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アラフィフ喪男の花粉症日記

この日記は、
中国山地にある小さな町在住の49歳の日記。

[悩み]
・冬は超冷え性、春は超花粉症、夏は汗かき。

 ■ 2011/11/14 (月) 全日本大学空手道選手権大会、東京の思い出


今週の日曜日、第55回全日本大学空手道選手権大会が、始まる。

私は、大学時代空手部だった。
運動音痴で華奢で弱いくせに、格闘漫画(ドラゴンボール・幽遊白書)が好きで、以前から、興味を持ってたので。
私の大学の空手部(団体戦)は、良くて二回戦進出の弱小空手部だった。

1年と3年の時は東京で、
2年と4年の時は大阪で、行われた。
大阪での大会は、予選をそれなりに勝ち上がったチームが全国大会に出場してたが、
東京での大会は、全国の大学の空手部が全国大会に出場出来ていた。



大学1年の11月、私は初めて東京に行くことになった。
金曜日、ブルートレインで東京に向かった。私と後2人の3人(1年)で寝台列車で行った。2〜4年は新幹線で来ていた。
ブルートレインを歩いてると、女子大生数人のグループを見かけた。
結局、寝れなかった。ブルートレインから見える夜の車窓の景色を眺めていた。

翌朝、東京に着いた。東京の地に足を下ろした事に感激した。皇居と原宿に行った。
昼になり、東京ドームに行った。ホテルが東京ドームの近くだったから。
1人が「チェックインまでパチンコ」をすると言ったが、私ともう1人は、パチンコをしなかった。
もう1人もどこかに行き、私1人になった。

私は、ホッとした。なぜなら、2人とはそれほど仲が良いわけではなかったからだ。
私は、東京ドームの前で座ってた。改めて(私は東京に来たんだ)と思った。歩き回る人達をずっと眺めていた。

夜になり、2〜4年生達と合流し、居酒屋で酒を飲み、それからラーメンを食べた。
私はアルコールに弱く、ホテルに戻る途中気持ち悪くなり座り込み、2年生の人に介抱して貰った。

翌日、試合が行われたが試合結果は覚えていない。



大学3年の11月、金曜日、新幹線で東京に行った。
夕方東京に着いた。新宿歌舞伎町の辺にあるホテルにチェックインし、私は1人で外に出て、山手線に乗った。山手線一周をするのが夢だった。
途中、東京タワーに行き、展望台に登った。東京の夜景は素晴らしかった。ただ、展望台には10人程度しかいなかった事に驚いた。

土曜日、出場の手続きをしに、青山学院大学に行った。
2年の夏、高校の同窓会が開かれ、同級生が2人青山学院大学に行ってることがわかった。(高校の同級生のO・Uが、ここに通ってるんだな)と思った。

それから、私は1人で亀有に行った。【ジャンプのこち亀】が好きだったから。
亀有に行ったらマンションだらけだった。なんだか、(もういいや)と思い、亀有から歩いて柴又に行った。【男はつらいよ】の影響で。柴又駅に着いた時は、夕暮れだった。
帝釈天表参道を歩いたが、誰もいなかった。人が多いと思ってたので驚いた。
帝釈天にも誰もいなかった。私がお参りしてると、お婆さんが来て何やら文句を言われ、「こういうふうにお参りしろ」と言われた。

夜、空手部全員で居酒屋で飲んだ。
帰り、歌舞伎町の入り口を見た。中に入りたかったが、入らなかった。

翌日、日本武道館で試合が行われた。私は出場した。3年全員が出場するようになっていた。勝ち負けなど、どうでもよかった。だから弱い私も出場するはめになった。私は大将だった。1番弱いから。
私の対戦相手は、私が対戦(同じ空手部の部員も含む)した中で、1番弱かった。私より小柄だった。私は結構攻めたのだが、相手の方のポイントになり負けた。1回戦負けだった。0勝5敗だった。
(何で、他の部員負けたのだろう?)と思った。(この程度の相手なら、他の部員なら充分勝てる相手じゃないか?相手チームも大将は弱い人だったのか?)と思った。

それからしばらく試合を見ていた。
私がいた席の下で、5人全員180p80s以上のチームと、5人全員平均的日本人体型のチームが闘ってた。
180p80s以上のチームを見て、
「どう思う?あんな相手と闘いたくね〜よ」と2年の部員に笑いながら言った。
「そうッスねえ」と2年の部員は言った。
私の空手部の部員のほとんどが、平均的日本人体型だった。体格の良い部員も2年に4人いたが、それでも平均体型より、そこそこ上程度だった。

渋谷で買い物をして、新幹線で帰った。



大学時代の1番の思い出。
ただ、今の母校の大学の空手部は、それなりに強いようだ。
ブログをしてるので、見ている。




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