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雑談 欲望の河。夜のドラマシリーズ。2

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欲望の河。夜のドラマシリーズ。
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投稿者 :  日時 : 15/12/27 23:32

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大きな葬儀だと、式場の準備が終わらずに深夜まで作業をすることが多い。

 その日も、大型の花祭壇を黙々と組み立てていた。

 他のスタッフはすでに退勤していて、式場に残っているのは一人だけ。

 静まりかえった場内で、自分の立てる音だけが響いていた。

 午前1時を過ぎた頃だろうか。

 化粧室へ行くと、カギのかかっている個室がある。

 「スタッフの誰かが、まだ残っていたのかな? でも、最後の人が帰ってから、3時間も経つけれど……」

 ノックをしたが、返事はない。

 「大丈夫ですか?」と声をかけてみたが、やはり無言。

 しばらくドアの前で聞き耳を立ててみたものの、中に人の気配はなかった。

 「何かの拍子にカギがかかってしまったのかもしれない。明日、業者さんを呼ばなければならないかな」

 そう考えながら用を済ませて、手を洗った。

 すると、例の個室から「ジャーッ」と水の流れる音が聞こえてきた。

 思わず叫び出しそうになるも、「センサーの故障だ。そうに違いない」と必死で自分に言い聞かせて、猛スピードで仕事を終わらせ逃げ帰った。

 次の日の朝、恐る恐るもう一度確認した。

 すると、カギのかかっていた個室の施錠は外れていた。

 疲労で幻覚や幻聴が起こったのだろうか……。

 スタッフの誰かが、お腹の調子を崩して深夜までこもっていたのだと信じたい。
no.459 記入なし (22/08/22 08:08)

今から20年前の話です。 当時高校生だった私には遠距離の彼氏がいました。 あるとき、私から電話を掛けたら彼の口調がいつもと違ったのです。 普段の彼は穏やかで優しい話し方なのに、開口一番「あ?なんだよ?」と、まるで人が変わったように偉そうな物言いでした。 あまりの変わりように私は驚きながらも「◯◯だよね?」と、名前を確認したのですが、彼は「そうだよ」と返事…。 「いつもと違う…!」「なにが違うんだよ?」「なんか違う!」といった押し問答が少しあり、彼がまるで別人のように感じてしまい、これが本性なのか?それとも二重人格なのか?と混乱してしまいました。 そして彼も私に対し「いつものお前と話し方が違うんだけど、△△(私の名前)だよな?」と聞いてきて…。 私が「△△だけど…どういうこと?」と訝しげに聞くと「俺も△△と付き合ってるけど、お前じゃない」とはっきり言ってきたのです。その後2人で話していくうちに、どうやら電話口の彼も私じゃない私と付き合っているようでした。 話をまとめると、今この世界の私と彼とは別に、電話口の彼がいて、更にその彼女として私ではない私が存在する。 平行世界というのでしょうか…全く同じ世界がもう1つあったようなのです。 とても信じられませんでした。 それでも、最後はお互いに現実を受け入れて笑って電話を切りました。 そして電話を切ってすぐ、彼に電話してみました。 すると「もしもし?どうしたの?」と、いつもの穏やかな口調の彼が電話に出ました。 「今なにしてた?」と尋ねると「さっきまで寝てたけど…」と…嘘をついている様子はありませんでした。 先ほどの出来事を話してみましたが、信じてくれませんでした。 私は今までこの出来事をほかの人に話したことがありません。 話してもきっと誰も信じてはくれないでしょう。 でも実際に起こった出来事なのです。 もしかしたら自分がおかしかったのか、それとも本当に平行世界があるのか。 今でも忘れられない不思議な体験でした。
no.460 記入なし (22/09/02 19:16)

私は幼い頃から、いつも同じ夢を見ていました。 同じ場所で同じ景色の中、同じ男性が出てくる夢…。 ただ、その男性の顔はよくわかりませんでした。 広い草原の、少し坂があるような土地…なんだか山や草が多く、田舎の見晴らしのいい場所という感じで、とくに目立つなにかがあるわけでもないのです。 そこでいつも同じ男性と平凡な会話をして、目覚めていました。 男性は青年で、20歳くらいかな?という印象でした。 もちろん、夢の中の会話なんて覚えていません。 ときどき少年の姿になるのですが、同じ男性が夢に出てくるのです。 しかし私は子どもでしたし、夢のことはあまり気にしていませんでした。 大人になって就職や転職、結婚、離婚…さまざまな経験をしていった中でも、度々その夢を見ました。 そんなある日、仕事で出会った海外の方とメッセージを交換する機会がありました。 お互い顔は知らず、翻訳機能を活用して会話していました。 3年ほど経過したころ、とある出来事をキッカケに顔を見せて話すようになりました。 なんだか見たことある人…それが彼への第一印象でした。 そのうち、彼と会って遊ぶ約束をしたので、彼の住んでいる場所を教えてもらうことに…。 その場所をインターネットで調べたとき、本当に驚きました。 幼い頃から夢で見ていた、あの場所…。 彼が、夢でいつも会っていたあの青年だ!と、そのときにわかりました。 彼とは血液型、家族のこと、経歴など共通点がたくさんあります。 今、結婚に向けて話し合っているところです。 30年近く、夢という不確かな場所で会い続けた彼と、これからは現実を共に生きていく…そんな不思議な体験です。
no.461 記入なし (22/09/08 18:22)

私が中学生のころの話です。 家族みんなでテレビを見ていました。 すると2階から足音が。 家族全員リビングで過ごしていたため、不思議に思いましたが、「入浴していた父が出てきたのだろう」と、姉と2人で話していました。 ところが数分後、父が浴室から出てきたのです。 姉と2人で、「聞き間違えたのかな?」と首をかしげていました。 そして2階にあがった父が数分後に降りてきました。 テレビを見ていた私に苦笑しながら、「こっちに来て、こっちに来てって、何度も呼んで。いったい何の用事だったんだ?」と一言。 私は姉とテレビを見ていたため、2階には行っていません。 戸惑う私たちの様子を見て、父もおかしいと気づいたようです。 父を呼んだという「私」は、いったい誰だったのでしょうか……。
no.462 記入なし (22/09/20 20:33)

20年ほど前の話。仕事の都合で、それまで住んでいた郊外から都心の高級マンションに引っ越すことに。でも高級マンションとはいえ割安で、『え、なんでこんないいところが?』って思ったんだけど……。でもその理由が住んで少したったら分かった。
私は10階に住んでいたんだけど、エレベーターが5階で急に止まったりとか、夜中に人の泣き声みたいのが聞こえたことが何度かあって……。
そんなある日、大学時代の友人3人がウチに泊まりに来ることに。その中の1人が霊感の強い子で、ウチに入ったとたん『ん、なんかいるよ、このウチ』ってまず言われて。携帯しているというお清めの塩を玄関にばら撒かれた(笑)。
泊まった翌朝も『寝ているとき脚のあたりが重くてなんだろう、って見たら人が上に乗っていた』って話をされた……。あまりに気持ち悪く、それからすぐ引っ越したよね。
no.463 記入なし (22/11/11 23:48)

一人暮らしでマンションに住んでいたときに、毎晩上の階の物音がうるさくて。一人暮らし用のマンションなのに複数人で住んでいるのかなって思ってイライラした。あまりにもうるさいから直接文句を言おうと思って上の階に行ったら、誰もいなくて。
後日問い合わせてみたら、そこは長いこと空家になっていて誰も入っていないらしい。ネットで調べたら上の階、事故物件だったんだよね。じゃああの物音は何……?
no.464 記入なし (22/11/13 01:49)

愛媛県の松山大学の倉庫に今でも現存している『ヒカルさんの絵』と呼ばれる
怖い絵があります。

ヒカルさんの絵に描かれている女性の目が動く。少女が絵から出てくる。
そしてこの絵を指差すと必ず怪我をする。
燃やしても元の場所に戻ってきたというような様々な噂があり
かつて1997年には奇跡体験アンビリーバボーでも取り上げられて
怖い回として全国区の知名度を持つ事となりました。

この絵の噂は学内では古くからあり1990年代までは階段の踊り場に
ヒカルさんの絵は飾られていたらしいです。
(その後不可解な事が続くので1990年代後半に
学内の倉庫におかれることとなったとのこと。)

正式名称は『少女』というタイトルで
作者が「佐藤光」さんという事でヒカルさんの絵と呼ばれることになったようです。
ただし学校の卒業生や在校生に佐藤光さんという方はいなかったらしく
どういった経緯でこの絵が学校に飾られる事になったのかは不明らしいです。

また松山大学の有名な話に学校の地階の図書室で前期試験が終了する日に
一人の女性が調べ物をしていて、閉館時間を過ぎたのに気付かなかった彼女は
守衛が鍵を閉めたことによって図書室に閉じ込められてしまい。
そして学校は長い夏休みに…
後期の授業が始まり、再び守衛が図書室の扉を開ける。そこには彼女の腐乱死体が…
扉には掻きむしった後が無数に残されていたという。
今でもその場所の地下からは「出してー」という声と、カリカリと扉を引っ掻く音が聞こえるという
定番(?)とも言える怪談の大元がこの学校ではないか?と噂されています。
no.465 記入なし (23/03/12 10:34)

レオナルド・ダ・ヴィンチの母親はいったい誰なのか? この謎は何世紀にもわたって研究者たちを魅了し、振り回してきた。

ほんのひと握りの事実は知られている。

彼女の名はカテリーナで、1451年のあるときに公証人のセル・ピエロ・ダ・ヴィンチと関係を持ち、翌1452年4月15日に男児の婚外子を生んだ。そして、その男児に「レオナルド」という洗礼名が与えられた。レオナルドの生誕を記録した銘板が、フィレンツェから約50キロ離れたヴィンチ村に建つサンタ・クローチェ教会内にある。レオナルドの洗礼式はここでおこなわれた可能性が高い。

研究者らは長年、レオナルドの母は「ヴィンチ村の小作農」「身分の低い生まれの十代の少女」「ユダヤ系か中国にルーツを持つ女性」ではないかと推測してきたが、この度、アカデミックな論争をさらに加熱させそうな最新の仮説が現れた。

それは2023年3月14日、フィレンツェで開かれた新作歴史小説の発売日前イベントで、同書の著者で歴史学者のカルロ・ヴェッチェが明らかにしたものだ。彼によれば、レオナルドの母は中央アジアのコーカサス(カフカス)地方の山岳地帯から誘拐され、奴隷にされた少女だという。

彼の小説『カテリーナの微笑』(未邦訳)は、フィレンツェ国立文書館で新たに発見された、レオナルドの父セル・ピエロ直筆の文書を学術的な根拠として書かれた。

ナポリ東洋大学教授のヴェッチェはこの小説を、史実と虚構が入り混じった激動の物語として描く。読者はカテリーナと共にアゾフ海、コンスタンティノープル(現イスタンブール)、ヴェネツィアを経由してフィレンツェへと転じて、ヴィンチ村へたどりつく。そして小説は、カテリーナがミラノで死去する場面で終わる。彼女はそこで、当地の宮廷に仕えていたレオナルドと再会している。

レオナルド研究家で、フィレンツェにあるガリレオ博物館の前館長パオロ・ガルッツィはこう話す。

「私はこの小説を『ドキュメント・フィクション』と定義したい。こんな形容矛盾を持ち出すのは、従来なら別ジャンルに属する手法が結びつけられて書かれているからです。この小説の登場人物には生まれと育ち、顔立ちや性格といった、学術論文には見られない要素が与えられていますが、根拠ある研究に基づいています」

そして、「論争を引き起こすのが仮説の運命」としながらも、ヴェッチェが集めた史料には充分な説得力があるとも付け加える。

ヴェッチェが発見した文書は、レオナルドの誕生から約半年後の1452年秋に書かれたものだ。それは、カテリーナという名のチェルケス人の奴隷の女性が、所有者から解放されたことを記録した証書だ。

ヴェッチェは、同文書に出てくるカテリーナがレオナルドの母親を指しているとする根拠について、カテリーナの歴代の所有者を示す史料と、直筆の文章から彼女に対する親愛の情が読みとれることから、すべてがレオナルドの父に行きつくと語る。

結局、レオナルドの父セル・ピエロはフィレンツェの若い女性と結婚し、レオナルド誕生の翌年に、カテリーナをヴィンチ村郊外に住む農夫兼窯焼き職人と結婚させた。カテリーナはその後、その職人とのあいだに4人の娘と一人の息子をもうけた。

こうしたレオナルドの出自は、彼自身、そして世界にとってむしろ幸いだったといえるかもしれない。作家のウォルター・アイザックソンは、2017年に出版したレオナルドの評伝の第1章をこう書き出している。

「レオナルド・ダ・ヴィンチが非嫡出子として生まれたのは、幸運としか言いようがない。さもなければ少なくとも5代前までの一族の嫡男がすべてそうであったように、公証人になることが期待されていたはずだ」

ヴェッチェは、文学的アプローチをとったのは自分の発見を広く知ってもらうためだというが、その一方で本件に関する学術論文の執筆も進めている。同時に、カテリーナの物語に現代の多くの難民の苦しみを見て、心を突き動かされたとも語る。

「彼女の物語は、論文ではない違った方法で伝えるべきだと強く感じたのです」
no.466 記入なし (23/03/25 10:37)

ヴィッチェの仮説は、レオナルド誕生以前のカテリーナ伝の最新版にすぎない。研究者のアンジェロ・パラティコは2014年に「レオナルドの母は奴隷として売られた中国人女性」説を発表した。彼は当時、メディアの注目をいっせいに浴びたと振り返る。

「ジークムント・フロイトがかつて書いたように、もし本当にレオナルドの母が『モナ・リザ』のモデルだったとしたら、リザ夫人は中国人になりますねとよく言ったものです」と、パラティコは笑って打ち明けた。

「それを聞いた人がどんな顔をしたかは、察しがつくでしょう」

パラティコの説は、ヴィンチ村にあるレオナルド図書館の初代司書レンゾ・チアンキが立てた「カテリーナは、レオナルドの父の富裕な友人ヴァンニ・ディ・ニッコロ・ディ・セル・ヴァンニの家に仕えていた女性奴隷だった」とする古い仮説に基づいている。

レオナルド研究者で、「レオナルド・ダ・ヴィンチ・ヘリテッジ」の会長アレッサンドロ・ヴェッツォージは、まもなく刊行予定のレオナルドの系図に関する本に、「レオナルドの母は父の友人ヴァンニが所有していた女性奴隷のカテリーナだった」というこの説を、再び提示しているという(同協会は、レオナルドの子孫を特定したことがある)。
no.467 記入なし (23/03/25 10:41)

「新発見された文書の女性は、間違いなくヴァンニ家にいたカテリーナに行きつくはずです」

それでもヴェッチェの小説には興味があり、その本を読んで意見を交換したいと付け加える。

一方ヴェッチェのほうは、カテリーナの身元に関するチアンキとヴェッツォージの研究には同意しないが、自身の仕事を「導いてくれた」とコメントした。19世紀に全土が統一される以前のイタリアには、奴隷がごく普通に存在していた。このテーマに関して論文を書いてきたヴェネツィア大学教授のジュリア・ボナッツァは「今後もさらなる研究が必要だ」と指摘する。

中央アジアにおける人身売買は13世紀頃に始まり、主にジェノバやヴェネツィアの商人たちによって取り引きされていた。多くの場合、彼らの手にかかったのは女性の非キリスト教徒だった。しかし彼女たちがみごもった子供は法律上、奴隷とみなされなかった。

奴隷にされた女性はヨーロッパに到着すると、洗礼を受け、多くは「マリア」や「カテリーナ」といった洗礼名を与えられ、富裕な家族の使用人として売られた。しかし、カリアリ大学の中世史教授で奴隷制度に関する著書もあるセルジョ・トニェッティは、「奴隷を所有していた一族はいたが、それはスタンダードではなかった」と話す。最終的に所有者によって解放される者もいたが、通例、それは遺言執行のときに限られた。

2017年に英国のダ・ヴィンチ研究者マーティン・ケンプは、イタリア人研究者と共同で、「レオナルドの母親はその土地に住んでいた10代の孤児だった」とする本を出版した。だが、「奴隷にされた女性」と主張するヴェッチェ説も「推定可能なモデル」だと話す。

ケンプは、レオナルドの母が誰かという問題に多くの人が魅了されるのは、彼が非常に幅広い分野に関する「何千何万ページ」もの手稿やメモを書き記したにもかかわらず、レオナルドその人については依然として謎めいているからではないかと推察する。だが彼は「でも」と、訊き返した。

「カテリーナが誰なのかを知ることが、本当に重要なのでしょうか? レオナルドが遺した芸術、科学や工学における彼の業績を理解するうえで、彼の母は誰かという質問は、『だから何?』で終わる話ですよ」
no.468 記入なし (23/03/25 10:42)

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