以下のひきこもりの文章を読んで、「そうそう」と
思った方。
どこに納得できましたか?
私は、過保護という所がちょっと納得できた感じです。
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会社や学校をやめて、漫然と家の中にひきこもっている人たちの多くは、完全に無能なわけではなく、取り立てて人より劣っているわけではありません。
特に、一流と呼ばれる大学や進学校とされる高校を中退してひきこもったり、元々、優秀な成績をとっていた子どもでいじめや何らかの出来事をきっかけにして不登校になったりした人たちや一流企業を退職してひきこもっている人たちは、『自分はエリート路線を脱線して、生きる価値もないダメな人間なのだ』『まともに学校や仕事にいけない落ちこぼれだ』という絶望や諦めもありますが、それ以上に『自分は優秀な人間で、本来なら人から尊敬されるような立場にいるはずなのに、運が悪くて今はこんな不本意な生活をしているのだ』という『強い自尊心(プライド)』を持っていて、絶望よりもプライドが邪魔して社会に適応出来ないという場合が往々にしてあります。
この誇大な自尊心は、認知心理学でいう『全か無か(all or nothing)』という極端な『偏った認知(物事の捉え方)』につながっていきます。これは具体的に言うと、『自分は東大に入れないくらいなら、どの大学にも行かず何もしないほうが良い』という認知だったり、『こんな並のレベルの仕事をするくらいなら、何もしないで無職でいるほうがましだ(自分は本来、こんな仕事をするべき人間ではないのだという特権意識)』という尊大な自己意識であったりします。
こういった心理の背後には、絶えず自分は人よりも優れた上の立場でいなければならないという強迫的な観念と自分よりも能力の劣る(と自分が思う)人から指示を受けたり、命令されたりするのは癪だという他人を劣等視する(多くの場合は現実とかけ離れた)『誇大な自意識・自己愛に似た特権意識』があります。
このような場合には、絶望感と両輪をなす高い自尊心を生み出す『全か無か(all or nothing)』の硬直した認知の枠組みをもう少し柔軟性のある認知に変えていかなければなりません。そして、認知の変容と共に、誇大な自尊心を現実的状況に対応した水準にまで下げていかなければなりませんが、これは基本的な性格や気質の部分とも関わってきますのでなかなか難しく時間のかかる作業になります。こういった極端に高い自尊心が育まれた背景には過保護な生活環境の影響と同世代の友人との接触交流の少なさが関係しているように思えます。
自分と同じ程度の能力を持つ切磋琢磨できる友人を持つことは、適切なレベルの自尊心を育てるためにとても大切な事です。そういった友人との接触がまったくなく、自分一人の世界の中で、数値で表されるテストの結果のみを基準にして自分の能力を他者と比較しているような人の場合は、受験の失敗や学業成績の低下などのストレスに対して非常に脆くなり、『自分が特別だという間違った自己愛的な優越感』に陥り易くなります。
また、自尊心が高ければ高いほど、周囲の人が自分をどのように見ているのかという自己イメージに過敏になりますから、『あの年齢になって、就職も進学もできずに昼間から何やってるのだ?』といった周囲の視線を過剰に意識してしまい、昼間にぶらぶらと出歩く事すらも出来なくなり、ひきこもりの殻がますます固くなってしまいます。仕事もせず、学校に行っていない自分に対する恥の意識が強い人ほど、プライドの高さもあるので、なかなか外に出かける事が難しくなってしまうのです。
高い自尊心や自己愛が生まれる背景として、上記で触れた日本の過保護な養育環境の影響ももちろん考慮して考えていかなければならない問題です。また、愛情の過剰である過保護な子育ては、ひきこもり以外にも境界性人格障害や自己愛性人格障害の形成とも関係してくると考えられています。
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引用元:
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/griffin/life09.html
投稿者 : 田中 日時 : 14/08/27 00:50