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ヒモと呼ばないで

9年ぶりに帰ってきました。誰か助けて。

 ■ 2004/01/03 (土) わからない


引き続き、留守録してあった「養老孟司と犬飼元首相の娘だか孫に当たる方の対談番組(名前忘れた)」を見る。

“実は「自分の死」は「赤の他人」のそれと同じくらい軽い。親しい人の死だけが重い。”

という養老氏の言葉が妙に心に引っかかり、今もまだドキドキしてる。
何故かはわからない。

今もし、職場の屋上を巡回していたら、飛び降りているような気がする。
他に首吊りとか薬とか方法はあるとは思うが、それは嫌だ。
何故か飛び降りならいいか、という気が強くする。

理由はわからない。
本当にそれをしてしまった人は、今の俺と同じ気持ちを、たまたま本当にその場所で感じてしまったに違いない。

ほんの数日前は、そこから見上げた月にあれだけ救われたはずなのに。
何故今、そんな事を思うのか、わからない。

そして、今は布団の上。
それがよかったのかどうかは、わからない。


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 ■ 2004/01/02 (金) 希望


昨日(?)帰ってきてから慌てて録画のスイッチを押した「NHKスペシャル 村上龍の日本再生」とかいう番組を今見終わった。

ノーベル賞受賞科学者の利根川進と日産のカルロス・ゴーン、そして国際政治学者の猪口邦子の3人との対談番組だ。

その内容を大雑把に言うと、
国、社会、会社の「安定」は幻想。
不安定な中で「個人」が「希望」を見出す努力をすることが大事。
「不安(定)」をコントロールするには、それを経験することが大事。
子供の「教育」は重大事だが、それも大人が「充実」していることが大切。
それら全ての前提となる個人の「HAPPY」とは、「目標」を持ち、それに向かって努力している時に得られるモノ。

逆を言えば「目標のない人間には永遠に『HAPPY』は来ない」とのこと。
そして、その「目標」とは「仕事」。
それ以外じゃダメなんだって。

確かに、今、俺はHAPPYじゃない。
この番組はその理由を的確に分析してくれたってことか。

「主夫」の安定が幻想であることを現実に突きつけられ、その「不安定」を受け入れられず、新たな「目標」を見つけようという「希望」すら湧かない状況を。

「主夫」以外の目標なんて、無茶言うなよ。

それ以外の全てがダメで、やっとここに救われたんだよ。

「希望」を見出す努力をしろって。

…ダメだ。
今は「希望」という言葉を受けても、何もイメージ出来ない。
今の仕事を無理矢理目標にしても、「HAPPY」になれるとは到底思えないし。

「希望」。

何て重たい言葉なんだ。













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 ■ 2004/01/02 (金) CRY FOR THE MOON


昨日の問題はとりあえず今日の段階では、音沙汰無し。
それでも、気持ちのざらつきは治まらず、出入チェックで当人と顔を合わせることを考えるだけで憂鬱になる。
しかし、当事者は休みのようで、今日の所は危機は回避された、というところか。

今回、俺は自分に非がないとハッキリ言いきれるからまだいい。
詳細を隊長、それに一番信頼の置けるAさんにも話したが、双方ともに「気にしなくても大丈夫」とのことで、心配もないようだ。

しかし、「ダメ」生活の長い俺はつい想像してしまう。

もし、これが「俺のせい」だったら、ということを。
今回の場合なら、俺がドアを閉めるとき確認しないで、彼の手を挟んで、または、施錠すべきをしなかったため、彼がケガをし、その結果として「さっさと開けろ、ゴラァ!!」になったとしたら…。


従業員A「ねえ、聞いた?○○課のM君、そうそうあのカッコイイM君が、今度新しく来た警備員のせいでケガさせられたんだって!」
同B  「マジで?!カワイソー、M君。っていうか、ムカツクよね、あの警備員。」
A   「お前なんかなんにも分かってないくせに、制服なんか着て、偉そうに指図してんじゃねえよ、って感じ」
B   「だよねー。でね、M君その時に『さっさと開けろ、ゴラァ!!』って怒鳴ったんだっ     て」
A   「当然じゃん。っていうか、言うべきだよね。M君さすがだよね。」
B   「使えないね、あの警備員」
A   「っていうか、辞めさせたいね」
B   「あたしに良い考えあるよ」
A   「何々…」

…我ながら、あまりにありそうな話だと思う。
それにこれって俺に非があるとか無いとか関係ないじゃん。
ターゲットにされたら、どうしようもないな。
いやいや、中学の部活じゃないんだから、さすがにここまでお子ちゃまな従業員はいないだろう。
どうだろう…。
よくわからん。

でも、今日はちょっとしたターニングポイントもあった。
巡回中に少し時間待ちするような状況が生まれて、屋上の巡回を繰り返しをした時だ。

「後8分、…7分か、…待ってるとこんな時間って長いんだよな」
なんて思いながら「上を向いて」みるとやや小さめの月。
半分ちょっと欠けていたか。

黄色とも白ともつかない微妙な色。
大好きな色だ。
周囲にも星が多数、月明かりで雲まで見えて、なんとも言えない美しさ。

なんか嬉しい気分。

今日は元旦のためいつもより2時間い帰途に就くときに、歩きながら、もう一度見上げてみた。

果たして見つけたのは、屋上巡回の時と全く同じ月。
とはいえ時間の経過はあるので、正確に言えば違うんだろうが、俺には「同じ」に見えた。

大げさに言えば、「常にすでにあるもの」の具体的な例を見つけた感じ。
正確には、月にも寿命があるのだから、「常に」あるわけではないが、俺が産まれる前からあって、俺が死んだあとにも存在するのは確かだろう。

なんかいい感じ。

身近に理解を超えた世界がある。
どうしようもない世界だ。
もちろん良い意味で。

でも、これって俺がいつも感じる「しょうがないじゃん」と近いかも。
っていうか、同じじゃないか。

今回の問題が大きくなったり、何かしらの禍根を残すようになってしまったら、多分俺はいつものように「しょうがないじゃん」と言うだろう。

その時に、この月を見上げた時のような気持ちで、その状況を受け入れられる自信がないのは何故だ。

同じ「どうしようもない世界」に直面してるはずなのに。

月に聞いてみようか…なんちて。

聞かないまでも、その時はまた「上を向いて」月を探してみよう。
「緩い上り坂」を歩いている今のうちに。




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 ■ 2004/01/01 (木) 人生最悪の年越し


「さっさと開けろ、ゴラァ!!」

次の瞬間、ドアを蹴破らんばかりの衝撃音。
それがもう一度。

退出を確認したあと、すぐドアを施錠したのには理由がある。
その日の売り上げを金庫に搬送する警送業務中だったからだ。

こういう訳の分からない輩がいきなりドアを破って、そのお金を襲わないように施錠するのだ。
この怒鳴り声を聞いたとき、俺は施錠していたことを本当によかったと思った。
もし、開いていたら、と考えると恐くなった。
当たり前だろ。

しかし、今回の狼藉者は忘れ物を取りに戻ったというバイトだった。
当然、悪意はない。
怒鳴ったのも、施錠しているドアを力任せに開けようとして、自分で手を痛めたことに腹が立ったということらしい。
回りに同じ職場の友人がいたことも、彼を強気にさせた一因かもしれない。

でも、俺にどうしろっていうんだ。

少しして、その課の責任者らしき女性が警備室にやって来て、こう言った。
「でも、彼ね、手がこんなに黒く内出血しちゃったんですよ」
「(上の状況を説明しても)でも、それは立前でしょ。忘れ物を取りに来るくらいいいじゃない。」

…どうやら問題になるようだ。
彼女は警送が警備業で最優先項目だということがわかっていないようだ。
もちろん俺は悪くないという自信はあるが、相手はなんと言ってもご贔屓のお取り引き様だ。

どうなるんだろう。
クビか。
まさか。
でも、全く可能性がないとは言えないかな。

…やれやれ、なんて大晦日だ。
ただでさえ、閉店時間が変則になって忙しくて、目も回りそうな日に、最後の〆がこれだよ。
テレビを1秒も見ることなく、夜も11時過ぎまで働いたっていうのにさ。

でも、さらに悪夢は続く。

帰ってきてから、思い出した。
明日の出店時間を確認してないよ。
変更になったのまでは知ってたけど、詳しくは前日に説明するって言ったじゃん。
ちゃんとやってくれよ。
俺まだ、始めて正味1週間なんだからさ。

しょうがない。
12時に行けば間に合うだろう。
…いや、11時半だったかな。
もういいや。
12時だ。
決めた。
もう知らんよ。

それでもついてない日は、尽くついてない。

やっと帰ってくれば、妻は紅白だけは見るとか言いだして、草臥れ果てた体と心のまま、自分で蕎麦を茹でるはめに。
ほぼ完成の段階で、「あたしがやる」と割り込んできたはいいが、彼女はつゆをかけただけ。
でも、そのつゆが「ぬるい」。

それを伝えると、今度はいきなりむくれて口を聞かない。

仕方なく、一人で掻き揚げを1杯、エビを1杯、計2杯の年越し蕎麦をすする。
っていうか、やけ食いだ。

そして、蕎麦を食べ終えたところで年が明けた。

…こんな年越し有りか。

明日は、朝8:30に義母宅で新年のご挨拶会。
俺は仕事で夜遅いので、2日の休みに行くと言っても許されず。

正味3時間睡眠で、無理矢理これに参加したあと、9時間拘束の目も回るような忙しい時間を過ごすんだ。

…こんな新年有りか。

ふざけんな。




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 ■ 2003/12/31 (水) 思い出した


いつも丘陵を歩いていて、どこかでここのイメージにピッタリな曲を聴いた気がしていたんだけど、どうしても思い出せないでいた。
1曲はスピッツの「スカーレット」。
前に思い出した。

でも、もっとピッタリな曲があったはず。
ずっと気になっていたけど、今、思い出した。

スクエアの「THE AUTUMN OF '75 」だ。

ああ、よかった。
まだ、勝負はついてない。

丘陵の空気はまだ体の中にある。
これだって「支点」になりうるはず。
この曲を思い出せたんだ。
俺はまだKOされていない。

俺はまだ「主夫」だ。

今年最後に思い出せてよかった。

皆さんのおかげです。
ありがとう。

皆さんもよいお年を。
おやすみなさい。


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 ■ 2003/12/31 (水) インターバル


仕事が終わって、1時間も職場に残ってしまった。
理由は残業などではない。

雑談だ。

嫌々そうしたというわけでもない。
帰りのIDをスキャンするのも忘れるほど話は盛り上がったのだから。

…ほら、言わんこっちゃない。
「家庭」と「職場」の「タイマン勝負」に巻き込まれてる。
そして、早くも「家庭生活」は負けそうだ。
俺は「主夫」なはずなのに。

早くルールを「じゃんけん」に変えなくちゃ。
最低もう一つ支点を増やすんだ。

でも、すぐというわけにもいかない。
それまで持ちこたえるための戦略は…。

とにかく相手は強敵だ。
正面に立って打ち合うなんて以ての外だ。
「男らしい振る舞い」「武士道」に憧れるのはいいが、自分がそれに相応しいなどと思い上がるな。
ガードを固めて、頭を振って、急所に的を絞らせるな。
時に「攻撃は最大の防御」だから、「HITandRUN」もいいだろう。
コーナーに追い込まれたら、クリンチかside to sideで逃げろ。

この日記を書く時間が、言わばラウンド終了のゴング。
何度ゴングに救われたか。

管理人さん、大事なインターバルをありがとう。


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 ■ 2003/12/30 (火) 東京多摩地方、快晴


後46分で家を出る。
いい天気なのに、丘陵とは反対側に行く。

もうどうしようもない。
このまま行くんだ。

後45分。


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 ■ 2003/12/30 (火) 休日/単線


妻の…じゃなかった俺の休日。

今年最後の休日で、なんと31日も元旦も仕事だ。
予定では、次の休みは2日だ。

去年とえらい違いだ。
大掃除もままならない。

放送大学のWEB入学手続きが上手くいかなかったので、午後から、直接多摩キャンパスへ向かう。
45分歩いて到着するも、なんと昨日で正月休みに入っていた。
これがむしろフツー。
俺の感覚の方がずれてるんだ。

仕方なく、そのまま国分寺へ歩いて向かう。
無印良品で「ソファベッド」と「体にフィットするソファ」を見比べる。
共になかなか良く、値段も千円違いなので、一応チェックしておいた。
なんて言っても買うわけじゃ…いや、来月の給料入れば買えるのかな。
…買えるんだ。

次ぎに最上階のcandoに行き、仕事で使う懐中電灯を買う。

その後、駅ビルの芳林堂で、やっとお目当ての入学願書を手に入れるや否や、忙しなく帰途に就く。
理由は、夕方から義母に呼ばれてるから。

厳密に言うと、義母と義兄。
正月休みで帰郷してるんだ。

義兄は物静かで、電子機器などを買い物するのが好きな人。
今日も、義母が畳の上に強引に置いたソファの上で、FOMAのケータイのカタログを嬉しそうに眺めていた。
俺との関係は、特に問題はない。
っていうか、正月しか会わないから、それ以上よく知らないんだ。

知ってるのは、義母が「お兄ちゃんママ」だってことくらいか。

彼は一流製薬会社の役職。
俺は主夫生活に未練たっぷりの警備会社の準社員。

娘のことが心配だということを少し脇に置けば、自分の息子を立派に見せる引き立て役として、俺はかなり優秀なはずだ。

義母を喜ばすことができて光栄だ。
その見返りとして、出された豚しゃぶはたっぷり食べてきた。

食事中にもう「職探し」の話は出ない。
代わりは俺の新しい仕事についてと休日のスケジュールについての話だけだ。

…仕事が生活の殆どを占め、帰っても風呂とごはんだけ。
娘も寝てるし、妻は帰宅時には起きてくれるが、殆ど話もしない。
っていうか、彼女も次の日仕事だから、そんな余裕はない。

義母は笑いながら「慣れるまでは大変ね」と言った。

いつもはその「笑い」が、愛想笑いなのか、心からのものなのか、作り笑いなのかがすぐ分かるんだけど、今日はよくわからなかった。

何故なんだろう。


国分寺から帰るとき、今日は歩きではなく普段殆ど使わない西武多摩湖線というのに乗った。
これがなんと「単線」。

10分もかからず乗り換え駅に着く。

この駅の周囲は、遊歩道と公営と思しきアパートくらいしかなく、ここに住んでる人にとって、国分寺は、働くにしても消費するにしても便利な場所に違いない。

2点を結ぶ直線で生活が事足りる。
近くて便利。
そう言い切れるなら問題ない。

しかし、2点だけじゃ、多くの場合そう言えなくなるのも時間の問題だろう。

大抵「どっちがより重要か」を考え出すようになるし、周囲にもそれを強いられるようになるからだ。
仕事と家庭、勉強と部活動、あの娘とあの娘…双方を同じように大切にし続けることの出来る人なんて滅多にいないだろう。

そこで、第3点を持つことが重要になる。

要は「腕相撲」と「じゃんけん」だ。

拮抗してバランスを保っている状態に耐えきれず、片方が他方を我がモノにすることを是とする状態と、自分に「勝ち」をもたらす相手と「負け」をもたらす相手と「3人」で行う「勝利の方程式」が通じにくい「遊び」の状態との違いだ。

きっと今は、「仕事」と「家」の「2点」だから、休憩室のソファが俺の部屋まで侵入してしまうんだ。

だから、ここにもう1点を割り込ませる。

「放送大学」を割り込ませて「学生面」してやる。
学生証とテキストを以て「盾」にしてやる。
ぼんやり白日夢に陥る時も、授業のことを考えてやる。

2点間の「showdown」を回避して、「負けたー」とあっさり言える「じゃんけん」の世界を作れれば、また義母の笑いの意味も分かるようになるだろうか。


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 ■ 2003/12/29 (月) 離岸流/慣れ


Cさん「はい、これ会社から届いてたよ。」
俺  「…何ですかこれは。」
Cさん「何って、見ればわかるでしょう。」

渡されたのは「健康保険証」と「給与明細書」。
給与明細は、〆の関係で1日分だけだが。

こういうモノを突きつけられると、波打ち際からいきなり足の届かない沖に流されたような不安を感じる。
そこから「もう戻れないよ」って決められてしまった感じがする。
それは、働きだして「一番恐れていたこと」に、今の仕事で言えば「確認の印鑑」を押されたという感じがするからだ。

そして、その「一番恐れていたこと」とは「慣れ」だ。

一日にチェックする人数は300人以上になるので、取引先関係者のことはまだよく分からないし、仮に困った人がいたとしても、実際に顔を合わせている時間など微々たるものだから、そう問題にはならない。
問題はペアを組む人達のことだが、果たして、俺の他に3人いるメンバーの中に、誰一人としてウマが合わない人はいなかった。
っていうか、みんないい感じの人ばかりだ。
今時珍しいんじゃないだろうか、こんな人達…とすら思える。

そんな人達に支えられながら、今日初めて、午後勤務の2つの役割分担のうちの1つを、全日ほぼ一人でやらされた。
どれもこれも閉店時間を基準に細かく時間が決められているので、目が回る忙しさだ。
いきなりだったし、面食らったが、それでもとりあえず何とかなった。

…慣れてきたんだ。

人に恵まれ、仕事に問題がなければ、職場そのものが恐くなくなる。
それはいいことだ。
っていうか、嬉しいことだ。
俺だって、そんなにひねくれてはいないさ。

しかし、だ。

俺はすでに自分の天職というようなものが何かを知ってしまっている。
「知ってる」というより「決めた」と言うべきだろうか。

ここでどんなに仕事に慣れようと、先輩・同僚がいい人でも、ここでの仕事は俺の天職にはならない。
俺の天職とは、「下るだけ」の生活で、「上を向く」のに不可欠な「谷戸」であり「広場」である「主夫」という場所だ。
そこでの景色に充分満足し、っていうか、それが気に入ったから、ここに居を構えることにしたんだ。
ここにテント設営を済ませ、もう既に3年も過ごしてきた上で「天職」だと思っているんだ。
それなのに、ここ3ヶ月かそこらで何だか訳もわからないまま急にここを追いやられて、また獣道を歩く羽目になっている。

そして、その道は「上り」。
それが証拠に、俺は今「上を向いて」いられる姿勢で、「キツさ」を感じながら歩いている。
少なくとも、足下に気を付けて「転ばないように」歩いてはいない。
その「キツサ」も、ひょとしたら「心地よい」と言ってもいいのかもしれない。

そして、これこそが「慣れ」を生む最大の要素だ。
「転ばないように気を付けて・下る」と「上を向いて・上る」を比べた時、その上り坂がよほど険しくないなら、多くは後者を選んでしまうんじゃないだろうか。

俺もそうだった、今までは。

でも、もう分かっちゃったんだよ。
一見、価値ある頂上のように思えても、もう俺の人生に訪れる「上り」は「よりキツイ」下りの為の下準備しかないってことを。

そういう「上り」を散々繰り返してきて、その揚げ句にやっと腰を落ち着ける「谷戸」「広場」を見つけたんだ。

このまま、「慣れ」で獣道を上り続けても、今はともかく、そのうち「振り返りながら」上ることになるに違いない。

いくら「下り」より転びにくいとはいえ、そんな歩き方じゃ、転ぶ確率は高くなるだろう。
っていうか、そのうち転ぶよ。

今度もう一度、この「広場」にたどり着くのは、そうやって転んで、いわば「転落」して来たとき、ということになるんだろうか。

そんなの、転ぶだけ無駄じゃないか。
っていうか、「またか」って感じだよ。

転んだら、痛いんだ。
もう散々痛めつけられてきたんだ、もう嫌だよ。
痛いだけで済むとも限らないんだし。

このままここにいさせてくれればいいんだ。

お前は登山家と一緒になったんじゃないんだよ。
里山ハイカーと一緒になったんだよ。
Walkerだよ、Runnerじゃないんだよ。

そんなに俺が転ぶところみたいのか。

もし、そうだって言うなら、誰かの言うように「他の」広場に移るしかないのかな。
「他の」谷戸に。

天職を真っ当出来るなら、それもいいのかな。

よくわからん。


【PS】
今日一緒に行くと言ってくれる人がいたら、ひょっとしたら本当に今日で仕事やめてたかも。
エビオスじょーさんがもう5、600km近くにお住みでなくとも、出勤前にあの日記を見ていたら、自分の生活は多分変わってました。









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 ■ 2003/12/28 (日) 誰か


一緒に今から狭山丘陵に行かないか。
ガイドするから。
濃すぎるかもしれないけど、烏龍茶もあるし。

まだ間に合うよ。

誰か行かないか。



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