山本勘助さんですか?
no.2 記入なし (14/04/13 20:54)
実務経験が問われそうだな
戦績を語れるかな?
no.3 記入なし (14/04/13 21:39)
軍師って公開募集じゃなく、
これだ、と思った人を訪ねて拝み倒して連れてくるもんじゃないんですかね。
no.4 ご (14/04/13 21:47)
軍師を必要としてる人はいると思うな。
ただ、その人も無職かもしれない。
no.5 記入なし (14/04/13 21:53)
日本では文官と武官の区別がないが、元々軍をを率いる将軍と政治を扱う官僚は別物
まあ、奈良時代の政治を扱う天皇・貴族とその下っ端兵士である源氏・平氏みたいなもんだ
・文官は文官の試験を受け、合格した人がどんどん上に行く
・武官は槍や刀、弓などの豪傑の中で、現場指揮をとれる者が上に行く
その結果、現場で叩きあげられた関羽・越飛の上に、なよっとした孔明がいるわけだ。
いわゆる「軍師」になりたければ、東大を卒業して公務員試験を受からんと・・・
no.6 記入なし (14/04/13 22:08)
あー、先日、ものの本でインドのムガル朝の官僚制度についてちらりと読んだのです。あの王朝では文官と武官の区別がはっきりしていなかったようで。文官として採用された人が戦争に出ることがあったとか。
「原始的だった」
と解釈するべきでしょうか。
「意図的に両刀使いを養成していた」
と考えるべきでしょうか。
no.7 記入なし (14/04/13 22:23)
「原始的だった」のでしょう
究極の文官はかん官と呼ばれ、去勢されます。
理由は
・国王は自分のハーレムを作っているためのにそこに男を入れたくなかった。
・優秀な人でも子供ができるとその子供に地位・財産を譲りたくなり冷静な判断ができなくなる
そうです
no.8 記入なし (14/04/13 22:49)
軍師希望のあの引きこもりはその後どうなったんだろう…
no.9 記入なし (14/04/13 22:57)
劉備が迎えにくるのを待っているのでしょう
no.10 記入なし (14/04/13 23:09)
三顧の礼か?
no.11 記入なし (14/04/17 13:49)
孔明は晴耕雨読で暮らしていたところそこに劉備がきたとあります。
曹操のところの荀ケ(だったと思う)も、もう少し孔明が年を取ったら訪ねようと思っていたと発言しています。
あなたのところにも誰か来ているかもしれません。
no.12 記入なし (14/04/17 15:15)
そういえば、昼間家にいるとピンポンなるんだ。
知り合い来る事も無いし、いつもでないんだけど。
あれってもしかして・・
no.13 記入なし (14/04/17 16:34)
荀掾@すごい こんな漢字出るんだ(こなみ
no.14 記入なし (14/04/17 16:39)
でも「鳳雛か伏龍を手に入れれば・・」という誰かの情報があったのでしょう
今で言えば、東大教授が「私が教えた生徒で一二を争う者が今ニートをしている。」
等の情報がなければ
no.15 記入なし (14/04/17 20:26)
軍師ってのはバカを担ぎ上げてナンボの商売ですから。
実質的な実権は握ってるんだが、責任だけはバカに負ってもらおうと言うオイシイ地位だなw
no.16 記入なし (14/04/17 23:41)
孔明は考え方によっては確かに恐ろしい人になります。曹操についたらあっという間に当時の中国を平定できたと言われています。
その後、平和になれば優秀な物を憎むというか邪魔者扱いされて…
その為、外に目を向けさせるため国を3つに分けたとも言われています。この考え方を見てぞっとしたことを覚えている。
タイトルと話題がそれて申し訳ありません。
no.17 記入なし (14/04/18 19:12)