>2
具体的な事件や事故に関連すること、例えばJR西日本の経営陣がどうすべきかとか、
限定せず、一般論で構いません(大体の流れは)。具体的な事柄についての言及は、
各論的に論じられれば、有難くおもいます。
>3
それは責任じゃなくて無責任の説明ですよね(まぁ、それで説明の体を成すかどうか
も疑わしいかもしれませんが)。
ひとつ思ったのは、いろんな歌を聴いていても、この「責任」という歌詞がでてくる
歌が、自分の記憶には無いということなんです。英語の歌詞でもそう、「responsibility」という歌詞が出てくる歌は、まだ知りません。たまたま現時点で
知らないだけかもしれない。でも私の邦楽、洋楽の知識は、ともに、少ないほうではな
いと自負してもよいと思います。
使っていないから、ミュージシャンや作詞家が概して無責任だという言説は採りたくあ
りません。また、そうすべきではないと思う。ただ、その背景はなんなのかということが、少し気になる。
仮に今人気のアーティストが、曲に「責任」という言葉を盛り入れたとする。聴いてい
る方は、「?」となるのではないでしょうか。前後関係によって、全体としての一貫性
は、それで保たれるのかもしれないけど、言葉には、その単語ひとつを聞いただけで、
「?」または「!」と思ってしまう、不思議な力があると、私は思います。「責任」に
ついても、そのような悪魔的な力が備わっているのではないかと思っています。「愛」
や「恋」は、割合、流れるように聴くことができる。だが、「責任」は、そうはいかな
いでしょうね。これは、”「愛」や「恋」が大事でなく、「責任」だけが大事だ”と
いうことは意味しませんよね。
私は、この言葉の認識、使われ方は、曖昧だと思います。勿論、法律上の刑事責任や、
民事(賠償)責任概念の有用性を否定するわけではありません。ただ、一般的雑談の
中などで、「責任感が強い」などと、安易に口外していいことなのかということが、
ひとつの疑問なのです。
「責任感が強い」ということは、いったい何なのか。しばしば不祥事が起こると、
企業の幹部や、官僚、政治家、秘書などが自ら命を絶つというケースがありますが、
彼らは責任感の強い人間だったのでしょうか。生きて刑に服する、または償うことこそが責任という考えもあるでしょう。”死人に口なし”といえばそれまでですが、今生き
ている”責任感の強い”人たちが、事あったとき、もしかしたら自分がその人に期待
している対峙、処置の仕方とは全く違った方法をとるかもしれない。仮に期待するそれ
が死であるとしたら、その気持ちを包み隠せるこれほど危険な言葉はない。
「責任ある立場に立つ」などという表現が使われることもありますが、刑事責任は、基
本的には人間すべてが持つべきものだと思います。”べき”と書いたのは、刑事責任に
は、ご存知のとおり、年齢や、精神の状態などによって、責任が無いと規定されている
ものがあったりするからです。極論かもしれませんが、私は刑法上のこの規定は要らな
いと思います。
自分の考えは置いておくとしても、一般的に使われている「責任」は、民事(賠償)
責任の範疇で考えられていることが多いということは、言えるのかもしれません。それ
に、”事に当たっての対峙、処置の仕方”という美意識?国民性?が、微妙にミックス
されたのが、この「責任」という言葉の、一般的な認識の根底にあるものではないでし
ょうか。
私は、この言葉は、純粋な法律用語として扱っていくべきだと、個人的には思うのですが。責任についての抽象的見解をはじめとして、具体的な事柄、美意識についてのご意見も、お聞かせ頂ければ有難く思います。
長文スイマセン。
no.5 草市郎 (05/05/06 16:44)
>4さん、>9さんのレスにそれぞれ「つまらん」、「つまらない」とある。
私も考えてみたら、自分の思い通りにいかないと「つまらん」と一言で、済ませてしま
うことがある。
>4さんがなぜそう一般化できるのかよくわからないけど、
>9さんに関しては、私の考えに異議があるから、そのように仰っているんですよね?
文調からすると、割と情が深そうな方だと考えますが、あなたのご意見をお聞かせ頂け
れば幸いです。
>11さんも、あなたのお考えがあるなら、遠慮なさらずに書いて頂ければと思っていま
す。
no.17 草市郎 (05/05/06 20:05)