布施渡してるか
no.2 記入なし (10/09/01 05:58)
団かじゃなく通りすがりねそれならおもしろいかもよ
no.3 記入なし (10/09/01 05:59)
自殺防止ネットワーク「風」 千葉県成田市の長寿院の篠原鋭一住職が、自殺者の多さを憂慮し、全国の寺院に呼び掛けて設立。曹洞宗や臨済宗などさまざまな宗派の約30のお寺が参加し、それぞれ電話などで相談を受けている。篠原住職によると、昨年12月には、息子と無理心中を図ろうとした岐阜県内の女性を、電話相談で思いとどめさせたケースも。キリスト教などの団体からも取り組みへの参加の問い合わせがあるという。
まじ マジ=自殺防止へ全国の寺連携 電話の向こう僧侶命つなぐ 唐津の長得寺な1000の言葉より聞き役に徹し
仕事や人生に悩み苦しみ、自殺しようと考えている人の相談を僧侶が受けるNPO法人、自殺防止ネットワーク「風」(本部・千葉県成田市)。設立された2009年3月以降、全国21都道県の約30の寺が趣旨に賛同して「風」に加わっている。12年連続で自殺者が3万人を超す閉塞(へいそく)的な今の時代に、“駆け込み寺”はどのような取り組みをしているのか。昨年夏に加わった佐賀県唐津市西寺町の長得寺を訪ねた。
同寺が参加したのは、長井福雄(ふくゆう)住職(67)が5年前に電話で相談を受けた見知らぬ男性のことが、ずっと頭を離れずにいたからという。
「生きる意欲がわかない」と悩み、相談してきたその男性に、長井さんが「人生はつらいものだ」と言い聞かせた途端、電話は一方的に切られた。
「風」に参加して以降、福岡、山口などから計5件の相談があった。なぜ自殺したいと思うのか。どうして今の状況になったのか。どうつらいのか−。聞きたいこと、話したいことはある。それでも長井さんは「死のうとしている人に1000の言葉を投げかけても響かない」と、5年前に電話を切られた悲しい経験から、相談を受ける際には聞き役に徹するようにしている。
「電話をかけてきた人が、他者に自分のことを客観的に説明し、そのときの状況をきちんと言葉に置き換えることで、初めて冷静に自分自身を見つめ直すことができるからです」。自分で答えが見いだせるように、手伝うのが“聞き役”の役割だと長井さんは自分に言い聞かせている。
09年11月、男性から「幼いときから父親の暴力を受けてきた。自殺を考えている」という電話相談があったときのこと。男性は失業中で、仕事に就いても、父親からけなされ続けて自信が持てず、家に引きこもっていたという。
切羽詰まった状態と感じ取った長井さんは「命の糸」が切れないよう、男性に話を慎重に促した。しかし、男性はいきさつを話し終えると電話を切ってしまった。それ以来、連絡はない。
九州では現在、佐賀、長崎、熊本、鹿児島に計6カ所あるだけで、相談件数はまだ少ないという。「話し手の心に寄り添って悩みを聞く。それしかありません」。長井さんは、今日も電話を待ち続けている。
NPO法人「風」事務局=03(6383)2012、長得寺=0955(72)2437。
no.4 記入なし (10/09/01 12:24)
自殺対策に取り組む僧侶の会(手紙にての相談)
「自殺」という亡くなり方をする人がこの時代、この日本社会に年間3万人以上もいます。
仏教では生死一如といって、”生”と”死”が別々であるとは考えません。
「自殺(自死)」の問題は「生き方」の問題です。
“生死”を問い続ける僧侶として、この事態をどうにかしたい――。
私たちは自殺対策に取り組む僧侶有志の仲間です。
◆ 手紙相談 『自死の問い・お坊さんとの往復書簡』
◇自殺(自死)に関する相談・質問等を手紙(書簡)で受け付けます。
あなたの”思い”を手紙に綴って届けてください。
他人にとっては些細なことでも、あなたにとっては重大な問題です。
【自殺したいほど辛い思いをしている方へ】
あなたの辛い気持ちや不安などをお聞かせ下さい。
【大切な人を自殺(自死)で亡くされた方へ】
今まで胸にしまい込んでいた想いをお聞かせください。
【自殺未遂をしてしまったが立ち直ろうとしている方へ】
あなたが今、行き詰っているのであればご相談下さい。
【自殺(自死)に思い悩んでいる人が身近にいる方へ】
どのように接すればいいのか困っていればご相談下さい。
※相談内容は自殺(自死)に関係することに限らせていただきます。
◇「自殺対策に取り組む僧侶の会」の僧侶が返信いたします。
※返信には1週間程度の日数がかかります。
※相談内容の秘密は守られます。
◇【手紙(書簡)の宛先 】
〒108-0073
東京都港区三田4-8-20 往復書簡事務局
※返信の差出人は、返信する僧侶個人の名前になります。
no.5 記入なし (10/09/01 12:34)
“共に考える”駆け込み寺
自殺予防への取り組み
自殺者が9年連続で年3万人を超え、大きな社会問題となるなか、仏教者による自殺予防の取り組みが広がっている。インターネットを使って相談に乗ったり、僧侶同士の活動をネットワーク化したりと、新しい動きも出てきた。
「もう、疲れてしまいました」。豊かな緑に囲まれた千葉県成田市の曹洞宗長寿院で、住職の篠原鋭一さん(62)は、切々と苦悩を打ち明ける女性と向き合っていた。
篠原さんは12年ほど前から、寺を開放して自殺を考える人たちの話を聞いている。この日は朝から5人が面会に訪れた。相談を受けている間も頻繁に携帯電話が鳴った。
「一度会話した人には、『いつでも連絡して』と言っています。この問題は待ったなしですから」と篠原さん。死を思い詰める人々の“駆け込み寺”と言われるゆえんだ。
人間関係に悩む若者、会社の倒産やリストラにあった中高年、家族と同居しながら孤独感にさいなまれる高齢者……。「ここに来る人が決まって口にする言葉は、『さみしい』『居場所がない』。人間関係が希薄になった現代社会では、自殺は決して人ごとではないんです」
篠原さんのほかにも、自殺を思う人の相談に乗る僧侶は、全国各地にいる。自らも、電話相談などに携わってきた浄土真宗本願寺派安楽寺(東京・港区)の副住職藤沢克己さん(46)は「一人でできることには限界がある。ネットワーク化することで、より有効に活動できないか」と今春、本格的に働きかけを始めた。
まず、首都圏近郊でこの問題に関心を持つ僧侶に声をかけ、「自殺対策に取り組む僧侶の会」を結成。今後、自殺を考えている人との手紙のやりとりなどを計画している。
「僧侶はどうしても“説教”をしてしまいがちですが、私たちは皆、仏の前には平等な『御同朋(おんどうぼう)』。“共に考える”ことが大切です。だれもが安心して悩める、生き生きと暮らせる社会を共に作っていかなければ、と思うんです」
同会に参加するのは、若手僧侶が中心。若者が次々と死を選ぶ風潮があるだけに、近い世代として問題を切実に受け止めているようだ。
携帯電話に転送されてきたメールを確認する大禅寺住職の根元さん。「これなら、どこにいても相談を受けられます」 東京・港区の青松寺を舞台に、若手僧侶が意見を戦わせる場「ボーズ・ビー・アンビシャス!!」でも折に触れて自殺問題が話題に上る。6月、初めてマスコミに公開された会合では、自殺をテーマにしたセッションが設けられた。「死にたいほどに悩む人に、どう向き合えばよいか、正直困ることがある」「自殺者の葬儀や法要で語る法話には、どんな配慮が必要だろうか」など、率直な意見が交わされた。
この集いによく参加する臨済宗妙心寺派大禅寺(岐阜県関市)の住職、根本紹徹さん(35)は、3年前からインターネットで相談を受けている。会員同士が交流するソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)にコミュニティーを開き、実際に会うオフ会も時に行う。
学生時代に親友2人の自殺を経験し、若いころから死に向き合ってきたという根本さん。「ネット上の集いは危ないといわれがちだが、電話では相談できなくても、ネットならできるという若者もいる。仲間と話し合うことで救われることも多い。パソコン一つあればどこでもできるのだから、もう少し取り組む僧侶が増えてもいいのでは」と語る。
来年、日本で行われる世界仏教徒会議でも自殺について話し合われる予定。プレイベントとして、国際仏教交流センターは来月22日、全国青少年教化協議会と共催で、「自殺問題について考えるシンポジウム」を横浜市の孝道山大黒堂会館で開く。
仏教には「殺してはならない」とする殺生戒(せっしょうかい)がある。これは、他人はもとより、自分にも向けられるという。シンポジウムの企画を進める孝道山・本仏殿統理の岡野正純さん(46)は、「自殺予防は菩薩行(ぼさつぎょう)であり、仏教者自らを磨く行為でもある。多くの一般の方に参加してもらって、仏教者への期待を語ってほしい」と話す。
ともすると内的な悟りに重点を置きがちで、社会問題に無関心と批判を浴びてきた日本仏教。今後、人々の苦悩に真正面から向き合う自殺予防の活動がどう浸透するかが、生きづらさを増したと言われる現代において、人々の心のよりどころの座を再び獲得できるかどうかの、一つの試金石となるかもしれない。
no.6 記入なし (10/09/01 12:48)
長寿院・住職
篠原鋭一
Eiichi Shinohara
職業:長寿院・住職
あなたは、自殺志願者から相談を24時間いつもで受ける、寝ずの和尚の存在をご存知ですか?――
千葉県成田市にある長寿院の篠原鋭一住職は、1995年から自殺志願者の救済活動を開始。寺院を広く開放し、今まさに命を絶とうとしている人達からの電話相談を6000件以上も受けてきました。
そんな時、篠原住職はとことん相談者の声に耳を傾け、温かいメッセージを投げかけ、死に向いた心を生に向けてきたのです。住職の言葉には人の心を揺さぶる重みと、数々の悲しい経験から得た「あなたを絶対に死なせたくないんだ」という強い気持ちが詰まっていて、担当編集の目からは取材中にも関わらず幾度となく涙がこぼれ落ちました。
さらに住職のお話を聞いた帰りに長寿院の門をくぐると、肩がとてもラクになっていて、科学の力の及ばない不思議な力を強く感じました。
「人生は各駅停車でいいんだよ」
「生きてるだけでいいんだよ」
「本当は生きたいんだよな」
住職のそんな“命”のメッセージが詰まった著書『もしもし、生きてていいですか?』は老若男女問わず必読です。
no.7 記入なし (10/09/01 12:50)
>7
>生きてるだけでいいんだよ
それは違うと思う。苦悩に満ちた人生や虚無感の覆われた人生は息苦しい。
死んだ方がマシとさえ思っちゃうから。
生きてるだけでいいと感じるのは平凡な人生ではあるがそれなりの幸せを感じてる人かそれほどたいした悩みを抱えていない人達にしか通用しない感覚だろうね。
no.8 記入なし (10/09/01 13:23)
昔=「寺子屋」で、今=「小学校」ですな。
no.9 記入なし (10/09/01 16:50)
>生きてるだけでいいんだよ
なんか、禅問答みたいですね。そこまで人生を達観できればいいが。
no.10 記入なし (10/09/01 17:22)
どう生きるかの模索も大事
no.11 記入なし (10/09/01 17:30)
世代が代わってからやたら建直の寄付金やお布施の請求が来たりすることが
多くなった。
この前行った時は本堂ではなく自分達が住む居住区が立派になっていた。
お布施ってなんなんだ?と思ったのは自分だけだろうか?
no.12 記入なし (10/09/19 22:37)
12> お寺は昔からある地域コミュニティーの場で、門徒はお寺を守る目的がある。
僧侶が住む庫裏は借り住まいのようなものなので門徒とトラブルになったお坊さん一家が追い出された話もある。
家族の葬儀や、自分の葬儀、代々の供養の事を考えればに尽きるが...。
現代は、葬儀もサービス業化しているので...。
昔は葬儀も実家で行うし、寺だったのが葬儀場でするようになった。
no.13 記入なし (10/09/30 10:24)
>生きてるだけでいいと感じるのは平凡な人生ではあるがそれなりの幸せを感じてる人かそれほどたいした悩みを抱えていない人達にしか通用しない感覚だろうね。
なるほどね。
例えば、手術が困難な脳腫瘍か何かの病気で、
毎日、寝ても覚めても、
万力で締め付けられるような激しい頭痛に襲われるとしたら、
到底、「生きているだけでいい」とは思えないなあ。
私なら、耐えられない。
no.14 前向き♀ (10/09/30 11:49)
言葉ひとつだけの印象だ。
生きてるだけでいいというのは、論の代表みたいなもの。
なにもかも手っ取り早く結論を出したがると、解釈も手っ取り早いものにしかならない。
本を読むのに、前説とあとがきしか見ないのと似ている。
no.15 記入なし (10/09/30 13:35)
詳細に書いてたら皆自分なりに解釈して答えてくれるよ
それだけの事も書いて無いのに自分の望むコメントがないと見るや
いいわけとか見苦しいよ。どんな意見でも読んだ人のイメージ。
嫌ならもっと皆さんが納得できる事を書けばいいだけのこと。
no.16 記入なし (10/09/30 13:46)
15>=14に。
no.17 記入なし (10/09/30 14:18)
ハレルヤ
no.18 記入なし (10/09/30 15:31)
>no.15
了解しました。
以後、気をつけます。
no.19 前向き♀@手っ取り早く結論出したがり (10/09/30 17:16)
で、お寺は私も好きです。
(神社はあまり好きくない)
掃除・手入れの行き届いた質素なお寺に足を踏み入れただけで、
気持ちが洗われ、身の引き締まる思いがします。
no.20 前向き♀ (10/09/30 17:22)
神社は人間の欲望をお願いするけど、お寺は煩悩と自身を見つめるよね。
no.21 記入なし (10/09/30 19:09)