その通り、人間は信じられない
信じられるものは金のみ
no.2 記入なし (14/06/20 16:00)
精神活動をすればお金の大事さがわかる
no.3 記入なし (14/06/20 16:17)
それは世の中の薄ぺらい言葉とばかり付き合って居るからだよ。
no.4 記入なし (14/06/20 16:32)
精神活動が薄っぺらいと賃金労働を敬わない
no.5 記入なし (14/06/20 16:53)
愛されたいとかない。
彼氏はいるが彼氏はお飾りでしかない。
んで、信じてない。
飾っておけば周りは言う。
飾って何も言わなかったらいいのよ。
no.6 あーちゃん (14/06/20 17:07)
世の中は不条理だ。
唯一の楽しみは
音楽タイムだ。
ねこだ。
裏切らないから。
彼氏は裏切る。
人は裏切る。
信用出来ない。
よくキャリアカウンセラーに行くんだが、綺麗事しか並べてない。
人は綺麗事を並べて
真理を作るんか?
no.7 あーちゃん (14/06/20 17:12)
人は一円でも儲けたら働いてないと考えるべし それが精神の反省。
no.8 記入なし (14/06/20 17:31)
基本的に人を信じないってのは、確かに総じて実用的なんですが、
それでも、他人に運命を委ねなきゃいけない瞬間ってものもあるし、
誰かに頼らなきゃ打開できない膠着状態ってのもあると思うんですよ。
いよいよというその時に備えて、
少しは心のバリケードを緩めてもいいと思うんですよね。
あまりしっかり戸締りをしてしまうと、
開けたいと思ってもすぐには開けられないものですしね。
(Gotta knock a little harderって曲、知ってます?)
no.9 ご (14/06/20 20:16)
>>No.9
知らない。
no.10 あーちゃん (14/06/20 20:35)
スレのタイトル間違ってないか?
[単純なことにこそ]
no.11 記入なし (14/06/20 21:34)
(>[単純なことにこそ]
俺も思った 「さえ」での文脈無理やり考え強引に読解してみたが)
猫の写真はよかったw
>そんな私に
他人様はどう見るか
文章がなんというか独特なのでつい読んでしまいます
正社員見つかるといいですね
若いから気持ち次第でいけるんじゃない
no.12 記入なし (14/06/20 21:54)
人が信じられない・・人は裏切る・・・
この前提を定義づける人は基本的に「利己主義」が強い傾向にある。
なぜなら「利他主義」であるならこの前提を踏まえても人を信じ、幾度も裏切られようともそれを是とできる。
no.13 はいむるぶし (14/06/21 01:37)
図書館に行って見ろよ 中江藤樹が居るだろ?信じられる人が居るではないか
no.14 記入なし (14/06/21 04:29)
まだ人生の指針となる一冊の本に出会えていないのでしょう。
日本語の勉強の為にも本を読みなさい。
no.15 記入なし (14/06/21 07:01)
人から裏切られたと感じるのは、人を信じる思いが強いから。
人を元々信じていなければ、裏切りもなにも感じない。
主さんは本質的にやさしい人なんじゃないかな。
no.16 記入なし (14/06/21 15:54)
no.16 ( 記入なし14/06/21 15:54 )さん
>人から裏切られたと感じるのは、人を信じる思いが強いから。
これは優しさと言うよりは自己満足に近い意識です。
そもそも信じる思いが強くなる原因は相手を信じる事が出来ない事への反動です。
仮に長く連れ添った友人には「信じる」と言う様なある意味「猜疑心」に囚われません。
信じなければならない相手(信じられない相手)だからこそ信じる行為は強くなるのです。
そしてその相手を信じるという選択を選んだ場合、それは自分自身を良い人にしたいからそうしているのです。
no.17 はいむるぶし (14/06/21 22:59)
「人を信じる・信じない」には何の良し悪しもない。
どちらかを選択して
最終的に「損・得」どちらに転んでも、どちらが良い悪いでもなく、
結局はたかが数十年の人生が終局を迎えるだけ。
スレ主様はこのような構図を早々に了解している方、のような気がします。
また、嘘・真理のにも何の良し悪しもない。
個々の価値観により、「嘘の着飾り・真理の追求」の選択は自由。
嘘に偏った一般的な生き方もよし。
真理にこだわった生き方もそれはそれで美しいと思う。
>そんな私に他人様はどう見るか
個人的に私はそういう人は好きです。
もちろん「好き・嫌い」には何の道徳性もなく、
「良い・悪い」もない。
ましてや、他人を好きだということの公表には罪悪感が生じてしまう。
no.18 わ (14/06/21 23:01)
失礼、訂正します。
嘘・真理のにも→嘘・真理にも
no.19 わ (14/06/21 23:02)
スレ主登場。
私自身優しいかどうかはわかりません。
ただ、リアル世界にて周りが言う言葉が信じられない。
一つだけ記憶の断片を言うと
高校の時に一個下の彼と付き合ってた。
だが、彼はうつ病になり
次第に態度を変え。
喧嘩や(私は信じてたのですが。)追っかけるようになり、別れる時に。
「お前は俺のタイプじゃねーわ。(笑)」
的な事を言われて。
それ以来、もっと人間不信になりました。
そいつのツイッターに捨てアカで入り込んでます。
彼女出来て。毎回、イチャイチャしてんのを見てます。
いつか復讐劇を始めたいから。
その当時はサンホラ(音楽)を余計に聞きまくってました。
no.20 あーちゃん (14/06/21 23:21)
だから、人なんか信じてはだめだと学んだ。
サンホラ中毒の
私は唯一、信じられるのも歌だけ。
ツイッターに語るだけの
仲間は増えました。
その仲間だけ信じる。
それ以外は信じない。
彼氏も友達も。
リアルはね。
no.21 あーちゃん (14/06/21 23:25)
分かり易く例えると自分の子供と考えれば分かり易い。
子供が居なくても容易に想像できると思うが自分の子供に対して「信じる」「信じない」はもう別次元だ、これは完全なる「利他主義」になる。
子供は親の期待や全てに裏切る事の方が多い。
しかし親はだからとて「裏切られた」などと思う事はない。
裏切られた!などと思う感情はその対価を期待しての事だから「利己主義」なのです。
そして裏切られた行為をもって「信じない」と言う選択を選ぶ人は「自己愛」が強いという事です。
no.22 はいむるぶし (14/06/21 23:38)
人はどんなこともバランスが大事だ。
「私は誰も信じない」と言う様な思考はバランスを欠く。
誰でも何かに偏った思考を持つ人と接することは疲れてしまう、とりわけ「自己愛」が強いとこれは大抵「わがまま」と囚われやすいので何事にも軋轢を持ちやすくなる。
それは仕事でも社会でもはたまた友人関係でも如実に表れてくる。
自分自身も含めて社会性とはバランスを重視した関係を求められる。
得てしてバランスを欠いている本人ですら相手に対してバランスを求めているものだ。
大人と言う世界ではここが重要で「ひとりよがり」は誰も相手にしなくなる。
no.23 はいむるぶし (14/06/22 00:09)
なるほど
no.24 あーちゃん (14/06/22 07:26)