90年代を通じて起きたのは、日本社会の「いす取りゲーム」化。
90年代には、今までどおり、全員のいすを用意しようと頑張ってきたけど、
それはもう無理だと分かって、限られた数のいすしかないことを認めるようになった。
そのとたん、社会はギスギスした。
「あいつを蹴落とせば自分の分のいすが生まれるかもしれない」
「自分が今、床に這いつくばっているのは、いすに座っているやつらのせい」
これが、自分とは違う立場の人間をすべて攻撃する意志の裏にある。
確かに、いすに座れなかったのは本人だけのせいではなく、
いすの絶対数がすでに少ない点にあるのだが、自己責任として切られる。
すると、他人に対しても自己責任と言い出すようになる。
それを見て笑っているのは、自分専用のいすを確保している一部の人。
投稿者 : 記入なし 日時 : 06/02/01 00:02