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アラフィフ喪男の花粉症日記

この日記は、
中国山地にある小さな町在住の49歳の日記。

[悩み]
・冬は超冷え性、春は超花粉症、夏は汗かき。

 ■ 2011/01/04 (火) 中学までの元旦〜1月4日


中学までの正月は、父・母の実家で過ごしていました。

元旦、父の実家へ行き、ほとんどずっと弟とファミコンで遊んでいました。
ファミコンは、テレビのある居間にありました。
弟と2人で遊んでました。
そこには、従兄妹2人(妹と私は同じ年)いましたが、2人とはほとんど遊んでません。
私たちがいるとき、従兄妹は、ほとんど自分の部屋にいました。

夜は、10畳の部屋で、家族4人で寝てました。
今、私は部屋に他の人がいると、眠れません。寝れても熟睡出来ません。


1月2日、母の実家へ行き、ファミコン・トランプ・風船・漫画(筋肉マン)を読む、とかで遊んでました。
ファミコンは、私独りで遊んでました。その時、弟は、弟と同じ年の従弟2人と遊んでました。
いとこが計9人(男3人・女6人)いて、小学校の頃は、トランプや風船(ビーチバレーのようなことをする)で遊んでました。

ただ、年下の女のいとこの内、年齢の低い3人の顔の記憶はありません。
1年前、その内の1人が結婚式を挙げ、2人が結婚式に参加し、カメラの画像で顔を拝見しました。初めて見たと言っても過言ではありません。
背が高かった。165p前後父達より高かった。
しかし、その画像を、父は写真にせず、消しました。
来月には、その内のまた1人結婚式を挙げます。年賀状(両親に届いた年賀状で、私ではありません)を見ると、名字はもう変わってました。

私1人、幸せから遠のき寂しい。

夜は、10畳の部屋でいとこ7人で寝てました。残りの2人の従兄妹は、そこに住んでいて自分の部屋でねていました。
「懐かしや。あ〜懐かしや、懐かしや」と思わず一句唄ってしまいました。

心からあの頃に戻りたいと思ってるのは、父方・母方全員のいとこの中で私だけだろう。



1月4日、家に戻ってました。
家に着くのは夜でした。車です。私と弟は後ろの席でした。弟は、弟が小学校6年まで、私を膝枕にして寝てました。2度と戻らない良い想い出です。



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