2099の続き
また、死を迎えると、先に死んだ肉親や知人と出会えることもあります。愛情の度合いで会える人と会えない人がいるのですが、迎えに来てくれて、分離を促進してくれている場合が多いのです。
人は死んでもその性格、性向、知識はそのままです。肉体を脱ぎ捨てただけなのです。
死の直後は、意識の混乱があります。死んだのに意識があり、肉体もあるから混乱するのです。それも、霊的覚醒が始まると落ち着きます。
薬物使用による幻覚の事は詳しい知識はありません。
no.2100 蚤の脳ミソ (07/02/17 20:44)
>蚤の脳ミソさん・記入なしさん
あきらめましょう。
参加する・しないは自由です。
灰汁ではないからまたくるかも
又来てほしいですね。 k−2さん
まってますよ。
no.2101 卑弥呼 (07/02/17 22:35)
神様はサディストなのでしょうか?
苦しめて魂を成長させて、どうしたいんですか?
はじめから完璧な魂を作り上げておけばよかったのに。
ノアの洪水で全員排除して1からまた新たに完璧な魂を作り上げていればよかったのに
no.2102 記入なし (07/02/17 22:54)
>2102さん
全知全能の神は存在しません。
no.2103 下っ端公務員 (07/02/17 22:57)
人間の立場から見ると、神はなぜこんな摂理をこしらえたのか。
他に方法がありそうなものだが……と疑問に思うこともあることでしょう。
実は各霊に選択の自由を与えるに際して神は、同時に、その行為とその行為が生み出す結果についての一切の責任も担わせているのです。
霊が自ら選んで進もうとするのを遮るものは何もありません。悪の道を歩むのもよし、善の道を歩むのもよし。かりに悪徳の誘惑に負けて悪の道に入っても、もはや取り返しがつかないというようなことにはなっておりません。しくじった人生をもう一度始めからやり直す機会が与えられます。
もう一つ申し上げておきたいのは、神の意志による業と、人間の意志による業とを截然と区別しなければならないということです。
例えばあなたが危機にさらされたとします。その危機そのものはあなたがこしらえたのではありません。神が用意したのです。しかし、その危機にさらされることを選択したのはあなた自身です。
その危機に遭遇することの中に霊的成長の手段を見出して自ら志願し、そして神がそれを裁可したということです。
no.2104 蚤の脳ミソ (07/02/17 23:06)
今日、サイエンスミステリーと言う番組で四本足で歩いている人達がいた。
さらに、体全身が毛むくじゃらの人や尻尾の生えてる人間も少しだけ紹介
されていた。ひょっとしたら、人間の遠い井先祖はひょっとしたら猿だったんじゃない
かと思うようになった。まさか、進化論が正しい理論になる可能性が大
かな?
このことについて、太郎さん、蚤の脳ミソさんはどう思われますか?
T.K
no.2105 記入なし (07/02/17 23:08)
この世自体がゲームということです。つまり、人生感ではなく、いわば、
ペットを飼い殺しするようなものです。つまり、ネズミを迷路に閉じ込め
て、皆で、「ねずみって、ばかだなー。」といいながら、見てるだけのよ
うなものです。
no.2106 記入なし (07/02/17 23:18)
>2103
『わたしはある。わたしはあるというものだ。』わたしはいかなる時も永遠にあなた方と共にいるのだ!そう主は宣言されました。神様は命をかけ真実を語られ、命を捨てわたしたちを救いの中に導いてくださいました。主は徹底的に愛を持ってすべての人間一人一人に関わってくださったのであります。愛に留まり続け主が共にいてくださることを信じ歩みだす愛・祝福を生きた御言葉を通して魂に語りかけてくださいます。
no.2107 記入なし (07/02/18 00:40)
例えば残酷な殺され方をした人もそれを修行と望んで生まれてきたのですか?
またそうであるならそれが魂の向上に役立つものなのでしょうか!?
no.2108 記入なし (07/02/18 02:01)
もっと本を読め
学べ
そして語ろう
no.2109 記入なし (07/02/18 02:02)
ここのみんなは白い服着てる人達?
no.2110 記入なし (07/02/18 02:06)
ちゃかすな
no.2111 記入なし (07/02/18 02:08)
なんだやっぱそうか、あだ名も有るのか?
no.2112 記入なし (07/02/18 02:16)
キリスト教の「讀罪」の教義の根源にあるのは、それが本質的に神の御業であり、神がキリストの調停によって人類と和解し給うたとの確信である・・・とのことですが?
創造主である神が、創造物である人類となぜ和解しなければならないのか?
嫉妬と怒りに燃えた神を宥めすかすために最愛の子を血の犠牲にしなければならなかったのか?
神は怒りっぽい人間よりもっと残酷で無慈悲だとでも言いたいのでしょうか。我が子と和解するのに血の犠牲を要求なさるのでしょうか。神とイエスをこれほど哀れな存在とする説はありません。
イエスが愛と慈悲と優しさに満ちた「父」のごとき存在と説いた神のご機嫌を取るのに、なぜ血を流さなくてはならないのでしょうか。
地上の人間は、一人の例外もなく、自分の努力で性格を築き、自分の努力で霊性を進化させて行くために地上界へ来ているのです。
利己的な生き方を選ベばそれなりの代償を払わなくてはなりません。
人のために役立つ道を選べば、個性の発達という形で報われます。そのように摂理が出来上がっているのであり、いかに地位の高い指導者といえども、それを変えるわけには行かないのです。
それ以外の教えは全て卑怯と不公正の教義です。もしも間違いを犯したら、潔くその代価を支払えばよろしい。屁理屈をこねて責任を他人に転嫁するようなことをしてはなりません。
ダーウィンの進化論には、確たる根拠がないのではないでしょうか?
人はその生まれたる環境にて、適応される能力を有しています。それも、外部との接触がない場合、そのうちなる環境内での習慣に依存することは考えられるものです。
胎児の胎内環境での成長過程は、進化の過程を踏むと言われています。その過程で、魚類の形態を摂る時期や、両生類の過程を摂る時期があるみたいです。
まだまだ知らないことばかりです。
このスレに来られる賢明なる諸氏に教えてもらうばかりです。
no.2113 蚤の脳ミソ (07/02/18 08:26)
蚤の脳ミソさん
まだ臨死体験について(薬物と幻覚について)いろいろ調べているところです。
それより
臨死体験の後にしばしば見られるサイキック能力、サイキック体験の統計的にめざましい増加
という記事を見つけたのですけど、このことについてどう思いますか?
no.2114 記入なし (07/02/18 09:37)
2105 わかりません。
2108 スレッドにあるようにカルマの法則です。
no.2115 太郎 (07/02/18 10:06)
>2114さん
脳の一部を損傷したことによる異常修復の副作用です。
サヴァン症候群の大人版という感じですね。
no.2116 下っ端公務員 (07/02/18 10:12)
この地上世界に生を受ける。前世の罪障消滅、進化向上なのですが、殺される為に生まれて来る訳ではないと考えます。それが宿命と考えるのは誤りと考えます。
歴史を見てみると、多くの虐殺、残虐行為が行われています。また、記憶に新しいのは、「オウム真理教」と言うカルトの残虐行為があります。
被害者はそれが前世のカルマであるから仕方がないと考えるのは間違いです。詭弁でしかないと思います。そのような考え方が普通になると、人類は滅亡するのではないでしょうか。
そのような行為は、一部の指導者を中心とした狂信者達に煽動、または洗脳された人達の愚かな行為なのです。厳しく罰しられなければならない行為です。
no.2117 蚤の脳ミソ (07/02/18 10:24)
つまり、前世は無いということだな。
no.2118 下っ端公務員 (07/02/18 10:40)
蚤の脳ミソさんに質問です。
体外離脱とは心霊現象や死後の世界だとも言われています。
しかし、体外離脱をする方法について以下の結果が知られています。
1.側頭葉という脳の一部分を刺激すると自分が自分の体から離れていく幻影を見る
2.直前に金縛り
3.覚せい剤などでも体験するらしい
あなたは体外離脱についてどうお考えをお持ちですか
”のある部分を電気刺激すると過去の記憶がよみがえってくる現象が起こるそうです。”
これについてどうお考えですか?
no.2119 記入なし (07/02/18 10:49)
蚤の脳ミソさん、もう少しお話聞かせてもらえますか。
では殺された人はなぜ殺されたのでしょうか。
運が悪かっただけですか。それが知りたいのです。
no.2120 記入なし (07/02/18 10:52)
原因と結果を取り違えないでいただきたい。
前世のカルマの消滅のために、人間の愚かな行為のために死ななければならないと言うことではありません。罪障消滅には、色々な方法があります。
残虐な行為は、人の動物的本能に根ざした「利己心」があります。
残虐行為は制止できるものです。それが出来ないのは、人類がそれだけ未熟だと言うことです。
臨死体験後のサイキック能力の発現は、その人の本来の能力の開発なのですよ。臨死体験を通じて、本来の能力が目覚めたのです。それは、能力は本来霊の属性なのです。その霊の本来持っている能力に触発されて、身体能力は開発されるのです。
ここでも、原因と結果の取り違えがあると思います。
身体能力の向上が、霊能力の向上ではないのです。本来持っている霊の資質が身体能力を発達させるのです。
肉体はどうしても霊の能力を阻害しているのです。その上、社会生活を送る上での「欲」が精神的な能力の発達を阻害しているのです。
精神的なハンデを負っている人をご覧になればご理解してもらえると思いますが、極端に我欲が少ないのが解ります。社会生活を送る上での「見栄」がないのです。そのような精神状態の人は霊的な資質を発揮しやすいのです。
no.2121 蚤の脳ミソ (07/02/18 11:10)
蚤の脳ミソさんありがとうございました。
no.2122 2120 (07/02/18 11:13)
ついでですけど、
"ジョイス・ホークス〜細胞生物学者だった彼女。
ある日、自宅で片付け作業をしていたところ、突然窓枠が彼女の頭に落下、臨死体験する。
意識を回復した彼女は、ある能力が身についていることを知る。
病気を治すヒーラー…心霊治療師としての能力。病人に手を当て、どこが悪いのか探す。不思議と彼女の手は熱を持つ。"
という記事も見つけました。
T.K
no.2123 記入なし (07/02/18 11:38)
モンロー研究所の話、あれ本当かなぁ。
SFの域を出ていないような…
no.2124 武藤、それは僕 (07/02/18 11:51)
2120の質問は他の人の意見も聞きたいですなあ。
no.2125 記入なし (07/02/18 12:07)
この地上生活での罪障消滅とは、利他愛の実践にあります。人様の為に尽くす。人類の進化向上のために力を発揮する。その過程での艱難辛苦に耐えることによって罪障消滅がなされるのです。
その途中で人の愚かしい行為によって命を奪われる。そうすると、もし生きていれば行えた行為(善悪ともに)も奪われることになります。「殺人」そのような権利は人間にはありません。どのような詭弁を弄そうとも正当化できないし、してはいけないのです。
心霊治療
これは病気を癒したり、苦しみを軽くする行為なのですが、本来の目的は、眠っている真の自我(霊的能力)の開発にあります。
人は霊が精神を支配し、精神は肉体を支配しています。霊自体が持っている能力を発揮させることにより、肉体の能力を引き上げ、治癒力を増すことなのです。
心霊治療師は、本人が治療しているのではありません。霊界の力の通り道になっているのです。
当然、癒せる人と癒せない人が出てきます。治療師自身の能力と治療される側の霊的な感受性によって変わってきます。
霊界の霊は、肉体を持たない霊であり、人間は、肉体をまとった霊なのです。利他愛に満ちた善なる霊は、人類に貢献したいのですが、その力を発揮させることが出来る通り道となる霊媒が少ないのです。
脳による障害により能力が開発されるのは、今まで抑え込まれてきた蓋が開いただけなのです。臨死体験によって、本来の霊的自我に目覚め、能力が引き出せるようになっているのですよ。
no.2126 蚤の脳ミソ (07/02/18 12:26)
一言
被害者がなぜ死ななければならなかったのかは、解りませんが、それがどのような法則に沿ったものでも、身勝手な屁理屈で正当化は出来ません。
no.2127 蚤の脳ミソ (07/02/18 12:54)
臨死体験に関する話題なんですけど、
夢や幻覚とする説によれば、側頭葉など脳の特定の部分が活動するかららしいです。
T.K
no.2128 記入なし (07/02/18 13:06)
はサイケデリックスを飲むと臨死体験ができるらしいです。
詳しい理由は医者でもわかりません。
T.K
no.2129 記入なし (07/02/18 13:13)
"モスクワから1200キロ東にある小さな町・ペルミにロシア全土で話題を集めている少女がいる。彼女の名はヤーナ。彼女は14歳にして、数百人もの患者を超能力で治療した実績を持っているのだ。彼女は、患者の人体がまるでレントゲンを通したように透けて見え、患部が黒いシミのように見えるという。そして、彼女の頭の中でそのシミを一つ一つ消していくことで治療を行うのだ。この透視方法によって、すでに数多くの人々を救ってきたヤーナ。だが、医療免許を持っていない彼女は、決して患者から金を受け取らない。
ママを助けて」7歳と5歳の幼い姉妹からのSOSを受け、そのヤーナが緊急来日。失明してしまう可能性がある『ベーチェット病』という原因不明の病気に苦しむ32歳の母を透視。
そして、患者本人の強い希望により、
ロシアでの直接治療に挑戦する。 "
T.K
no.2130 記入なし (07/02/18 19:58)
no2130の続きです。
太郎さん、蚤の脳ミソさんに質問です
ロシアでは超能力医療がこんなにさかんなのになぜ、日本では超能力医療がないんですか?
T.K
no.2131 記入なし (07/02/18 20:03)
"1994年アメリカのカリフォルニア州で、ある自然保護員がパトロール中、突然落石が彼を襲い、利き腕である右腕の肘から先を失ってしまった。
事故から数日後、彼には右腕が存在しているような感覚が蘇り、それは指1本1本を感じるほどリアルな感覚だったという。順天堂大学医学部麻酔科学教室の宮崎東洋教授によると、既に失った手足がまだあるかのように感じる症状を幻肢と呼び、手足を失った人の約9割が感じているという。幻肢の原因は、手足を元通りにしたいという願望がとても強いために起こる「願望的思考説」や、切断された末端部分の神経が再び伸びて神経腫ができるため幻肢を感じる「抹消神経説」などの仮説がある。しかし、どの仮説も決定的ではない。また、幻肢の原因と関連があると思われる別の例もあった。
そして、幻肢も脳の再配置によって起こっている場合が多いことが、最近明らかになってきている。事故で左腕を失った患者に対し、綿棒で身体に触れてどこを触れられている感じがするかという実験で、左の顔と肩に失った手の感覚が再現されていた。つまり、左腕に対応していた領域は、「再配置」により顔と肩の領域に取込まれたのである。現在、ジヒドロキシフェニールセリンという薬剤を使って、この再配置を人工的に起こす研究が進められている。この研究が進めば、将来、身に付けたいと思う能力を自在に操ることができるようになるかもしれない。"
このことについて太郎さん、蚤の脳ミソさんはどう思われますか?
no.2132 記入なし (07/02/18 20:11)
no2132の続きです。
以前テレビで目くらが視力が無いのに「目が見える」と言ってました。これも幻肢だろうと思われる。
魂となんか関係があるのだろうか?
T.K
no.2133 記入なし (07/02/18 21:10)
中国、インドでは角の生えた人間がいるという記事を見つけました。
T.K
no.2134 記入なし (07/02/18 21:23)
TK ちょっと書きすき ダッテ
no.2135 記入なし (07/02/18 21:28)
T.K.さん
いつも貴重な知識や話題の提供ありがとうございます。勉強になります。
側頭葉のお話ですが、いまだ解明されていない領域ですね。これからの進歩に期待したいものです。
薬物による幻覚や臨死体験様の感覚は、昔から調べられていますね(囚人を使った人体実験が主だったようですが・・・)。脳を弄繰り回すのですから、脳の領域作用は解りますが、それは、コンピュターの回路を調べているようなものではないでしょうか。
また、音楽、これは周波数領域の研究ですが、音楽のみならず、宗教儀式、医療領域、近代兵器にも応用されています。
人は霊と神経と肉体で構成されています。
霊は神経をコントロールし、神経は肉体をコントロールしています。肉体は地上生活を送る上での道具なのです。盲目の人が見えるというのは、「霊視」のこと、霊眼で見ていると思われます。肉体の目で見るのと、霊眼で観るのとでは見え方が異なるみたいです。手足も失っても霊体の手足があります。その認識の上での感覚の異常ではないでしょうか。脳内の感知領域の再配置はありうることですよ。霊が脳(神経)を支配しているわけですから。
日本は島国であり、村意識が強い民族なのです。海外では、特殊な能力を持った人間を大切にしますが、日本では「常識」この訳の解らぬ金太郎飴の如き物で「奇人」「変人」の烙印を押して、臭い物には蓋式の考えが主流なのです。其の能力の本当の意味が理解できずに、人に知られないように隠してしまうか、見世物小屋の見世物になってしまうのですよ。そのような風土があるのです。
no.2136 蚤の脳ミソ (07/02/19 07:54)
あの世〜。
no.2137 記入なし (07/02/19 10:31)
◆ブラインドサイト(盲人の視覚)とは?
“ブラインドサイト”という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。多分ほとんどの人にとって馴染みのない言葉ではないかと思います。“ブラインドサイト”は英語でBlindsightと書きますが、直訳すれば、見えない人の視覚、すなわち“盲人の視覚”とでも訳すことができるでしょう。そして、当然のことながら、誰もが盲人の視覚とはおかしな話である、見えない人に視覚があるはずが無いのだから、これは残存視力(視覚に障害があって、まだ利用可能な視覚機能を指す)で見ることを指しているのか、あるいは指で触った物体の部分が視覚的イメージとして感じ取れることを指しているのか等、様々な想像をされるのではないでしょうか。
そのように考えるのは当然のことの様に思えますが、実は、この“ブラインドサイト”とは、英国のL. バイスクランツという人が70年代初頭に実際に盲人にも視覚があることを慎重な臨床的研究に拠って明らかにした事実なのです。この研究報告は、視覚の働きや、人間の意識の問題を考えるときにとても興味深い材料であると言えます。
◆ブラインドサイトの視覚反応
その“ブラインドサイト”は、ものや形や明暗も分からないと感じている盲(もう)の人で、かつ視覚系の末梢の眼球(網膜)や視神経などに起きた障害ではなく、脳の第一次視覚野という視覚経路の高次の部分に障害がある人に見られます。
その様な脳の視覚中枢の問題が原因で盲になっている人は、例えばその人に向かってボールを投げると、ヒョイと避けたりすることができるわけです。それはあたかもボールが飛んでくるのを見て、それを避けているようにみえます。しかし、その避けた当人に訊ねてみても、なぜ避けたのか、その理由を説明することが全くできないという大変奇妙な話なのです。
バイスクランツ博士はこの様な例を幾つも観察して、その症例を“ブラインドサイト” と名づけました。邦訳では“盲視”という言葉が使われる場合もありますが、盲点(網膜上で光覚を生じない領域−視神経乳頭に一致する)との混同も起きかねないので、そのままブラインドサイトとするか“盲人の視覚”とするのが適当かもしれません。ブラインドサイトの人の視覚反応を正確に記録するには、暗い中で光の点を点滅させ、その位置を指してもらうという方法で行います。その試験の結果、“ブラインドサイト”の人からは、呈示された光点と指示した場所の一致が視覚を有していなければ説明できないような成績が得られました。しかし、その人が光の点を指せるという事実にも関わらず、 “ブラインドサイト”の人は自身に光の存在を捉えている自覚が無いのです。つまり、視覚的に捉えられていないものに対して反応できたというわけです。
◆ブラインドサイトの神経メカニズム
この“ブラインドサイト”という現象はとても不思議なものですが、神経学的に考えると理屈が立たないわけではありません。このバイスクランツ博士等の見出した“ブラインドサイト”という一見不思議な現象も、神経の構造や機能を知る人に取っては、説明不可能なものではありません。網膜から視神経まで、光情報の通り道は基本的に一つ(直列)ですから、網膜や視神経などの視覚経路の末梢側が損傷を受けると、それ以降に光情報が伝達されなくなってしまいます。視神経以降では、光の情報は視覚経路の末梢から脳内の複数の中継核に運ばれて様々な所に伝達され、情報経路が並列化します。われわれが通常視覚と呼んでいる“意識できる視覚”は、その中の第一次視覚野に行く経路によって起きるものです。しかし、ここを経由しないで、運動系に直接入ってゆく経路等もあるため、第一次視覚野の経路が損なわれている人に起こる“ブラインドサイト”は、それ以外の他の視覚情報経路の働きで起きるのであろうと考えられるわけです。
◆見える、見えないという主観
見える、見えないとわれわれが言うのは、網膜で受容した光情報が視神経、中継核(外則膝状体)を経て第一次視覚野に到り、さらに高次の脳の部分で知覚され認知(意識)される過程のことです。これは人が通常「視覚」と呼ぶそのものです。
しかし、“ブラインドサイト”は見える、見えないという視覚とは別の側面を持つ視覚があることを示しています。それは、主観的には外界を視覚的に認識(色や形やサイズなどの情報が視覚化されて意識に上る状態)されていないものの、意識に至る視覚経路とは別の神経系を介して神経情報処理が進んでいることを意味していると考えられます。これは、“〜が見えた”という主観的な視覚に対して、身体的には外界からの刺激を受け止めているのに関わらず、意識(主観)に上らない水準の視覚があることを意味しています。
これは、下等な動物の視覚や脳のことを考えてみると納得が得やすいかもしれません。
例えば、貝には陰影反射(shadow reflex)というものがあり、私達がよく知っている帆立貝には、貝の縁に沿って見られる通称“ひも”と呼ばれる部分に目(光受容器)が多数配列しており、影がそこを横切ると蓋を閉じたり逃避したりします。
この様な行動は、恐らく下等動物に優勢な反射によるもので、人間で言う脳での認知には到っていないものと思われます。人間にも色々な反射があり、それが意識とは関係なく起こる様をみて皆不思議な感じを覚えた経験があるのではないでしょうか。“ブラインドサイト”はその様な意味では反射的であり、また意識下感覚(Subliminal Perception)の一種と言えるでしょう。
◆人の心と人間の活動
人間では“こころ”が他の動物に比べて非常に発達しています。行動を企画し、結果を予測し、遂行するという過程がほとんどの場合意識されて行われます。そのため、われわれは普通、自分の感じていること、やっていることが全て完全に意識されていて、行動、動作のあらゆることの決定権を持っているように考えているのではないでしょうか。そのため、一旦自分の意識が関与していない身体現象が起きると無視・軽視したり、慌てふためいたりする傾向さえ見られます。
“ブラインドサイト”は、実はわれわれの行動や動作の中に、意識されていない情報に基づく活動によって支えられている部分があることを示唆するものと言えるでしょう。つまり、“ブラインドサイト”は視覚野に損傷のある視覚障害者だけの機能ではなく、健常者の中でも大いに働いているのではないかと推測されます(未だ、明確には証明はされていませんが)。人間の身体的活動や精神的活動を考える場合、このように主観的に意識できないことが様々な動作や行動に働いていることが考えられます。私達が第6感と呼んでいる不思議な感覚の中にも、この意識されない感覚情報が働いている場合が含まれているのかもしれません。
“ブラインドサイト”は視覚障害が教えてくれた、われわれの身体の不思議の一つでしょう。われわれの身体や精神の働きはとても不思議で、医学・生理学、分子科学等が驚異的に進んできた今でも、汲みつくせないほどのものです。障害や疾病は人間の不思議さ、深遠さを教えてくれ、その身体や精神の働きに改めて畏敬の念を覚えます。障害は健常者の持つ機能の喪失として捉えられる場合が多いと思いますが、実はそれほど単純なものではなく、そこでは人間の隠れた機能が露出されたり、新たな機能の発達が起きている可能性さえ考えられるのです。
T.K
no.2138 記入なし (07/02/19 14:51)
>T.K.さん
貴重な知識ありがとうございます。
私もその通りだと思います。人は使い慣れていることは当然と考えますが。意識下では、スーパーコンピューターの及びも付かない機能が働いていると思います。
以下の話は、昔聞いたことがあるのですが。
脳疾患(広範囲の脳梗塞?)によって、ブローカーの運動性言語中枢とウエンケバッハの感覚性言語中枢が犯された患者がいます。
ブローカーの言語中枢をやられると、話すことが出来なくなり、ウエンケバッハの言語中枢をやられると、聞いている内容の意味が理解できなくなります。
しかし、数年後?リハビリのおかげで、話すことも、聞き取ることも出来るようになった。この症例等は、脳の機能の一部がだめになっても、他の所がその機能をカバーできることを示しています。
聴覚障害の方は、読唇術が発達するし、視覚障害の方はそれを補う形で他の感覚が発達してきます。
「障害は健常者の持つ機能の喪失として捉えられる場合が多いと思いますが、実はそれほど単純なものではなく、そこでは人間の隠れた機能が露出されたり、新たな機能の発達が起きている可能性さえ考えられるのです。」
まさに、ご指摘の通りです。が、それも患者自身の努力があってのことです。
no.2139 記入なし (07/02/19 15:25)
共感覚(きょうかんかく、synesthesia, synæsthesia) とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には7という文字に青い色を感じたり、音階のミの音に緑色を感じたり、ハンバーグの形が苦い味に感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。
概要
女性の高い声を「黄色い声」などと言うように、人類、あるいは特定の環境・文化において複数の種類の感覚を結びつける比喩的習慣が広く存在するが、共感覚はそのようなものと直接は関係しておらず、共感覚を持たない人には感じられない上述の数字に色を見るなどの感覚を、主観的な知覚現象 (クオリア) として生々しく感じている。 共感覚は五感のような基本的な感覚の種別に関してだけではなく、感情や単語や数などに関して起こることもある。 共感覚者の間での複合した知覚の関係に相関は認められていない。 例えば、ある人が 7 という文字を青く感じたとしても、他の共感覚者が同様に感じる傾向があるとは限らない。
共感覚を手がかりに主観的な心の世界と客観的な脳との関係を深く探る手がかりしようとする研究が継続的に行われている。 赤ちゃんにおいては視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚等の異なる種類の感覚が未分化な知覚を生み出しており、通常その後の成長による感覚の発達にともなう脳の結合の変化によってこうした共感覚は失われていくとされる。この場合、成人して共感覚を保持している人は発達の過程で何らかの理由で脳の異なる部位への結合が保たれ、これらの複合した知覚もそのまま保たれているとする説もある。
共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じる知覚は「色聴」といわれる。絶対音感を持つ人の中には、色聴の人がいる割合が高い。音を色で判断しているとすれば、音を判別するとっかかりが通常より多いことも一因と考えられる。 日本人には色聴が多いと言われることがあり、少なからずヤマハ音楽教室が階名教育の際に使用している色(赤=ドなど)が影響していると言われたが、それと一致しない場合が多く、実際にはほとんどの音楽家・作曲家にとっては無関係である。
このことについて、太郎さん、蚤の脳ミソさんはどう思われますか?
T.K
no.2140 記入なし (07/02/19 20:55)
「絶対音感」
「絶対」という言葉は、他のものと比べることなく「具体的にいくつ」という意味を持っています。
では「絶対音感」とはどんなものかというと、ここでも音感を温度で例えると、
冷蔵庫の中に手を突っ込んで、温度計もつかわずに「10℃」と分かったり、
お湯に手をつけて「45℃」と分かったりするように(きっと手先で温度が分かる人は稀だと思いますけど^^;)
聞こえてきた音をすぐに(私達日本人が「あいうえお」を聞くのと同じくらい自然に) 「ドレミ」で感じる音感です。
頭が柔らかい幼児期から英語に触れると、英語と日本語を分け隔てなく使えるバイリンガルになれるのと同様に、
幼児期に「絶対音感」の訓練を受けてないと、まず獲得できない能力だといわれています。
もちろんこの音感があれば耳から聞いた曲を正しい調で正確に楽譜に書いていくことができるでしょう。
このことについて、太郎さん、蚤脳ミソさんはどう思われますか?
no.2141 記入なし (07/02/19 21:05)
T.K.さん
話題提供ありがとうございます。
「共感覚」「絶対音感」
共に、人が持っている五感による認識の違いなのですが、より研ぎ澄まされた感覚ですね。総ての人は程度の違いによりても、持っているものです。それが、認識されないだけなのです。
幼少時、ある大きなショックを受けたときの感覚が影響する場合もありますが、「常識」的な教えで、この音はこの音、この味はこの味・・・と刷り込まれてきます。それに異を唱えると「あんたおかしい」と言われます。しかし、多くの人はそれに流されるが、少数の人は違和感を持っているのではないでしょうか。
雨音が音階の音に聞こえる人や、色彩やある食べ物の味覚として感じる人もいます。
神経細胞の塊である脳内のニューロンの連絡系統の異常と考えることもできます。
感覚はその人固有のものですから、他人が認識することは出来ません。
霊訓を読むと、ご指摘のことが述べられています。音楽は色彩を伴っていて、音と共に色彩の感覚でも楽しめるみたいです。
幼児期は与えるられるまま、素直にそれを受け入れます。
そして、社会生活を送るようになってきますが、論理的思考ばかりが摂られ、感覚的思考が御座なりにされていることも、その一因ではないでしょうか。
人が持つ隠された能力がまだまだ多くあると思います。今の現実からでは、それを開発しようとする人は極々一部の人に限られていますが・・・
そのような感覚の話をするだけで、変な目で見られますからね。
no.2142 蚤の脳ミソ (07/02/20 07:47)
NHKの番組のサイボーグで少し類似のことやってたよ
no.2143 記入なし (07/02/20 08:09)
ちょっと紹介します。
人間には臭覚、味覚、触覚、聴覚、視覚の、いわゆる五感に加えて、動覚を合わせた六つの知覚がある。
これら知覚の対象の中には、たとえば味や色などのように、ふつうにはただ一つの感覚系によってしか知覚できないものと、たとえば形や運動にように、視覚と触覚との両者によって独立に知覚できる、アリストテレスの言う共有感覚対象(common sensible)とがある。
ここで動覚というのは主として耳の三半規管で感じる、体の動きの加速度の感覚であるが、このほかにも、動覚には体の筋肉による感覚や、触覚の一種である圧覚なども加わって、複雑である。
ちなみに、健常人と異なる、生まれつきの盲人の場合いには、やや例外的ではあるが、環境音の微妙な反射などによって、前方にある障害物の形や距離を、おぼろげながらある程度知覚できるというから、健常人といえども、潜在的には視覚と聴覚とが共有感覚対象を持っていると言ってもよいのかもしれない。
ところで健常人でも、独立した異なる感覚系にまたがって感覚の影響がある程度相互に表われることがある。すなわち、「黄色い声」、「渋い色」といった表現が示すように、前者では視覚と聴覚、後者では味覚と視覚といった異なる感覚系のあいだで、何となく共通した性質が認められると感じられることがあるのを示唆している。
「甘い香り」という表現も味覚と嗅覚とが一緒になった表現である。もっと広くには、茶道、華道と並び、室町時代中期(15世紀半ば)に完成された日本における三大芸道の一つである香道においては、香の薫りを「聞く」と言うのもその例である。
また環境の照明の色、すなわち視覚的刺激の種類を変えると、聴覚の鋭敏さが変わることも知られているし、さらに重さと大きさとがある適当な範囲にある、同じ大きさで同じ重さの立方体を一度に一つずつ同じ手に持って重さを推定させると、それらが白色と黒色と別々の色で塗られているというだけで、ある重さの範囲では黒いほうが1.8倍も重く感じられることさえあり、視覚と(筋肉による力覚を含めた)触覚のあいだの相互干渉といったように、一つの感覚系への刺激が他の感覚系の感度に影響することが知られている。
これらのように、異なる感覚系間に相互影響がある現象を、一般に通様相知覚と言う。
さらに、生起頻度は10万人に1人と言われているほどにまれな現象であるが、たとえば味覚刺激によって味を感じるのと同時に、体じゅう、特に腕や手の内に固体による触覚を明瞭に覚えるといった、共感覚知覚を示す者がある。この共感覚(または共伴感覚, synesthesia)は、約200年まえに初めて医学的に記述され、今世紀の初めに、それが想像の産物ではなく、実在の現象であることが医学的に認められ、1980年初頭になって実験的に検証された、珍しくかつ極端な通様相知覚の一種である。
しかしながらこの共感覚は、発現こそ10万人に1人といわれるぐらいまれなものではあるが、その裏に隠されている機序そのものは、実は万人に共通したものであることが分かってきつつある。したがって、われわれはここで共感覚をただ珍しい現象として取り上げているのではなく、その発現が万人の脳の構造や機能を解明するための有力な手がかりの一つとして検討しているのだということに留意すべきである。
no.2144 蚤の脳ミソ (07/02/20 09:10)
”速聴とは、通常の数倍の速さで音声を聞くこと。
速聴を行うことは単純な耳の訓練ではなく、脳の様々な機能を活性化させる働きがあるとする立場もある。一説によれば速聴トレーニングによって集中力、記憶力、読解力、観察力、理解力、洞察力、判断力、決断力、想像力その他様々な能力を強化することができるという。
しかし、高速音声を聴くだけで、なぜ脳が活性化するのか疑問に思う人もいるかもしれない。実はその秘密は「速聴」が、脳が活性化するツボともいうべきウェルニッケ中枢を刺激することにあります。”
蚤の脳ミソさん、速聴と霊と何か関係あると思いますか?
no.2145 記入なし (07/02/20 14:22)
霊は精神を支配し、精神は肉体を支配する。
精神(脳)は霊の向上に触発されて、発達するものと考えています。自身がどのくらい意欲があるかです。
「速聴」がどのような物かは存じませんが、今の科学レベルでは、マインドコントロールに利用されやすいのではないでしょうか。
私のような蚤の脳ミソには必要がないものです。
no.2146 蚤の脳ミソ (07/02/20 16:46)
2145の続き
”速読とは、文字通り本を速く読むことです。
飛ばし読みや斜め読みとは違って、 内容の理解や記憶はこれまで通りで読書スピードを加速していくのです。 もちろん、内容の理解や記憶はこれまでと同じです。
通常の読書は、誰でも行っていることですが、一文字一文字目で追っていく「なぞり読み」です。また、口に出していなくても頭の中で音声化して読む「音読」なのです。この読み方では、早口で読む速さより速く読むことは出来ません。
通常の「読む読書」 に対し、「速読」は文章全体をあたかも風景でも「見る」ように瞬間的に文字をまとめて視野に入れ、同時に内容を理解していきます。ちょうど、一目でパッと看板などを見る感じです。
速読習得者と未経験者の脳活動を光トポグラフィ装置により調査・比較したところ、通常の読み方である音黙読をした場合は速読習得者・未経験者ともに左脳に活性化が見られました。
そして速読習得者が速読の読み方をした場合には、左脳に加え右脳にも活性化が見られる。”
T.K
no.2147 記入なし (07/02/20 17:01)
速聴又は速読をすると脳が若返るらしい。
T.K
no.2148 記入なし (07/02/20 17:18)
”大脳には大きく分けて右脳と左脳のふたつがあり、それぞれで違った役割を果たしています。
右脳 左脳
・イメージ脳 ・言語脳
・劣位脳 ・優位脳
・直感脳(リラックス脳) ・理論脳(ストレス脳)
・感性(アナログ脳) ・理性(デジタル脳)
・潜在意識(無意識) ・潜在意識(意識)
・理解、記憶を求めない ・理解、記憶を求める
・一度に大量に受け入れる ・低段に少量ずつ受け入れる
・高速で受け入れる ・低速で受け入れる
・並列処理する ・直列処理する
・自動処理 ・手動処理
・無意識処理 ・意識処理
・企画力 ・理論的思考力
・創造力 ・計算力
・空間認識能力 ・分析力
即ち左脳は主に言語を媒体に発達する脳である一方で、右脳はイメージや感性によって発達する脳です。人は日常、言語脳である左脳ばかりを使っていて、イメージ脳といわれる右脳を使うことが少ないといわれています。
現在の学校教育では、左脳ばかりを酷使する、いわゆる左脳偏重教育を行っているという現状があります。それは、左脳が要求することにのみ焦点を合わせた教育なのです。こういった様々な要因から、私たちの脳細胞は5%〜10%程度しか使用されていないという状況です。”
ちなみに、右利きだと左脳優位で左利きだと右脳優位だと言われている。
T.K
no.2149 記入なし (07/02/20 17:44)
”大脳には大きく分けて右脳と左脳のふたつがあり、それぞれで違った役割を果たしています。
右脳 左脳
・イメージ脳 ・言語脳
・劣位脳 ・優位脳
・直感脳(リラックス脳) ・理論脳(ストレス脳)
・感性(アナログ脳) ・理性(デジタル脳)
・潜在意識(無意識) ・潜在意識(意識)
・理解、記憶を求めない ・理解、記憶を求める
・一度に大量に受け入れる ・低段に少量ずつ受け入れる
・高速で受け入れる ・低速で受け入れる
・並列処理する ・直列処理する
・自動処理 ・手動処理
・無意識処理 ・意識処理
・企画力 ・理論的思考力
・創造力 ・計算力
・空間認識能力 ・分析力
即ち左脳は主に言語を媒体に発達する脳である一方で、右脳はイメージや感性によって発達する脳です。人は日常、言語脳である左脳ばかりを使っていて、イメージ脳といわれる右脳を使うことが少ないといわれています。
現在の学校教育では、左脳ばかりを酷使する、いわゆる左脳偏重教育を行っているという現状があります。それは、左脳が要求することにのみ焦点を合わせた教育なのです。こういった様々な要因から、私たちの脳細胞は5%〜10%程度しか使用されていないという状況です。”
ちなみに、右利きだと左脳優位で左利きだと右脳優位だと言われている。
T.K
no.2150 記入なし (07/02/20 17:44)
no2150は削除してください。
no.2151 記入なし (07/02/20 17:47)
・「EQ」とは・・・。
「EQ」とは知能指数を表すIQに代わって登場した概念です。「EQ」では、知能に代わってその人の意志の力や感情の働き、周囲の人との調和を図る力などを中心に据えています。「EQ」を知ることで、あなたは自分自身について改めて見つめ直すことができるでしょう。そしてそれによって、自分の中に隠されていた可能性やこれまで見逃していたチャンスなどを発見することができるでしょう。
・EQを構成する4要素
@状況判断力
この能力は、どちらかといえばもっともIQに近いものといえるでしょう。
自分や自分を取り巻く環境について正しく認識する力が状況判断力です。この能力が高い人は、理性だけでなく直感に関してもなかなか鋭いものを持っているので、勘違いをしたりする危険性はほとんどゼロ。常に正しい判断に基づいて自身を持って行動できます。
逆にこの能力が低いと、他の能力を十分に持っていても、誤った判断に基づいて行動してしまいトラブルが多くなるでしょう。場合によっては、判断ミスが原因で様々なものを失ってしまう可能性もあります。
全ての行動の方向性を決める、船の舵のような、自動車のハンドルのような役割、それが状況判断力なのです。
A感情制御力
この能力は、自動車に例えるならブレーキやエンジンオイルということになるでしょうか。自分自身の感情をコントロールし、適当な冷静さを失わないようにすること、そしてプラス的な思考を維持すること、それがこの能力の役割です。
この能力が高い人は、精神的に安定しており、いつもにこやかで、何事にも余裕を持って取り組むことができるはず。逆にこの能力に問題があると、周囲に八つ当たりをしたりしてトラブルメーカーになってしまう心配も。
この能力の特徴としては、日常生活の中では個人差がさほどはっきりとは表れないということがあります。でも例えば好きな異性にふられたときや仕事でミスをしてしまったときなど、ピンチといえる状況下では、その行動に大きな影響を与えるでしょう。
その意味でも、自動車のブレーキ性能のわずかの差がギリギリの局面で大きな違いとなって表れることと似ているのかもしれません。いずれにしても決して軽視することのできない能力のひとつといえるでしょう。
B意志実行力
意志実行力はその名の通り自分で決断をする力、そしてそれを着実に実行していく力です。まさに自動車でいえばエンジンに相当する能力といえるでしょう。それだけにこの能力が高いか低いかによって、あなたが人生の中で成し遂げられることも大きく変わってくるはずです。
この能力が高い人はバイタリティにあふれ、自分なりに目標を決めてそれに全力投球することができます。少しくらい困難な目標のほうがかえってやる気がわいたりしてがんばれるかもしれません。一方意志実行力がやや低い人は、目標を決めてもなかなか実行できなかったり、場合によっては目標さえはっきりと認識できなかったり・・・・・ということになりやすいようです。
ただしこの能力の場合、他の能力とのバランスも比較的重要なよう。他の能力が低いのに意志実行力だけが高すぎる人は、つい暴走して周囲の人に迷惑をかけてしまったりすることも多いのです。意志実行力がそう高くないとしても他の能力も同じくらいの人は、ドラマチックな出来事は少ないものの、比較的平穏な毎日が過ごせるでしょう。
C対人共感力
対人共感力は、周囲の人が何を感じ、何を考えているのかを察知する能力です。人間は社会の中で生きる生き物であり、孤独でいることはできません。それだけにこの能力は、とても大切なものといえるでしょう。
対人共感力が高い人は、相手が何を望んでいるのかを瞬時に理解できるし相手に対して自分のことを効果的にアピールできるので、友人にも恵まれ、職場でも味方が多くなります。逆に対人共感力がやや低めの人は、周囲の人と話題がうまくかみ合わなかったり自分の気持ちをうまく伝えることができなかったり、どうしても友人が少なくなりがちです。
また、恋愛や結婚こそひとりではできないものの代表格であり、対人共感力が影響を与える最大のものといえるでしょう。対人共感力が高い人は当然異性の人気も高く幸福な恋愛ができますが、今ひとつの人は好きな異性に振り向いてもらえなかったり、異性から利用されるばかりだったり・・・・・。ですから「素敵な恋がしたい!」と考えている人は、まず自分のことについて、念入りにチェックしてみる必要があります。
T.K
no.2152 記入なし (07/02/20 18:51)
マーフィーの法則について
マーフィーの法則とは
J.マーフィー博士によって理論化された「心の法則」です。
マーフィーの法則を適切に使えば結果はすぐに現れます。
マーフィーの法則は潜在意識から「無限の力」引き出すことが出来ます。
人は意識・無意識にかかわらずそれぞれ癖があります。
良い癖・悪い癖・どうでも良い癖などなど色々有ります。
その中には不幸になる癖や病気になる癖・貧乏になる癖・人に嫌われる癖等のマイナスの癖と、
反対の
健康でいられる癖や・お金持ちになる癖・人望を集める癖などのプラスの癖などのプラスの癖が存在します。
また、癖のほとんどが無意識のうち出ます。
自分自身で気が付かない癖の事のほうが多いはずです。
日常の中で話しかたや仕草・行動・考え方などは無意識のうちの癖によって支配されています。
無意識の中にマイナスの癖が多いと人生自体マイナスになってしまいます。
なので無意識のなかのプラスの癖を増やせば明るい未来手に入れられるはずです。
T.K
no.2153 記入なし (07/02/20 19:37)
対人共感力
私は非常に低いと思います。
人間と言う生き物は、まだまだ進化の途上にある生き物なのではないでしょうか。
自身の発現している能力でさえも、十分に使えきれていないし、潜在能力も豊富に持っています。
まだまだこれからですね。
社会は人が作っているのです。人同士が潰し合いを遣っていてはどうしようもないと思います。
no.2154 蚤の脳ミソ (07/02/20 19:39)
あの世のことを議論するのに、スピリチュアルの知識だけでなく医学で研究されている脳や心の仕組みの雑学程度の知識を知っていた方がよりいっそう考察する視野が広がるのではと思い、あえてたくさんの記事を載せされてもらいました。
もし、既に知っていた知識ならば飛ばし読みしてもかまいません。
ちなみに、no2149,no2152,no2153は一応皆知っているものだと思われるけど、小中学生も読んでいると想定して一応記事を載せときました。
ところで蚤の脳ミソさん
あなたが言っている精神とは脳のことですか心のことですか?
T.K
no.2155 記入なし (07/02/20 19:52)
人間は大ざっぱに言えば肉体と精神と霊とで構成されていますが、成長するにつれて意識の中枢が肉体から精神へ、そして霊へと移っていきます。
チョット誤解を与えるレスで申し訳ありません。
脳は神経細胞の塊でしたね。神経細胞で精神は表すことは出来ませんね。
私の理解している精神は「心」です。が、上記にも記しましたが、人が意識することは成長によって変わってきます。幼い頃は、動物性本能に支配されていますから、「心」は肉体の欲求に従います。知識が増えるに従い、「心」はその知識の範囲に留まる様になります。「我慢」することを覚えますね。その頃になると、反抗的になり「理屈」に拘る様になります。
そして、一番大事な良心や道義心が発達してくると、「心」は「霊」の領域まで昇華されて行きます。
no.2156 蚤の脳ミソ (07/02/20 20:43)
古賢曰く
「汝自身を知れ」
これが一番難しいことなのではないでしょうか?
no.2157 蚤の脳ミソ (07/02/20 20:45)
空間認識能力のことですが
あるサッカー選手が車に乗っている時前を見ないで横を向いていても前の景色が見えるらしいので、運転することができると言う話を養老先生のバカの壁という本で読んだことがあります。
また、プロ棋士は軽く二百手はイメージすると言われている。
なぜならば、盤面を図形認識するからです。
頭の中を盤面がフィルムのように展開していくと言われている。
一般的に女性より男性のほうが空間認識能力があると言われている。
そのことについて、太郎さん、蚤の脳ミソさんはどうおもいますか?
T.K
no.2158 記入なし (07/02/20 22:32)
T.K.さんの説明でもあったように、右脳はイメージとか直観的認識能力に適しています。左脳はその反対で論理的な認識能力を司っていますね。
脳は使えば使うほど発達するものではないでしょうか。神経回路が発達して、より深い認識をすることが出来ます。イメージトレーニングの有効性がその証左になります。
一つは、その働きを練習にて脳機能に馴れさせることが大切なのではないでしょうか。
その回路を形成しやすい人と、難しい人がいます。が、それもその人の意欲次第なのです。難しく考えることもないのでしょうが、普段の生活の中に自然に取り込むことが大切です。総ての人がその能力を備えているわけですから。
昔、そろばんを習っていたときに、「暗算」がありましたが、私は苦手でした。苦手意識がありましたから、まともの練習しなかったのです。そこがポイントなのです。今は理解できますが、そのときはね・・・・
イメージに関しては、男性より女性のほうが発達していますね。
空間認識能力も、女性のほうが能力的に大きなものを持っていると思います。唯、それを普段使わないから、発達しないだけだと思いますよ。
とは言うものの、人の能力は簡単に判断を下せないものです。早熟の子供と晩成の子供がいるように、能力の発現は人によります。
早いほうが、他の能力の開発に心がけられるのですが、一概に今の世の中は言えないものです。
no.2159 蚤の脳ミソ (07/02/21 08:16)
人生には、人の悪を知らなければ決してつかめない真実というものも多い。
人間の善のみを見ようとするものは、甘いお菓子ばかりを求める愚かな子供と同じです。それは体によくないし、歯が悪くなります。
散々ひどい目にあって、人生に苦しさをたっぷり味わってこそ、初めて人の「善」と「愛」を求める心が起きます。
苦しまない人間は、求道心は起きません。甘やかされた人間が「神」や「霊の世界」を、真の意味で意識することはありえません。
no.2160 蚤の脳ミソ (07/02/21 08:25)
自由と平等
責任と義務をきちんと果たせる者のみが自由を受けることが出来ます。しかし、自由と平等は両立できません。
「自由」とは個性を生かして、他者との違いを明確にします。
「平等」は突出や差異を認めない傾向があります。
人間はそれほど賢い生き物でしょうか?
今の社会を見てもわかるように、ともすれば「自由」の名の基に放縦と遣りたい放題を主張するのではないでしょうか。
しかも「平等」の旗を振りつつ、自分より優位なものの足を引っ張って同じ次元へ引きずり落とそうとする。
この二つが両立すると言うのは愚か者の教説です。
口先で「自由」と「平等」を叫び、その実、責任と義務と利他愛を実践しないものは愚か者です。「自由」の名の下に我欲の満足ばかりを求め、「平等」の名目で他者の進歩発展を阻む。このような人間が増えてきているのではないでしょうか。
社会全体にも家庭にも、敬うべきものを敬い、従うべき規範に従うという自然の道理が忘れられているのではないでしょうか。金銭崇拝、物質的な豊かさの偏重、人間秩序の崩壊。この三つが人の心に深く浸透すれば、家庭は崩壊し、社会は著しく不安定なものになります。それは避けることが出来ない、ものの成り行きなのではないでしょうか。
no.2161 蚤の脳ミソ (07/02/21 09:07)
"【Indiatimes】先月、英魔術師デヴィッド・ブレインは水のみで44日間生き延びるという離れ業をやってのけ、世界を驚かせた。しかし、この男の前でそんな話は一体何の驚きとなるだろうか。男の名前はプララド・ジャニ(76)、世間からは"Mataji"と呼ばれる彼は過去65年間に渡って食事はおろか、一滴の水すら口にしていないというのである。またその為当然、一切の糞尿も排泄しないという。ジャニ氏は現在、インドはアーメダバードの北120km、アンバジの洞窟で隠遁生活を送っているが、話によれば彼は8歳の時に女神に祝福され、そのような特殊能力を得たという。そんな人間が本当にいるのだろうか?そして食事も水も取らずに、一体どうやって生きているのか?人間の在り方を根底から覆すこのジャニ氏の存在は、インドはアーメダバードの医師ら400人以上からなる学会(DISPAS)でも話題となり、医師らは専門の研究団を結成し、ジャニ氏の体を10日間に渡って精密検査する事にしたのである。(追記:その後のAFPの記事では65年間でなく、68年間と報じられていますが、どちらが正しいのかは不明。)
研究団は内科医、心臓病学者、神経学者、神経外科医、消化器病学者、他多数の各分野の専門家によって構成され、各々が専門の分野に関して10日間に渡り、ジャニ氏を診断、その間ジャニ氏は監視カメラの下に置かれ、昼夜のローテーションで分けられた研究団スタッフによってその動向を24時間注視されていたのである。またその間ジャニ氏は風呂に入る事は禁じられており、口を洗う為に100mlの水を用意されたものの、ジャニ氏の使用後に水はきちんと回収され、その量を検分するという徹底的なものだったのである。
「確かに、11月12日にここに来て以来、ジャニは一度も尿をしなかったね。食べ物はもちろん、一滴の水も飲んでいない。検査の結果では彼の体はこの10日間、全く正常で何も変化は無かったね。当初この計画は7日間の予定だったんだけど、全く彼の様子に変化がないから、少し延長させてもらったんだ。」 研究チームの秘書を務めるUrman Dhruv医師は語った。
そしてこれまでの検査の結果、ジャニ氏の体からあるひとつの特徴が発見されたという。ジャニ氏の体の中では尿が外に排泄されずに、再び膀胱壁に再吸収されている事が確認されたのである。
「ジャニ氏には血圧検査から脳のスキャンまでほとんど考えられるありとあらゆる内科検査を行わせてもらったけど、結果はどれも全く異常がないよ。おそらく彼の年齢の他の人々よりも健康っていう程度だね。この人の存在は、もしかしたら人体の理解と医学の新しい次元へのきっかけになる可能性もあるね。」調査に参加した神経科医Sudhir Shah氏は語った。実はShah氏は以前、411日間の断食を成功させたHiraRatanManek氏の調査にも参加しているが、「これは今までのそうした人々のケースとは完全に異なるね。一切の排泄を行わないのは初めての現象だ。これはちょっと前例がないだろう。」と語った。そして現在、ジャニ氏の調査を終えた研究チームはジャニ氏の現象に関してなんら医学的な説明を得られていない。
一方、検査を終え、噂通りのその能力を医学の前に証明したジャニ氏は記者団の取材に答え、「私は口蓋の穴から不老不死の薬を得る事が出来る。それがあれば私には水も食料もいらないな。」と語っている。そしてそのまま静かに洞窟に帰っていったという。
また検査に当たった別の医師、DineishDesai氏は機会が有れば再度ジャニ氏に協力を依頼し、次回はジャニ氏が語る口蓋の穴を徹底的に調べたいと話している。また医師らは今後、NASAでジャニ氏を検査してもらう事を希望しているとのこと。"
このことについて、太郎さん、蚤の脳ミソさんはどう思われますか?
T.K
no.2162 記入なし (07/02/21 17:50)
"【Indiatimes】先月、英魔術師デヴィッド・ブレインは水のみで44日間生き延びるという離れ業をやってのけ、世界を驚かせた。しかし、この男の前でそんな話は一体何の驚きとなるだろうか。男の名前はプララド・ジャニ(76)、世間からは"Mataji"と呼ばれる彼は過去65年間に渡って食事はおろか、一滴の水すら口にしていないというのである。またその為当然、一切の糞尿も排泄しないという。ジャニ氏は現在、インドはアーメダバードの北120km、アンバジの洞窟で隠遁生活を送っているが、話によれば彼は8歳の時に女神に祝福され、そのような特殊能力を得たという。そんな人間が本当にいるのだろうか?そして食事も水も取らずに、一体どうやって生きているのか?人間の在り方を根底から覆すこのジャニ氏の存在は、インドはアーメダバードの医師ら400人以上からなる学会(DISPAS)でも話題となり、医師らは専門の研究団を結成し、ジャニ氏の体を10日間に渡って精密検査する事にしたのである。(追記:その後のAFPの記事では65年間でなく、68年間と報じられていますが、どちらが正しいのかは不明。)
研究団は内科医、心臓病学者、神経学者、神経外科医、消化器病学者、他多数の各分野の専門家によって構成され、各々が専門の分野に関して10日間に渡り、ジャニ氏を診断、その間ジャニ氏は監視カメラの下に置かれ、昼夜のローテーションで分けられた研究団スタッフによってその動向を24時間注視されていたのである。またその間ジャニ氏は風呂に入る事は禁じられており、口を洗う為に100mlの水を用意されたものの、ジャニ氏の使用後に水はきちんと回収され、その量を検分するという徹底的なものだったのである。
「確かに、11月12日にここに来て以来、ジャニは一度も尿をしなかったね。食べ物はもちろん、一滴の水も飲んでいない。検査の結果では彼の体はこの10日間、全く正常で何も変化は無かったね。当初この計画は7日間の予定だったんだけど、全く彼の様子に変化がないから、少し延長させてもらったんだ。」 研究チームの秘書を務めるUrman Dhruv医師は語った。
そしてこれまでの検査の結果、ジャニ氏の体からあるひとつの特徴が発見されたという。ジャニ氏の体の中では尿が外に排泄されずに、再び膀胱壁に再吸収されている事が確認されたのである。
「ジャニ氏には血圧検査から脳のスキャンまでほとんど考えられるありとあらゆる内科検査を行わせてもらったけど、結果はどれも全く異常がないよ。おそらく彼の年齢の他の人々よりも健康っていう程度だね。この人の存在は、もしかしたら人体の理解と医学の新しい次元へのきっかけになる可能性もあるね。」調査に参加した神経科医Sudhir Shah氏は語った。実はShah氏は以前、411日間の断食を成功させたHiraRatanManek氏の調査にも参加しているが、「これは今までのそうした人々のケースとは完全に異なるね。一切の排泄を行わないのは初めての現象だ。これはちょっと前例がないだろう。」と語った。そして現在、ジャニ氏の調査を終えた研究チームはジャニ氏の現象に関してなんら医学的な説明を得られていない。
一方、検査を終え、噂通りのその能力を医学の前に証明したジャニ氏は記者団の取材に答え、「私は口蓋の穴から不老不死の薬を得る事が出来る。それがあれば私には水も食料もいらないな。」と語っている。そしてそのまま静かに洞窟に帰っていったという。
また検査に当たった別の医師、DineishDesai氏は機会が有れば再度ジャニ氏に協力を依頼し、次回はジャニ氏が語る口蓋の穴を徹底的に調べたいと話している。また医師らは今後、NASAでジャニ氏を検査してもらう事を希望しているとのこと。"
このことについて、太郎さん、蚤の脳ミソさんはどう思われますか?
T.K
no.2163 記入なし (07/02/21 17:50)
no2163は削除してください。
no.2164 記入なし (07/02/21 17:51)
ガイア・アセッションを考えてしまいますね。
繰り返します。このような話題で気をつけなければならないのは、簡単に信じてはいけないと言うことです。原因があって結果があるのです。
ちょっと宗教についての注意事項を書きます(ご存知とは思いますが)。
誇大妄想には、麻薬に匹敵する陶酔があります。自分は実は偉大で素晴らしい存在なのだと言う幻想ほど人を狂わせるものはないのではないでしょうか。
あるいは、自分の過去世は素晴らしい偉大な人物であったと思い込むことや、古今の有名人や聖人、賢者と特別な関係にあった。と、そう信じ込むことは甘美なものです。
相手が手に届きそうもない片思いの人や、歌手、俳優で、遠くから憧れる恋などをすれば、幻想と妄想に浸ることが、人格破壊をより効果的に行われるのではないでしょうか。
彼らはあたかも憧れの相手と自分が、霊的な目に見えない何かで、恋人同士、あるいは同士として結びついていると言う妄想を本気で信じ込むのです。
自分の願望を予定された事実や計画、関係と思い込むことは、人の心の最もつけ込みやすい罠ではないでしょうか!
また、選ばれた自分たちが妄想の約束によって、仲間を集め、この世界を救済しなければならないとする妄想集団や過去世を知りたがり、そこに自分の存在理由を見出そうとする無知蒙昧な人たちも、人心腐敗の格好の標的となります。
幻想を信じて疑わない。その人にとっては絶対的真理の啓示としか思わないものです。
脳裏に生じた誇大妄想や特別な関係妄想の「啓示」や「霊言」故に、自分は救われると思い込むものです。心に生まれた妄想を、自分の頭で偽りか真かを判断して、警戒心と疑念を抱いて振り払う気持ちを起こさなくなります。
「人生についての疑問や疑念は持ってはならない」
「人生の疑問などは、あってもすぐに答えが出る。人生は、死んだら終わり」
「暗いことや否定的なこと、消極的な思考は一切邪魔である」
このようなものは、人生の幸福への道に影を落とすばかりで、積極的な明るい人生にはいらぬ物。
これで、人が自分の苦しい体験を通して、自分を鍛え成長させる機会を根底から奪い取ることが出来るのです。
物事を表ばかり観て、裏を見ない薄っぺらな人間が大量生産されるのです。このような人間は、受け売りが得意になり、創造性が乏しくなりますから、権威主義者として世界を低俗化させやすいのです。
自省、内省や後悔は、本当の意味で深く考え、己を省みる能力なのですよ。
洗脳や意識操作の方法は
「自己の本質を開拓する」
「潜在能力を開発して願望を達成する」
「人間関係の改善や悩み事の解消」
と、言った名目で、多くの人を受講させる洗脳企業や神秘集団を作ればよいのです。
人集めの方法は、勧誘を基本として無知な若者を誑かして連れてくればよいのです。
無論、勧誘するときは、宗教だとか洗脳などとは言わずに、「最新の科学や学問、思想が生んだ人間を幸せにするための精神改善の方法のひとつ」だと説明すればよいのです。
名目はいくらでも立つ訳ですから・・・
くれぐれも気をつけましょう・・・・
no.2165 記入なし (07/02/21 22:40)
証明してよ
no.2166 記入なし (07/02/22 06:42)
no.2165 自省、内省や後悔は、本当の意味で深く考え、己を省みる能力なのですよ。
内省してください
no.2167 記入なし (07/02/22 06:44)
人の英知は無限であるが、人の愚かさも無限であることに気が付いて欲しいものです。
物の解った人間にとっては、明らかに愚考と解る事でも、道理が解らない者には、そう映らないものです。
むしろ、賢い、善い事に見えることの方が多いのではないでしょうか。
no.2168 記入なし (07/02/22 06:52)
ものが分かってるなら黙ることだ
no.2169 記入なし (07/02/22 07:09)
おしゃべりはあほだ!
no.2170 記入なし (07/02/22 07:10)
・・・荒れない方がええと思うぞ
no.2171 スレマスおやじ (07/02/22 07:11)
刺客か・・・・
色々な方がおられますね。
全面的に拒否を表明して、罵詈雑言を投げかけてくる方。
あたかも理解している振りをして、突然豹変する方。
知識は大切なものです。判断材料になります。
無知なるがゆえに、苦しむことはないのです。
宗教なるもので、どれほどの人が苦しんでいることか!
no.2172 記入なし (07/02/22 07:35)
豹変 さらけだしてる ある面いいじゃない
no.2173 記入なし (07/02/22 08:33)
まあ余り変な書き方すれば削除されるよ
no.2174 記入なし (07/02/22 08:34)
2168の
"物の解った人間にとっては、明らかに愚考と解る事でも、道理が解らない者には、そう映らないものです。
むしろ、賢い、善い事に見えることの方が多いのではないでしょうか"
はあたかも馬鹿者が馬鹿げのいたりで粋がっているのと同じようだ。
no.2175 記入なし (07/02/22 09:12)
no.2172まあスレは宗教的なものだから そうはいっても
no.2176 記入なし (07/02/22 09:26)
話したい事や、話したい時もあるからね
no.2177 記入なし (07/02/22 09:27)
2162の続きですが、太陽と水だけで生きている人間、土(大好物)だけを食べて生きている人間、
ジャムパン(大好物)だけ食べて生きている人間もいるらしい。テレビで見たことがあるんだけれど、松果体が普通の人の2倍も大きいからだと説明していました。
no.2178 記入なし (07/02/22 09:27)
(大好物)だけ食べて生きている人間もいる
度合いはともかくいそうです
no.2179 記入なし (07/02/22 09:30)
"超能力というと非科学的ですが、「免疫は六番目の感覚器」という考え方があることからすれば、免疫を司る脳幹の一部がすぐれた感覚機能をもつというのですから、超能力ではなく、今でこそ解明はされてはいませんがいずれ科学的に解明されるメカニズムをもっているはずです。
「太古の人間はこの松果体をよく働かせていたのです。松果体は直感力、透視力、テレパシーと関係のある器官です。太古の人たちはこの松果体をみずみずしく保ち続け、透視力やテレパシーを自由に働かせ、高度な存在と直接会話することが可能だったのです。・・・
(中略)・・・松果体は『第三の目』としてにわかに注目されてきました。実際、目のない下等動物では、この松果体が目の働きをしていたのかもしれません。
また、太古の爬虫類にあっては、頭頂部に不思議な穴がありましたが、これが『第三の目』であったと言われています。進化した哺乳類になってから、松果体は脳の一番深いところに身を隠し、特殊なホルモン分泌腺になった、というわけです。
インドのシバ大神は第三の目を持っていたと言いますが、松果体がその名残りだとしたら、なんとも神秘的な話ではありませんか」
七田氏の見解ですが、松果体には第三の目として光を感じる以外にも、電磁波を感じることもできるようです。ですから動物の中には地震の前兆の異常な磁場を感知し、逃避行動を起こすものがいるのです。"
このことについて、太郎さん、蚤の脳ミソさんはどう思われますか?
T.K
no.2180 記入なし (07/02/22 09:40)
文明の進歩とともに本来、人間がもっている能力は退化しているといわれていますから、そういう能力は充分にありえることです。現代科学はまだまだ未熟だから解明できないことがたくさんあります。
no.2181 太郎 (07/02/22 12:23)
信仰宗教の布教活動の手法で
9個の真実と1個の自分達の独断を織り交ぜて話するというのがあります。
9個は、ほとんどの人がうんうんとうなずけるようなことばかりなので
聞いた人はあたかも全て正しいかのような錯覚を覚えます。
下手に否定しようものなら返り血を浴びるというわけです。
話も饒舌な者が多いから一般人は要注意です。
no.2182 記入なし (07/02/22 12:37)
僕は、宗教はその人個人の自由だと思う。
その人にとってそこに属する宗教とは、考え方が合い、居場所のいいところでもあり、癒しでもあり、心の拠り所でもあるから即ちここのスレでチャットをしているのと同じ
なのではないかと思う。いわば、サークルのようなものである。
ただ、良かれと思っていても人様に迷惑をかける(例えば勧誘とか)ことだけはやめて欲しい。
T.K
no.2183 記入なし (07/02/22 12:53)
no2184です
訂正です
×同じなのでは ○同じようなもの
no.2184 記入なし (07/02/22 12:56)
証明や実証はまだですか?
no.2185 記入なし (07/02/22 13:00)
T.K.さん
太郎さんと同じ考えです。
人は、便利になればなるほど、精神的には退化てきているのではないでしょうか。
物質偏重で、精神的なことは御座なりにしているからだと思います。
他のサイトで読んだのですが、人のDNAの変異も観られていることのようです。
人間はまだまだ進化の可能性に富んだ生き物なのだと思います。
no.2186 蚤の脳ミソ (07/02/22 15:17)
太郎さん、蚤脳ミソさんに質問です。
今レスで宗教の話が盛り上がっているのですけど、
現在の新こう宗教についてどのようにお考えですか?
T.K
no.2187 記入なし (07/02/22 15:49)
2187です。
訂正です。
×新こう宗教 ○新興宗教
no.2188 記入なし (07/02/22 17:07)
2187です。
訂正です。
×新こう宗教 ○新興宗教
no.2189 記入なし (07/02/22 17:07)
宗教界では教祖が重んじられてきました。
それは決して悪いことではないのですが、問題はその偉大さが過大評価されて、その教祖が全能視されるようになってから面倒が生じはじめました。その教祖の教説が絶対視されるようになり、それが科学者を、思想家を、そして精神だけは自由でありたい、理性が反発するものは受け入れたくないと思っている真っ正直な人々に窮屈な思いをさせることになりました。
真の宗教とは同胞に奉仕することによって神に奉仕することです。そのためには殿堂も牧師も僧侶も聖典もいりません。そうしたものは奉仕の精神を植え付け同胞への愛の心を強めることにならない限り、何の意味もありません。いつどこにいても人のために役立つことをすることです。同胞の重荷を軽くしてあげることです。それが宗教です。
既存の宗教は、いったん組織を作り上げると、それを何としても維持しようと思うようになり、やがて全ての判断を、組織を優先してするようになっていきます。
そして、組織や組織の中心者に貢献することが“神の願う道・一番の実践”というような教えが説かれ始め、一人ひとりの魂の成長という肝心な点は後回しにされていくようになります。
「一人ひとりの魂の成長より組織のための活動が価値あり」とされるようになれば、組織は単なる束縛の手段にならざるを得なくなります。
新興宗教やカルトでは、こうしてメンバーは“狂信的世界”「自分たちだけが正しく他は間違っている」という、排他的・独善的世界へと引き込まれていきます。
「組織や中心者に従わなければ罰が当たる、地獄に落ちる」と教え込まれ、恐れによってどんどん縛られていきます。
いったんこうした中にのめり込んでしまえば、なかなか抜け出すことはできなくなるのではないでしょうか。
真実の同胞関係というのは、お互いの意見が完全に一致しなくても愛し合えるということです。
no.2190 蚤の脳ミソ (07/02/23 06:36)
"「ドッペルゲンガー」とは、自分と全く同じ姿をした"もう1人の自分"を目撃してしまう怪奇現象、及び、その現れたもう1人の存在の事を指す。アメリカ合衆国第16代大統領アブラハム・リンカーンや芥川龍之介などがドッペルゲンガーを目撃したという記録が残されている。また、現代でもスイス・チューリッヒ大学でドッペルゲンガーを研究しているピーター・ブルッガー博士の元には38人がドッペルゲンガーを目撃したと相談に訪れている。しかもブルッガー博士によると、少なくとも数百人以上の人が今でもドッペルゲンガーを目撃しているというのだ。
しかし、これほど多くの人々によって度々、目撃されているドッペルゲンガーだが、その正体はこれまで明らかにされていなかった。ところが、1996年ブルッガー博士の元に1人の男性が運び込まれたことでドッペルゲンガーの謎の一端が解き明かされたという。このスイスに住む陶芸家の男性は、頻繁にドッペルゲンガーを目撃していたという。ある朝、この男性は目覚めにドッペルゲンガーを目撃した。そして、その直後に激しい頭痛に見舞われたというのだ。医師の診断の結果、この激しい頭痛の原因は脳腫瘍であることが判明した。そして、手術で腫瘍部分を切除したところ、何とそれと同時にドッペルゲンガーを見ることもなくなったというのだ。さらに調査を進めると、この男性と同じように、脳の側頭葉と頭頂葉の境界領域に腫瘍ができた時に、ドッペルゲンガーを見る人が多数いることがわかったという。
実はブルッガー博士によると、側頭葉と頭頂葉の境界領域は、我々のボディーイメージを司るところと考えられている領域だという。ボディーイメージとは、自分の体の形や大きさを無意識に認識している感覚のことで、これにより例えば暗闇で物をつかめたり、狭い場所をぶつからずに通り抜けることができる。ところが、脳の側頭葉と頭頂葉の境界領域に腫瘍などができ、機能しなくなると、脳がボディーイメージを正しく認識できなくなるという。すると、実際の肉体とボディーイメージとが、別々の物として認識され、あたかも「肉体」と「ボディーイメージ」、2人の自分が存在するかのように感じられてしまうと考えられるというのだ。このことは脳医学の基礎を築いたカナダのワイルダー・ペンフィールド博士の実験でも、ボディーイメージを司る領域に刺激を与えると、肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するように感じることがあると実証されている。
だが、脳腫瘍を患っていない人の中にもドッペルゲンガーを体験している人は数多い。ドイツのアーヘン大学病院医学部クラウス・ポドル博士によると、ドッペルゲンガーは脳腫瘍だけでなく、偏頭痛の痛みの前に起きる「前兆現象」によって引き起こされている可能性もあるという。ポドル博士によれば、偏頭痛が起きるとき、まず神経細胞の電位活動が活発化し、興奮状態を引き起こす。その後、脳内の血流量が一時的に低下するという「前兆現象」が起こり、低下した血液を補うため一気に脳内に血流量が増える。そのため血管周囲の神経が圧迫され、激しい痛みが発生するのだという。この脳内の血流量が一時的に減少するという偏頭痛の「前兆現象」が側頭葉と頭頂葉の境界領域で起きていれば、神経の伝達異常が生じ、ドッペルゲンガーの幻覚を見る可能性があるというのだ。確かに歴史上において、自らドッペルゲンガーを見たと証言していたリンカーンや芥川龍之介に関しても、彼らが偏頭痛持ちであったことが明らかとなっている。
しかし、偏頭痛の前に起こる前兆現象によってドッペルゲンガーを見るのではないか、という説もまだ仮説の域をでていない。しかも、自分ではなく第三者によって目撃されるというドッペルゲンガーの事例もあり、ドッペルゲンガーについてはさらなる研究が進められる予定である。"
このことについて、太郎さん、蚤の脳ミソさんそしてみなさんはどう思われますか?
T.K
no.2192 記入なし (07/02/23 10:19)
パラレルワールドという概念があります。多重世界のことなのですが、私という意識体は、他の次元を異にする世界にも生きているのです。魂の繋がりがあるという事です。
それが知覚する以上の多くの次元での話なのです。
ある一定の条件でのみ(個人的な能力や意識の変化によることが多いと思いますが)視認できるらしいのです。会話が出来るかは解りませんが、魂が繋がっているのですから、意思の疎通は出来ると思います。
ちょっと、SFじみた話になっていますが・・・
現代科学の信奉者は受け付けない話ですね。その科学が解明できていないものは、不可思議な世界の話で終わります。
no.2193 蚤の脳ミソ (07/02/23 13:24)
参考サイトください
沢山
no.2194 記入なし (07/02/23 15:18)
いやいやいや蚤の脳ミソさんの発言はいつも素晴らしい!
わかりやすいし自分の考えも織り交ぜてるので納得できるし
これからもこのスレを訪れる方々の為に頑張ってください。
no.2196 0脳者 (07/02/23 20:49)
ちょっと紹介します。
科学も宗教も、それらが持つ独断的性格を、多年にわたる人類支配の格好のツールとして利用されてきました。お互いに正反対の性格を持っているようにみえても、実際には驚くほど共通面を持っています。
つまり両者とも、いったん教義(通説)が確立すると、それが、関係者の「生活の手段」に深く組み込まれて、それを脅かす可能性がある新たな見識や発見を、敵視して排斥したり、良くても完全に無視したりするスタンスにおいて共通しているわけです。
この本質的な性格と、大衆の科学と宗教に対する「信仰心」とを組合わせれば、人類を一定の方向に誘導することは極めて簡単です。
最初に方向だけを与えておけば、その先は、ほとんど自律的に、「関係者」が頑張って「迷妄状態」をキープしてくれるのです。これが、人類の歴史を通じて、実際に行われてきたことです。
その科学自体も、精神性を排除する姿勢を貫いたために自己撞着に陥り、宇宙や人間の本質への理解という最も重要な、そして「支配構造の恥部に触れる」テーマで、独断を振りかざすことしかできなくなったのです。
結局は科学も宗教も、「同じ穴のムジナ」です。
no.2197 蚤の脳ミソ (07/02/24 11:41)