の中にあったのを暇つぶしに読み始めてかなりハマった覚えがある。
(ちなみにアルバイト先の店長はクリスチャンであった。ので、初めて鬱病になったとき
教会に連れて行かれたりした)
オカルト的な要素もストーリー上あるが、最終的にオカルト・超常現象は現実のものとしては
一切出てこない。
作者はカトリックのクリスチャンだが、この作品では西洋の排他的なキリスト教世界観と
インドや日本のような汎神論的宗教観両方が登場し、作品内で共存している。

多分読んだ頃と同時期だとおもうが、「バックパッカー」「自分探し」「インド」
「ガンジス川」あと少し遅れて「猿岩石」という若い芸人2人組のバックパック旅行などが
世間ではブームであった。かなりマイナーな漫画の「ねこぢる」のインド旅行期編にも
同様のテーマというか自分の興味のある要素が多く含まれていた。

それらにかなり影響されて自分もインドやガンジス川に行ってみたいと本気で感化されたが、
結局インドどころか、国内から一度も出る事も無く、関東に遊びに行くくらいが関の山だった。
のちのちまでこの劣等感や非達成感は尾を引く事となる。

その後読んだ同作家の「イエスの生涯」(作品年代的にはこれらがずっと先)
では、「イエス」という個人が奇跡の力も何も持たないただの人間であった、と表現されて
おり、しかしだからこそ、その行動や最期が他の弟子や人間達にとって強烈な意味を
持っていた、と語られている。(と自分は解釈した)

すごく興味深かった。キリスト教へのこういう考えを先に知っていた為、
その後他の教会に行っても、どこも「ジーザスクライストスーパースター」的な感じ
(元はミュージカルのタイトルらしい。どんなのか知らんけど
字面のイメージで言うとこうなる)
か、とにかく聖書。聖書の文言こそ大事!みたいな。

キリスト教を題材にした二次創作の映画や漫画や小説の方がよほど原作(聖書)
を上手く昇華しているとしか思えなくて、教会にはそれきり行っていない。

もう十数年は前の話だ・・・・歳を食う訳だ・・
その頃はまだ、今の自分をなんとかしてやろうという気概だけは十分に残っていたのは
確かだ。
ここ何年かはもう、そういう気概も体力も無くなって来て、ただただ漠然な不安と
現実的な不安に苛まれて、路頭に迷っているだけな感じがする。
何もしないので何も起こらず、葛藤や内なる自分からの警告というか、
「このままでは駄目だ、なんとかしろ」という気分になれず、
現実的な問題はすべて投げてしまっているので対応力も適応力も下がる一方。


唐突だが、昔爆発的にヒットしたアニメ、「カードキャプターさくら」で、
主人公が目的としている「クロウカード」集めに失敗した場合(だったと思う)
どんな破局が訪れるか、という話で、「地球が破滅する、とかではなく皆の心から
「好き」が無くなる。それは地球が破壊されるよりももっとヒドイこと」みたいな設定があった
かと思うが、もちろん漫画やアニメ上の設定ではそれほど深い意味を想定はしていない
(か、主に恋愛に関しての事なんだろうが)のだろうが、

実際ものごとの「好き」が無くなると、人間、何も出来なくなることを思い知った。
好きな食べ物、好きな映画、好きな音楽。好きな場所、好きなゲーム、...etc
それらが今まさに、よくわからなくなってしまっている。
生活が停滞し、色々なものを食べたり見たり聞いたり聴いたり経験したりすることが
停止してしまうと、きわめてわずかで単純な選択肢しか身近にのこらず、新しい経験ができず、
比べる対象も無いので「好き」がなんだかもうわからない。
正常な状態に戻すには、膨大な日常生活の経験を再び取り戻す、膨大な情報に触れる事を
再開し、それら一つ一つについて反応し、感じ、再び複雑で指向性のある「自我」を
構築し直す必要があるのではないか。

それを考えるとめまいがする。精神的に触れられると酷く辛く感じる「痛点」むき出しの
状態で、カオスな現実に身を投じて、再び自分の姿を作り直すなど、無理にしか思えない。

では、このまま全ての事におびえて、いずれ来る破局に無抵抗に潰されるのを待つしかないのか?
押井守の映画イノセンスであった台詞(元々の出典は知らないが)、
「見たくないから見ない。気がついても言わない。言っても聞かない。そして破局を迎える。」
今聴くととても耳が痛い。

と。頭だけで考えて実行に移さなければまだいくらかは考えが浮かぶ、ということかもしれない。
現実的には、重症患者のリハビリか、認知症老人のリハビリのように、
地味で地道で根気の必要な作業の繰り返しを、他者から見たら単なる怠け者か低能力者、
自業自得という同情の余地の無い衆人環視の中孤独に実行しなければならないのだろうが。

ああ、なぜ死にたくならないのだろう?死ぬのが怖いのだろう?
それこそ真の愚鈍の証なんだろうか。


名前

内容

ゆうたろう 追記 攻殻とイノセンスは原作漫画読んでないと難解すぎる部分があることと、後者は台詞がほぼ全てと言えるくらい、原作含む何らかの直接関係ない小説や文献からの引用のみで出来てるので、普通は映画だけで意味分からないと思いますよ。 (15/04/19 00:32)
ゆうたろう >ご近所さん 自分のキリスト教知識はほとんど小説と漫画と映画とアニメで構成されてるので、ほとんどその受け売りでしかないです。SF好きだったので物理や宇宙論の本などを読んでいるうちに上辺の小難しそうな話口調がうつってしまっただけで、本来理解に必要な数学はずっと赤点でしたし、こないだなんか小学生で習う割り算しようとして式の解き方忘れて出来なかったくらいですよ。 (15/04/19 00:27)
ご近所 自分には難しい話です、家はキリスト教ではないので良くわからないですけど、でも普通とは思えない事を子供に教えてる様に感じました。洗脳か何かでしょうか。イノセンスや甲殻は見てましたが途中で理解に苦しみ挫折しました。テーマが難解すぎて自分には無理です、頭悪いので。ゆうたろうさんの文章力は凄いですね、自分には到底真似できません。勉強になりました。 (15/04/18 23:23)


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