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アラフィフ喪男の花粉症日記

この日記は、
中国山地にある小さな町在住の49歳の日記。

[悩み]
・冬は超冷え性、春は超花粉症、夏は汗かき。

 ■ 2012/04/18 (水) 哀れな喪男


今日、従妹から両親にハガキが届いた。
結婚式の招待状だ。
これで、従兄弟姉妹の中で、独身なのは私だけになってしまう。
なんで、私はこんな哀れな喪男人生を歩むのか?



幼稚園の時は、空手をしてた1番体格のいい奴に苛められ、先生には「このグズ、泣き虫が!!」と怒鳴られた。

小学校1年の時は、同級生数人の男子に苛められた。

小学校2年の時は、クラス全員に苛められた。

小学校3年の時は、幼稚園の時に私を苛めてた奴と同じクラスになったが、友達が二人出来た。だが、3月に転校するはめになった。

小学校4・5年の時は、孤立していた。

小学校6年の時は、孤立していたうえ、下級生に苛められた。ズボンとパンツを脱がされた。

中学校3年間は、吹奏楽部に入部したり、数人だが友達が出来たりと楽しかったが、3年の8月に転校した。

高校3年間は、吹奏楽部に入ろうか迷ったが結局入らず、友達も出来ず、孤立していた。

予備校は、勉強三昧だったが、人生で1番充実していた。

大学4年間は、空手部に入ったが失敗だった。ジャズサークルに入れば良かった。数人だが友達が出来た。でも、3年からは、講義とか全くつまらないうえに、バラバラで会わなくなった。

就職に失敗し、レストランの厨房バイトをするが2年後に辞めた。
それから、ポリテクセンター金属加工科に入り、溶接に興味を持ち、溶接工になろうと思った。だが、派遣に登録し工場へ行ったが、現場では通じず3日で溶接を辞めさせれた。
それから、いろいろしたが、私が出来る作業は、コンベアの上に物を載せる作業だけだった。
ライン作業とかはスピードについて行けず、
マイクロメーターを使った測定検査・目視検査は、細かい作業で、気が狂いそうになった。
(詳しくはプロフィール参照)

そんな人生を送り、30歳で、派遣を辞め無職。
当然、その間、女一人出来なかった。学生時代は、彼女が欲しいとは思わなかった。ワーキングプア時代は、家と工場の往復の毎日だった。出会いなど無かった。


つまらない人生だ。

今の私の楽しみは、漫画と散髪だ。
私が行くサンキュウーカットは女理容師のみだ。
昨日、散髪に行ったが、若い可愛い女性に散髪してもらった。ラッキーだった。
28km先にあるサンキュウーカットだ。車で行ったが、けいおん『放課後ティータイム』のCD-Rをカーオーディオで聴きながら行った。



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