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アラフィフ喪男の花粉症日記

この日記は、
中国山地にある小さな町在住の49歳の日記。

[悩み]
・冬は超冷え性、春は超花粉症、夏は汗かき。

 ■ 2009/12/20 (日) 誕生日ならぬ誕病日


3日前、誕生日を迎えました。35歳です。
35歳といえば、男がなんとか普通に生活できる(介護の必要がない)年齢を70歳とすると、半分の人生が終わったことになります。
それを思うと哀しくなりました。
私の半生を振り返っても、小学校の時のことさえ昨日のことのように思い出せます。
つまり、何も無い人生を歩んできたことです。
父が35歳の時は、私は小学校5年生でした。私の人生なんなんだろう?と思いました。


■■■

誕生日の日、地方の街中にある40km離れた古本屋に行った帰り、原付を追い越そうと車線変更するチャンスを窺ってました。追い越し車線に車がいなくなり車線変更しようとしたら、ずっと後ろにいた自動車が車線変更。
危うく交通事故になりかけました。私は急ハンドルで車線変更をやめたので助かりました。
私は、後ろの自動車がいつまでも車線変更しないので、「大丈夫だ」と思い車線変更しようとしたのです。

それから、私は後ろに車が近づいていないことを確認し、車線変更しました。こういう時、ルームミラーで真後ろが確認できないトラックの運転は怖い。だからMTができてもトラックの運転は無理なのだ。
私はあの自動車の後ろを運転しました。一桁ナンバーでした。2km走った後の交差点で私は右折、あの自動車は直進して行きました。

それから20km走った後のことです。
私が、交差点を右折すると、前にあの自動車がいました。めったにない車種だったので、ナンバーを確認するとあの一桁ナンバーと同じでした。
20km後に再び巡りあうとは・・・宝くじがあたる確率より高い。でも私にはこういう事(何かあった車・気になった車に再び巡りあう事)は、なぜかたびたびあるのです。
それから15キロメートル、ずっとその自動車の後ろを走ってました。


その夜日付が変わった午前2時、私は腹痛(胃腸の激痛)に襲われました。下痢と嘔吐の繰り返し。
夜が明けたら病院に行きました。
病院で倒れ、病室に運ばれ、点滴を受けてました。
その日は何も食べれませんでした。夜、パンを1つ食べたのですが、嘔吐しました。

翌日、何とか体調も少し良くなりましたが、食べ物はいつも半分しか食べれませんでした。とくに塩気のある魚はニオイを嗅いだ瞬間吐きそうになりました。
なによりゲップが1日中でました。

今日も、ゲップが出続けます。ちなみに体調が普通の時でも、ゲップは人1倍出るほうです。
私は炭酸は飲まない、ビールも飲まない。
飴玉を食べた後や、少しの清涼飲料水とお菓子を一口食べた後などに、ゲップが出続けます。
ゲップがよくでる人は、胃が人1倍弱いためだろう。
ゲップをするのはマナー違反だという事に、私はめっちゃ腹が立ちます。容姿と同じようにゲップもその人の個性だと思うからです。
「好きでゲップしてるんじゃない!!!胃腸が弱いから仕方ないんだ!!!」
【ゲップをマナー違反だという奴】は、容姿がキモイからとか弱いからだとか言って【弱いもの虐めをする奴】と同じだ。




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