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議論 日本史について語りませんか?
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投稿者 : 記入なし 日時 : 08/02/04 22:11

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そういえば、主に歴史小説を書いている人(もう亡くなりましたが)が随筆で衝撃的な体験談を述べていました。そのひと平安時代の貴族の収入をざっと調べたのだそうです。そうしたらものすごい薄給で。

贅沢ができたのは、荘園からの収入のおかげだろう。と歴史小説家は推測していました。おそらく、当初は薄給を補うため荘園に力を入れていたのでしょう。そのうち荘園が拡大し副業から本業に化けた。
no.500 記入なし (19/11/29 23:52)

西園寺氏や一条氏などの公家が地方へ下向して大名化しましたが
その副業に本腰を入れるため都から地方へ行ったんですかね。
no.501 記入なし (19/11/30 02:11)

他国と違うところは良いところは残し取り入れることだね、将棋とチェスの違いでも
わかる通り取ったコマ(敵)を自軍として使えるところからも日本の文化がわかる、
だからはっきりした歴史はわからない
no.502 記入なし (19/11/30 08:41)

太平洋で日本軍と戦っていたアメリカ人が奇妙な体験談を書いていました。そのひとの部隊が日本軍の陣地を奪取した時(日本軍はいつの間にか消えていて戦闘は避けられたそうですが)片隅に空き缶の山がありまして。英文の御礼状が添えられていたそうです。
「おいしゅうございました。空腹の折、まことに助かりました。ルーズベルト閣下によろしくお伝えを」
とかなんとか丁寧に述べられていて、よくみると缶はどれもアメリカ製・・・・・・・・いつの間にか盗んでいたわけです。
「あの手紙を書いたものは本気で感謝していたのだろうか。それともわれわれをからかっていたのか」
と、アメリカ人は困惑していました。

あ、コンビーフが食べたくなりました。
no.503 記入なし (19/11/30 13:27)

豊臣秀吉の家紋である「桐紋」を日本政府が使っている理由は?

もともと桐紋は天皇家が使っていた紋章である。徳川幕府を倒した明治政府が桐紋を使い出して
その慣習が今に至るまで続いているのある。
no.504 記入なし (20/05/05 23:47)

ええ?天皇家の紋所と言えば菊でしょう。それとも、菊紋はわりに新しいのか。
no.505 記入なし (20/05/06 00:11)

時代から言えば、菊のほうが古い、菊も桐も鎌倉時代
どちらかと言うと、「桐」は政治、「菊」は武力

戊辰戦争で薩長軍が「錦の御旗」を掲げると、形勢は一気に傾いた
この「錦の御旗」が菊の紋であったと言われる。

鎌倉時代、政権は鎌倉幕府に奪われていた。
後鳥羽上皇は政権奪還を狙い、討幕しようとした。
協力してくれる大名に「菊の紋」を与え、「天皇の軍」である事を示した。
だが、鎌倉幕府に敗れ、後鳥羽上皇は島流しにあう。

元々、天皇家だけでは、天下をまとめきれない、その下につく大名が必要だ。
その大名に紋を与え、「天皇の代理である」という事を証明する。

秀吉の時代、秀吉は明智・柴田を打ち、ほぼ天下を統一した
しかし、本当に全国を統一するためには、面目が必要であった。
秀吉は関白(天皇の代理人)の地位につく、これが将軍職であるならば、
「菊の御紋」であったであろう。
しかし、政治も統轄するので、「桐の御紋」を使ったと考えられる。

徳川家康は関ヶ原で勝利し、反対勢力はほぼ一蹴したので、秀吉ほど
天皇の力は必要ではなかった。
だから、将軍職でありながら、政治も司り、「菊の御紋」より「葵の御紋」に
権威をもたせた。
no.506 記入なし (20/05/06 12:15)

錦の御旗はもちろん知っていますが、何が描かれていたのかなんて気にしたことがなかったですよ。人生、いくつになっても勉強です。
no.507 記入なし (20/05/08 08:28)

>no.507
実際には何種類かあったらしい。
本来は天皇が鎌倉幕府を追討の旗
その後、室町幕府は京にあり、徳川幕府は幕末まで逆らえなかった。

「錦の御旗」の存在はしっていたが、誰も現物を見た事がない。
(徳川幕府全盛時代に「討幕の旗」なんて持っていたら、処刑されてしまう)
で、「岩倉具視が適当に作らせた旗」と言われる。

鎌倉時代とは織物の技術が違うからね、京都の芸子の着物の帯だったとも言われる。
でも、朱色をベースに金の刺繍で描かれた菊模様
遠くから見れば、太陽のようにも見え、戦場では「桐紋」よりは良かったんじゃないかな?
no.508 記入なし (20/05/08 10:18)

紋所って、世界的にみると珍しいのでしょうか。三国志まんがを読むと、軍旗には漢字を書いています。後ウマイヤ朝の初代王は、合戦の際自分のターバンを棒に結び付けて軍旗にしたそうだし(つまりそれで充分だった)、紋所を誇示するならわしは実はマイナーなのか。
no.509 記入なし (20/05/15 22:38)

ホリエモン
三木谷
孫正義
最後に残ったのは一番パッとしない三木谷

戦国時代も
武田信玄
織田信長
徳川家康
のなかからパッとしないやつが残った

なんか日本らしいよな
no.510 記入なし (20/06/28 19:59)

でも、家康が天下を取った(関が原)のは60過ぎ
no.511 記入なし (20/06/28 20:44)

Nスペシャル
戦国時代の日本は軍事大国
秀吉の朝鮮出兵を支援したのはスペインと宣教師

昭和の軍国主義のルーツは戦国時代だったのか
no.512 記入なし (20/06/28 23:15)

家康は長生き健康維持のため若い10代の側室2人にサンドイッチされて寝ていた
no.513 記入なし (20/06/28 23:28)

西島秀俊がナビゲーター!戦国時代のヨーロッパと日本の結びつきに高精細CGなどで迫る
https://news.yahoo.co.jp/articles/b50e7dcd1e769fce1c9da5b1b89c74fa9126a8b6

キリスト教=侵略の手段、という大正論を忌憚なく解説。仏教徒が最大の敵だったとか、
武器資源で大名を攻略とか、信徒が兵と化す様子とか非常にリアルに伝わった。
信長や秀吉がバテレンと駆け引きして利用したのも納得。信長が神を自称したのは、
信者になることを求められてはぐらかしたんじゃないか。日本をキリスト教国化して
明を攻めさせるとか欧米がいかにもやりそうな戦略。
no.514 記入なし (20/07/05 20:54)

もしかして、織田信長は、宣教師たちから欧州の話を聞くうちに
「おお?そういうのありかよ」
と思いついたんじゃないでしょうか。無理して天皇家を推戴する必要なしと。信長は宣教師にたらしこまれるような甘ちゃんではなかったでしょう。しかし悪い意味で刺激を受けてしまったのでは。
no.515 記入なし (20/07/05 22:54)

A Large Structure On Mars The Same Structure in Kofun Japan
https://www.youtube.com/watch?v=Gc51ftLEE4Y

火星に前方後円墳
no.516 記入なし (20/08/13 23:31)

日本人は火星人の子孫か
no.517 記入なし (20/08/13 23:37)

わ、わたくしは仮性人です…(*ノωノ)スヤァ
no.518 記入なし (20/08/14 00:11)

518さん恥じないで。むしろそれが普通なの。こまめに洗えば問題なし。
no.519 記入なし (20/08/14 19:52)

日本の水力発電に興味を持っています。ググっていると面白い。人口氷河?
no.520 記入なし (20/08/14 19:54)

↑一人でやってろよ、仲間募集すんな
no.521 記入なし (20/08/16 05:01)

↑いちいちかみついてくるなよ。狂犬か。病を広めたくて必死なんだろうが、迷惑だよ。節度を守りなさい。節度ってわかる?ウェブの辞書で引きなさい。
no.522 記入なし (20/08/16 17:28)

また甲高くわめき散らすんだろうな。しばらくこのスレは避けよう。
no.523 522 (20/08/16 17:33)

「アメリカ製娯楽小説」が来てるよ
no.524 記入なし (20/08/16 22:26)

日本の古代史を研究すべき。4世紀は全くの架空でわからなかったらしい。このころ大陸では魏、蜀、呉の3国志時代だが、魏志倭人伝に初めて日本(倭)のことが書かれている。日本には話す言葉はあったが、記録する文字がなかったのがまずい。
no.525 記入なし (20/08/21 17:36)

古代史を作ったのは、大化の改新をした中大兄皇子こと天智天皇らしい。
当時、天皇をしのぐ権力者であった蘇我氏を滅ぼし、その権力を奪還
権威をつけるために、紀元前660年に神武天皇が降臨した伝説を作った。

魏志倭人伝に卑弥呼が出ているが、そんな時代にそのような女帝がいれば、
歴代天皇に名を連ねているだろう。

で、文字として、記録されていなくても、そんな女帝がいれば、なんらかの言い伝えがあるはずと
調べてみると、歴代天皇の在位を10年程度とすると神武天皇は西暦280年位ではないかと
それ以前の女性有名人は?、どうも天照大神は女神らしい。
神話では女神だが、実体があるとすれば、それは神の言葉を伝える巫女だったのではないか?

天文学者の斎藤国治は、248年9月5日朝に北部九州で皆既日食が起こったことを求め、
これが卑弥呼の死に関係すると唱えた。

天照大神は太陽の神、
これを司る巫女(権力者)と神そのもののイメージが言い伝えで同一化されたのではないかと
no.526 記入なし (20/08/22 13:47)

斎藤国治ってどんな人?卑弥呼はAV女優の卑弥呼なら、実在する。スチュワーデスは、たまらんですな。
no.527 記入なし (20/08/24 15:51)

卑弥呼はAV女優のって歳バレバレだぞ!
no.528 記入なし (20/08/24 15:57)

「アメリカ製娯楽小説」老人は打たれ弱い。
no.529 記入なし (20/08/25 11:23)

ググるって言うか?今
no.530 記入なし (20/08/25 11:26)

確かに古いな。20年以上前に流行った。
no.531 記入なし (20/08/25 16:02)

>斎藤国治ってどんな人?
1913年東京生まれ、1936年東京大学理学部天文学科を卒業する。
1964年東京大学東京天文台教授に就任、1973−75年には日本天文学会理事長を務め、
1975年に東京天文台を定年退官した。その後は天文学史の研究に専念、2003年2月21日逝去(89歳)

たしかに、現役は20年前だな
no.532 記入なし (20/08/25 17:11)

>天文学者の斎藤国治は、248年9月5日朝に北部九州で皆既日食が起こったことを求め、

邪馬台国、九州説を唱える人はこれを支持し、近畿説を唱える人は反対している。
no.533 記入なし (20/08/25 17:45)

皆既日食と卑弥呼の死は全く関係がないのでは?皆既日蝕がおこると
人が死ぬのか?
no.534 記入なし (20/08/26 14:32)

確かに、皆既日食と卑弥呼の死は関係ないかもしれない。
稲作とは、各家庭で行われたのではない。村、あるいは国単位の大事業である。
田植えから収穫まで、半年がかりの作業で、収穫時に盗まれたら大変だ。
それなりの防犯集団がいたはず。

そして、収穫は天候に左右される。卑弥呼一族が、太陽神の巫女として成り立っていたなら、
当然、日食は予言できて当然。
しかし、予告もなく、太陽が月の様に欠ける。
この事から、卑弥呼一族は巫女としての信頼が無くなったのではないか?
そして、それは「卑弥呼の死」という事より、卑弥呼の死後、その一族は没落していったのでは?

もし、卑弥呼=アマテラスオオミカミだとすれば、初代天皇である神武天皇はその5代後である。
no.535 記入なし (20/08/26 23:15)

神武天皇の即位は紀元前660年で、この頃は、日本には何もなかった。
日本書記、古事記は神話をでっち上げている。魏志倭人伝にしか記録が
ないのだからどうしょうもない。昭和一桁代の人は皇国史観を徹底的に
教育されて、架空の天皇を実在のものとして覚えさせられた。
no.536 記入なし (20/08/28 15:18)

アメリカでは、裁判に際し、聖書に「うそはつかない」と誓う。
まあ、キリスト教は天国と地獄だからね。
「うそをつくと、地獄に落ちる」という宗教心を今も裁判所で使われている。
no.537 記入なし (20/08/28 23:10)

それがどうかしたか。
no.538 記入なし (20/08/29 03:52)

>537

小学生でも知ってるぞ、そのレベルの話。
no.539 記入なし (20/08/29 03:56)

金の斤と銀の斤
no.540 記入なし (20/08/29 03:59)

スルーだ、スルー。
no.541 記入なし (20/08/29 05:38)

「天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず」皇国史観を代表することば。
勾践、范蠡は中国春秋時代(BC200年頃)の話で、日本には文字とか文化の圧倒的差があり、中国の話を
学ぶしかなかった。継体天皇以前は大体架空と言われている。日本には何もなかった例です。
no.536
no.542 記入なし (20/08/29 06:16)

キリスト教の国では「アダムとイブは神が泥から作った」事に異論を唱える事は禁じられている。
no.543 記入なし (20/08/29 09:59)

その程度のこと誰でも知ってるから、わざわざ書き込むな。
no.544 記入なし (20/08/30 05:35)

537=543 身の程知らず
no.545 記入なし (20/08/30 05:36)

日本国では
「矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった。」
この事に異論を唱える事は禁じられている。
no.546 記入なし (20/08/30 07:56)

537=543=546
no.547 記入なし (20/08/30 09:03)

安倍さんは総理大臣を辞めて、やっと靖国を訪問できる。
小泉進次郎は大臣になっても、参拝した。将来、総理大臣になっても参拝してほしい。
no.548 記入なし (20/08/31 09:27)

勾践、范蠡は中国春秋時代(BC200年頃)の話で、この頃、日本には文字とか文化が全く無くて、中国との圧倒的差があり、中国の話を学ぶしかなかった。実際には、中国方面から渡来人がやってきて、日本に住み着き、文字を教えたり、して、権力を奪ったんだろう。継体天皇以前は大体架空と言われている。

no.542
no.549 記入なし (20/09/04 06:29)

>日本には文字とか文化が全く無くて

青森県の三内丸山遺跡は縄文時代(前14000〜前10世紀)と言われている。
日本各地域を中心とした交易で得たと推測される黒曜石、琥珀、漆器、翡翠製大珠などが
出土している。文化が無かったんだろうか?
no.550 記入なし (20/09/05 09:45)

文字で記録されていないから、これがどういうものかわからない。
想像するしかない。
no.551 記入なし (20/09/08 06:36)

交易で得たと推測される黒曜石、琥珀、漆器、翡翠製大珠など外国からのものでしょ?

no.550 
日本には文化はなかったといえると思います。ただ話す言葉はあった。
no.552 記入なし (20/09/19 08:27)

>交易で得たと推測される黒曜石、琥珀、漆器、翡翠製大珠など外国からのものでしょ?

外国からとすれば、外国と交易があったのだろう
no.553 記入なし (20/09/19 10:14)

ネアンデルタール人は約40万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したとみられる。

コロンビア大学教授R・ソレッキーらの研究チームは「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、
副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があった」との説を唱えた。
彼らの文化はムステリアン文化と呼ばれ、旧石器時代に属している。

文字が残っていなければ、「文化はなかった」と言えるだろうか?
no.554 記入なし (20/09/19 10:24)

ネアンデルタール人と、我らが祖先のクロマニョン人は交尾していたらしい。

自分的には、
シベリアンハスキーとチワワが交尾するくらい違和感ありまくりなんだが。
no.555 記入なし (20/09/19 20:17)

インカ帝国は、日本の江戸時代同様、参勤交代の制度があったらしい。
皇帝の命令は言葉で伝えられた。
「組みひものような物」が文字ではないか?と言われているが、解明されていない。

「インカ文明」と呼ぶのは間違いか?
no.556 記入なし (20/09/19 21:04)

いま日本人が使っている文字は、全部、中国の漢字を真似たものだからね。ひらがな、かたかなも全部。漢字がなかった4世紀以前は、想像するしかねえんだよ。初めて日本のことが登場する文献は中国三国時代の魏志倭人伝のみ。
no.557 記入なし (20/09/21 18:16)

ネアンデルタール人もマチュピチュのインカ帝国「想像するしかねえ」
no.558 記入なし (20/09/21 18:42)

大和朝廷って、乱暴な言い方すれば、
『みんなで米作ろう!』教団

で、稲作
田んぼや水路作る土木技術
いつ種もみ蒔いて、いつ刈り入れるか知るための暦と
税として取り立てるための記録に、文字が必要だった

稲・土木技術・文字の3点セットを中国から輸入


んで、米作ろうとせずに相変わらず狩猟生活してる奴ら
東北の蝦夷は、けしからん奴ら!って事で征伐の対称にされたってわけ
no.559 記入なし (20/09/21 18:54)

いま日本人が使っている文字は、全部、中国の漢字を真似たものだからね。ひらがな、かたかなも全部。漢字がなかった4世紀以前は、想像するしかねえんだよ。初めて日本のことが登場する文献は中国三国時代の魏志倭人伝のみ。

no.557
この指摘は、非常に重要。大阪府堺市にある仁徳天皇御陵。これを見ると相当の権力を参った、豪族がこの頃、いたのは確かだと思うが、これが本当で今の皇室の祖先の天皇のものだったかどうかはわからない。日本書記、古事記は漢字で書かれているが、伝承を言葉で聞いた人が、かなりの部分をでっち上げて、日本の歴史を創作したのだろう。
no.560 記入なし (20/09/21 20:24)

エジプトのギザのピラミッドも「王の墓」に疑問がなげかけられている。
「伝承を言葉で聞いた人が、かなりの部分をでっち上げて」いるのだろう。
no.561 記入なし (20/09/21 20:59)

>no.559
インカ帝国はアンデスの山間部の民族
標高によって、適切な作物が違う。
その作物をいつ種をまいて、いつ刈り入れるか知るための知恵により拡大した。
農耕は狩猟より安定している。また、穀物は動物より保存がきく。
no.562 記入なし (20/09/21 21:07)

中国や日本で使っている漢字は、朝鮮半島出生のものだ。
no.563 記入なし (20/09/21 22:56)

↑それ、どこに書いてあんの?
no.564 記入なし (20/09/21 23:20)

文字では書かれていない。全て伝承だ。
イエスキリストも朝鮮人だ。
秦の始皇帝もチンギスハーンも朝鮮人だ。
no.565 記入なし (20/09/21 23:25)

あ、ネットね。もういいや。おなか一杯、腐るほど見た。
no.566 記入なし (20/09/21 23:27)

no.563は、まず朝日新聞取るのをやめようか?
no.567 記入なし (20/09/22 00:31)

そうっすね。どうせ聞蔵があるし。
no.568 記入なし (20/09/22 21:50)

日本史について語るスレなのに、「朝鮮」をねじ込んで来る奴。
no.569 記入なし (20/09/23 11:16)

全世界には国家が200か国以上ある。日本だけが国家ではないですね?

日本史はそのうちの一つにすぎない。。。過ぎない。単にね?
no.570 記入なし (20/09/23 19:34)

↑お前は日本語能力を上げてから出直してこい。
no.571 記入なし (20/09/23 19:37)

日本には日本書記や古事記があるんだよ。
中国の魏志倭人伝なんて関係ない。
no.572 記入なし (20/09/23 21:24)



570よ、お宅の北半分はその200余国から、国と認められてないんだよwww
no.573 記入なし (20/09/23 21:26)

日本政府(外務省)は、国家として承認しないが何らかの外交関係を有している独立国(朝鮮民主主義人民共和国、パレスチナ国、中華民国)
no.574 記入なし (20/09/23 21:36)

中華民国は「地域」
no.575 記入なし (20/09/23 22:04)

尖閣諸島も住民がいないから、そのうち中国の「地域」になるのかな?
no.576 記入なし (20/09/24 09:57)

最近涼しくなって蚊がやたら元気なんだが、
五代将軍綱吉時代、上役の前で腕に止まった蚊を
パチンと無意識で反射的に叩いて
お役御免になった武士がおったそうな
no.577 記入なし (20/09/24 13:08)

>576

中国大使館に電話して聞いてみたら?
no.578 記入なし (20/09/24 13:14)

>no.578
中国外務省の汪文斌副報道局長は7月22日の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島について「中国固有の領土だ」と述べた。従来の見解をくり返した。
no.579 記入なし (20/09/24 16:02)

日本の古代史を研究すべき。4世紀は全くの架空でわからなかったらしい。このころ大陸では魏、蜀、呉の3国志時代だが、魏志倭人伝に初めて日本(倭)のことが書かれている。日本には話す言葉はあったが、記録する文字がなかったのがまずい。

no.525
この指摘は重要。話す言葉があったのが日本の文化かもしれない。文字がなかったので、中国から来た漢字を当て字にして、山を八万としたり、すごうくふうをしている。令和のもととなった、万葉集ではこういう万葉仮名で4500首の歌が詠まれている。
no.580 記入なし (20/09/24 18:36)

しかし、確かに四国も九州も日本の領土だと思うのだが・・みなさんはいかがでしょうか
no.581 記入なし (20/09/24 19:10)

>no.581

魏志倭人伝中の狗奴国をクマソの国であるとする説が、内藤湖南、津田左右吉、井上光貞らにより唱えられている。
ただし、この説と邪馬台国九州説とは一致するものではない。

現在の九州南部にあった襲国(ソノクニ)に本拠地を構え、ヤマト王権に抵抗したとされる人々、
また地域名自体を表す総称である。

古事記には、景行天皇の皇子であるヤマトタケルによるクマソタケル(熊襲建、川上梟帥)の征伐譚が記され、
日本書紀においては、それに加え、ヤマトタケルに先立つ景行天皇自身の征討伝説が記される。

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まあ、九州にはヤマト朝廷と違う一派がいて、ヤマトタケル征伐してヤマト朝廷(日本)に併合したのだろう。

また、中国地方にも、ヤマト朝廷に対抗する一派がいて、日本書紀では崇神天皇10年9月9日条では、
吉備津彦を西道に派遣するとあり、この吉備津彦が桃太郎のモデルであり、
敵対勢力(鬼)を退治した。

沖縄はまぎれもない「琉球王国」であり、時代により、日本(ヤマト朝廷)の領土は異なる。
no.582 記入なし (20/09/24 20:59)

出たよ、江戸城男の無意味長文
no.583 記入なし (20/09/25 07:24)

no.582 ( 記入なし20/09/24 20:59 )
津田左右吉という学者は偉い人だと思う。早稲田大学の歴史学者で、
文化功労者。天皇制を研究しておられ、皇国史観の誤りを指摘された。
no.584 記入なし (20/09/25 20:43)

AVの卑弥呼は活水女子校の出身で、蛭子さんにスカウトされたらしい、mais, 本物の卑弥呼は存在しなかった。
no.585 記入なし (20/09/27 07:51)

>本物の卑弥呼は存在しなかった。
おいおい、日本ではなく、中国の魏志倭人伝の記録だぞ。
no.586 記入なし (20/09/27 09:09)

>no.585
スチュワーデスはいいですねえ。相手の男優は誰?
no.587 記入なし (20/09/29 07:04)

蛯子さんが認知症になったってほんと?
no.588 記入なし (20/10/01 20:27)

認知症になる前からボケ役だったから、このまま仕事をするらしい。
一人で風呂に入ると、髪を洗った事を忘れて、3回も4回も洗うらしい。

最近、セリフを覚えるような役はないからいいんじゃないか?
no.589 記入なし (20/10/01 21:35)

卑弥呼はしかし、初めての男と結婚して引退するというコンサバティブな生き方を選んだ。相手の男は銀行員である。元AV女優と結婚するのは相当覚悟のいることだろう。
 彼女が選んだ、元AV女優の銀行員の妻として生きていくという「無数の矛盾といんちきを抱え込みながら生きなくてはならない」生き方は、「うっかりすると不意に背中を突かれるような社会のエッジを歩くということ」よりも、よほど厳しいものではないか。彼女の幸せを祈る。
no.590 記入なし (20/10/05 20:21)

>no.589
蛭子さんは髪がきれいになっていいんじゃない!日本に本物の卑弥呼の記録が無いから
存在は怪しい.邪馬台国も。
no.591 記入なし (20/10/07 07:37)

NHKは大河ドラマで、信長、光秀の戦国時代ではなく、古代の壬申の乱とか、古事記に書かれた時代を取り上げるべきだ。
no.592 記入なし (20/11/02 22:26)

大河ドラマで、たぶん一番古いのが「風と雲と虹と」の平将門だろう
見てはいないが、森昌子が村の祭りで歌うシーンがあるとかないとか

壬申の乱とすれば、中大兄皇子が大化の改新で天下を取り、息子大友皇子に譲ったが、
弟・大海人皇子に取られた物語だな

主人公は中大兄皇子(天智天皇)の娘であり大海人皇子(天武天皇)の妻になった持統天皇位か、
やれる女優はいるか?
今年、NHKをキャンセルした沢尻エリカなんてどうか?
no.593 記入なし (20/11/03 18:26)

壬申の乱は戦前の歴史教科書では扱われなかったらしい。天皇陛下万歳の皇国史観には困ったもんだ。天皇の廃止を切に望む。
no.594 記入なし (20/11/06 21:51)

確かに、「直系男子長兄が継承一位」だとすると、
「天皇が崩御された後、息子と弟が戦って、勝った方が継承する」
では具合がわるかったのであろう。

また、足利尊氏は、当時の天皇に逆らって将軍になった。
だから、鎌倉・江戸幕府に比べて、あまり書かれていない。
no.595 記入なし (20/11/07 08:02)

壬申の乱は戦前の歴史教科書では扱われなかったらしい。天皇陛下万歳の皇国史観には困ったもんだ。天皇の廃止を切に望む。

no.594

全く賛成です。水戸光圀の大日本史が、尊王攘夷を打ち出し、将軍よりも天皇を日本の中心にしようとした。これが、明治憲法の「万系一世」の根拠となった。明治憲法は、天皇陛下万歳の太平洋戦争遂行の理由になっている。
no.596 記入なし (21/03/03 22:22)

石田三成陣地跡で「Free Wi-Fiつかえます」
ギャップが凄すぎる立て看板に反響「当時もあれば勝てたのに」
https://news.livedoor.com/article/detail/20038889/
no.597 記入なし (21/04/17 16:52)

源頼朝、義経、源平合戦壇ノ浦の戦い、弁慶は、小学生の時から知ってたが、
頼朝の子孫が、その後どうなったか知らなかった。

歴史の教科書には、頼朝が征夷大将軍になって鎌倉幕府を開いたで終わり、
次のページには、執権・北条氏や子孫や元寇が載ってた。何ページも載ってた。

最近になって、そういえば、頼朝の子孫はどうなったんだ?と思った。
学生時代は、頼朝の子孫のその後は教科書に無いんだとか、何で北条氏が出て来たのかとか、不思議にも思わなかった。
no.598 記入なし (21/04/17 19:57)

頼朝の長男、次男が相次いで将軍になったが、あいついで死んだ。
平家は平清盛が偉くなると、親族を次々と引き揚げ、一族で栄えた。

源氏は元々、平家に不満を持つ関東武士が、平家に対抗するため、適当な神輿を探した。
それが、頼朝であり、ある意味、関東武士は弟の義経でもよかった。
頼朝は自分の座が弟に奪われる事を恐れ、弟を重職につけなかった。
平家の次男・三男だ独立しても、苗字は平だが、源氏は次男・三男が独立すると、
「源」の性を名乗ってはいけない。あくまで、本家と区別する。

結果的に、頼朝の子供が亡くなると、弟等の親族がいないため、奥さんの実家の北条氏が仕切った。

北条家は元々平家であり、将軍職を継ぐには批判があった。
だから、京都から、公家をよんで、形だけ将軍に座らせ、北条は補佐である「執権」職
で実権を握った。

だから、江戸幕府のように、歴代将軍は有名ではなく、執権・北条家だけが有名。

室町幕府や江戸幕府はそれぞれ足利・徳川幕府と呼ばれるが、鎌倉は源幕府や北条幕府とは呼ばれない。

さて、源の頼朝一族が亡くなった後、本来それに近い親戚は、群馬の新田家と栃木の足利家である。
彼らは、頼朝一族が亡くなった後、北条に「トンビにあぶらあげをとられた」形になった。
鎌倉幕府滅亡のおりに主体になって働いたのは、この両家である。
no.599 記入なし (21/04/17 20:28)

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